7. 女上司マリス
ヴィクトルが連れてきてくれたところは、魔術研究所の研究室だった。
先程の広々とした測定室とは違い、研究室は白を基調にした狭い部屋だった。
天井だけはそれなりに高く、少し凝った模様に、ゆるくカーブを描いており、西洋のお城らしさを感じさせる。
「ゴチャついててすまない。少し座って休むといい」
ヴィクトルは椅子に乱雑に積まれた書類をガサガサとまとめると、ただでさえ物が大量に乗っている机の上にドサリと置いて、椅子を座れるようにした。
「いえ……」
私はそっと周りを見渡した。
お世辞にも綺麗とは言えない部屋だ。
書類に、様々な実験器具のような物があちこちに散乱している。
「今お茶でも淹れてこよう。少し待っててくれ。あー、あまり動かさないなら色々見ててもいいから」
そう言うと、ヴィクトルは慌ただしく部屋を出ていった。
部屋に1人で取り残されると、急に辺りが静かになる。
私はそっと息を吐き出した。
「チュウ」
「え?」
その私の耳が、何かの音を拾った。
最初はモフモフに未練タラタラの私の脳が引き起こして
た幻聴かと思って、無視した。
しかし、奥に繋がる部屋の方から、もう一度、明らかにネズミの鳴き声のような声と、小動物がカサカサと動き回る音が聞こえてくる。
「……ネズミが、いる?」
私は立ち上がり、椅子の上に持っていたクッションを置いた。期待と不安から、かけてもらったヴィクトルの白衣の襟をそっと掴みながら、部屋の奥へと足を一本踏み出す。
奥の部屋は、前の部屋と同じくらい汚かった。書類は散乱し、本や何か分からない機器が積み上げられている。
違いがあるとしたら、室内の明るさだろう。ここは引かれたカーテンが光を遮っており、しっとりとした暗がりに包まれていた。
「チュウ」
またあの鳴き声が、部屋の奥から聞こえた。
音の方へ目線を向けると、壁際にマウスを入れる為のケージのような入れ物が、ずらりと並べられている。光の加減で、ここからはその中身までは見えない。
……あのケージの中から、鳴き声は聞こえたのだろうか。
私はそっと壁際に近づいた。
ただでさえ暗い室内なのに、壁に私の影が当たり、一層濃い闇がケージを包んだ。
「あ……」
果たして、その生物は、確かにケージの中にいた。
ぱっと見、白いハツカネズミのような生き物……恐らくここで魔物と呼ばれている生物だ、がケージの中をカサカサと忙しなく動き回っている。
これが……魔物?
目の前のハツカネズミ型の魔物を見つめる。
そのハツカネズミの魔物には、背中に追加の目が3つ生えていた。どこを見ているかわからない、3つの鮮やかな赤い瞳が、バラバラの方向に動いている。
そしてその魔物の全身には薄い血管の筋がぶよぶよと浮き出ており、一目で普通じゃないことがわかった。
「あ……これ……瘴気ってやつ……?」
目を凝らすと、ハツカネズミ型の魔物の周りが、紫色のぼんやりと光っているのが見える。
この魔物は、ヴィクトルの言っていた、“狂暴化してしまった魔物”なのだろうか?
もっとよく見たくなり、ケージに顔を近づけようと屈んだ。
そんな私の顔を目掛けて、ハツカネズミ型の魔物が、勢いよく飛びかかってきた。
「ギーッ!」
ガタン!
ケージが揺れ、大きな音が出る。
「きゃあ!」
私は思わず数歩後退りしてしまい、後ろにあった机にしこたま腰を打ちつけてしまった。
「いっ……たぁ……!」
あまりの痛さに、腰を抑えて呻き声をあげる。
「誰!?誰かそこにいるの!?」
地面に蹲っていると、カツカツというヒールの音と共に、黒髪の、細いメガネをかけた狐目の女性が、勢いよく室内に入ってきた。魔術研究所の関係者だろう。
「あ、ごめんなさい!少し驚いてしまって……」
私が呻きながら起き上がると、女性は目を大きく開いて私の方を観察するように見た。
と思ったら、目を細め、私を睨みつけると、すごい剣幕でこちらへ近づいてきた。
「あなた誰!?その白衣、所長のじゃない!なんであなたが着てるのよ!」
女性ががしりとヴィクトルの白衣の襟を掴んだ。
「あなた泥棒ね!?それを今すぐ返しなさい!」
「ま、待ってください!話を聞いて……」
身体をガクガク揺すられながら、私は必死で抵抗した。
白衣を返して欲しいなら、せめて私が脱げるように協力してほしい。
「何をしているんだ!」
ヴィクトルの声が聞こえた。お茶を淹れて帰ってきたみたいだ。
「彼女から手を離しなさい、マリス!」
「この女はあなたの服を盗もうとしていたんですよ!」
マリスと呼ばれた女性は、ヒステリックにヴィクトルに向かって叫んだ。
「ち、ちが、これは誤解なの。この服はヴィクトルが……」
「ヴィクトル、ですって……!?」
私の言葉に、女性が目を見開いて、歯を噛み締めた。
その反応も見て、あ、と察する。
この女性、ヴィクトルのことが好きなのか。
私が固まっていると、お茶を置いたヴィクトルがこちらに近づいてきた。
「2人とも落ち着いて。ティア、こちらは魔術研究所の副所長のマリスだ。マリス、こちらはティア。彼女は……聖女だ」
「聖女……?!」
マリスはバッと私の方を見た。
信じられない、とその顔に書いてあるようで笑ってしまう。
「あとで説明するから、今はひとまず彼女から手を離してくれ」
ヴィクトルに言われ、マリスはようやく手を離してくれた。
あーあ、ヴィクトルの白衣がヨレヨレである。
「ティアは今日この世界に召喚されてしまったばかりでな、大変な日なんだ。マリス、仕事が多くてカッカしてしまうのも分かるけど、なるべく優しくしてあげてほしい」
ヴィクトルはそう言って、私にそっと椅子の上に置いていたクッションを手渡してくれた。
その様子を見て、マリスの手がグッと握りしめられる。マリスの引き結ばれた口が殆ど動かないまま、小さな声で「そのクッション、ヴィクトルの……!」と呟いたのを、私の耳が拾ってしまった。
ヴィクトルさん、火に油を注いでいますよ……!
私は、これはもう精神安定剤にはできないなあと、残念な気持ちで手元のクッションを見つめた。




