あと一日_Ⅱ
泣いていた。ずっと。
とうとう、二つの槍認証式まであと一日。今日は、認証式の前日だ。
握った拳を、更に強く握った。爪の食い込んだ掌が痛い。
どうしてかは知らないが、拠点を見つけられ、そして襲撃されたあの日。今まで使っていた倉庫は壊され、もう使い物にはならなかったため、移動した。移動したのは、前の倉庫と同じ花舞市の端っこの空き家を使っている。今度は空間を拒絶しなくても、それなりに広く快適なところだ。イリアの洗脳の力を使って、ここは誰かが使っていて、実は空き家ではなかった、ということにしている。だから、空き家であるこの家から音が聞こえても、誰も疑問に思わない。
ニールから貰った数本のナイフを並べる。一本の欠損もない。それはニールが影から作ったナイフで、もし投げた相手に刺さらなくても、対象の足に影が纏わりつくようになっている便利物だ。ちなみに、名前はディエニーゴ・コンテンデレと言うらしいが、今更呼び名を変えるのも面倒なので、そのままニールと呼んでいる。
今ニールは、認証式会場の見張り役だ。違う反女王派や、愉快犯の罠が付けられると迷惑だから。もっとも、後者の可能性は低いが。
「――何かお悩みですか?」
背後で凛とした声。その声に、一度元親友の顔が思いついたが、すぐに取り払った。
イリアは今まで(ニールに用意させた)風呂に入っていたのだろう、目のレースをまだ付けていなく、頭をタオルで拭きながら、アタシの隣に座った。髪から落ちた滴が、床に落ちた。
今のイリアは、最初に会ったころと比べ、雰囲気が柔らかくなった。というより、だんだん警戒を解いていっている気がする。一週間をすぎた頃から、口調も普通のものとなってきた。敬語は流石にやめなかったが、強いるものでもないだろう。
「ねえ、イリア」
「何でしょう?」
「貴女、復讐したいって言っていたわよね? あたしに初めて会った時」
イリアの肩が、びくっと反応した。あまり、聞かれたくないことなのだろうか。それも当たり前か。復讐をするほど、酷いことをさらたんだ。――まるで、アタシみたいに。
「――聞いていい?」
「…………」
「ああ、嫌ならいいわ。無理強いはしない」
「……いえ、いいでしょう。話します」
イリアはそういうが、顔はあからさまに嫌がっている。もしかしたら躊躇っているだけかもしれないが、顔色も悪くなってきているし、そういう顔で話すらするのが躊躇われる。よっぽど、つらい過去なのだろう。
彼女が口を開く前に、とめた。やっぱり、聞いていいことじゃない。
「いいわ」
「……別に、大丈夫ですよ」
「それを言っている時点でおかしいわ」
「…………」
お互い黙った。沈黙が場所を占める。
復讐したい同志。でも、彼女は政府にであって、愛佳に復讐したいわけじゃない。
久しぶりに、真面な会話をした気がする。あの頃なら、日常茶飯事だったのに。
もうずっと、夏名のことを考えてない。考えるのは、夏名を殺した愛佳への復讐だけ。
こんな毎日に嫌気がないあたしは、きっと臆病者だ。
愛佳を復讐するのも、それで夏名を諦められると思ったからだ。
夏名を忘れて、彼女を殺すことだけ考えて。結果は、夢のまた夢。
――いっそ、夢なら泣けた。
裏切られたと思って衝動的に反女王派へ。戻ることは、もう、ない。
愛佳なら、助けてくれるだろうか。余裕綽々の彼女は、あたしなんて敵にしていない。
――愛佳なら、女王なら、女王が許したなら、戻れるかもしれない。あの頃に。
愛佳とふざけあって、悠馬をからかって、止めようとする凛音にちょっかいかけていた。
その中に、夏名はいない。
笑った顔。怒っている顔。呆れている顔。泣いている顔。
全部、見てきた。ずっと、見てきた。なのに、今はもう朧げで、ハッキリと見えない。
責めてやりたかった。親友ではなく、好きだった人を。
だって、反女王派に入っている様子なんて、全然しなかったもの。
この世界に魅せられたことも、この世界を愛していることも。
彼の全てを知っていたと思っていたから、信じられた。それは、彼女のことも言える。
でも結局は無知で我儘を言っている子供にすぎない。
裏切った彼女は、あたしにリリス・サイナーだということを、言わなかった。
共にいた夏名は、あたしに反女王派のトップだということを、言わなかった。
憎悪が彼女に向いたから、泣けなかった。
悲しみが流れて行ってしまったのは、彼女の所為。
そうやってずっと、ずるずるとずるずると。
本気で叶えたいと思う目的もなく。本気で向かいたい道もなく。
時々、本気で思った。――何がしたいのか、って。
愛佳を殺したい。愛佳を泣かせたい。愛佳に、夏名に、謝ってほしい。
アンタが殺した。アンタが苦しめた。アンタが、――憎いの。
こんなことをするぐらいなら墓に行きたかった。でも、墓がどこにあるか分からない。
そもそも、罪人に墓など用意されるのか。他の罪人の骨を一緒に入れられているかも。
もう、喋らない。
もう、笑わない。
もう、泣かない。
もう、死なない。
だって、生きてないものね。
だって、顔がないのにね。
夢に溺れて楽に生きたかった。その方が、絶対に幸せだ。
本性を知った後でも彼女を崇められるような信者がよかった。
例えそれが、洗脳だとしても。狂っていても、壊れていても。
いきなり何も言わなくなったあたしに、イリアは何も言わなかった。
ただ空き家にはカーテンがついていなくて、窓の向こうから大きな月があたしたちを照らす。
あたしは泣いていた。月の光に、涙が光る。
もしかしたら、イリアも泣いていたのかもしれない。
復讐したと思った昔のことを、思い出していたのかもしれない。
人を殺すと決めた前夜、二人の復讐者はただ静寂に縋っていた。




