叶えられし願望_Ⅲ
――――それは、冬の願い。
何かの闇に全身を覆われ、死んでしまうところで目が覚めた。何か、とても嫌な夢を見ていた気がする。頭痛もとまらない。心做しか、全身も痛みを訴え始めている気がする。そして、冷えた空気に嫌な予感がして、いっきに覚醒した。
居所を問う呟きは漏れなかった。体を起こして見えたのは、辺り一面の真っ暗闇。立とうとすれば足が縄で絞められていることに気付き、最悪なことに手も同様だ。外の風のような寒さではないとなると、ここは室内だろう。
――――誘拐? いや、まだ分からない。自分だけなら、忌み子だから殺そうとしているだけかもしれない。
あの場所で、自分を狙ったのだ。しかも、ひなつが丁度、自分から離れるタイミングを待って。可能性は否めない。
縛られた足でどうにか進もうとするが、光のないところで迂闊に動くのも危険だ。理由はどうあれ、自分をここまで運んできたやつらが近くにいるのかもしれないし、それでも、ひなつの安否を確認したい。状況の判断をしたいが、まったく音がしていないのも不気味で動けない。
カチャ、と音がした。風が入ってきたのと、音の場所に人の気配がすることから、きっと、ドアだろう。
そのドアから入った光で、一瞬だけ周りが見えた。右斜め後ろにひなつがいた。〝二つの槍〟でも自分より強いひなつが、どうやって捕まったのかは気になるが、今はそれどころではない。
入ってきたのは三人の男だった。黒ニット帽をかぶった男、片手に銃を持った男、ひげを生や男。そいつは一度俺に振り向くと、いきなり腹を思いっきり蹴ってきた。手と足を縛られているため、受け身ができず、見えない何かに当たった。暗い中じゃ、当たったものも見えない。
当たってしまったそれは、柔らかかった。手があって、足があって、目があって、口があって、――つまりは胴体があって。闇しかないこの空間で、その目は栄えた。赤と青のコントラスト。この世に二つあって、例外はなく。そして、その二人を、自分は知っている。
白夜の死体が、そこにあった。
暗いから見間違いだろうと思うのは簡単だ。だけど、〝二つの槍〟として研ぎ澄まされた五感で、よく知っている人物ではないがほとんど自分のようなもので、覚えているんだ、この人を。ちゃんと、覚えている。この死体は、本物だ。
知らずに俯く。あの正体不明の気まぐれで会えた、自分の家族であり兄妹であり片割れ。同じ目を持った唯一無二の存在だった。そう、だった。もう、これは、人じゃない。人だったもので、人じゃない。死骸に思うことなど、自分にはないようで。涙さえ流せない自分を恨んでいないことに、ああ、腐ってるんだな、って思ったんだ。
「んっ……?」
「ひな、つ」
小さな二つの声が重なる。いつのまにか助けを求めようとしていた自分の声と、左後ろからのひなつの呻き声。ひなつが起きたのはいいが、人が、もう、殺されている。入ってきた三人の男は、人を殺すのも厭わない。いや、この世界の人間は、そんなやつらしかいないのだ。
黒ニット帽がひなつに近づいて首に何かを付けた。自分にも同じように、銃を片手に持った男が首に何かをつける。すると、体の中から何かがスッポリ抜けていく感覚。今まで当たり前のようにあった何かが、どこかに寄って無くなっていく。
――――力が、入らない。
「今首に付けたのはサイナー無効化の神器だ。下手なマネするんじゃねえぞ、殺すぞ」
黒ニット帽の男が言った。仲間はこいつら三人だけだろうか。こいつはリーダー格っぽいな。
〝神器〟――サイナーの力が入った、サイナーの力の媒体としても使える道具。サイナー無効化と言うことは、自分のサイナーは使えない。性質の【磁石】は使えるだろうけど、手足を縛られたままじゃ意味がない。それに、相手はきっと手慣れだ。神器を有するくらいだから高位の金持ちに依頼されたのだろう。そうなると、相手は自分らが〝二つの槍〟と知っている。油断もして貰えないだろう。
「こっちの餓鬼も起きたぞ」
「手足縛ってろ。まだやってねえだろ、お前ら」
「はいはい、今からしますよ」
ひげの生えた男と黒ニット帽の男の会話から、ひなつはまだ手足を縛られていない。サイナーは使えないが、〝二つの槍〟は基本、サイナーの力を使いながら戦うものだ。今のうちに暴れてくれれば――駄目だ。自分が足手まといになるし、この黒ニット帽の男が俺から離れないということは人質にされる可能性が高い。
事実、ひなつは暴れたようだが、黒ニット帽の男が俺の存在を告げると、動かなくなった。その目は男を睨んでいる。珍しい、本当に激怒している。お願いだから冷静な判断をしてくれ、何もヘマしないでくれ。彼はトラブルメイカーだ。何をしでかすか分からない。今は、男たちを怒らせないことだけ考えてくれ。
だが、その願いを嘲笑うかのように、ひなつは真逆の行動をした。唾を飛ばし、相手を威嚇する。癇癪を起した黒ニット帽の男以外の二人男は、ひなつを一回殴ると、ドアの外に連れ出した。黒ニット帽の男はそれを見て舌打ちし、後を追った。最後に妙なことをするなよ、と釘を刺して。
――――――無理だ。何もしないなんて。ひなつは、何を、されるんだよ?
真っ暗な空間から出て行った幼馴染を思いながら、縛られたままの足でドアのところまで行く。ざらざらの床で体をくねらせていたせいか、白のワンピースは灰色になっている。縄が手に食い込む。涙で視界が揺れる。構わない。何度も床で擦れた所為で足に傷が出来た。ドアノブまで届かない。立ったら届くのに。立とうとして失敗し、頭をうった。構わない。
嫌だ。嫌なんだ。白夜みたいに、ひなつが、あんな冷たいものになってしまうのは。
――――自分が、男だったら。
身の丈も長くて力もあり、縄は解けるしドアも開けられる。大きな声を出して注意をこちらに向けられたかもしれない。そうしたら、あの時、ひなつの感情も冷えたかもしれない。自分が、自分が、男だったら。性格だけこんなに男っぽくても、意味がないのに。
嫌だ。嫌。嫌なんだ。死なないでほしい。この世界の犠牲にならないでくれ。
「――――助けて。誰でもいいんだ。神様でも構わない。誰か」
ひなつが、しんじゃうよ。
か細い声で言っても、誰にも聞こえない。こんな風に混乱している間にも、ひなつは殴られているかもしれない。もう――殺されているかもしれない。その時、次の番がくる。殺されてしまうのだ。この世界の人間に、殺されるのだ。絶対に、嫌だ。嫌だ。絶対。嫌。
「―――――――――――――――――――――――――――助けてあげようか?」
真後ろで声がした。男の野太い声ではなく、凛としたアルトの声。振り向けば、そこだけ場違いな、橙。この場では光を纏っているようにも見える。
樋代愛佳。……何故、ここに。
相変わらずの思考の読めない笑みはいっそ不気味で、いつもより禍々しい雰囲気を纏っている。その笑みは極上で、吐かれた言葉は甘味。
「君を男にしてあげよう。そうすれば、ここから抜け出せるね。――そのかわり、二度と女には戻れないし、女だった時の記憶は全て男に塗り替えられるよ」
「それでもいい! 早くしてくれ!」
なんでもいいんだ。助けることができるなら。ここから脱出できるなら。
そう言うと、彼女は悠然に笑い、魔法の呪文を呟く。
〝藤堂白亜〟としての最後の別れがあれとは、もう、情けない男だな、まったく!




