もう震えない手_Ⅱ
悠馬が病院に運ばれたと聞き、何の感情も表さなかった自分を、この世界で無情と言えないことが、一番の無情だろう。
胸を張ってこの世界を褒めろと言われて言えるのは、千年たっても変わっていないもう古い文化と言おうか。それとも、何があっても動じない精神を狂気に塗れた笑顔で話そうか。どちらにしても、結局自分の前では、それは戯言にしか聞こえない。
その中で少し気にかかるのは、秋名が休んでいるというのに、夏名が変わらず登校していることにある。
悠馬の不祥。
秋名の休息。
夏名の笑顔。
どれもが怪しく見える自分は、きっと既におかしいが、気のせいではないことは確か。
悠馬は、いつ、どこで、どうなって、だれが、どうして、怪我を負ったのか。
秋名は、いつ、どこで、どうなって、だれが、どうして、休むほど哀しみを負ったのか。
夏名は、いつ、どこで、どうなって、だれが、どうして、狂ったように笑っているのか。
いつものように思える光景が不気味に思える。だって、ように見えるっていうだけで、本当は真逆なほどに、それも気付かないうちに、世界が変わっていんだ。
自分の知らないうちに、自分の周りの変化は、昨日、珍しく一緒に帰らなかった放課後にあったのだろう。ぶっちゃけてしまえば、だから何だという話なのだが。
「あーいかー。数学の宿題、やってきた?」
教室のドア付近で話しかけた声。
「やっているよ、勿論。でも夏名、君には見せてあげない」
「えー、なーんでー」
何で? それは難しいことを聞くね。
君はやっぱり、自愛している。
君はやっぱり、勘違いしている。
君はやっぱり、劣っている。
君はやっぱり、あの時からまったく変わってない。
無知ゆえに愚か。無知ゆえに無邪気。愚かゆえに気付かない。無邪気ゆえに自愛している。その精神は反吐が出るほど、それこそ虫唾の走るお話ということだ。
僕の友人である悠馬を殴ったくせに、親友である秋名をそれで悲しませたくせに、それでいてこの憎たらしい世界に加担し、狂った人間を利用して、壊れたふりをしている。
これだけで、君に意地悪くらいする理由になっている。
確かに、今の君の演技は、とても、
「素晴らしいね」
たとえそれが、僕を騙すためのお芝居でもね。
ニコリと笑いかけた。かけただけ。
本心のハズがないのだから、目はどうみても笑っていないだろう。これでようやく騙しきれてないことに気付く君は、この世界よりもこの人間たちよりも、醜く、滑稽だよ。
そして、また無情に僕は呟いた。
「<追放>」
穴と言う穴から血が噴き出て、あっという間にほら、血塗れ。
キレイ、キレイなアカイロ。
周りの悲鳴を聞こえないふりをして、親友の彼氏に近づく。もはや死者に近いそれの頭を、ぐいっと持ち上げた。かろうじてある息が、血を床に垂らす。
勘違いするな。君は親友の彼氏なだけで、親友じゃない。君、分かってるかな。僕の数少ない親友を、今でも大事に思える人たちを、三回も傷付けた過ちを。それからどうなってしまうかの末路を。
――――――――――――――――――君、分かってないよね。
息絶え、死者となったそれを踏みにじり、薄く笑いながら、僕は学校を出た。
さて、始めようか。面倒くさいことは、早めに簡単に終わらせるのがベストだろう。
強情な自己防衛を。
善心の復讐を。
思い人の悲しみを。
死者の願望を。
全部、灰にしてしまおうじゃないか――。
強情=ひなつのこと
善心=凛音のこと
思い人=秋名のこと
死者=夏名のこと
それぞれを現しています。
悠馬仲間外れ。




