第七十六話《降臨》
一年後
久し振りに、緊張していた。
暗い舞台袖で、一人、その時を待っている。
名前を呼ばれ、まばらな拍手の中、陽七星はステージの中央へと歩き出した。
丁寧にお辞儀をして、マイクのスイッチを入れる。
「みなさん、初めまして。BLUE BIRTHの、朝霧陽七星です」
そこに待っていたのは、客席に着くファンではなく、体育館に整列している制服姿の生徒達だった。
三ヶ月前、陽七星の母校の中学校から、ある仕事の依頼があった。
卒業生代表として、学校で講演会を行って欲しいというものだった。
二年生の途中で転校し留学している為、正確には卒業生ではないのだが──。
正直、最初は乗り気ではなかった。
自分のことを話すのはあまり得意ではなかったし、自分の言葉で、先生の教えのような何かを与えられるとは思い難かった。
それでも、学校自体には悪い思い出がなかったことと、頼人の後押しもあって受けることにしたのだ。
「僕は役者の仕事をしながらこの学校に通っていたのですが、先生方には大変良くしていただき、友人にも恵まれ、とても充実した日々を送っていました。決して不満はなかったのですが、その頃、大人達によく言われました。青春を謳歌しろ。人生で今が一番楽しい時期だから、一分一秒を大切にしろ、と。しかし、イマイチピンと来ませんでした。そんなことを言われても、その時の僕にとって、その時間は今まで過ごしてきた人生となんら変わりない、地続きの『今』でしかなかったからです」
緊張しながらも声が上擦ったりしないのは、さすが長年役者をやってきただけはあると、自分を褒め称えたくなる。
しかし今は役者としてではなく、等身大の、ありのままの自分で話したいと思った。
「だから当時、僕は焦りました。もっと青春っぽいことをしなければ。もっと思い出に残るような、かけがえのない日々を送らなければ、と。多くの大人達が、もっとあぁしておけばよかったと後悔している姿を見て、自分はそうならないようにしなければ、と。当時そう思っていた僕でも、今は後悔することばかりです。キラキラした輝かしい時間ばかりではなく、思い悩み、挫折を味わい、深く傷付くことの方が多かったようにも思います。それでも、その後悔や傷も含めて、青春という名前を付けるに相応しい時間だったと、今はそう感じています」
退屈そうに仕方なく聞いていた生徒達が、少しずつ、陽七星の話に興味を持ち始める。
彼の言葉は、大人として子供を正しく導こうとする、教科書に載っている正解とは違う。
今の自分達の境遇や心情に、とても近いもののように感じた。
──他人事ではない。
もしかしたらこれは、自分の物語なのかもしれない、と──。
「だから、怯えたり絶望する必要はありません。青春という言葉の象徴や解釈も、一つではありません。青は爽やかでキラキラとした光景を連想させますが、若さや未熟さを表す言葉でもあります。夢や希望に溢れた楽しい部分だけではなく、出口の見えない絶望に打ちひしがれ、途方に暮れる時間は、それさえも簡単に飲み込んでしまいます。それがどれほど辛く、どれほど苦しいことなのか、僕はこの身を持って知りました」
話していると、不意に、不思議な感覚に陥った。
体育館に反響する自分の声が遠くなって、マイクに触れている指先が、仄かに熱を持つ。
まるで水の中にいるように、目の前の景色が朧げになっていく。
その時、整列している学生の中に、学ランを着ているひなの姿を見た。
大人に絶望し、自分に絶望し、どうしていいか分からず身動きが取れなかった、あの頃の自分だ。
彼に語りかけるように、かつての自分に手を差し伸べるように、陽七星は優しく、その姿を見据えたた。
あの頃の彼が知りたがっていた答えを、彼が手を伸ばし必死に掴もうとしていたものを、今の陽七星は、知っている──。
「でもそれは、体が、心が、ちゃんと動いている証拠です。痛みを感じるのは、そのSOSが正常に働いている証です。その痛みや傷こそが、僕らを護ろうとしてくれている防衛本能なのです。だからそれを、無理矢理押さえつけるようなことはしないでください。目を逸らして、耳を塞いで、心を殺して、痛みを麻痺させるようなことはしないでください。目を瞑って、そっと胸に手を当てて、自分の声に耳を傾けてください。そして、決して一人で悩まず、誰かに助けを求めてください。それは友人でも、家族でも、信頼できる大人でも、誰でもいいです。君が助けて欲しいと思っているように、君のことを助けたいと願う人も、必ずいます」
来賓席の後ろの方に、座っている頼人の姿を見つけた。
来るなとあれだけ釘を刺していたのに、ニヤニヤと口端を上げながら話を聞いている。
まるで授業参観のようだと、いつまでも経っても子供扱いをされていることに、文句のひとつも言いたくなる。
しかし、いつまでも子供でいられることは、きっと幸福なことなのかもしれない。
あの夜、助けてくれる人に、すぐ巡り会えたことも。
その幸福は、奇跡とも呼べるだろう──。
マイクが拾わないほど小さな声で、陽七星は「ありがとう」と呟いた。
その声はきっと、彼には届いたに違いない。
「もし、すぐに近くに見つけられなくても、それでも探し続けてください。それは決して、惨めなことなんかではありません。自分の弱さを知ることが、本物の強さを手に入れる第一歩だからです。自分を見失わない為に、自分の心を護る為に、その傷と共に生きる勇気を持ってください。そうしたらきっと、いつか、同じ傷と連れ添う同志に出会える筈です」
陽七星は、奇妙な縁とやらで繋がった、彼らのことを想った。
同じ傷を抱える、上手く子供から大人になりきれなかった、いたいけな仲間達。
それは偶然か、もしくは最初から決まっていた必然だったのか。
どちらにせよ、今は思う。
──あぁ、よかった。
あの日の続きが、ここに繋がっていて良かった。
無様にもがいて、しがみついたその先が、今日というこの日に繋がっていて良かった、と──。
群衆から拍手が起こって、遠かった音が帰って来る。
いつの間にか、ひなの姿は消えていた。
きっと彼も、彼だけの答えを探しに行ったのだろう。
あらゆる言葉や助言を受けても、答えを出すのは、結局自分自身だ。
それはきっと、今の陽七星にとっても同じ。
──強者でいなければと、ずっとそう思ってきた。
しかしその強さの本当の意味を、今の彼は知っている。
弱い自分も引き連れて、痛みや傷を抱えたままで、それでも強さを追い求めていく。
握った拳を開いて、その手を今度は誰かに差し伸べる為に、陽七星は拍手の中、壇上から降りた。
その舞台を降りても、彼が人生という名の舞台から降りることは無い。
本物の勇者になる為に、本当の英雄になる為に、陽七星は再確認するように、そっと自分の名前を呟いた。
次回、最終話です
最終話の第七十七話に加え、エピローグ一話を同時に投稿致します




