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ロストユースに青を知る  作者: 志結
最終章
76/83

第七十五話《火を熾す》


ある晴れた日曜日、織は美希と璃空の三人で、遊園地を訪れていた。


「ねぇ! 次はあれ! あれ乗りたい!」

「こら、走ったら危ないよ」


はしゃぐ璃空が手を離して、人混みの中を一人駆け出す。

そして案の定、足がもつれて転んでしまった。


「あぁもう、言わんこっちゃない」


美希が駆け寄ると、璃空はうつ伏せになったまま、必死に痛みを堪えていた。


「大丈夫?」

「……っ……泣かないっ……。男の子だから……」


今にも泣き出しそうに肩を震わせながら、それでも璃空は、自分に言い聞かせるようにぐっと耐えている。

そんないたいけな姿を見て、織も屈んで、手を差し伸べた。


「立てる?」

「……うん」


その手を借りずに、璃空は自分の力で立ち上がった。

強い子だなと思う反面、一種の寂しさのようなものが込み上げてくる。

人に助けを求めるのが苦手だった昔の自分を思い出して、そんな子供にはなって欲しくない、と心底思った。


「偉いね。自分の力で立てて。でも、男の子だって、泣きたい時は泣いてもいいんだよ」

「……でも、強くならなきゃダメだって言われた……」


両手の小さな拳を握り締めながら、璃空は不満げに俯いていた。


「誰に言われたの?」

「よしくんのママ……。パパがいない分、璃空くんが強くなって、ママを守ってあげなきゃいけないよって……」


その言葉に、複雑な感情を抱く。

璃空の友達の母親からしたら、母子家庭の一人息子としてあるべき姿の理想を、何気なく口にしただけかもしれない。

不幸だと勝手に決めつけて、手を差し伸べるという名目で、相手の意志もお構い無しに、自分の正義を押し付ける。

織が行っていた子供の連れ込み行為も、それとなんら変わりがなかったのだろう。

改めて自らに戒めを刻み、織は璃空の肩に優しく手を置いた。


「そっか、ママを守りたかったんだ。璃空はかっこいいね。でも、誰かに言われたからって、無理にそうしなきゃいけないわけじゃないんだよ。璃空がどうしたいかは、璃空が決めていいの」


まるで自分に言い聞かせるように、織は璃空の瞳に映る自分を見ていた。

例え善意から来る言葉だとしても、それを言われた子供からしたら、呪いのような強迫観念になってもおかしくない。

自ら生まれた意志ならともかく、誰かに生き方を強要される苦しみは、誰よりも知っている。


「これから先も、周りの人や、ママや私も、璃空にいろんなことを言うかもしれない。その中には、本当に璃空を大切に思ってる人も、ちゃんといる。でも、決めるのは璃空だよ。もしそれが誰かと違っていても、それは決して、その人達の気持ちを否定することじゃない。愛を受け取らないわけじゃない。だから璃空は、璃空がどうしたいかっていう心の声を、大事にして聞いてあげてね」


親や大人の身勝手な要求も、決して愛が全く無いというわけではないのだろう。

子供が傷付くことがないよう、正しい道を提示してやることも、愛情として間違っているわけではない筈だ。

しかしそれが本人の意志と違った時、真っ先に本人の意志を尊重できる人間で在りたいと思う。


もしそれで傷付くことがあったら、隣で一緒に傷付こう。

そしてどう向き合い乗り越えていくのかを、共に飽きるまで考えよう。

──きっと自分も、そうして欲しかったんだ思う。

両親に泣きついたあの夜、一緒に傷付いて欲しかったんだ、と──。

あの日欲しかった言葉を、今の自分が用意できたことに、織は報われる思いで心から安堵した。


「……分かった。痛いから、抱っこして」

「いい子」


自分の感情を正直に口にできた璃空の頭を撫でて、そのまま抱き抱える。

伝えたいことを言葉にできたことが、ちゃんと璃空に届いたんだと感じられたことが、心の底から嬉しかった。

彼女が(おこ)した火は、ちゃんと、この子の中に灯っている。

幻想の世界に逃げ込まなくても、それを誰かに押し付けるようなこともしなくていい。

誰をも拒まない焚き火のように、それを必要とする者の心を、そっと静かに温める。


璃空は肩に顔を埋めて、そのまま織の髪に触れた。


「今の髪型、似合っててかっこいい!」

「そう? ありがと」


数日前、織は髪を切った。

元々ショート丈ではあったが、そこから更にバッサリと切り短髪にしたのだ。


「あいりちゃんみたいなかっこいい人がパパだったらいいのにー」

「ねー! こんなイケメンパパ、どこ探してもいないよね!」

「ねー!」


何気ない璃空と美希の言葉に、つい得意気になって心が躍る。

今の自分は、結構、いや、かなり好きだ──。


「やっぱり自分で歩く! 三人で手繋ご!」

「もー。抱っこしてって言ったばっかなのにこの子はぁ」

「いいじゃん、三人で歩こ。はい、手繋いで」


躊躇いなく自分の意見を言う璃空に、あぁ、よかったと安堵が零れる。

子供が遠慮なく我儘を言えるのは、自分が愛されているという絶対的な自信がある証拠だ。

いつまでも甘えてもらえるような、そんな大人でありたいと思う。


繋いだ掌から、熱が伝わる。

子供らしい、愛に溢れた温もりだ。

──この二人が好きだ。

この家族が大好きだ。

傍から見たら歪そうに映るかもしれないが、この感情は、嘘じゃない。


(大丈夫。ちゃんと、愛せてる)


──彼らだけじゃない。

この世界に溢れる、数々の物語や音楽。

その全てを、彼女は愛している。

たった一文で救われて、たった一音で、心臓の在処を思い出す。

そこまで深く作品と関われる自分の感性が、感受性が、今はとても誇らしい。


当然、その高い感受性故に、苦しめられることもある。

些細な一言で傷付いたり、勝手な妄想や葛藤のせいで、息ができなくなるほど落ちたりもする。

しかしそれを無理矢理断絶した結果が、昔の自分だ。

苦しみに耐えられないあまり、容易にラクになろうと麻痺させた結果、それらの作品を好きだと思える感情さえ手離してしまった。


──今になってみて、思う。

こんなものを、手離そうとしていたのか。

こんなに素晴らしいものを、人生の何にも変え難いものを、消そうとしまっていただなんて、なんて勿体無い、と──。

ほんの些細なことで地獄を見て、ほんの些細なことで、天にも昇った気持ちになる。

人生の息苦しさは変わらなくとも、作品に出会う度に、少しだけ、息がしやすくなる。

そんな毎日の振れ幅に疲れもするけれど、その疲労感さえ、今は生きている証に思える。

心臓が、ちゃんと動いている証拠だと思える。

この感情を、心を、失くしてしまわないよう、大切にしていこう。

そんなふうに考えていた。


「今度さ、幼稚園で発表会があるの! ママとあいりちゃんで、一緒に見に来てよ!」

「えー、でもあいり、仕事で忙しいよ? それにほら、そーゆーのって、パパとママの夫婦で来てるところがほとんどなんじゃない?」

「関係ないよ! パパとママじゃなくてもいいじゃん! 僕は、ママとあいりちゃんに見て欲しいの!」


璃空の言葉に、積年の葛藤が、少しだけ軽くなる。

男にも女にもなれない自分は、気持ち悪い存在だと思っていた。

だけど、どちらか決めなくたっていい。

答えが出ないのなら、答えが出ないのだと、そう口にしても良かったのだ、と──。

いっそ、【藤堂織】というジャンルを作ったっていい。

いつか、『ブルバのSHIKIみたいになりたい』と思ってくれる人が、一人でも居てくれたなら。

夜道を照らす灯のように、誰かの道標になれたのなら──。


もし居なかったとしても、あの夜、橋の上に立ったあいりを救う希望にはなれる筈だ。

大丈夫、ここに居るよと、安心して大人になっていいんだよと、そう伝えることができたのなら──。

あなたの未来は、例え遠回りをしても、ちゃんと、ここに続いているよと、そう伝えたい。


「午前中だったら、わりとスケジュール空いてるとこもあるかも。都合付けられたら、発表会見に行きたいな」

「ホント!? やったー!」

「じゃあ、あいりとデート気分で行っちゃおっかな! 腕とか組んじゃってさ!」

「どうしよ、スーツとか着てった方がいいかなぁ?」

「ちょっと、そんなんしたらイケメン過ぎて先生達メロメロになっちゃうよ! 発表会どころじゃなくなっちゃう!」

「あはは! メロメロになっちゃう!」


自分の声に耳を傾け、自分の現在地を確認する。

私は、ちゃんと、ここにいる──。


──ずっと、何者かになりたかった。

その為に、この体で表現し続けて来た。

だけど、なれなくたっていい。

何者にもなれなくたって、我が物顔で生きてやる。

そう思えたら、何も怖くない。


三人の笑い声が響く空の下、織は幸せを噛み締め、小さな歩幅を合わせて歩き出した。

まだ見ぬ自分との出会いに、そっと胸を躍らせて──。


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