ロスト_Ⅰ
人の死を見て惚れこむ。ちゃぷちゃぷ。そして、死に溺れていく。
肉に食い込むナイフの感触が堪らなく好きだ。肉が張り裂け、中の血が飛び出る瞬間が好きだ。その血が自分を塗り替えていく姿も好きだ。手で掬って眺めるのは最高だ。
そんな僕を、周りは殺人鬼と言った。やめてくれにかなあ。僕は誰でもいいってわけじゃないんだ。あんな精神異常者と一緒にしないでよ。――――あれえ、僕って異常だっけ? ま、いっか。
大地は無表情だが、確かに嘲る声で、初対面の時こう言った。
「まるで大人がする子供騙しだ」と。
ああ、それなら合ってるかもしれない。でもムカついたから死んでほしいね。手加減はするけど、まあ死んだらそこまでということでね、頑張って?
――――我々は我が祖国の存続のために、我々の子供たちの毎日のパンのために、格闘しなければならない。(アドルフ・ヒトラー「我が闘争」より)
刃が斬るのは人。人が斬るのは心。
足をブラブラさせているのは幼児のような性格ゆえか、それともわざとか。目の前にいる主人には、随分悩まされたのが今でも続いている。演技なのか、それとも根から腐っているのか、本人に聞いたところ自分は狂っているのではなく精神異常者らしい。同じことだと思うのは自分だけかと思い旦那様に聞いてみれば、また頭痛に悩まされたそうだ。お気の毒に。今度、目の前にいる貴方様の一人息子を見舞いに行かせます。
今日、自分の主人は気分がいい。それも殺し合い無縁で、だ。きっと明日、いや、夜のうちに槍が降る。今すぐ降ってきたらどうしよう。外に干してある洗濯物は大丈夫だろうか。そんなことを心配している場合でもないが。
殺しとは無縁だが、自分の主人がストーカーまで始めたらどうしよう。その時は暇を貰おう。
そんな自分の苦労を知らず、主人は集めてきた写真を凝視して、捨て、新しい写真をまた凝視している。部屋の中で床に捨てられた写真を一つずつ拾っていく。そこには、誰が見ても綺麗だと思う美貌が写っている。この写真が色恋関係でないことは知っているが、山のように集めたあげく凝視しているとなると心配になってくる。
――――樋代愛佳。
橙色の長髪は高くポニーテールに結んでいるにも関わらず、膝裏まで伸びている。全てを引き立たせる金の目は、崇拝対象となることを当たり前とする神々しさがあった。カメラ目線で偽りの笑みを浮かべる彼女は、かなりお調子者に見える。
「ねえ大地」
主人が、ふと思いついたように顔をあげた。
「何でしょうか」
「えっと、光聖歌だっけ? 多分そこの生徒一人殺しちゃったから、後始末よろしくねえ」
またか。溜息を隠さず吐いても、この能天気な主人が気にしている様子はない。
昨日のことだった。リリス・サイナー主催、エレジィゲーム。殺し合いのゲーム。夜はあんなに泣きまくったにも関わらず、殺し合いの言葉を聞いて俄然ヤル気を出したのは、あの信仰対象であるリリス・サイナーに殺害を許されたからだろう。
主人はいつも強者を求める。強いと言われ雇われた護衛を殺すのは日常茶飯事。無能力者であるラインにも関わらず、その剣捌きの強さは尋常じゃない。ラインだったのは過去の話だが、その過去、笑いながら殺すホラーな現状に腰を抜かして自ら辞めて行った人もいる。その中で自分が残ったのは幸運か不幸か分からない。自分だって、怖いのだから。
また一つ、また一つと写真を捨てていく。そろそろ注意しようと思った時、主人は自分の、空色の目に涙に溜まった顔を上げたかと思うと、恍惚の表情で剣を握った。
この変態は強い者いじめをするサディストなのだ。
「今度、こいつ殺そう」
挨拶をするような気軽さで言った言葉は、何度聞いたことか。もう慣れてしまった。
「そうですね」
きっと、目の前の主人は知らないだろう。その写真に写っている少女を殺そうとして、返り討ちにされるなんて。
相手はリリス・サイナーの加護者。つまりは最高神同然だ。いくら主人が死を司る神セプリアドゥー・ドゥーウェンの加護者になったとしても。他の相手なら指を鳴らして即死だが、相手が相手。最高神じゃなくても、五大神なら無理だろう。
もう、覚悟はしている。自分は、主人がリリス・サイナーに殺された時、共に死のうと思う。もし生き残ったとしても、殉死しよう。
こげ茶色の奥に見える目は、死ぬことに恐怖を持っていない。というか、生きて帰れることに疑問を持っていない。必ず、強者の自分は彼女を殺せると思っているのだ。
別に自覚しろと言っているわけじゃない。自分の立場を弁えろと言いたいが、しない。こんな主人に忠誠を誓ったのは自分自身なのだから。そこで死ぬならば、ついていくだけ。
だた、目の前の主人は死ぬことを望んでいるのだろうか。
悩んでも悩んでも分からない、その疑問。リリス・サイナーなら分かるのだろうか。彼がどうしてあんなに狂ったのか。その理由を。
いや、理由なら分かる。でも、戻しかたが分からない。戻していいのかも、分からない。
彼の過去はずっとついてくる。その過去に耐えきれず狂ってしまったのに、正常に戻して、また狂ってしまっては意味がない。
――――存在理由。
彼が、誰よりも依存していること。
人を殺すことで恨みを買い、復讐されることによって存在理由になろうとしているのは、しかし賢明とは言えない。彼自身も思っているだろうが、それでもやめられない。やめらるのなら、きっと既にやめているのだろう。殺すことで存在理由を作るなんて、そんなの、哀しすぎる。
笑顔の裏、死んだ目の奥、渦巻くその闇。その闇に惹かれ、死の神も主人を選んだと言っていた。もし、その闇が無くなってしまえば、あの神が離れていくのだろうか。それは困る。
主人は強いが、正常に戻ってしまったら人を斬れないだろう。そうすれば、ラインである主人はすぐに殺されてしまう。自分が守ればいいだけの話だが、今まで買ってきた恨みの数を、乗り越えられるのだろうか。
そこまで考えて、我を取り戻した。
何故、自分は生きて帰れることを前提に考えているのだろう。もしかして、など、あの快楽主義者のリリス・サイナーが見込んだ加護者だ。狂っているに決まってる。そんな人が、自分を殺そうとした主人を助けてくれるはずがないのに。
出来れば生きてほしいと願う。でも、彼にはそれが一番難しい願いだったのだ。




