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ロストユースに青を知る  作者: 志結
第七章
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第六十八話《夜明け》


葵瑞の話が終わり、全員が驚愕の表情を浮かべたていた。

言葉を失くして、必死に内容を整理することしかできない。


魂の葵瑞、HARU9の死の真相、何度も死を辿った、別の世界線──。

そして同じ時間を何度も繰り返し、その最後の砦として辿り着いたこの場所に、彼らは今立っていた。


「……長かったな、本当に。でも、ようやくここまで辿り着いた。今のおまえらなら、きっと大丈夫だ。そいつらのこと、絶対離すなよ」


葵瑞は彼らに背を向けて、鳥居に向かって歩き出す。

その背中を引き止めようと、海が必死に声を上げた。


「待ってよ! その鳥居を通ったら、あんたはどうなるの?」

「……さぁ? なんせ初めてだからな。だけど上手くいけば、無事成仏できるだろ」


まるで他人事のように、疲れ切った顔の葵瑞は、安堵に似たものを零した。

──無理もない。

ここに来るまで、何度も何度も絶望を目の当たりにしながら、それでも終わることのできない地獄を味わってきたのだから。

その葵瑞が、様々な結末を見送ってきた彼が、これが正しいと言うのなら、きっとそうなのかもしれない。


それでも──


海はこの結末を、仕方の無いことだと諦められなかった。


「なんで!? なんであんただけが、一人で消えなきゃいけないの!? あんたが終わらせるなって、あたし達に言ったんじゃない! あんたがいないと嫌よ!」


終わりを選んだ彼らを引き止めたくせに、自分は終わりを選ぶなんて、そんなの卑怯だ。

そんな子供染みた我儘を言う口振りで、それでも海は、必死に繋ぎ止めたかった。

ここまで希望を繋いでくれた彼を、諦めてしまいたくない。


「そうだ! 戻って来い! 俺達には、おまえが必要だ! 葵瑞!」


陽七星は初めて、葵瑞の名前を呼んだ。

メンバーの一人として、彼らに大切なことを気付かせ救ってくれた、一人の友人として。

初めて対等な存在として、彼を認める証として、その名を呼んだ。


「ちゃんと、優しくするから! もう意地悪なことなんて、絶対しないから! だからお願い!」


美生にとっては、少し違う。

喧嘩した弟に仲直りをせがむように、年上としての歩み寄りを見せようとする。

それが彼女の、信頼と責任の表れだった。


「このまま行かせるもんか! 何もできずに黙って見てるだけなんて、もう懲り懲り!」


大事な人の背中を見送ることしかできない苦しみは、勇為が一番分かっている。

あの日も、こんなふうに呼び続ければ良かった。

振り向くまで名前を呼んで、それでも止められないのなら、走って追いかければ良かったんだ──。


「他の方法を探すよ! 誰かの犠牲の上に成り立つハッピーエンドなんて、私達は望んでない!」


全てを背負って一人消えようとする葵瑞を、織は赦すことができなかった。

例えそれで救われることになったのだとしても、その先に待っているのは、無力感と罪悪感だけだ。

そして何より、大人として、目の前の子供を護らなければ、という使命感に駆られていた。


葵瑞を止めようと皆があらゆる言葉を尽くす中、伶は葵瑞の腕を掴んだ。


「下がってろ。初めてっつったろ? じゃあ、俺ら全員が通っても、どうなるか分かってねぇってこった。やってみる価値はあるだろ」


その提案は、自己犠牲の精神を持つ彼らしかった。

庇うように葵瑞の横に立って、その鳥居と向かい合う。


「面倒事はな、大人に任せとけばいいんだよ」


きっと彼も、大人にそう言って貰いたかったんだろう。

悲しみに暮れ、どうしていいのか分からないと一人で嘆いた時、こんなふうに、大人に助けて欲しかったのかもしれない。


そして伶は、わざと煽るようにして、右斜め下の葵瑞を上から見下ろした。

案の定カチンとした表情を見せた葵瑞が、同じように口端を上げて煽り返す。


「いいのか? 何が起きるか分からないぜ? おまえらが潜った先は、地獄に繋がってるかもよ?」

「上等だ。ここで何もできないこと以上の地獄が存在すんなら、是非お目にかかってみてぇもんだな」


不敵に笑う伶は、地獄に対してまで喧嘩を売っているようだった。

それを見た陽七星が、吹っ切ったように笑って、本来の自分を取り戻す。


「ははっ! そうだな! ここでおまえを行かせれば、俺達はまた失う。こんな時に子供を救えないようじゃ、おまえらが笑える世界なんてやって来ねぇだろ? 紛いなりにも大人やってんだ。おまえらにばっかいいカッコさせるかよ。ヒーローの座は、俺様に譲っとけ」


胸を張る陽七星の言葉には、彼自身が本来持つ自信が満ち溢れていた。


──あぁ、よかった。

今なら、もう一度、自分を好きになれそうだ──。


そんな想いで、葵瑞の腕を掴んだ。


「そういう話なら、僕を忘れてもらっちゃ困るなぁ。勇敢なナイトは、僕の専売特許だよ? 例えその先が地獄の底と繋がってても、僕らは怖くない。それよりもっと恐ろしいものを、痛いほど知ってるからね。それに、神様だって閻魔様だって、僕が口説き落としてあげる」


いつもの調子で和かな笑顔を浮かべる勇為も、負けじと彼らに並んで、葵瑞の腕を掴んだ。

──これが、彼の得意な戦い方だった。

真正面から殴りかかるのではなく、誘惑して、信頼させて、そして自分の意のままに動かす。

それは、葵瑞にも伶にも陽七星にもできないことだろうと、唯一無二の自分の強みに、自信を取り戻す。


彼らに遅れを取るわけにはいかないと、次は織が前に出て、葵瑞の腕を掴んだ。

彼女の魂は、彼女がこう在りたいと願う魂は、決して男子メンバーに美味しいところを譲ったりしない。


「葵瑞。これ以上、葵瑞一人に背負わせられない。葵瑞を護ることは、私達の誇りを護ること。私達が失った、死なせてしまった、子供の自分を護ることになる。全部葵瑞が、私達に教えてくれたことだよ。だから、任せて」


葵瑞の目を力強く見つめ、織は必死に訴えかけようとしていた。

どんなに言葉を尽くしても、伝えきれないことはある。

ましてや喋ることが苦手な彼女にとって、それは何よりも難しいことだろう。

だからこそ、こうして目を見て、肌に触れて、言葉では伝えきれない想いを補っていく。


「……美生だって! あんたは、美生達がなりたかった子供なの! 誇りを手放さないで、全身全霊で戦って、全身全霊で傷付いてる! それでも諦めないで、何度でも何度でも、自分と、世界と戦ってる! ……だけど、本当は大人に助けて欲しかったことも、知ってるから!」


葵瑞の腕を掴む美生の手は、震えていた。

──怖くない筈が無い。

この鳥居を潜った瞬間、そこに待っているのは死か地獄か、それよりももっと、恐ろしい何かかもしれないのだから。

それでも、ここで逃げるわけにはいかない。

怖くても、恐ろしくても、葵瑞を護る為に、己の誇りを護る為に、勇気を出してそこに立っていた。


そんな彼らの後に続くのを、一人躊躇っていたのは、海だ。

海は、迷っていた。

怖いからではない。

隣にいる、今にも消えてしまいそうな、うみなの手を握る。

──約束したのだ。

もう、一人にしない、と──。


「……馬鹿な奴ら。じゃあ、そいつらのことはもういいってのか? おまえらがここを潜って、そいつらをまた一人にさせて、路頭に迷わせて。さっきの誓いは、嘘だったのかよ」


呆れたような葵瑞の言葉に、彼らは消えかけている子供の彼らを見やった。

その手を離してしまったことに、今更後悔が込み上げてくる。

ここで自分が鳥居を潜ることになれば、彼らはどこにも行けずに一人ぼっちだ。

そんなことは、もうさせたくない。

それでも目の前で、一人全てを背負って消えようとする葵瑞のことを、このままみすみす行かせるわけにもいかない。


一体、どうすればいいのか。

葵瑞か、子供達か──。


答えの出ない問いに嘆き、それでも諦めきれない海は、力強く叫んでいた。


「どっちかなんて、選べるわけないじゃない! あんたは、子供のあたし達自身なのよ! あたし達と、この子達とも同じ! ここにいる全員の希望なの! ここであんたを行かせるあたし達なら、何も変わってない! それこそ約束を破ることになるわ! 誇りを、誓いを、ちゃんと護る為に! そして誰より、あの日の自分を護る為に! あたしは、何も諦めたくない!」


──そう、答えが出ないなら、答えが出ないと口にするだけでも良かったんだ。

分からないことは、知らないことは、決して恥ではない。

知らないからこそ、人は学び、それぞれ知恵を振り絞り、それを寄せ集めることで問題に立ち向かっていく。

それがきっと、彼らが一人ではない意味なのだろうからーー。


「葵瑞、あんたは大人に絶望してるかもしれない。でもね、大人にだって護れるものがあるの。今のあたしは失ったものも多いけれど、あの頃より知ってることもたくさんある。嘘を吐くことも、無理に笑うことも、自分の心を裏切ることだったかもしれない。だけどね、その結果手にできたものだって、たくさんあるの。ステージからの景色も、スポットライトの眩しさも、誰かの声に手を振る感激も。たくさんの選択肢の中から、あたしが自分で選び取ってきたものだもん」


遠い昔を懐かしむように、これまでの軌跡を振り返るように、海は言葉を口にしていた。

後悔は尽きなくても、それでも、ちゃんとこの手に掴んできたものも、たくさんある。


「間違えもしたけど、それらはきっと、大人にならないと手にできないものだった。だから決して、遠回りなんかじゃなかったんだって。大事なことに気付ける為に、全部必要なものだったのよ。過去の傷も、こいつらとの出会いも、あんたとの出会いも、全部意味があることだったの」


──誰が言っていた。

喪失は獲得であり、獲得もまた喪失である、と──。

何かを失った時には、それと同時に何かを得ており、何かを得た時には、また同じように失っているものもある。

それは知識であったり、経験であったり、感情であったりと様々だ。

彼らが失ったものは、彼らを苦しめ絶望に陥れたが、決してそれが全てではない。

彼らが掴み取ってきたものは、選び取ってきたものは、確かに存在するのだ。

それはきっと、大人になった彼らにしか、獲得できなかったものだ。


「大人になることは決して、全てを捨てることじゃないんだって、あたしはあんたに伝えたいの。あんたが、昔のあたしが、大人になるのを怖がらなくていいように。安心して大人になれるように、誰よりあたし達が示していかなきゃ」


海はそっと、その手を差し伸べた。

今まで幾つもを掴み取ってきたその掌で、葵瑞のことも掴んでみせる、と──。


「もう誰も、一人にさせたりしない。葵瑞、約束させて。あんたを忘れたりしない。あんたを一人で行かせたりしない。あんたをもう、傷付けさせやしない」

「……」


葵瑞は目を見開いて、彼女の眼差しに吸い寄せられた。

それはまだ、この世の醜悪さを知らない、無垢な子供のものではない。

いくつもの挫折に、絶望に、地獄に打ちひしがれ、それでもその中に見える僅かな希望に縋って生きてきた、歴戦の戦士の目だ。


「……いや、これは違うかも。そうじゃないよね。傷付いたっていい。その傷も、あたしの一部だもん。あんたの傷だって、今のあんたの人生を造ってる。だから、傷だらけのあんたも愛してよ。傷だらけのあたし達も、愛してくれたようにさ」


先程の言葉を訂正するように、海は微笑んで、目を伏せた。

──ずっと、傷を恐れて生きてきた。

もう二度と傷付かないようにと、必死に弱い自分を護る為の術を身につけてきた。

だけど、大事なのは傷付かないことじゃない。

傷付いたっていい。

その傷さえも、彼らの一部なのだ。

それならば、愛していくしかない──。


海の力強い言葉に、葵瑞はふっと微笑んだ。


「……そっか、傷も俺か……そっか……」


しみじみと言葉を繰り返して、天を仰ぎ見て、深く息を吐く。

──ようやく、夜明けが訪れた。

靄のかかっていた心に、霧がかかって見えなくなっていた景色に、すうっと光が差していく。

昇りたての眩しい朝日が、雲ひとつ無い澄んだ空の青さを、より際立たせている。

空の色を写したような海原も、光の粒で深みを増して、キラキラと輝いている。

そうして、自分の青さを知る──。

そこに見たのは、新しい世界だ。

考え方ひとつで、心の持ち方ひとつで、見える世界はこんなにも変わってくるのだ。


「……ありがとう。その言葉で、俺は充分救われた。でも、俺はやっぱり、おまえらには、そいつらの傍にいて欲しい。もうそいつらを、離さないでやってくれ」

「……葵瑞……!」


葵瑞は美生の手首を、そっと優しく掴んだ。

包帯の上から傷に触れて、それを愛でるように慈しむ。


「自分を、大切にしろよ。あいつを悲しませることをするな」


そして手を離し、全員の手を振り解いた葵瑞は、そうっと鳥居を潜った。


「葵瑞!!」


必死に手を伸ばすも、もう届かなかった。

鳥居の向こう側にいる葵瑞の体は消えかかり、最後の別れの時を迎えようとしていた。


振り返った葵瑞は、涙でぐちゃぐちゃになった彼らを、呆れたように見つめていた。

『しっかりしろよ、大人なんだから』と、心の中で笑う。

憐れで、未熟で、傷だらけの、愛おしい大人達。


──大丈夫、これでいい。

無意識に、そう自分に言い聞かせる。

何度も何度も繰り返して、ようやくハッピーエンドに辿り着いた筈なのに。

それなのに、何かが心を引き止める。


「……あれ……?」


ふと、頬が濡れていることに気付く。

不思議そうにそれに触れて、そして、悟る。


(あぁ、そうか……。俺、寂しいんだ……)


なんの思い入れも無かった、他人の筈の彼ら。

このループを終わらせる為に、仕方なく護ってきただけの彼ら。

それでも、彼らの持つ傷は、葵瑞のそれと、とてもよく似ていた。

傷を抱え、間違いを犯し、それでもここまで必死に生き続けてきた、まるで子供のような大人達。

長い時間を共にするうちに、いつの間にか、情のようなものが湧いてしまっていたのかもしれない。


別れの寂しさから、ある想いが込み上げてくる。

──あぁ、きっと、彼らもこんな気持ちだったんだ。

未来に向けて手紙を綴るように、いつか消えてしまう想いを形にしたいと願うように、それを託した。

その言葉を口にすれば、また、呪いをかけてしまうと知っている。


それでも──


葵瑞は優しく笑って、最後の言葉を口にした。


「忘れないで。憶えていて──」


「葵瑞!!!」


その声は届かず、青い光に包まれて、扉が閉まった。

彼の名前を呼んだ余韻だけがその場に残り、辺りは沈黙に包まれる。

聞こえるのは、引き寄せる波の音だけ。



「…………え……? あたし……なんで……泣いてるの……?」


涙でぐちゃぐちゃになっている頬を、不思議そうに、海は触った。

何も分からないのに、それでも涙は、まだ止まることなく溢れ出てくる。


「……どこだ……ここ……。俺……ここで何して……」


何かに手を伸ばして、空を切った掌が、虚しくただぶら下がっている。

陽七星はその掌を見つめたまま、呆然とその場に立ち尽くした。

辺りを見渡せば、同じように立ち尽くしているメンバー達と、目の前に聳える青い鳥居。

一体なんの為に、何故こんな所にいるのか、全く分からない。

熱い涙が頬を伝った感覚と衝動だけが、こびれ付いて、まだそこに残っていた。


「……これは……なんだ……?」


地平線の上には太陽が昇り、夜明けを知らせる。

空は白から青へ、海は黒から青へと変わり、本来の色を取り戻した世界が、一日の始まりを告げる。

希望に満ちた筈の夜明けは、何故か、言い表せない虚無感に満ちていた──。



長い放心状態を経て、わけも分からないまま東京へと戻って来た彼らは、事務所の社長室を訪れた。


「……お。どうした、全員揃って珍しい」


疲れ切った顔の彼らを、頼人はいつもの調子で出迎えた。

その言葉に、何か違和感を感じる。

思わず、陽七星がボソっと呟いた。


「……全員?」

「ん? 全員だろ? 1、2、3、4、5、6……。ほら、6人全員いるだろ」


そこにいる誰もが、言い表せない違和感を覚えた。

──何かが、違っている。

確かにそう思うのに、何がおかしいかまでは分からず、ただただ困窮する。




──彼らは葵瑞のことを、綺麗に忘れ去ってしまった──


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