マリーゴールドの花_Ⅱ
ベッドに座って隣をポンポンと叩くので、座れと言う意味に取り、少しぎこちない動きで愛佳の隣に座った。
白に囲まれた部屋は、なんだか透明な目に見張られている妙な感覚があった。見えない影に囲まれ、猛獣を見るかのような好奇心で見られている、圧迫感。理由のない威圧感が、この部屋にはあった。
「そこまで縮こまらなくてもいいじゃないか」
愛佳はそう言うが、しかしそれならこの部屋をどうにかしてくれ。
「無理な願いだな。――取り敢えず、君に忠告だけしておかないとね」
今、物騒なこと聞いた気がするぞ。
「忠告?」
「この前、リリスが入ってきたって言ったね」
「ああ、」どこに、とは聞いてないが。
「なんだが最近、小さな神どもが反抗しているようでね。僕らは人質に使われるかもしれないから、そんなことに僕たちを使おうとする能無しどもをはっ倒すくらいには力、つけとかないと、自分が困っちゃうよ?」
「あのリリス・サイナーが対処出来ない問題があるのか」
「力は誰よりも強くても、使い手が駄目だと宝の持ち腐れってことだよ。つまりリリス・サイナーはクズってことだね! あははははははッ! クッズ、クッズ、クッズ~」
これ以上ヒステリーにはなるなよ、愛佳。
あと、クズがグッツに聞こえるのは気のせいじゃないよな。わたしだけではない気がする。きっとそうだ。
急に楽しそう笑い出した愛佳は、白いベッドの上でゴロゴロしている。今まで綺麗にかぶせられていた白いシーツにしわが出来る。
そして、愛佳は急に笑い出した時とし同じように、急に笑うのをやめた。
「――――――――――――――――――あーあ、」
オモチャを取られた子供のように、バタバタしていたのが、オモチャに飽きて違うオモチャで遊ぶように、違うことを考えようとしたのか、それに失敗したようで、もう一度ベッドの上でゴロゴロしだす。わたしは遊びに来たのであって、子守をしに来たわけではない。やめてくれ、埃が舞う。
「いやいや、なんだかねぇ」
愛佳は薄く笑うと、冷たい目を細めて、わたしに向けた。
「帰れ」
一瞬、意味が分からなかった。
固まっていれば、強引に部屋から出され、愛佳は自分の部屋のドアを乱暴にしめた。何が起こったのか分からず、少しの間目をパチパチさせていたが、ドアの向こうでガラスの割れる音と二人の男の声がして、緊急事態だと悟った。
愛佳は子供のような性格をしているが、行き成り相手を帰らせるようなほど横暴ではなかった。
「ミツケタ」「ミツケタ」
「ドウスル」「ドウスル」
「コロセ」「オマエガコロセ」
電子音のような声が聞こえた。おそらく二人であろうその闖入者は、ドアの向こうにいるわたしの存在に気付いていないらしい。部屋に入るタイミングを逃さないために、ドアノブをそっと掴む。逃げる気など、始めから持ち合わせていない。親友を置いて、この世界の人間と同等になるのだけは御免だ。
「コロセ」「オマエガコロセ」「オレガコロス」「コロセ」「コロス」「コロセ」「コロス」「コロス」「コロス」「コロス」「コロス」「コロス」「コロス」「コロス」「コロス」「コロす」「殺ス」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」
いつの間にか、声はだんだんと増えていった。機械のような電子音から、どんどん人間のような声に近づいていき、最後には殺気の混じった、人間と変わらない声で、相手に言い聞かせるように何人もが何回も呟く。もはや、相手が二人というのは遅れた事実だったようだ。
せめて何人かだけでも分からないかと、ドアに耳をあて、気配を読もうとした、その時。
肩を叩かれた時の恐怖に声を小さく出してしまったのは、仕方ないだろう。
その声に、ドアの向こうの闖入者はわたしに気付いたようだった。それにしても、ヤバい。肩を叩いたのは、蜜音さんだった。尋常ない音と雰囲気に、様子を見に来たのだろう。敵じゃないだけよかったが、それは逆効果だ。
わたしに気付いた闖入者の一人が、蜜音さんの後ろに現れた。
変な格好をしていた。
滑稽な狐の面に、青い唐傘。真っ黒のマントのようなものに、その腰あたりにナイフが何本も準備されていた。そして、両手に抱きしめるように持っていたのは、愛佳の橙色の髪の美しさの例えとしてよく使われる、その場にふさわしくないマリーゴールドの花。
刹那。
体にのしかかる体重が、蜜音さんのだと気付くのに時間はいらなかった。
華やかなマリーゴールドの花が、蜜音さんの背中から飛び出した血によって汚れ、それを例えられた愛佳を殺す合図となった。
目の前には不気味な闖入者。
傍には倒れている愛佳の兄。
よく分からない状況に、考える時間など、狐面はくれなかった。
記憶が戻ってから、――いや、人生初めての、本気の戦闘が始まった瞬間だった。




