第六十三話《似た者同士》
言葉は薬にも、刃物にもなる。
救われる者がいれば、それによって、傷を負う者もいる。
それは呪いのように、こびりついて離れなくなるほどに──。
それを分かっているからこそ、伶は困窮していた。
最後の鳥居を潜って、子供のれんと対峙して、その本心を言い当てるところまでは良かった。
「本当はずっと、赦されたかった!!」
呪いが解け、れんの素顔が覗く。
二人は見つめ合ったまま、何も言えなかった。
何を言えばいいのか、どんな言葉をかけてやるのが正解なのか、お互いまだ迷っている。
「……れい……」
先に口を開いたのは、れんの方だった。
懐かしそうに、愛おしそうに、かつての親友の名を呼ぶように──。
「……あいつの名前、背負うことにしたんだ……」
それがどういう感情を含むものなのか、伶には分からなかった。
侮蔑なのか、哀愁なのか、困惑なのか、嫉妬なのか、歓喜なのか。
おそらく、そのどれでもあっただろう。
簡単には言い表せないその感情は、伶自身が抱いてきたものと同じ筈だ。
「……あいつのことが、好きだった。初めてできた、唯一無二の親友だった。赦してもらえるなんて思ってないけど、俺、あいつとの夢を叶えたい……。たくさん曲を作って、世界中の人に聴いてもらいたい。あいつのその意志は、俺の中に、ちゃんと宿ってる。だから、頼むよ、伶。あんたにしか、頼めない……」
強がるれんのその目には、涙が浮かんでいた。
必死に言葉を探しながら、どうやったら想いを伝えられるのかと思考を巡らせながら、拙い文章を綴っていく。
──その気持ちは、痛いほどよく分かった。
どんなに自分達の力を信じていても、子供だけでは成し遂げられないことは存在する。
そんな時に大人に頼るしかない屈辱を、無力さを、まるで悪いことのように思ってきた。
大人になることで、確かに失ったものは数え切れない。
しかしそれと同時に、今の伶にしか手にできなかったものがあることも事実だ。
無欲で主体性の無かった子供の彼が、唯一心を預け夢中になったもの。
それは親友の存在であり、そしてそれを繋げたのは、やはり音楽だった。
今まで培ってきた知識は、技術は、経験は、育て上げてきた情熱は、紛れも無く、伶の体に刻み込まれている。
「……あぁ。……任せろ」
──何を話していいか、分からなかった。
どんな言葉を欲しているのか、どんな優しい言葉をかけてやるのが正解なのか──。
彼は彼自身のことを、よく知らなかったからだ。
無欲で主体性が無い伶にとって、その答えを探すことは、他人に言葉をかけることよりも難しかった。
それでも、必死に言葉を手繰り寄せる。
この時間こそが、自分と向き合う、ということなのだろう。
「れん、俺は……。赦すよ、おまえのこと。だから頼む。おまえだけは、俺を赦さないでいてくれないか」
小さな子供に語りかけるように、できるだけ優しい声色で告げる。
赦されれば、また、忘れてしまいそうだ。
忘れない為に、赦されないままでいいと思った。
その言葉にれんは、不服そうに口を尖らせた。
「……嫌だね。冗談じゃねぇよ。なんでいつもそーやってさ、自分ばっか損な役割りに回ろうとすんだよ」
やれやれと舌を出すれんの反応に、伶は自問自答をするように答えた。
「……なんでだろ。兄貴だから?」
「俺も兄貴だよ」
「ふっ、そんなちっちぇーのに言われてもなぁ」
「あぁ?」
言葉の通り、自分と会話している気分になって、なんだか可笑しかった。
こんな状況でも、こんな軽口を叩き合えるくらいの方が、彼ららしいのかもしれない。
いつか親友と飽きるまで話をした日々が、くだらないことを言い合って笑った日々が、あの日のまま、鮮やかに蘇る。
それはまさに、彼らの青春そのものだった。
時間が巻き戻ったように、失くした時間を取り戻すように。
「分かってんだろ? 俺は誰かに赦されたいんじゃない。俺が俺を赦したいんだ」
それは彼らにとって、最も難しいことに違いない。
自責の念を消すことは、決して容易なことではない。
誰かに赦されたところで、自分だけは、自分のことを赦しはしないだろう。
「ま、気持ちは分かるけどさ、俺だから。弟とか、子供とか、そーゆーのを庇いたくなる気質は多分変わんねぇ。でもさ、俺を護ろうって気があるんなら、もっと自分にも優しくしろ。自分は優しくされる資格なんかねぇって思ってたら、その優しくした相手だって、気持ちを無下にされたようで傷付く。俺を救いたきゃ、まずは自分の頭を撫でてヨシヨシしてやんな」
人見知りのくせに、心を開いた瞬間早口で饒舌になる癖は、やはり変わっていないらしい。
お節介で、世話焼きな性分で、まるで母親のような小言を漏らす。
そんな自分を見ているのが恥ずかしくて、思わず揶揄ってみたくなった。
「へぇ……。こんなふうに?」
伶はゆっくりと手を伸ばし、れんの頭を優しく撫でた。
すると、れんは一気に赤面し、取り乱したように声を上げた。
「ばっ、ちげーよ! 自分にっつったろ!」
「おまえは俺なんじゃねーの?」
「そうだけど……。こんなん慣れてねぇから……。……なんだよ、笑ってんじゃねぇよ!」
「ははっ、可愛いとこあんじゃん。確かに、自分がすんのは良くても、されるのは照れるってか……なんか恥ずいよな。お互い、難儀な性分で苦労するな」
その口振りは、まるで他人事のようだ。
しかし彼らには、それくらいの方がちょうどいいのかもしれない。
自分は無下にしてでも、他人を構っていたくなる彼らには、自分よりも相手を大切にしたいと願う彼らには、他人だと思って接する気でいる方が、自分に優しくできるのかもしれない。
「あんた、零が死んだ時も泣かなかったろ。自分にはそんな資格ないってさ。感情を表に出すことに、資格も何もねぇよ。赤ん坊が泣く時、誰かに許可を求めたりしねぇだろ。この際だから、思ってること吐き出してみたら」
れんの諭すような口振りに、伶は目を丸くした。
こんな小さな子供に諭されて、ぐちゃぐちゃに泣きじゃくるほど、彼は子供ではない。
大人としてのプライドも、兄としての責任感も、今の彼を確かに構築してきたものだ。
それでも、口にしてみたくなった。
「……寂しい……」
れんに心を見透かされているような気がして、伶は観念したように、弱く静かに呟いた。
「零が居なくて、寂しいよ……」
その言葉を、伶は初めて口にした。
悲しむ資格も、寂しいと口にすることも、そんな資格は無いと、自分に言い聞かせてきた。
そんな彼にとって、それは赦しを請うことなんかよりも、切実な感情だった。
「気が合うな。俺もだよ」
れんの言葉に、不意に視界がぼやける。
──やばい、こんなところで、子供の前で、泣きたくない。
そう思って力を入れるのに、その想いも虚しく、頬に熱い感覚が走った。
先程のれんの言葉を思い出して、本当だと分からされる。
涙って、止めることができないものなんだ、と──。
自分の感情に関係なく、制御することなんてできない、溢れ出す想いの結晶なのだ。
「あー、もう。……ほら、もっと屈め。俺もヨシヨシしてやんよ」
小さな掌に頭を撫でられて、伶は僅かに嗚咽を漏らした。
慣れない掌の温かさに、心がじわっと熱を帯びていく。
「ったく、これじゃあどっちが大人か分かりゃしねぇな」
「うっせぇ……」
わざとおどけて見せて、揶揄うようにして笑い飛ばす。
こういうところが、彼の優しさだった。
──彼のことを赦せるのは、この先も彼だけだろう。
その日は永遠に訪れないかもしれないし、今は訪れて欲しくないという気さえする。
それでも、もし救いがあるのだとしたら、それはこんな形をしているのかもしれない。
掌から伝わる温もりが、嗚咽をかき消すほどの心臓の高鳴りが、彼を一人じゃないと教えてくれている。
そして頭の中を駆け巡る、忙しく激しい旋律。
初めて太陽を見つけた時のような、目がチカチカするような眩しさが光る、底抜けに明るい行進曲。
──あぁ、このメロディーを、早く曲にしよう。
そう思った。
いつまでも、この瞬間を、忘れずにいられるように──。




