もう震えない手_Ⅰ
あーあ、だから嫌だったのにさ。
忍足夏名は心底面倒くさそうに頭を掻いた。
目の前には錯乱して吹き飛んでバラバラなあか、赤、アカ、紅、――――アカ。そして、驚愕と恐怖に座り込む二人。衣服に滲む大量の血。
この場で立っている方が異常ということは、知っている。至高の美少女の誰かさん所為で、誰よりも知っている。
異常な量の赤、そして一個の死体。あとは血に塗れて、濡れている愛佳の狂喜の笑みと、右目に包帯をグルグルにまいた秋名。自分は、ただの傍観者だ。笑っている異常者と恐怖した従姉を平然と見ている。笑顔こそないが、恐怖もない無表情で。
知っているのは自分だけでよかったのに。本当に余計なこと、してくれるねぇ。
無言のまま、座ったままの茶髪に視線を向けた。
自業自得だ。興味本意だけで探ろうとしたからこうなったんだ。まだ、部外者でいられたのに。もう、遅いけど、さ。半分自分の所為でもあるから何も言わないけどね。
近くにあった、誰かの席のイスで、思いっきりその茶髪を殴った。
過去の自分が映像となってから、五分となった。
愛佳は煩い声で耳障りに笑い続けている。秋名は、疲れたように泣き出した。自分は相変わらず傍観で、泣きもしないし笑いもしないし、ただ突っ立っている。
だって、すでに思い知らされているのだ。
何も出来ない、ただの子供に過ぎないことなんて。
だって、すでに言い聞かされているのだ。
無力ゆえに無知ゆえに愚かしく、誰よりも小賢しいことくらい。
だって、あの光景を見て心揺らがないものなんて、――――ああ、哀れなき、なんて〝人で無し〟。そう、人で無し。人じゃないよ、そんなの。
やっと自分は動き出せたと思ったら、それはただの幻想で、それはただの誤解で、それはただの自愛で、そして過大評価だってコト。
なんて可哀想な自分。だけど、自身に酔う気なんてさらさらなく。
この時、秋名は右目を取り戻した。
この時、愛佳は感情を取り戻した。
この時、夏名は正気を取り戻した。
何が正義だ。
何が悪だ。
そして、それを決めるのは自分じゃない。
世界は異常で、以上で、異状。
正気と共に取り戻した世界は、残酷でより美しい。
人間が、欲望のままに生きる世界なのだから。
儚く、すぐに散るものほど美しいとは言うけど、自分はこの現状を好ましく思う。
反女王派の狐面――ディエニーゴ・コンテンデレと会ったのは、この記憶のすぐ後のことだ。




