第六十九話《空白》
ぼやっと霧がかかったような景色に、ここが夢の中だと分かる。
目の前には、世にも珍しい青い鳥居。
思い出せはしないのに、初めて見た気がしない。
何故か、知っているような感覚だった。
陽炎のように揺れながら、それでも確かに、ここに居るんだと示すように、存在感を放ちながら聳え立っている。
その向こうに、誰かが立っている。
黒い靄がかかってよく見えないその人物は、何か言いたげに、こちらを見ている。
そして、儚げな声が届く。
『忘れないで。憶えていて──』
そう言い残して、青い光に包まれ、消えた。
「……っ……はっ……!」
ベッドから飛び起きて、夢から覚めたのだと知る。
乱れた呼吸と、大量の汗。
全身に鳥肌が立って、震える手で腕を抱く。
真っ暗な深夜二時、陽七星は頭を抱えた。
「……誰なんだよ。……おまえは……誰だ?」
その空白の正体は、分からないままだった──。
島から戻って来て、一ヶ月が経とうとしていた。
結局、何故メンバーだけで再びあの島を訪れていたのか、彼らは分からないままだった。
必死に思い出そうと記憶を辿っても、デビュー五周年ライブを終えた辺りからの記憶が曖昧だ。
要所要所は思い出せるのに、パズルのピースの一部がすっぽりと抜け落ちてしまっているような、何か大事なことを忘れてしまっているような、そんな感覚だった。
そしてもうひとつ、奇妙なことがあった。
何故か、メンバー達の過去を知っている。
実際に見たり聞いたりした覚えは無いのに、何故か記憶として脳に刻まれてしまっているのだ。
そして同じように、自分の過去も知られているということも──。
この件に関して、彼らは慎重だった。
日々の会話で自分の守りを固めつつ、少しずつ探りを入れてみたものの、途中でそれが全く意味を成さないと勘付いてしまった。
それでも、互いの過去を笑い揶揄うようなことをする者は、誰一人いなかった。
──そしてもうひとつ。
子供の自分と会話をした記憶だ。
理由は分からないが、ロケで訪れたあの島にもう一度行き、前後は朧げでも、確かにこの手で子供の姿の自分を抱き締め、泣きながら交わしたあの言葉は、今でも胸に根付いていた。
それは夢の中での出来事だったのか、忙しさのあまり疲れた脳が見せた幻覚だったのか、そんなふうに考えるも、どれもしっくり来なかった。
でも、それでいい気がしていた。
おかげで大切な想いを、取り戻すことができたのだから。
誓った想いを、約束を、これからの人生の指針にしていかなければ。
そんな胸の滾りだけが、彼らの背中を押していた。
そして、彼らは少しずつ変わっていった。
メンバーとの雰囲気も、少しずつだが良くなっていき、会話をすることが増え、前より上手くやれるような気がしていた。
過去を知られたら終わりだと身構え取り繕っていたのに、全てを知られた後も終わらず続いていく日常に、今更強がっても仕方の無い気分になったのかもしれない。
それは決して絶望ではなく、見えない絆のようにも感じていた。
──彼らを結びつけたのは、同じ傷だった。
互いの傷を分け合ったことで、互いの痛みを認められるようになったのだ。
それはとても、彼ららしい絆の形だった。
傷付くことは、決して悪いことではない。
その傷さえも、彼らの人生を造る大切な要素なのだ。
そのことが、彼ら心のどこかに刻まれていた。
共に傷だらけになれる仲間がいるということは、これ以上なく心強いことなのだ、ということも。
それでも、たまに訪れる記憶のヒビのようなものが、彼らを困惑させた。
踊る時に何故かセンターの間を広く取ってしまうことや、出来上がった新曲を聴いても、何か物足りなさを感じてしまうこと。
会話の節々で突如訪れる、言い表せない違和感。
「だから、ここはあたしが前に出てアピールした方がいいんだって」
「は? このパートは俺様の見せ場だろ。前後の動きを付けた方がいいって話なら、他の奴らを下げればいい。おいガキ。おまえはここまで下がって……」
そこまで言って、陽七星は突然フリーズしたように固まった。
誰に対してかけた言葉だったのか、何もない空を指差すその手だけが、虚しく空を切る。
「……え、ガキって僕のこと? そんな呼び方ひどくない? 陽七星くんとひとつしか変わらないのにー!」
おどけたような勇為の声が、逆に痛々しかった。
何かの片鱗が見えた気がするのに、その空白の正体は、分からないままだった。




