ロスト_Ⅲ
色付けるの忘れてました。過去の話ですよ。
ディアテーレオー。だって、忘れられない。
馴染のない臭いで目を覚ました。
目に染みる煙。頭の上で警告音。不可解な臭い。体を起こし、自分の部屋の頭上の言葉を聞き入れるのに、数秒かかった。
――――火事だ。
逃げないと。そう思って部屋のドアをあけた。それが間違いだったのだ。
ドアを開けて廊下から、走り出してくる火達磨。それが焼かれている人間だと分かったのは、こちらに向かって来て、よく見えるからだ。
その火達磨は、自分の部屋の窓を目指している。全身に火が回ってもまだ生きているのは、水のサイナーを使っているからだろうか。必至のその姿に、動けなくなった。
部屋に入るため、ドアにいた自分にぶつかった火達磨は、窓から下に落っこちて行った。何も、しているのだろう。外に救急車などいない。それが来ている音はしていない!
だが、それを思考している暇はない。
火達磨にぶつかった時にうつった火が、体を覆った。同じように水のサイナーを使い、どうにか踏ん張るが、あの自殺していった火達磨と同じ運命に会うのだろう。声を出して叫びたい。だが、喉はもう焼かれた。
―――――――死にたくない。誰か、ねえ、誰かいないの?
無駄な足掻きとは分かっていても、諦められない生への執着。まだ、やりたいことが残っている。こんな突然の死で、終わりたくない。走馬灯は流れなかった。
意識が無くなっていくのを感じ、流れない涙に絶望する。
目を開けているのを理解したのは、それが生きているのを自覚したことでもあり、狂喜に体が震えた。
でも、ここはどこだろう。白だらけの空間に、不安を抱いた。もしかして、天国だろうか。神様もいるのだから、何が起こってもおかしくない。
ドアが開かれた。目だけ動かし、そこに見えた顔に泣きそうなる。
「――――――――秋姉、起きてたの」
茫然と、呟くように発せられた声。目には困惑。行き場のない手がうろうろとしていた。
「よかった」
そう言った夏名は、寝ている自分の近くにあった、何かを掴み、何かをした。その何かを見ようとして、違和感に気付く。
――――全身が、痛い。
そして、ようやく自分がベッドに寝ていることを悟った。
ここは、どこなのか。病室にしては質素すぎる。こんな病室は見たことがない。
どうして、こんなところにいるのか。どうして?
そうだ、自分は焼かれたはずなのに、どうして生きているのだろう。
必至に考えるが、知らないことをどう考えても情報は得られない。隣に夏名がいるのだ。夏名に聞けばいい。全身に走る痛みを殺し、どうにか声を出す。自分のものとは思えない、老婆のようなしゃがれた声だった。
「こ、こは」
「サイナー専用治療室。覚えてない? 全身火傷だらけで発見されたんだよ。家が火事になって」
そうだ。そう、自分は火に焼かれた。学校から帰り、思わず寝てしまったベッドの上。その部屋で、あの――――化け物。火達磨になりながらも走ってこちらへ来る化け物。人だと思いたくない、火の中で見えた黒い影。あれは、誰だったのだろうか。
「おばあ、ちゃ、は」
そう呟くと、夏名は目を逸らした。言いにくそうに口を閉ざし、俯く。それだけで、どうなったのか分かった。死んだのだ、あのお婆ちゃんは。脳裏に焼き付いたあの笑顔は、もう見られないものなのだと思うと、泣きそうになる。実際、泣けやしなかったけど。
でも、それなら、あの火達磨は誰だったのだろう。お婆ちゃんは水属性のサイナーを持っていない。あんなに走れない。それに、お婆ちゃんは一階に部屋がある。二階にいるのはおかしい。
自分は、どうなっているのだろう。
全身を火に焼かれ、火傷まみれの体になっているのだろうか。それを、治療で治されているのだろうか。それにしても、先程からの違和感は何だろう。何かが、ない。
「か、み」
「え?」
「鏡。か、がみ、頂戴」
夏名がどこから出したのか見えなかったが、縦長の手鏡を出してくれる。体を上手く動かせないのを気遣ってか、それを顔の前に見せた。
そこには、一部を除いて、いつもの自分の顔があった。
火傷の跡なんてない、綺麗な顔。治癒のサイナーを持った人が、治してくれたのだろう。綺麗な少女の顔が、そこにはあった。ただ、グルグル巻きにされた右目がなければ、火事が起こる前の普通の顔。
ようやく、違和感の正体に気付く。ないのだ。大事な、右目が。
声を出さずに夏名を見た。
「火事で負った火傷は、その場にいた治癒のサイナーが治してくれたんだ。でも、最初に火のまわった、右目の眼球への被害が大きくて、サイナーじゃ力が足りなかったって。そのままじゃ、体に何か害を及ぼすだろうって。――――抉るしかなかったらしいんだ」
吹き上がってきたのは、火傷を治してくれたサイナーへ感謝ではなく、夏名が淡々と話していることに対しての怒りでもなく、右目を失った精神へのショック。抉ってしまったら、決して癒すことのできない、取り戻すことができない。もう、右目が、ない。
死ぬよりはよかった。生きたかった。生かしてくれた人には何よりも感謝している。夏名に告白していないし、まだ愛佳以外の友達も作っていないし、愛佳には約束した。嫌いにならないことと、傍にいることを。今度こそ、泣いてしまった。
大事な家族と、目を無くしてしまったのだ。
「火事の原因は、放火だろうって」
呟いた夏名の言葉に、体が軋む。無理に力を入れようとして、失敗した。
「犯人は」
「死んだよ。自分も火事に巻き込まれて、苦しんで耐えられなくなって、飛び降りて自殺したんだって」
あれだ。あの火達磨だ。あの火達磨が、犯人だったのだ。根拠は、右目を失くす前に見た、窓を、外を求める黒い影。自分の、目が証拠だ。
復讐、してやりたかった。右目と、お婆ちゃんの敵を。でも、もう、その間は死んだのだ。誰が犯人だったかは、もういい。
残されたのは、右側の空虚と行動できない哀しみ。
ディアテーレオー=忘れない、忘れることはない。
ロスト=消失。失う。
大地は「未来」を、愛佳は「死ねる希望」を、秋名は「右目」を失ったという意味です。




