37. 大広間にて
コンコン!
ドアがノックされ、私たちは離れると、ドアの方に意識を向けた。
「誰?まさかマリスじゃないよね……?」
グレイが中で狂暴化しているかもしれないというのに、マリスは来るだろうか。
グレイはきつく私の手を握り締めると、ドアに向かって声をかけた。
「誰だ?」
そっとドアが僅かに開けられ、顔を出したのは、ヴィクトルだった。
険しい顔つきのヴィクトルは、私たちと、その周りに広がっている、片付けられていないままの(主に私の血の)惨状を発見すると、慌てて中に入ってきた。
「どうしたの、これ!?グレイはまだ理性はあるの?2人とも怪我は!?」
慌てふためくヴィクトルが私たちに駆け寄ってきた。
「父さん、気をつけて」
グレイはそう言うと、サッと離れる。万が一グレイの体液がヴィクトルにあたってしまうと、ヴィクトルは毒に苦しむことになる。
「あ、ああすまない……一体この部屋で何が起きたんだ?」
私とヴィクトルは、事細かに起こったことを説明した。
私たちの説明を聞くたび、ヴィクトルの眉間の皺が深く深くなっていく。
そして私たちが話し終えると、ヴィクトルは深いため息を吐いた。
「2人とも冷静に聞いて欲しい。……外でマリスが、狂暴化したグレイが襲いにくるから全員逃げろと叫び回っている」
「「はあ!?」」
「僕がこの部屋にきたのもマリスが騒いでたからなんだ。ティアが……聖女が今までこの国にこき使われた復讐に、騎士団長に瘴気を嗅がせた!騎士団長は魔物となり聖女を噛み殺した、逃げろ〜!ってね」
あまりのことに私は頭痛を感じ、頭を押さえた。
クラクラした私を、グレイが支えてくれる。
「ええ……?もうどうすればいいか……」
ヴィクトルは顎に手を置き、少し考えると、「僕に考えがある」と言った。
「いい加減、マリスをどうにかしないとね」
――――――
【大広間にて】
「騎士団長が狂暴化って本当なのか!?」
「だって城に着くまでは普通だったんでしょ?」
「聖女が毒盛ったって聞いたぞ」
「え!?そんなまさか……あの人が?」
ざわつく人々が、舞踏会の会場ともなる城内の大広間に集まっていた。
そもそも瘴気が消えたことを祝福するために、急遽大広間で祝賀会が行われたから皆集まっていたのだが、今その会場から喜色は消え失せている。
少し前に、魔術研究所のマリスが会場内に髪を振り乱し、叫びながら駆け込んだきたからだ。
彼女は大広間中に響き渡る声で「騎士団長さんが!騎士団長さんが聖女に!」と叫んだ。
周りは、とうとうあの2人が結ばれたのか?と更なる祝福モードに突入しそうになったが、マリスがその人々らに倒れかかったので、周りの人々は困惑と不快の表情を浮かべた。
「違います!騎士団長が、騎士団長が聖女に瘴気を浴びせられました!今にもここに魔物になった騎士団長が飛び込んできくるかもしれません!!!」
ざわっと人々がお互いの顔を見合わせる。
マリスは甲高い声で叫ぶと、大広間の中央まで走って逃げた。そのまま倒れ込むと、わあー!と泣き叫んで身体を縮める。
「誰か騎士団長を倒して!殺されるっ!」
あまりにも異様な剣幕に人々は顔を見合わせた。
「騎士団長が魔物になってしまったのなら逃げなきゃいけないんじゃないか?」
「大広間は外に通じる扉がある」
「箒はどうするんだ!箒を置いてある訓練場は団長室のある廊下の側なんだぞ!?」
段々と慌てだす人々の声を聞き取り、蹲った状態で顔を両手で覆って隠しているマリスは、ニヤリと顔を醜く歪ませた。
そうよ、それでいいの、慌てふためきなさい!
マリスが用意した魔物の血液入りのポーションを騎士団長が飲んだことは、確認済みだ。
彼が倒れる音と、瓶の割れる音を、ドア越しにしっかり聞いてから、ここに駆け込んだのだから。
来る途中、まだ魔術研究所辺りを歩いていたヴィクトルがいたことは予想外だったけど……。
マリスが髪をわざとぐしゃりと掻き回し、息も絶え絶えに走って逃げてきた演技をして状況を説明すると、すぐに信じてくれた。
ヴィクトルは優しいから、ついでに倒れ込むふりをして抱きついてしまった。
マリスは目を上に向け、殆ど白目の状態でニチャリと笑いながらその肌触りを思い出す。
一緒に大広間まで来てくれなかったことはイラつくが……グレイの姿を遠くから少しでも見れば私のことを信じて逃げてきてくれるだろう。
ひょっとしてするとこの大広間までヴィクトルを追いかけてグレイが駆け込んでくるかも!
ここは武器を持ったままの騎士団員が大勢いる。
そうしたら皆前でグレイは惨殺されるだろう。
そして私は悲劇のヒロインとして皆から心配されて労われるのだ。
ことが収まったら、ヴィクトルに「怖かった〜!」とでも言って、もう一度抱きしめさせてもらおう。ヴィクトルからも抱きしめてもらいたいし。ヴィクトルもきっと怖い目に遭うだろうから、一緒に慰めあってそのまま盛り上がるかもしれない!きゃ!
マリスは顔を隠している手を指に力を入れ、完全に顔が隠れるようにすると、呻きながら上半身をバタバタと動かした。これで恐怖に震えて泣く女に見えているだろう。
実際はただの、笑いを堪えている女なのだが。
マリスはふと騎士団長とティアのことを思い浮かべた。
恐らくあのまま狂暴化した魔物に姿を変えた騎士団長は、同室内にいるティアを噛み殺してくれているだろう。
良い様ね、とマリスは思った。
愛した人の手にかかれたのなら、それはそれでむしろ幸福なのではないだろうか?私に感謝してほしいくらいだわ。
「皆さん落ち着いて、冷静に!私が状況を確認してきます」
副騎士団長のギルバートが皆を落ち着かせている。
ギルバートがサッと大広間から出ようとしたとき、大広間にヴィクトルが駆け込んできた。
「マリス!!!」
心配そうな声音にマリスの顔が歓喜に輝いた。
「ああ、ヴィクトル!」
その時所長ではなくヴィクトルと名前で呼ばれたことに、ヴィクトルの眉がピクリと動いたのだが、マリスは気づかない。
「マリス、君の言ってたことは本当か?聖女ティアが騎士団長グレイに瘴気を嗅がせたって」
「はい!本当です!私が部屋に行ったらまさにその場面を目撃しました!」
今や大広間にいる全員が固唾を飲んで、ヴィクトルマリスのやり取りを一言一句取り逃がさないように耳をそばだてていた。
「ティアは君に動機を言ったんだよね?」
「はい、自分をこき使う周りの人全てが憎かったと!だから騎士団長を魔物に変えてみんな殺してやるって……!」
わあっとマリスが泣き叫んだ。
「ティ、ティアさんはそんなことする人じゃありません!」
可愛らしい声が聞こえ、人々の目線はその声の主へと向いた。
声を上げたのはリリーだった。
震えながらも、「何か見間違いじゃないんですか?」とマリスに言う。
「黙りなさい!!!」
リリーに向かってマリスが叫んだ。
「私見たのよ!ティアが罪を犯して騎士団長が狼になるところ!見たの!!」
「ティアさんはそんなことしません!それに人を憎んでいたというなら、それはマリスさんの方なんじゃないですか!?マリスさん、ティアさんのこといじめてましたよね!?」
ヒートアップしたマリスに釣られ、リリーも声を荒らげた。
思わぬ伏兵にマリスは目をひん剥いた。
リリーは臆病で取るに足らない者だと思っていたのに。
「はあ?なんでよ!」
「だってマリスさんいっつもティアさんに自分の仕事を押し付けてたじゃないですか!」
大広間がざわついた。確かにな、と魔術研究所の職員たちが頷いているのがマリスの視界に入る。まずい、そう判断したマリスは、なるべく優しそうな笑みを顔に貼り付けた。喉から甘ったるい砂糖で煮詰めたような声を出す。
「やあね、リリーは何を誤解しているの?押し付けてなんかないわ!私はティアに何もしていない」
「……書類や物を投げつけたり、それが原因でケージが壊れて逃げた狂暴化した魔物をティアに押し付けたりもしていないのかい?」
穏やかな、されど大きくはっきりしたヴィクトルの声が大広間に響いた。
「なんで知っ……」
マリスはそこまで言って。慌てて自分の口をバチリと押さえた。
途端に大広間が蜂の巣を突いたようにざわつき始める。
人々の好奇心や疑念、嫌悪、様々な感情の目線がマリスに突き刺さる。
マリスは辺りを見渡した。
自分を取り囲む人々の大きさが2倍にも3倍にも大きく、恐ろしく感じて、自分の腕を抱きしめた。
大丈夫、魔物になったグレイがきたら、みんなそっちに意識がいく。
それにティアはもう死んでいる。
誰がグレイに瘴気を投与したかなど、どうせ分からない。
「確かに、業務が多くて、多少仕事は任せてしまったかもしれないわ……」
「あれが多少?」
「自分の業務のほぼ全部の間違いじゃないか?」
誰かの喋り声が聞こえ、そちらの方を向く。
しかし大勢の人がいすぎて、誰の声かわからない。
恐らく魔術研究所の誰かだろう。
一度人々の間できられた口火は止まらない。
「俺なんかおかしいと思ってたんだよな……」
「そうなの?」
「マリスって全然仕事しないくせに偉そうでさ……」
ザワザワ、くすくす、ザワザワ
ざわつく聴衆の間から聞こえる音に、明らかな嘲笑が混じり始める。
無言で固まったままのマリスは自らの顔がどんどん赤くなっていくのを感じた。
大丈夫、騎士団長が来るまでの辛抱よ、一度魔物が乱入すればそれどころじゃなくなるわ。
せっかくならここにいる奴ら何人か殺してくれないかしら。
マリスは脳内では恐ろしく残忍なことを考えていたが、それを見せるわけにはいかない。
マリスはあくまで悲劇のヒロインでいなければならないのだ。
「皆さん逃げた方がいいんじゃ、騎士団長が来るわ……!」
いくら笑われようと、皆のことを心配する私を演出する。
「俺が来ると何かまずいことでも?」
大広間に低く美しい声が響いた。
「騎士団長だ!」
「なんだ無事だぞ?普通じゃないか」
「グレイ、大丈夫なのか?」
ギルバートに言われ、グレイは「ああ」と軽く頷いた。
「前より良い」
大広間に現れたグレイは美しいタキシードに身を包んで堂々とした佇まいで立っていた。
グレイは冷徹な目で、ちらりと床に這いつくばるマリスを見た。
グレイに気圧されたマリスは、ビクリと縮み上がった。
「な、な、なんで……?だって私……」
「なんであんたが瘴気を取り込ませたはずなのに、
俺が変身していないか、知りたいか?」
はっきり言われ、マリスは怯んだ。
怯えていた表情は消え去り顔が憎々しげに歪む。
その表情に、否定しなかったこと。それが答えだった。
ざわついていた人々は今度はグレイの言葉を聞き逃さないように息を潜めている。
「ティアのおかげだ」
グレイが腕を出すと、ヴィクトルの後ろから美しいドレス姿のティアがしずしずと現れた。
「なんてお似合いの2人なんだ」
人々はティアとグレイの美しさに感嘆のため息をついて2人を見守った。




