嘆きの白_Ⅱ
兄に会った日から二週間が経った。
あれから樋代愛佳も兄の白夜も現れず、自分にとっての日常が続いている。
ただ、ピアスは彼から返してもらっていない。それだけがずっと気になっている。もう、捨ててしまったのだろうか。綺麗な空色のピアスは、ずっと脳裏に刻まれたまま。
捨てていたら、どうしよう。
勉強していた時も稽古の時間も朝食の時間も、空色が頭の中で踊る。まるで忘れるなと言われているようだ。目は、ずっとあのピアスを見ることを、望んでいる。また、魅せられたいと望んでいる。
一度は彼に頼んでみた。返してほしい、と。だが、完全に拗ねている彼に頼んだのは逆効果で、絶対に嫌です、と不機嫌になった。せめて一回見せてくれ、と頼んだ日は、一日無視された。次の日も不機嫌は続いている。
彼は昔からそうだった。自分が気に入っている人や物は、その全てを知っていないと気が済まない。ケイさんが一度誰かに手紙書いている時があり、その相手を彼は聞いたらしいが、ケイさんは答えなかったらしい。その次の日はケイさんの嫌いなゴーヤのチャンプルを朝昼晩、自分まで食わされた。
この家の家事をしているのは彼だ。彼の機嫌を損ねればその日は服が破られていたり、一日二食になったり。ピアスを頼んだ日にはコーンしか食べてない。間違いではなく、記憶は確かだ。
彼は、自分がいつ、どこでピアスを手に入れたか教えないのが不満なのだろう。でも、教えるわけにはいかない。そうなると、きっとまた機嫌が悪くなる。だって、話をするなら、花を摘んだ理由の嘘も言わないといけなくなる。嘘をついたことに怒ってコーンの二の舞は御免だ。長く放っておいた方が、そのうち飽きて返してくれるようになるだろう。
今は部屋で勉強。日々の大半は勉強、残りは大体稽古と食事。それが〝二つの槍〟での普通。だが、それだけ稽古しても、元リリス・サイナーのケイさんに勝てたことはない。あの人は強すぎる。生まれて半年も経たない内にこの屋敷に取れてこられ、三歳から槍を握って使い始めた自分らでも敵わないとは、一体どこまで強いのだろうか。
動かしていた手をとめる。幼馴染の彼が、声もかけず行き成り部屋に入ってきたのだ。
彼は眉間に皺を寄せて、睨みつけてきた。まだピアスのことを引きずっているのかと、思わず溜息を吐くが、彼の言葉でそれはかき消された。
「貴方に客が来ていますよ」
吐き捨てるような声音。
「――貴方の兄だと言っていますよ」
広間で座っていたのは、あの日優しい微笑みを見せた兄。その兄の目の前に、テーブルを挟んで座っているのだが、何故か隣に幼馴染の彼にケイさんまでいる。幼馴染――ひなつは綺麗だが、強面なケイさんがいるからか、兄は若干緊張している。
「今日はあの女はいないのか」
「うん。今日は用事があるんだって」
「白夜、あの女って何者が分かる?」
「神様だって言ってた」
兄と呼ばず名前で呼ぶと少し寂しそうだったが、あんまり親しそうにしているとまた、ひなつがコーンの盛り合わせを調達することになる。
それはさて置き。あの女は兄に何を吹き込んでいるんだ。神様などと。アイツはどう見ても、サイナーを持った普通の女だった。いや、普通と言うと語弊があるが、あの美貌が神に値すると思っているのか。
呆れに顔を歪めると、ひなつが割り込んでくる。声にはあからさまに棘が含まれていた。
「貴方、白亜の兄とか言っていましたね。本当なんですか?」
「うん。神様がそう言ってた」
「お名前は?」
「藤堂白夜」
「苗字が同じなだけでは? それに、神様とは?」
「顔が同じだからそれはないって、神様が。――――神様は神様だよ?」
「神様の名前は?」
ほとんど尋問だ。ケイさんも、二人の会話を聞いて溜息をついていた。兄もひなつに睨まれていることを気にしていない様子だから、とめようとも思わないが。
だが、ひなつのその形相も兄が次に発した言葉で崩されることになった。
「神様はリリス・サイナーって言ってたよ」
「――――」
リリス・サイナー。この世界の最高神で、まだ今代の加護者が見つかっていない。そして、その加護者は、自分とひなつの――新しい主人となる人。
自分はその人のために生まれてきた。
自分はその人のために死ぬようになっている。
自分はその人のために、この屋敷に軟禁状態になっている。
まだ会うことがないと思っていたのに。自分はその後のことを覚えていない。兄がどうやって帰ったのか、ひなつがどんな反応をしたのか、ケイさんは兄に問い詰めたのか。気になったが、自分の頭の中はリリス・サイナーだけが笑っていた。
目が覚めたら自分の部屋。その部屋には自分と、――彼女がいた。彼女は、寝ていた自分の布団に座っている。だから、一番初めに見たのは彼女の背中だった。布団の上で無秩序に踊っている橙色の長髪は、この世界でも珍しい。
彼女の髪を引っ張る。
「やあ、起きたかい」
「お前、リリス・サイナーなのか」
無視して問えば、目を閉じて芝居がかった仕草で肩をくすめた。彼女がやると本当に一シーンのようだが、わざとやっている感じが台無しにしている。
彼女がニヤリと笑うと、背中に悪寒が走った。
「そうだよ。――そうだけど、どうする?」
「どうもしない」
「おや、それは初めてだね。大体私が神だと知ると、今まですみませんでしたーって土下座して崇拝するか、願いを叶えろーって脅そうとするかだよ」
「そこまで人間らしくないからね」
「自覚はしているんだね」
当たり前だ。そもそも、〝二つの槍〟として育てられた自分が普通なんて思わない。この歪な目もあるのに、普通を語るなんて烏滸がましい。それだけ普通は羨ましいもので、恨みがたいものだ。
「明日だよ」
「何が」
「君の願いが叶えられる日」
この時、彼女は背を向けて言ったため、どんな表情をしているか分からなかった。けど、声音は楽しそうに弾んでいたことを覚えている。
まさか、その先に人の死が絡んでくるなんで思わなかったけど。




