叶えられし願望_Ⅰ
日頃近くにあったもの。それらは全て、見なければ意味がないというのに。
冬の寒さが憎い。体を抱いた腕を摩りながら、相棒の背中を追った。白色のワンピースに上着が一枚の自分には、耐えなければいけないと知ってはいても、辛いものがある。雪に被さって見えない土を踏みしめた。雪に埋もれた靴が微かに水分を吸い、冷たい感触。
少ないが、外に出ている人の視線が痛い。やっぱり、この色違いの目は目立つ。
外へ出ることを禁じられていた、自分とひなつの足取りは軽い。いくら寒くても、初めての外出に気分は有頂天。欣喜雀躍。狂喜。どこまでも嬉しいかぎりだ。
クリスマスの近い町は、赤と緑で溢れている。イルミネーションされている家。玄関に出されている小さなクリスマスツリー。作りかけで終わっている近所のグラウンドの雪だるま。全部初めて見るものである。
「人が追って来ている様子はありませんね。脱走成功です」
ある程度屋敷から遠くまで来ると、ひなつは近所の家にもたれかかる。此処まで走ってきたため、息を吐くと白くなっていた。太腿を手で摩り、少しだけ温かくする。
事は、拗ねたひなつが、一時間前に自分の部屋に来たところから始まった。彼は外に出たくなりケイさんに許可を取ろうとしたが、間髪を容れず断れたと。それは当たり前だ。〝二つの槍〟がリリス・サイナーへの信仰心を汚さないように、人との接触は最低限とされているのに、許されるわけがない。
だが、一度言い出したら止まらない正確の彼は、そんな理由は通用しない。
「つまり、信仰心を無くさなければいい話でしょう?」
そんな気軽さで、今までの伝統を汚すつもりか。彼は聡明だが、その頭脳の使いどころを間違っている。
「外に出ますよ、なんとしても。一応警備はありますから、作戦考えましょう」
当然のように巻き込むつもりか。やめてくれ。
日熊家には子供が十歳になってからリリス・サイナーに会うまで、厳重な警備がされている。子供の頃は反抗心がなくてする必要がないが、歳を重ねるごとに感情が発達していくからだ。その警備は国が関わっているため、そんなに簡単に脱走が出来るわけがないが、逆に〝二つの槍〟がそれくらい出来なくてどうするかと言う意見もある。〝二つの槍〟は、主人であるリリス・サイナーの妨げになるものを、何であろうと切り捨てなければならないのだから。
彼が脱走宣言をしただけあり、計画は完璧だった。外に出ても全速力で追いかけてくる大人が何人もいたが、小さい頃から鍛えられてきた自分たちを、安易に捕まえることなどできはしない。
そうして外に出た自分たちは、今やることがなく立ち止まっている。
「どうしましょうか。そう言えば目的もありませんし」
「やりたいことがあったから出たかったんじゃねえの?」
「いえ、なんとなくです」
なんとなくであれだけの騒ぎを起こせるとは。なんともこの幼馴染は神経が図太いらしい。
「じゃあ、人のいるところでも行くか? 俺、お金持ってきたから、なんか店あったら帰るぞ」
「あれですね、本じゃ鯛焼きが売っていました。餡子食べたいです」
「その場になかったら買えんからな、あんまり期待すんじゃねーぞ」
「はーい」
日頃とか立場が逆転。自分が保護者のようになってしまった。今日は厄日か。いや、でも外に出られたわけだし。まあ、厄日と言えば自分が生まれた日だろう。生まれなければこの厄介な幼馴染と会わなかったわけだから。会わなければケイさんとも会わなかったわけだし、別に死にたがりではないのだ。自分が生まれたくなかったわけじゃない。なんだが、こんなことを思ってしまうと、親不孝になってしまう。親、物心つく前から会ったことないけど。
出来るだけ人がいない、中の道を通る。日頃からも自分から話すこともなく、ひなつは後ろに着いてきながら、一人でキョロキョロ楽しんでいる。きっと、彼の目に映る周りの風景は、とても魅力的なものだろう。今までずっと見てきたのは、教育者と幼馴染。あとは古くからある屋敷と、本の中でしか見たことがない〝普通〟の写真。
プレゼントを与えられた子供のようにはしゃいでいるトラブルメイカー。この場合、異常なのは自分かもしれない。
ある程度は喜んでいるが、〝普通〟、軟禁されている子供が初めて外に出た時、自分がいなければそうしてたであろうひなつのように、狂喜乱舞するのが当たり前だろう。なのに、こんなに冷静でいられるなんて。ああ、自分より緊張している人を見ると冷静になるあの現象か。現象というのか分からないが。
道路に引かれた雪のカーテンを踏むとなる音。厚着しているカップル。寒い中働いているアルバイト。閉業中の文字が貼られているシャッター。店がCDプレイヤーで流している、有名アーティストのクリスマスのラブソング。自動販売機で飲み物を買う子供。何もかも、資料でしか見たことがない。それらがあることに、当たり前と感じている人達も、初めてだ。これが、――――〝正常〟。
気付けば、外に出ている人達の視線は、自分達へと集まっている。原因は言わずもがな、自分のオッドアイとひなつの容姿だろう。この世界で忌み子は、外に出ればほとんどすぐに殺される。だが、その赤と同時に、世界から祝福される青があるのだ。周りの人たちはきっと、どう接すればいいのか迷っているのだろう。
でも、忌み子として殺されることはまずない。後ろに目を輝かせているひなつがいるからだ。ひなつは両目とも青の、本物の祝福の子。不快があっては世界に災いを招くことになると言われている。目の前で知り合いを殺されれば、ひなつは激怒するだろう。特に今日は、初めて外に出れたのだから。
そもそも、周りの彼らはひなつに近寄ることも出来ないのだ。ケイさんが好奇心で買ってきた雑誌に色々人が乗っていたが、その人たちの容姿は、ひなつと比べれば劣っていた。ひなつは傾国とまではいかないが、そこらにはいない美少年。この世界で美しさは神聖を表す。美しければ美しいほど、神に近い。勿論そんなことには、その本人が気付いていないようだが。
だが、何も目立っている原因はひなつだけじゃない。自分のオッドアイもそうだが、銀髪自体珍しいのだ。どれぐらい珍しいのかと言えば、黒髪黒目の純血くらいだろうか。
〝無影響〟の〝純血〟。昔、〝神の敢行〟があってから起こった体内変化。それの影響を受けず黒髪黒目になったのだから、純血は大体ラインだ。無能力者であるラインを象徴する純血は、一目見て嫌われることも多い。
純血がそう言われているのに対し、銀髪は青の目より祝福されている。〝陽〟を司る神――アレイル・レートシンスが銀髪だからだ。
赤い目を持つ〝癒〟を司る神――コンライト・アモーレもいるが、それは人を癒した証拠をこの身を犠牲にして表したものだと言われているから、別物らしい。
「白亜。白亜」
ワンピースの裾を引っ張られた。
「ケイさんにケーキ買って帰りません?」
指をさしたのはアルバイトが声を張り頑張って売っている、売れ残りのケーキ。
「はいはい。てか、財布やるから買ってこい」
「はーい」
笑顔で言うひなつに、呆れながら財布を渡した。アルバイトの女の子は、行き成り出てきた美少年に、狼狽えながらも接客する。
さて。あの能天気とも言える幼馴染が治まるのはいつごろだろうか。その前に追ってに追いつかれてもおかしくはない。
電柱に寄りかかった時。――――複数の人の気配と殺気。
慌てて槍を出そうと思ったが、ここは人の視線がある。周りから見ればただの誘拐。こういったものは、日頃溢れているものだとケイさん言っていたのだ。人が殺されようとも、人が誘拐されようとも、ここにいる人たちは表情を変えない。だが、〝二つの槍〟が外に出ているとばれたら別。
リリス・サイナーに仕える日熊家の、〝二つの槍〟。それは世界の支配者の右腕左腕になるように義務付けられているのだ。その教育の仕方は誰もが知っている。だから、槍を出せば脱走してきたことがばれるし、ばれたら厄介なことは全て回避できるが、日熊家に泥を塗ることになる。
槍を出すことに躊躇っていたら、体が一瞬痺れ、力が入らなくなった。意識はだんだんと薄れていき、最後には焦っているひなつの顔。
頭の中では、このまま死んでもいいな、と生に執着していない自分と、きっと後で怒られるな、と未来を考えて生きたいと思っている自分がいた。
あとは、どうなったか知らない。




