第五十九話《返事》
『お疲れ、ひな。何してんだ?』
『頼くん! お疲れ様! 次の舞台の台本読んでるんだ!』
『へぇ。……わ、まーた主役か? 勇者役なんて、ひなにはピッタリじゃんか』
『へへっ。……でも、なんかこのお話、終わり方がスッキリしないっていうか……。ねぇ、めでたしめでたしって、どういう意味?』
『意味? ……そりゃああれだ。Happily ever after』
『なにそれ! 英語? かっこいい!』
『ま、海外の童話が締め括られる時に使われる言葉だな。意味は、日本で言う【いつまでも幸せに暮らしましたとさ】、じゃねぇか?』
『いつまでも幸せに暮らしましたとさ、かぁ……。ねぇ、それって誰が決めたの? 物語の続きはどこにあるの? 勇者がその後も幸せだったって、なんで分かるの?』
『はぁ? 妙なところに突っかかる奴だなぁ。誰がって、そりゃあ作者がそう決めたんだろうよ。それに、その方が綺麗な終わり方だろ。読んでる側だって、物語にはハッピーエンドを求めてる』
『そうかなぁ……。勇者は、これで本当に幸せだったのかなぁ。誰も、その続きを想像しなかったのかなぁ……』
『じゃあさ、ひなにとってのハッピーエンドって、なんなんだよ。どう終わったら納得なわけ?』
『んー……。誰も悪者にならないことかなぁ。あとね、勇者も本当は辛かったんだって、本当は誰かに助けてもらいたかったんだって、誰か一人でもいいから、知ってて欲しいな。それが、僕が望むハッピーエンド』
今まで数多の物語の役を演じる度、彼はその続きを欲しがった。
彼はまだ、めでたしめでたし、を知らない。
ハッピーエンドの向こう側を、まだ知らない──。
彼らは七人で、再びロストユースの地に降り立った。
既に日は沈み、代わりに月明かりが灯る。
暗い夜が訪れ、漆黒の海原が広がっていた。
葵瑞に言われた通り、あの日見つけたそれぞれの青い鳥居を探す為、彼らは散らばって、島の中を隅々まで走り抜けていた。
「ひなー!!」
名前を呼んで、探し続ける。
「うみなー!!」
それはまるで、無邪気な子供のかくれんぼのようだった。
「ゆーいー!!」
"もーいーかい? まーだだよー"
「みおちゃーん!!」
そんな楽しげな声が、まるで聞こえてくるような──。
「れーん!!」
もーいーよーとは、まだ誰も、応えてはくれない。
「あいりー!!」
それでも彼らは、必死に名前を呼び続けた。
愛おしい我が子を呼ぶように。
子供の自分を愛でるように──。
「うみなー!! お願い! 返事して!」
名前を叫びながら、海は海岸沿いを駆け抜けていた。
あの日見つけた、海に佇む青い鳥居を、もう一度潜る為。
しかしどれだけ探しても、あの夜の海には出会えない。
蝉の声は止み、小さな蛍の光を頼りに、夏の夜を駆ける。
轟々と吹き付ける風と、高く荒れた波が、今にも彼女を飲み込んでしまいそうだ。
『もういいよ』
その時、背後から声がした。
振り返ると、砂浜に浮かぶ白い影の、うみながこちらを睨んでいる。
『もういい。やめなよ、そんなの意味ない。そんなことしたって、あたしの恨みは消えない。一生呪い続けてやるから』
黒く塗り潰された顔に、赤い瞳。
脳内に直接語りかけられるような、くぐもった声。
憎しみが込められたその視線と呪詛に、負けてしまいそうになる。
怖くて、目を逸らしてしまいそうになる。
それでも──
「諦めない! 諦めた結果が、今のあたしだから! 諦めて、ラクになろうとして、あんたを一人ぼっちにした! もう、後悔したくない! だから絶対、あんたを見つけ出すよ、うみな!」
──葵瑞が言っていた。
今海が見ているのは、海自身が作り上げた幻想だと。
本物の彼女を見つけるまで、決して諦めない。
海の覚悟を聞いて、白い影は一度、すうっと消えた。
そして、再び何かが香る。
懐かしい、潮の香りだ。
その香りに引き寄せられて進んでいくと、そこで、遂に見つけた。
──あの日潜った、青い鳥居。
その青は、前に見た時よりも薄く、白っぽさを帯びていた。
まるで今にも、消えてしまいそうに──。
荒々しく波が押し寄せる中、海は構わず、鳥居に向かっていった。
大切なものを掬い上げる為に、躊躇いなく身を呈した、あの時のように──。
冷たい海水が、彼女の華奢な体を冷やしていく。
そして、無い筈の臍の横の傷が、再びジクジクと傷んだ。
波に押し返されながらも、海はやっとの想いで青い鳥居に辿り着き、そして、慎重に潜った。
すると、鳥居は光を放ち、その光に包まれたまま現れた鳥居が何千本にも連なり、天に向かって伸びていった。
海は迷わなかった。
光の階段を駆け上がるようにして、ひとつひとつ、その鳥居を潜っていく。
海以外のメンバーもまた、それぞれ違う場所で同じように鳥居を見つけ、天に向かって伸びるその階段を登っていった。
そして鳥居を潜る度、幼い日の記憶が、鮮明に脳裏に蘇った。
この世に生まれた日、初めて言葉を喋った日、初めて思いっきり笑った日。
それは古いアルバムのようで、懐かしい映画のワンシーンを見ているようだ。
──そして分かる。
この鳥居は、今まで自分が潜ってきたものだ。
夢の中で毎夜毎夜、まだ子供であることを赦されているか、試されてきた鳥居だ。
それはおよそ5000本に及び、階段を駆け上がる度に、少しずつ大人へと近付いていく。
『あんたなんか、産まなきゃ良かった!』
『神楽坂麗魅成、小学五年生です!』
『子供でいることが、辛いです。早く大人になりたい……』
『あたし……生まれて来なきゃよかった……』
無我夢中で階段を走り続けて、太ももがはち切れそうに、痛みと重さが増す。
死に物狂いで息を吸って、肺が千切れそうに悲鳴を上げる。
それでも、決して足を止めない。
『あたしにも……こんな仲間が居たらって……』
『ママやめて! お願い! 捨てないで! ヤダ!』
──あの子を、迎えに行かなきゃ。
そんな想いで、ひたすら天へと向かう。
時間にしたら、五、六時間が経っていただろう。
夜を超えた暗闇が、次第に、朝に向けて準備を始めていく。
そしてようやく、最後の鳥居を潜り切った時、その向こうには、彼女の後ろ姿があった。
「……うみな!!!」
呼吸が整わないまま、海は名前を呼んだ。
その声に、ゆっくりとうみなが振り返る。
過去の自分と対峙して、一番に伝えたかったこと──。
「手紙! 読んだよ! ずっと、忘れててごめんね! でも、やっと思い出したの!」
十年後の未来に向けて手紙を書いた、あの日を思い出す。
それは不安と、焦燥と、諦念と、僅かに未来に託した、希望に満ちていた。
"どうか──"
「どうか、忘れないで! 憶えていて! 本当はずっと、仲間が欲しかった!!」
その声に、うみなが目を見開いた。
欲しかった言葉を言い当てられて、呪いが解けるように、偽りの姿が剥がれていく。
顔を覆った黒い靄が弾けて消え、本物のうみなの素顔が露わになる。
──ちゃんと向き合ってみて、初めて気が付いた。
怒り狂って睨み付けていると思ってたうみなは、心細そうに泣いていた。
声を届けたくて、聞いて欲しくて、気付いて欲しくて、ずっと叫び続けてくれていた。
ようやく、その声が、海に届く。
「海、思い出してくれて、ありがとう。あたし、ずっと呼んでたんだよ。気付いてくれなくて、寂しかった」
迷子の子供を見つけたように、海はうみなを力一杯抱き締めた。
確かに触れられるその少女は、一人彷徨いながらも諦めなかった彼女は、紛れもなく、あの頃のうみなそのものだった。
「ごめんね……ごめんね……!」
「大丈夫だよ。海が辛かったこと、苦しかったこと、ずっと見てたから分かる。……そうだよね。忘れることでしか、生きていけなかったよね。ちゃんと、ちゃんと分かってるから」
子供のように泣きじゃくる海を宥めていたのは、うみなの方だった。
体の成長を遂げた大の大人が、心だけは子供に戻ったように、忘れたものを取り戻すように、わんわん泣いていた。
「海、生きててくれて、ありがとう。辛くて、苦しくて、でも、よく頑張ったね。終わらせないでくれて、ありがとう。海が生きることを諦めないでくれたから、また会えて、伝えられた。だから、海は間違ってなかったんだよ」
「……!」
──それは、あの時何故自死を選べなかったのか、終わらせてしまわなかったのかと自分を責めた海への、これ以上とない救いの言葉だった。
確かに彼らは、様々な間違いを犯した。
それは到底、赦されるものではない。
しかし彼らは、忘れるしかなかった。
そうすることでしか、生きて来られなかったのだ。
死を選ぶことで、その気高い誇りは、穢れることなく護れるかもしれない。
しかし、命を捨てれば、全てが終わってしまう。
自らの人生を終わらせてしまわない為に、自分の心を護る為に、それを一度切り離した。
そして生き続けることを選び、命を未来に繋いだ。
それは決して、裏切りや間違いなんかじゃない。
子供が大人になる過程で、仕方の無いことなのだ。
彼らは決して、世紀の大罪人じゃない。
どこにでもいる、全ての大人達と同じ。
何かを護る為に何かを捨てるしかなかった、自ら選び掴み取ろうと手を伸ばすという、大人としての手段を取っただけなのだ。
いつか訪れる青の時代の幕引きは、誰にも訪れるものなのだから──。
空と海を繋ぐ水平線には、夕焼けと見間違えるような、オレンジ色の朝日が顔を覗かせていた。
世界の輪郭が曖昧になる黄昏時のように、そっと二人を照らし、その再会を祝福しているようだった。




