29. 意識
私はグレイのことをポカンとした表情で見てしまった。
私とグレイは今まで結構な回数会って、撫でたり撫でられたりをしている。
しかしそれはあくまで耳や時々尻尾、毛の生えている部分のみだし、グレイも私の頭を数度撫でるだけだったのだ。
「えっ!?」
声が裏返ってしまった気がする。
私の顔が赤くなっていくと、グレイはしょんぼりした表情で下を向いた。
「すまない……嫌だよな、ただ、抱きしめたいと……思ってしまって……忘れてくれ」
「嫌じゃないですよ!」
グレイの表情があまりにも切なくて、気づいたら私は自分からガバリとグレイの大きな背中に手を回していた。
突然のことで驚いたのだろう、グレイが一瞬硬直する。
そりゃ突然抱きつかれたら驚くよね、と反省しながらも、引っ込みがつかなくなってしまった私は、改めてその身体の大きさに驚きながら、ゆるく力を入れてグレイの胴を抱きしめる。
しばらく抱きしめていたら、グレイの身体から力が抜けた。そしてそっと優しい力で、おずおずと私のことを抱きしめ返してくる。
「……ありがとう」
「もう聞きました」
恐らくグレイは自分が瘴気が充満している場所でも戦えることが、他の騎士達と同じように戦えるようになることが、嬉しすぎて感極まってしまったのだろう。
ぽんぽんとグレイの背中を叩くと、私は手を離した。
「……ん?」
しかしグレイの方はいつまで経っても離してくれる気配がないので、私は目を開けた。
グレイは人とハグなんて、母親以外としたことないだろうから、離れがたいのだろうか?
それに先程からグレイの腕に込められている力も大分強くなってきている気がする。いや、気がするどころか段々苦しくなってきた。
私はぽんぽんとグレイの肩を叩いた。
「ちょっと、苦し、です」
「あ、す、すまない」
グレイがパッと離れた。と思ったらまたゆるりと抱きしめられた。
「グレイ?」
聞くと、グレイが私の肩に顔を埋めるようなポーズでグリグリと狼耳を押し付けてきた。近くにある狼耳にくすぐられ、笑ってしまいそうになる。
「……離れたくない」
グレイがボソリと耳元で呟くと、顔を私の肩から離し、至近距離で私の顔を覗き込んできた。
グレイの目元は赤く、心なしか潤んでいる。
力強いその目で見つめられ、私は金縛りに遭ったように動けなくなってしまった。
美味しそうな獲物を狙っているときの狼の目のような鋭い視線でグレイに射抜かれる。
その顔がゆっくり斜めを向き、口が近づいてきて……もうすぐくっついてしまいそうなところで、止まった。
しばらく私の唇辺りを羨望の眼差しで見つめた後、グレイは私から顔を離した。
「……今ほど、自分の血筋を恨んだことはない」
低い声で呟いたグレイが、そっと私の唇を親指の腹でなぞった。
「ありがとう、ティア」
グレイが私から離れて行く。
「ああ、ティアも俺の耳触ってく?尻尾がいい?」
既に先程の窒息してしまいそうな色気は鳴りを潜めており、グレイはいつも通りのグレイに戻っていた。
しかし私はそれどころではない。
今し方の出来事全てが情報過多で、脳内の処理が追いついていないままフリーズしてしまっていた。
「ティア?」
いつもなら、モフモフを出されたら即元気よく飛びついてしまうので、黙ったままの私に違和感を感じたのだろう。
グレイが目をパチリと瞬きさせながらこちらを振り向いた。
恐らく私の顔は人生で1番真っ赤になっていたと思う。
嬉しい、恥ずかしい、どうしたらいいかわからない、えっというかグレイってまさか!?色々な言葉が私の脳内を飛び跳ね回り、脳内をぐちゃぐちゃに彩っていく。
グレイはそんな私の顔をじっと見つめると、目を細め、顔を赤くして顎に手を置いた。その下から隠せていないニヤリとした笑みがちらりと覗いている。
「……もしかして、ティア、俺を意識してくれた?」
条件反射で弾かれたようにグレイの方を見る。
「いやっ……これは……っ!」
「これは?」
グレイがこちらに1歩近づいてきた。
気圧されるように、私は1歩下がる。
「すすすすみません、グレイは、きっと私が遠慮なく触っちゃったから、多分そう思い込んでるだけで……」
「そう、思い込んでる?」
一気にグレイの声が低くなり、ビクリと背中が跳ねる。
「あ、……ッ!」
アヒルのひなみたいに、最初に触ったのが私だから……と言おうとして、この世界に動物がいないことを思い出し、口を噤む。慌てて他の言葉を考える。
「だって、他にも可愛い子いっぱいいるし……グレイはきっと女性とあまり話したことないだろうから」
フンとグレイが呆れたように鼻から息を吐いた。
「ティアはきっと誤解している。俺は、女性からならよく話しかけられる」
「え……」
予想外、というか少しショックを受けてしまい、眉が下がる。
グレイが慌てたように私の頬を手で包んだ。
「ああ、誤解しないでくれティア。俺の外見だけ見て興味本位で話しかけてくるだけだ。話す内容も中身のないものばかりだし、俺が一歩近づくだけで蜘蛛の子散らすように逃げていくような連中だ」
「…………ッ」
固まっている私の顔を手で包んだまま、グレイはふうとため息をついた。
「……このままキスしてしまえたら、どれだけ幸せか」
もう無理だった。
生まれてこのかた恋愛経験0の女には致死量の、グレイという美男子による直接攻撃を喰らってしまい、意識が飛んでいきそうだった。今はとりあえず一回全部置いておいて、ふかふかのベッドでゆっくり休みたかった。
私はグッとグレイを押し返すと、「明日またガスマスクとポーション持ってキマス!きょ、は、撫でるの大丈夫です!ありがとございました!グレイゆっくり休んで!」と早口で一気に捲し立て、部屋を飛び出した。
月明かりに照らされた廊下をビュンビュン走る。
ははは、とグレイの満足そうに笑う声が、背後から聞こえてきた気がした。
そのあとどうやって自分が自室にたどり着いたのか覚えていない。気がついたら頭からベッドにダイブを決めていた。
なんだあれなんだあれなんだあれ!
脳内は未だにパニック状態、ヒートアップによりショート寸前だ。こっちは覚悟を決めてグレイにガスマスクを渡しに行ったのに、お礼に爆弾を渡された気分である。
私は冷たい枕に自分の熱い顔を押し付けた。
自問自答してみる。
今までグレイのことを、私はモフモフさせてくれる相手としか見ていなかった。それこそ大きなワンちゃん……いや、嘘だ、真っ赤な嘘。あんな美青年捕まえておいて犬と同じに思えるものか。動物も大好きだし、最初は本当に大変失礼だが、グレイを動物の時と似たような気持ちで触っていた。
でもいつのまにか優しい手つきで頭を撫でられる度、幸福感に浸っていたし、私が撫でたときに優しく微笑む顔が好きだった。
認めてしまうと、グレイが私に好意を向けてくれているのは知っていた。
ただどの程度かはわからなかったし、グレイは色々差し入れや私の頭を撫でたりもしたが、それはグレイの好奇心と、私の騎士団に対する貢献のお礼だろうと思うようにした。
時々期待してしまうこともあった。
でも私以外に浄化の魔力の女性はいるだろうし、たまたま最初に現れたのが私というだけで、グレイに気持ちを向けられるのは、なんだかグレイを騙している気がしたので、そっと自分の心に蓋をした。
地球での私の恋愛経験値の低さ、自己肯定感の低さが邪魔をした。
自分より相応しい女性が、グレイにはいると思った。
いざその女性が目の前に現れたとき、裏切られるのが恐ろしくてたまらなかった。
ギュッと枕をさらに強く顔に押し当てる。
脳内に次々と再々されていくのは、先程のグレイの表情の数々だ。
あんな……あんな……!
「〜〜〜ッ!」
私は枕に声にならない叫び声をぶつけ、脚をバタバタさせる。
しかし隣の部屋でお疲れのヴィクトルが寝ていることを思い出し、動くのをやめ、大の字で仰向けになった。
明日も仕事はあるのだ。というか、今まで以上に忙しい日々が待っている。
ヴィクトルだってようはよく休めと言っていた。それこそ騎士団の生死がかかっているのだ。このまま寝不足の状態で、足を引っ張るわけにはいかない。
私はグレイのことは一度置いておき、今は寝ることに専念することにした。




