倦厭
羽織る毛皮の温もりが心を温める筈もなく、その温もりに暖まりたい気もなく、顔を埋め摺り付けた際に薫る香りがいつもより近く濃かった。当り前だと呟いたところで持ち主が何らかの反応をするわけがない。
ゆるり虚空を眺め、より深く毛皮に包まった。
容易く体を覆う毛皮の巨大さが無性に腹が立つ。相手にとったら理不尽の他はない。だけど苛立つのだからどうしようもなく、其れでも両手に余る黒い毛皮を放さないでいるから面白い。相手の匂いに包まれながら体を横に倒した。すると、上方から呆れた声と視線が落ちてきた。
文句を言いたげな顔と口元を交互に見て。その内聞えるであろう溜息を子守唄変わりに目を閉じてやった。
するとすると、予想通り深い深い溜息を吐き出した。思わず表情が緩み、心が不思議と穏やかになり始めた。 そうなると後は簡単だ。間を置かずやってきた睡魔に身を委ね丁度いい布団に包まり寝るだけ。
適当な時間が経ったら起きる、そう呟いて完全に意識を闇に放った。
***
浅い眠りが覚醒へと促され、渋々凪だった意識に波を立てた。
瞼を開けずに、まずは両手と背筋をぐぐっと伸ばしながら大きく息を吸込んだ。瞬間、肺に堪る獣臭さに顔を顰めれば聞える、隠す気など更々ない舌打ち。
「不満なら金輪際使わないでもらてぇもんだ。」
薄目を開き、声の主を見上げた。
常時血が昇ったように赤い顔から覗く白い歯が声に合せて見えたり隠れたりを繰り返す。だが其の開閉は言葉を発しているにしては少なく、どちらかと云えば呼吸をしているように薄く狭い。何より声自体口から発せられているというよりかは直接脳内に響いているように聞える。
空気を震わさず、頭に入り込んできた不機嫌な声色に益々眉間の皺をアマ公が寄せた。
聞きたくなくても半ば強制的に頭蓋奥に侵入してくる愚痴や文句など堪ったものじゃない。ほとほと疲れる。
「なら、あんたの趣味全押しの服なんかより機能的な布団とか持ってこいよ。」
「あ、あああれは俺の趣味じゃなくて偶々その服しかなくてな。それしか盗めなくてだ、な……。」
途端、しどろもどろに答えるエテ公にアマ公の疑いの眼差しが刺さる。
座っていても依然高い位置にある猿顔を睨み上げた。
話をはぐらかしたいのか泳ぐ視線に合せあちらこちらエテ公の顔が忙しなく動き回り、執拗に頬を人差し指で掻いている。分かり易い態度。終いには口笛を吹き鳴らす始末にアマ公の顔が不機嫌なものから呆れたものにシフトした。
ごわついた尻尾を口元まで引き寄せ、残りの部分は抱き枕宜しく太腿に挟み込んだ。ホットパンツから伸びた太腿からダイレクトに伝わる毛足と温もり。丁度挟み心地が良いのでアマ公はエテ公の尻尾を更に挟み込んだ。
股の奥まで確りと挟み込んでいると猿がキィーキィー叫ぶような声が聞え始めた。今度は直接脳内では無い、実際に耳を押さえるほどの五月蠅い声。
「何度も言ってるだろ!其処は敏感なんだから、あんまりそんなことすんじゃねぇっ。」
大口を開けながら叫ぶエテ公が素早くアマ公の太腿サンドから自分の尻尾を抜き出した。
その瞬間、太腿と股に毛が流れ逃げていく言い難い感触が走る。微妙に病み付きになりそうな気持ち良さがアマ公の口から小さい吐息を零した。
其の切なげな息使いに益々、エテ公の顔が赤らんだ。
「其の声も禁止だ! 馬鹿!!」
「うっさい人殺し。」
怒声を上げ興奮状態だった態度が一変し、その場の空気が凍て付いたものに擦り返られた。
牙を剥き出しの口を閉じ、見下ろすエテ公の先には変わらずアマ公が無表情で見上げている。立派な甲冑をかちゃりと鳴らし、背中合わせだった態勢を向き合う形に変える。胡坐状態の膝上にダンっと手を置き、厳然たる強い眼差しを向けた。
其れに対抗しているのか、負けじと平然を保っているのかは定かではないがアマ公の表情は一切変わっていない。
生臭い息使い。鋭過ぎる犬歯の噛み合わせが見えるまでに縮まった距離。間近で見れば見るほど大きな猿顔に漸くアマ公の顔に変化が訪れた。
しかし、其れは後悔や恐怖では無い。シニカルに歪んだ目元と口元は明らかに馬鹿にしているとしか思えない。目元など些か常軌を逸し、何処か闇を称えている。
「ほんの些細な興味心と軽薄な自己満足で振り回される人の気持ちなんて考えたこと、ないでしょ?」
「………あれは不慮の、アレだアレ。」
「奥歯に物が挟まったような言い方。」
「…チッ。なっちまったもんは今更如何にもなんねぇよ。返せって云われても返せねぇもんは返せねぇ。精々お前を元の場所に戻すくらいしか、…出来ねぇ。」
「する気もない癖に、まるであるように言わないで欲しいわ。」
アマ公の一言にぎらり金色の瞳が邪悪に輝き。其の光の奥、揺らめく金色の炎の先に過去の幻影が流れ始めた。
賑やかで楽しげな祭囃子。誰も彼も今夜打ち上がる花火目当てで足を運んできた。ごった返す人混み。多種多様の出店が道端に軒を連ね、花火大会で集まった人達を出迎えている。
その中、今日の為に母に強請ったお気に入りの浴衣に袖を通し、お囃子があちらこちらから聞える夜を満喫していた。
両親に挟まれる様にして真ん中を歩く少女の機嫌は見るからに御機嫌で。父親の甘い言葉を縦に母親の優しげな注意を聞き流しつつ、カラコロ下駄を鳴らしながら、目ぼしい出店を吟味する。はしゃぐなと言われても無理な年頃。
両親の小さな微笑ましいものを見て笑うような声に少女の心がぽうっと暖かくなった。
と、同時にちょっぴり駆け足で両親の間をすり抜け、くるりと踵を返した。軽く上半身を倒して両手は後ろで組み、おまけのおまけで首を傾げた。
――お母さん 新しい浴衣ありがとっ
――お父さん 可愛い下駄と巾着ありがとっ
満面の笑みでのお礼。今日のメインは花火だけど少女にとってのメインは既に現在進行形の形で続いている。両親と一緒に祭りに行けた、其れだけで十分幸せだった。
在り来りで当たり前の小さなことでも少女にとっては掛替えの無い幸せだった。少女の笑みにつられ両親の顔も其々綻んだ。
そんな時、楽しげなものとは少し違う喧騒が周囲に広がり出した。祭りと喧嘩は何とやらと云わなくもない。些細ないざこざで喧騒の中心に居るのは恰も酒の入っている中年の親父と、見上げるほど背の高い黒髪で赤み掛った地黒の二十代半ばの男性だった。中年もそれなりに背が高い様だが、其れ以上に男性の方に目が行ってしまう。
しかも一方的に詰め寄っているのは中年男性の方で長身の男はズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、無言で中年男性を見下ろしていた。短髪の黒髪、光の加減で金色に見える瞳がとても印象的で周囲の人達は頻りに奇抜な格好の男を指差している。
着流した着物姿が似合っている様な似合っていない様な見た目も相俟って注目を集めていた。
『おらあっ。人にぶつかっといて謝罪の一つもないのかっ、ヒック。』
『言っとくが俺はお前に打つかってねぇ。そっちから打つかってきたんだろ。』
『っせーなあ! 謝れって言ってるだろ!? あ゛あ!!?』
とうとう中年が男性の胸倉を掴んだ。一触即発の寸前、誰か呼んだのか係の人が数人駆け寄り、二人の間に割って入った。強制的に距離を取る間も中年男性は暴れ続け、長身の男は無表情のまま係の人に囲まれている。特に何もするでもなく囲む様子に少女の心の中で疑問が産れる。
――あの人は何もしていないのに どうして暴れている人より厳重に囲っているのだろう
でもそれは無意識化での行動だと少女はおろか、囲っている当人達も気付いていない。
命に刻まれた抗えないナニカにこいつ等は怯えている。そう分かるのは長身の男のみで、自分を怯える人達を軽く鼻で笑い飛ばした。
だが其の態度が癪に障ったらしく、中年男性が係の人を乗り越え、男の元にがぶり寄り勢いに任せた拳を高い位置にある顔目掛け殴り掛った。
刹那、辺りを埋め尽くしていた喧騒が消え一切の無音と化した。
緩やかに見る中年男性の眼光が小刻みに揺れ、殴った筈の右手が男の顔に届いていないのを見詰めた。手首から先、引き千切られたように汚い断面から飛び散った赤に頬を染めた男が不意に地面を見遣るので、中年男性も同じ方向を見遣った。すると其処には手首から先の掌が無造作にゴロリと転がっている。
他の人達も赤く染まった頬、歪な手首、転がる手の異質な光景に皆一斉に口を開き、様々な悲鳴と怒号が祭り会場を埋め尽くし出した。
しかし、其れは皆一音だけに終わった。絶叫の出鼻を強制的に折られた首達がゴトリゴトリ不吉な音と血飛沫を立て地面に転がる。長身の男を中心に祭り会場に居た全ての人達の首が、落ちた。無論、この騒ぎを知らず楽しんでいた者達の首も落ちていく。
会場入り口で待ち合わせしており、他愛ない会話をしながら歩くカップル。首がズレているのを彼女に指摘され、からかわれていると思い首を触ってみれば生温かく。触った掌を眼前に持ってくれば赤く染められていた。信じ難い現実に乾いた笑いを零すしかなくて、視線を彼女に戻せば其処に彼女の顔は無かった。正確には首から上が無くなっていた。そういえば視線を戻す前にズルリ…と嫌な音が聞えたような気がした。
唐突に誰かに呼ばれたような気がした彼氏は自分の足元に目を落した。コロリ転がる彼女の首。怯えた笑いが止まらない。
そして、徐に視線が下降してきた。しゃがんでいるわけではない意志とは関係なく視界が視線が地面に向って一直線に下降している。彼氏の頭を埋め尽くす最悪の悲鳴、其れが一杯になる寸前に重さに耐えかねた彼氏の生首が彼女のものと寄り添うように地に落ちた。
――ったく 花火くらい静かに見させてもらいたいもんだ
――…でもちぃっとばかしやり過ぎたか これじゃあ花火飛ばす職人も殺っちまってるだろうしよ
しまったと云わんばかりに後頭部を掻き、欠伸を噛み殺した。男の掻いている手は赤く染まり、口元や下駄先にも血がこびり付いている。溢れた感情に任せ身を委ねるのは悪い、と受け止めているものの、ついついカッとなっては気に食わない輩含め近場の命を屠ってしまう。駄目な癖と云ってもいい。
さて今夜の花火が中止決定になった事だし、早々に塒に戻ろうとした矢先、呆然と立ち尽くす少女を金色の瞳が捉えた。
首から上は、――ある。胸を押さえるように置かれた腕が小刻みに震え。視線が足元に倒れた二人の死骸に向けられていた。面白い獲物を見付けたように男の目がすぅっと細められる。
――俺の妖気に当てられ無事とは面白い
――其処に転がってるのはお前の親か?
――つーこったお前は今この瞬間から一人っきりか 丁度いい 俺が貰ってやる
知らぬ間に目の前に立つ大猿に少女の喉がひゅうと鳴いた。
立派な甲冑。朱色の肌に闇に紛れる様な黒い毛皮、両の足で確り立つ背丈は見上げた首が痛くなるほどの高さを誇っている。
緩慢な動きで伸ばされた掌から逃げる術など無い。少女は悲鳴や反抗する暇すら与えてもらえず、首と胴体の離れた両親に別れの言葉を言う事も出来ず、黒い風に化けた大猿に抱えられ空を舞った。
どんどん離れていく会場。小さくなる両親の姿を疾風で見辛い視界の中、何を叫んだか分からない。伸ばした腕は無意味だろうとも少女は両親に向って伸ばし続けた。
大猿の塒に連れて来られ少女は茫然自失の後、猿からの言い分を無理矢理聞かされた。聞かされた当初、恨みや憎しみで心が真黒になるかと思いきや少女自身驚き、自分を薄情者だと悲しむ位には割とあっさり現状と現実、事実を受け止めていた。
時として抗いの無い強大な力に阻まれると人は全てを諦め全てを受け入れるという。
その例に漏れず少女も今ある事態を不服ながらも受け止めた。決して懐いたわけではない。致し方なく、逃げられないので此処に居る、唯其れだけのこと。
昔の記憶を垣間見たアマ公は心底不快だと鼻を鳴らした。
せめてもっと楽しい記憶を見たかったと愚痴ったところで其れは無理な話だ。なにせエテ公はアマ公の幸せだった頃の記憶を思い出を知らない。
「罪悪感や償う気が無いならさっさと私専用の枕になるしかない。」
「――其れでお前の気が晴れるのか。」
暫しわざと唸った後、アマ公は蟲惑的な笑みを向けた。
「まさか。」
エテ公は彼女の小さな体を鋭い爪で傷付けないよう配慮しながら胡坐に埋めた。ついでに尻尾を巻きつければ満足気に抱きついてきたので、そのまま好きなようにさせた。
尻尾から伝わるアマ公の柔らかさ儚さを感じながら小さな体を壊さぬようにそっと抱締め。匂いを嗅ぎ、
「きもい。」
「イッテェ!」
尻尾の毛を捥がれる災難に遭った。
***
エテ公
夜を切り取ったような毛並み。朱色の肌、口元からチラつく牙は短くとも鋭く。金色の目を持つ猿系の人為らざるモノ。
元は猿神だったとか、空想像の幻想が実体化したとかよく分からない畜生。普段は某物語の登場猿よろしくの格好と見た目をしている。だがデカイ。身長3mくらい。変な飛び道具や術なんて使わず己の肉体のみで気に入らない奴を殴殺、噛殺、裂殺、圧殺などなどしていく戦闘狂。
見た目通りで触り心地が余り良いとは云えない長い尻尾を掛け布団代わりとして勝手に使用されるのがこの頃の悩み。
アマ公
名字が犬塚のJK。上記のエテ公の二次災害で両親を同時に亡くしただけでは終わらず、惨たらしい死に様を目の当たりしてしまった運の悪い子。
エテ公の妖気に当てられても影響を全く受け付けない特異体質。その所為で要らぬ興味を持たれ絶賛拉致られ中。でも悲壮感に打ちひしがれたり、復讐や恨みを燃え上がらせてはいない。無論自分を攫ったエテ公自身に恐怖すら感じて無い。逆に少々見下し気味。
服は適当にエテ公がパクってきたのを着装。何故かだぼシャツにミニスカやらホットパンツ系のセットが多い。中肉中背、黒髪ショートヘアは癖っ毛で少しはねている。
最後までお読みいただきありがとうございました。
この作品は別の投稿サイトに投稿していた作品を修正したものになります。はじめましての方は、はじめまして。この文章どこかで…って思った方引き続きよろしくお願いいたします。
では、異種間恋愛が三度の飯より大好き担々狸の作品今後ともどうぞごひいきに。




