19. グレイと遭遇
「はあ〜びっくりした〜!」
夜の、少し冷えて心地よい風に、ほてってしまった頬を当てる。
バルコニーには、誰もいなかった。
皆さん、流石に気を使ってくれたのだろう。ありがたいことに、追いかけてくる人もいなかった。
「私の仕事……ちゃんと役立ってる……ふふ」
つい緩んでしまう頬を、幸せな気持ちでつまむ。
地球では、私はただの事務員。仕事もモフモフをお迎えしたい一心で頑張ってきたし、お金が貯まっていくというやりがいがあった。一方、ここコルヴェニアには動物はいないが、人に目に見えて喜んでもらえるというやりがいがある。まだ寂しい気持ちは埋められていないままだが、少し慰められた気がして嬉しかった。
ふと遠くの宙に浮かぶ、月を眺める。こんな別世界でも、地球と同じように月があるなんて、なんだか不思議な感覚だ。殆ど地球の月と同じような見た目だが、それは私の知っている月よりも少し大きく、こちらの夜は地球の夜よりも僅かに明るい。
今日の月は十三夜の形をしていた。もう少しで満月だな、と思う。きっと満月の夜は、街灯なんていらないくらい明るいに違いない。
ぼんやりと遠くに見える山々を見つめる。瘴気は山で発生しているとヴィクトルが言っていた。あそこのどこかで、今も誰かが瘴気に侵された魔物と戦っていたりするのだろうか。
「はあ〜スッキリしたし戻ろ!」
私はグッと両腕を伸ばし、伸びをした。
「もう少し、ここにいた方がいい」
背後から低く心地良い声が聞こえて、目を瞬かせる。
今日はよく話しかけられる日だ。
「……君をどうダンスに誘うかで、男どもが盛り上がっている」
後ろを振り返ったら、タキシードに身を包んだ高身長の男性……月明かりを美しく反射させている銀髪を靡かせている団長さんが立っていた。
髪の上には、しっかり狼の耳が、ぴょこりと生えている。
私は久しぶりに会えた耳に、密かにテンションを上げた。ずっと眺めていたい、もし機会があれば、土下座でもしてひとなでくらいさせてもらえないだろうか!?と思ってしまうような、立派なお耳である。
でも。私は目線を耳から、団長さんへの顔へと移動させた。
相変わらず団長さんの顔は恐ろしいくらいに整っており、魅惑的なケモ耳にも負けないくらいの引力で、私の目を惹いた。
「あ……」
そんな団長さんの黄色の瞳が、一瞬発光しているように見えて、目を奪われる。いや、月の光が反射しただけだろうか?
「先日はありがとう。そのドレス……よく似合っている」
「えっあっ」
団長さんは、私から数メートル離れた場所で足を止め、こちらに話しかけてきた。叫んだり、大声を出しているわけではないのに、スッと低い声が耳元に入ってくる。不思議な感覚だ。
「もしかして、このドレス、団長さんが送ってくださったんですか?」
私が驚きながら首を傾げると、団長さんはこくりと頷いた。
「父……ヴィクトルからサイズは聞いた」
「あっ!ああ〜だから……」
ぴったりだったんですね、と私は顔を赤らめた。色々……主に前の方とかね、小さいので、団長さんに知られたと思うとなんだか恥ずかしい。
「……女性にドレスを贈るのは初めてだったから。着てもらえて嬉しい。……あのとき、俺の命を救ってくれてありがとう」
団長さんが頭を下げた。
「どうか、俺のことはグレイと、名前で呼んでくれ」
私はにこりと笑った。
「私は当然のことをしたまでですので……グレイ」
そういえば、全ての女性に放っておかれなさそうな顔をしているのに、体液全てが毒だからという理由で、人に慣れていないんだった。完璧な外見すぎて忘れてしまいそうになるその事実を思い出し、私はあえて団長さん……グレイの名前を呼んだ。
ここで断ってしまうと、私がグレイのことを避けているように受け取られてしまうかも、と思ったからだ。
グレイは軽く微笑むと、「ああ、ドレスには俺は触れていないから、安心してほしい。あと、あの後、体調は大丈夫だったか?」と言った。
ドレスに触れてないからってどういうこと?と一瞬疑問に感じたが、すぐにグレイの体液のことだと思い至る。
「それはもう!全然どこも体調悪くないです!この通り、ピンピンしてますので!」
私は健康体をグレイに見せつけるように両腕で力こぶを作ってみせた。するとグレイはふはっと口を開けて笑った。ちらりと見えた、鋭く大きな白い犬歯にドキリとする。
「かわいい力こぶだな」
私は眉を上げた。ヴィクトルと全く同じことを言っている。……親子だなあ。
私が満足げにふふんと鼻から息を吐き出すと、グレイは「褒めてないぞ……。でも、健康なら良かった」と肩をすくめた。
「他にも、俺に何かできることがあれば遠慮なく言ってくれ。最近は君の作ったポーションに、武器にと何かと助けられているからな」
「え!いいんですか!なんでも?本当に?」
私は身を乗り出し、グレイに1歩近づいた。
グレイは警戒するように、じりと僅かに後ろに下がると、私のことを変人か何かを見るような目で見てきた。
「……限度はあるぞ、もちろん。でも、可能な限り叶えると約束しよう。ポーションの材料か?それとも何か欲しいものが……」
「なら私、グレイともっとお話したいです!」
グレイの驚愕に見開かれた目と、目が合い、ハッとした。あまりにも長い間、動物に触れていない私は、グレイの耳に焦がれる気持ちが先走りすぎて、つい食い気味にグレイの提案に食いついてしまった。少しでも、ぴるぴると動く耳を見つめる機会を増やしたかったんだもの!
恥ずかしげのない女だと思われてしまっただろうか?
真っ赤になってしまった顔を両手で押さえる。
「……俺と、話す?何か伝えたいことでも?」
グレイは探るようにこちらの様子を伺ってきた。その片眉は目と限りなく近くなっており、内心すぐ飛びついてしまったことに後悔する。
「いえ、その、話す内容はなんでもいいんですけど。それこそ月が綺麗ですね〜とか、あっいやそういう意味じゃないですよ!とりあえずお天気とか、今日何してた〜とか適当な話ができたらいいなと思って!」
焦りすぎて、変なことを口走りながら、身振り手振りで変な下心などは無いですよ!アピールをする。
さっき月を見ていたので、つい月について言ってしまったが、グレイは「月……?」と眉を顰めて、意味がわからなそうな反応をしていた。この世界には「月が綺麗ですね」=「愛してます」にはならないようだ。私はほーっと胸を撫で下ろした。
けど、少し考え直して首を傾げる。耳をちょっとで良いから触らせてほしい、というのは立派な下心になるのではないか。あれ?
私が頭を捻っていると、コツコツとヒールの音が聞こえてきた。
「ティア!!!」
突然の大声に、私とグレイは同時に肩をビクリと跳ねさせた。
マリスがこちらに向かってドレスをたなびかせながら歩いてくる。その額には青筋がありありと浮かんでいて、私は一気に胃が痛くなった。
今度は一体どうしたというのだろうか。
どうやら私のことしか見えていなかったマリスは、グレイの隣に来てようやく私と一緒にバルコニーにいるのが誰かを把握したようだった。
グレイの顔を見ると、ハッとしたように息をのむ。しかし何も言わずに真っ直ぐ私の元へ来ると、がしりと私の手首を掴んだ。
「所長がお呼びよ!」
ああ〜なるほど嫉妬か……。
青筋の理由に合点がいき、私は遠くを見た。
ふと、グレイと目が合う。
「……分かった。日時は追って連絡する」
グレイは低い声で呟くと、マリスに連れられて明るい大広間に戻っていく私を、じっと佇んでただただ見送った。




