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ロストユースに青を知る  作者: 志結
第六章
58/83

第五十七話《湊葵瑞の過去》

※やや長いです

お時間が許す時にどうぞ


.


その愛は、俺に向けられたものじゃなかった──



俺が生まれたのは、母親と二人で暮らす、狭く小さなアパート。

物心がつく前から刷り込まれてきた、ひとつの言葉。


「これがあなたのお父さんよ」


テレビを見ながら、雑誌を見ながら、母はそう言って、ある男を指差す。

それが、伝説のアイドルと呼ばれた【HARU9(ハルク)】だった。

子守唄よりも、本の読み聞かせよりも、何千回何万回と聞いてきた、その台詞。

そして母との会話のほとんどは、父に関することだった。

今でも母を思い出す時、その姿は、決まって横顔だ。

父の姿に夢中になり、父のことを話す母は、いつだって恋する女の顔をしていた。


──母は、俺のことを見ていなかった。

生まれてから、一度たりとも。

あくまで俺は、憧れの人との子供、という事実だけの人物。


「早くお父さんみたいなスターになって、会いに行きましょうね」


そしてその人と再会する為の、都合の良い道具だった。


あの人にとって、HARU9は全てだった。

俺の誕生日を忘れることはあっても、HARU9の誕生日には、毎年決まってご馳走やケーキが並んだ。

よりにもよってHARU9はイブ生まれで、俺はてっきりそれを、クリスマスのお祝いだと勘違いしていた。

サンタクロースなんて来た試しもないのに、やたらその盛大さに、母はクリスチャンの家系なんだろうと、そう自分を納得させようとしていた。



保育園や幼稚園にも行かず、歌とダンスのレッスンには、僅か三歳から通っていた。

全ては、父のようなスターになる為に。

まだ物心もつくかどうかの時期から厳しいレッスンを受け、俺の生活も、HARU9が全てになっていた。

嫌だとか、おかしいだとか、そんなことを思う余地が無かったくらいには、俺の人生にも、それしか存在し得なかった。


その頃の俺の世界は、家の中か、レッスンスクールの二つだけ。

楽しみと言えば、家のベランダから、夜空の星を見上げることくらい。

どこまでも無限に続く宇宙に、憧れを抱いて止まなかった。

読んだ絵本の影響で、宇宙飛行士に憧れもした。

しかしそんなことを母に言える筈もなく、その想いは胸に秘めるしかなかった。

母の願いを叶えなくては──。

俺はその為に生み出されたのだから、と、自分に必死に言い聞かせた。


そんなことを考える度に、自分という存在が虚しく思えて、消えたくなる夜もあった。

母を呼ぶ声が届かないことも、母の目に映らないことも、確かに悲しみ傷付いたが、そういうものだと思うしかなかった。

まるで自分が、幽霊にでもなってしまったような気がして、ちゃんと足があるか、ちゃんと影が映っているか、いちいち確認したりもした。


正直、HARU9のことはどうでもよかった。

テレビの画面の向こうの有名人を、父親だと言われてもイマイチピンと来ないし、経緯は知らないが母と子を捨てて、独身のフリをしてファンを騙している、薄情な嘘吐きだと思っていたから。

しかし父への怒りよりも、母への怒りよりも、それに勝てない、自分の無力さに対する憤り方が大きかった。

父より価値があると示すことができない、母の愛を受けるに値しない、自分が悪い子なのだと、そう捉えていた。


そんな想いを抱えながら、俺は腐ることなく厳しいレッスンに打ち込んだ。

今はまだ無理でも、いつかHARU9を超えるスターになれば、母は振り向いてくれるかもしれない。

生きる指針をHARU9から俺に移して、愛を向けてくれるかもしれない。

──いや、きっとそうさせてみせると、信じて疑わなかった。



そして九歳になった頃、さすがに義務教育を受けさせないわけにはいかないと、無事小学校に通うことができた俺は、芸能プロダクションの新人育成を行うアクターズスクールに入った。

それが、今の紫波プロダクションだ。

どうやら会社の社長が代わり、昨年大規模なオーディションの末、選ばれたアーティストがデビューを果たし売れたのを機に、次世代のスターを育成すべく創設されたものらしい。

そこに俺は、第一期生の特待生として入所し、今まで以上にハイレベルなプロのレッスンを受けることができた。

歌もダンスも、同年代の子供で、俺の右に出る者はいなかった。

──いや、年上や中高生にさえ、大人にでさえ負ける気は、これっぽっちもしなかった。



全ての世の(ことわり)において、基本的には、子供よりも大人の方が優れているものだろう。

学力であっても、スポーツであっても、大人になるにつれて知識や筋力も増え、できることは格段に多くなっていく。

成長に比例して武器は増えていき、得るものばかりだ。


しかし、ダンスボーカルの世界においては、例外が存在する。

ボーカルでは声変わりによって、高い音域が出なくなってしまう。

天使のようなハイトーンボイスが美しいと称されるのは、それはいつか失われてしまうというものだという、刹那的な儚さもあるからなのだろう。

桜は散ってしまうから、だからこそ美しい、と言われることと同じ理論だ。


ダンスにおいても、身長が伸び体に筋肉が付いてしまうことで、従来のしなやかな体の動かし方ができなくなり、動きが制限されてしまう。

成長を経ることで、大人になることで、喪失してしまう財産が、他の比ではないほど大きいのだ。

プロのキッズダンサーのスキルが、大人よりも評価されるのも、こういった理由かららしい。

だからダンスボーカルの世界に於いては、大人より子供の方が優れているとされることも、まちまちなのだ。


その話をスクールの先生から聞かされた時、俺は、大人になるのが怖いと感じた。

自分が今まで、人生を懸けて獲得してきた財産が、大人になることで、この体から失われてしまう。

そのことが、堪らなく恐ろしかった。


──俺には、これしかない。

今評価されているのは、大人にも負けないという万能感に酔いしれていられるのは、俺が子供であるからなのかもしれない。

そう思うと、今この掌にあるもの全てを、手離すのが怖かった。

大人になった瞬間、俺は全く価値の無いものに成り果ててしまうかもしれない、と──。

唯一、この体に宿った才能さえも失われてしまったら、何を指針にして生きていけばいいのか分からない。

自分が自分でなくなってしまうような気がして、別の生物に変わってしまうような気がして、今抱えているこの葛藤さえも、いつしか無かったように忘れ去ってしまうような気がして、怖くて堪らなかった。

大人になるということは、決して、今の自分の地続きの未来の姿じゃない。

子供の俺が一度死んで、そして、全く違う生き物に生まれ変わってしまうということなのだ、と──。


『死』に対して、ずっと怯えと恐怖があった。

人間の本能として、当然と言えば当然なのかもしれないが、周りの皆とは少し違う気がしていた。

皆、当たり前のように『未来の自分』や『将来の夢』や『どんな大人になりたいか』というテーマで、夢を語っている。

しかし俺の理論からすると、それは、今の自分が死を迎えた後の話だ。

今それらを思い描いたところで、その姿は、自分とは全く別物の個体なのだ。

その『死』を通過することに、怯えや迷いは無いのか。

子供から大人へと変わっていく、その何かを受け入れることは、そんなに容易いことなのか、と──。

こんなことを考えている小学生は、俺くらいなのかもしれない。

皆が大人になることへの、期待や憧れを口にする度、俺は言い表せない恐怖と絶望を感じていた。



それでも俺は、真剣に練習に励み、直向きな努力を続けた。

先のことを考えても、時間を止めたり進めたりできるわけじゃない。

今は今できることを、必死にやっていくしかない、と──。


そんな努力の甲斐もあって、スクールの実力確認テストでは常に一位を取り、ある時小学生のユニットを組んでみないかと、講師から打診があった。

上手くいけば、CDを出したり芸能活動もできるかもしれない、と──。

願ってもない話だった。

これで一刻も早く、スターになれると感じた。

大人になるのを待たなくても、子供のままでも、夢を叶えることはできるのだ、と──。


しかし母は、その話を丁重に断った。

今は学業に専念させたいだとか、子供のうちからあまり仕事をさせたくないだとか、そんなようなことを言って。

理由を聞くと、母は言った。


「あなたは、お父さんと同じ事務所でデビューするのよ。中学生になったらそこのオーディションを受けるから、今のスクールでキャリアを積むような活動をする必要はないわ」


HARU9が所属する芸能事務所の応募要項の対象年齢は、中学一年生からだ。

つまり母にとって、今いる紫波プロダクションのスクールは、それまでの経験値を積む為の、あくまで繋ぎでしかないということだったのだ。

ほとんどの生徒が、将来紫波プロダクションでのデビューを目指す中、そんな心意気で通っているのは俺くらいだっただろう。


そんな理由から、俺が実際にステージに上がった経験は、スクールの発表会くらいだった。

──疑念や不満は抱かなかった。

自分の意志より、母の望みを叶えることが目的だったのだから。

いつかきっと、俺のことを見てくれる。

そう、信じていた。

その時の俺は、そんな悠長なことは言ってられないと、まだ知らなかったのだ──。



俺は正直、HARU9が本当に父親なのかと、疑う気持ちもあった。

それは母の妄想で、あくまでそうだと思い込んでいるだけなのかもしれない、と──。

しかし一度だけ、父に会いに行ったことがある。

──と言っても、HARU9のライブに、だ。

小学五年生の十一歳の時、母と二人で観客としてライブ会場に足を運び、終演後に出待ちをした。


「HARU9! 私よ! 迎えに来たわ! この子は、あなたと私の子よ!」


大勢のファンが押し寄せる中で、その声が届いたのか、HARU9がこちらに視線を向けた。

そして俺の顔を見たその瞬間、まるで幽霊でも見たかのように、ゾッと青ざめた。

しかしそれも一瞬の出来事で、HARU9はスタッフに促されるようにして、車の中へ消えていった。


「HARU9! どうして応えてくれないの!? 私を覚えてないの!? ねぇ!?」


車に張り付いて妨害する母は、すぐさま警備員に取り押さえられた。

その後、ファン達から冷ややかな視線を受け、呆然とその場にただ立ち竦んでいた。


──母は、ひどく絶望していた。

いつかきっと、俺を認知して三人で暮らせるんじゃないかと、そう夢見ていたのだろう。

そんな母を見ていられなくて、俺はより一層、母の関心を自分に向けなければと、強く思い直した。

彼が母を突き放すようなことでもあれば、母は生きていけない、と──。


しかしその時、一連流れを見て激昂したファンの一人が、刃物を持って俺に向かって来た。


やばい、死ぬ──。


咄嗟に死を悟った俺は、目を見開いて、ただただその女の顔を見ることしかできなかった。

憎しみの込もった表情で、目には狂気を孕ませて、確かに殺意を感じた。

しかし腐っても、日本一のスターのライブだ。

厳重な警戒態勢を敷いている為、すぐさまその女は複数の警備員に取り押さえられ、それは未遂で終わった。

取り押さえられながら、その女は再び、俺を睨んだ。

そして、呪詛を吐く。


「HARU9に子供がいるなんて、そんなの嘘よ! 絶対に信じない! だってHARU9は、私と結婚するんだもの! そう約束してくれたんだもの! おまえは存在しちゃいけない! 存在自体が罪なの! だから、お願い! 邪魔だから消えて!」


──その呪詛は、俺の心臓を容赦無く突き刺した。

深く刺さって、それなのにその刃物を抜くことすらしてもらえず、未だに俺の心に刺さり続けている。

せめて抜いてくれれば、出血多量で死ぬことができたのに。

それさえもできずに、ただ致命傷を負い続けたまま、心臓に鋭い棘が刺さったままの状態で、苦しみながら、今も呼吸をしている──。


そんな状態の俺をお構い無しに、母は一人で、まだ絶望の余韻を味わっていた。

俺のことなんか全く目に入らないように、ただ一人、何かを繰り返し呟いている。


──俺は、遂に分からなくなった。

自分という存在が。

なんの為に、この世に生まれてきたのか。

全てを捧げてきた母の目にすら映らず、世間からは存在してはならない人間として、存在そのものを否定されてしまった。

俺が死ぬことで、喜ぶ人間が居る。

俺が生きることで、苦しむ人間が居る。

生きているということを無条件に愛し、肯定してくれる存在である筈の母も、もう俺の役目は終わったかのような、役立たずのゴミを見るかのように扱った。

そのことが、ひどく悲しかった。


しかし、それはあくまで地獄の入り口でしかないと、俺はこの時、まだ知らない──



そして、忘れられないあの日は、突然訪れた。

パリーンという音が響いて、母の元に駆け寄る。

母の足元には、割れたマグカップの破片が飛び散っていた。

テレビのニュースに釘付けの母は、顔面蒼白で、ひどく震えていた。

呼吸の仕方も忘れたように、信じられないものを見たような顔だった。


「……うそよ……そんなわけない…!」


──ニュースは、HARU9が自殺したことを報せていた。

俺は血の気が引いて、倒れ込みそうな母を急いで抱き止めた。

背中を摩って、必死に呼びかけて、なんとか宥めようとする。


「……いやよ……! 絶対にいや! あの人がいない人生なんて考えられない! あの人は、私の全てなの!」


母はパニックを起こしていた。

無理もないが、俺の声はやはり聞こえていないようだった。


俺は一晩中発狂し続ける母を、眠ることなく必死に介抱した。


「……お母さん……。大丈夫、大丈夫だよ……」


──つい、泣きたくなった。

母の姿が、見るに耐えなかったからじゃない。

ただ、うんざりしていた。

俺達の人生をこんなにもめちゃくちゃにした、父に対して。

勝手に自分の都合で生み出して、責任も取らずにこの世から消えた、薄情な男。

もう、スターになんかなってやるもんか。

あんな最低な大人に、俺は死んでもならない、と誓った──。



その、翌日──


「………………え…………」


学校から帰り、家の扉を開けると、そこにいたのは、天井から吊るされた母の姿だった。

物干し竿にきつく結ばれた縄は、母の細い首に括られている。

既に、死んでいた──。


「……あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


変わり果てた母の姿に、俺は叫ぶことしかできなかった。

駆け寄ることもできず、ただその場に倒れ込んで、嘔吐しながら声が枯れるまで叫び続けた。


──母は、父の後を追った。

少し考えれば、分かる筈だった。

母の絶望の大きさを。

母は父の為だったら、命だって投げ打つ人間だと。

それなのに、止められなかった。

俺の存在は、母をこの世に繋ぎ止めるに足りないものだった──



救急車とパトカーが来て、俺が生まれ育ったその部屋は、自殺現場へと成り変わった。

そこら辺の記憶は曖昧で、それなのに最期の母のあの顔だけは、今も瞼の裏から消えることは無い。

最期の時ですら、母は、俺を見ていなかった──。


もし、母が死ななければ、俺は母を恨めたかもしれない。

勝手に自分の都合で子供を生み出しておいて、我が子を父を繋ぎ止める道具としてしか思ってなくて、一瞬たりとも一人の人間である【湊葵瑞】として俺を見てくれなかった、最低な母親だ、と──。

それなのに、死ぬなんて卑怯だ。

死なれたら、もう、その人を責めることも恨むこともできない。

それをしてしまう自分は、彼らよりも、薄情だと思えてしまったから──。


俺は代わりに、自分を責めるしかなかった。

もっと早く、俺がスターになれていたのなら。

もっと努力して、一日も早く、母の人生の指針を俺に移すことができていたのなら、母を救えたかもしれない。

俺の無力さのせいで、母は死んだ──。

そんなふうに考えることしかできなかった。



身内の引き取り手がいない俺は、天涯孤独となり、養護施設に入れられた。

しかし、そこも地獄だった。

恵まれない子供達に救いの手を、なんてのは表向きだけで、中身は醜い社会の縮図のそれでしかない。

親の愛情を知らず、虐待を受けて育った子供は、親にされたのと同じように、自分より弱い人間に暴力を振るって押さえつけていた。

俺はそれを見過ごすことができず、いじめっ子に立ちはだかった。

すると今度は標的が俺に移り、ひどいイジメを受けることになった。


──それでも、俺は折れなかった。

間違っていることは間違っていると、自分の正義を曲げたくなかった。

母を救えなかったことで、日に日に弱っていく自尊心を、僅かな正義感だけでなんとか保とうとしていた。

俺は絶対に、負けたりしない。

自分の誇りを、手離したりはしない、と──。


しかし、イジメは日に日にエスカレートしていき、体の痣は数えきれないほど増えていった。

遂に耐えきれなくなって、施設の大人に相談したが、年上の言うことは聞くようにと叱咤され、イジメについては知らんぷりだった。

毎日毎日、殴られる度に思う。

──もう、ラクになってしまいたい。

全てを諦めて、彼らの言うことに従えば、快適な日常が手に入る。

心を擦り減らすことも、痛い思いをすることもしなくていい、と──。


──当然、自死も考えた。

父と母がしたのと同じように、この細い首を括ってしまおうかと、何度も思った。

しかしその度、母の横顔が浮かんだ。

もしあの世で、あの二人が会っているのなら、俺の入る隙なんかないと、そう思ってしまった。

あの世ですら居場所が無いのは、一人ぼっちなのは、もう懲り懲りだ。

この後に及んで、そんなふうに考えてしまう自分が、可笑しくて悲しかった。

どうやったって、俺の人生の全ては、あの人以外有り得ないのだ。


──そして、悟る。

俺があんなにも恐れていた『死』は、こんなにも身近にあるものだったのだと。

自分の最期を想像した時、それは交通事故なのか、災害によるものなか、それとも何かの事件に巻き込まれたものなのか、あくまで不慮の事故としか考えたことが無かった。

だって、それ以外有り得る筈が無い、と──。


しかし今、その最も恐れていた『死』は、何よりも近い俺の足元で、口を開けて待っている。

地獄への入り口へと、誘うように。

──それは、死への誘惑だ。

この苦しみを終わらせてしまえる、最も効率的で、最善の方法。

それが、死だ──


俺の命を最も脅かすものは、天災や、不慮の事故なんかじゃない。

何よりも、俺自身の心なのだ。

文字通り、この心臓を握られているのだ。

いつでも握り潰せるように、いつでも息の根を止められるように、俺の命は、俺自身に人質を取られている。

ちょっと間違えば、判断を誤ってしまえば、いつだって、この人生を終わりへと導いてしまえるのだ。

そのことが、恐ろしい──。


自分が正しいのか、間違っているのかすら分からないまま、終わりのない自問自答に苦しめられる毎日。

そして脳は疲れ果て、そこから脱しようと、甘い誘惑を投げかけてくる。

思考を止めてしまえば、足を止めてしまえば、いつでも飲み込まれてしまうような、黒い闇に追いかけ回されて、それから必死に逃げ続ける日々。

終わりが見えない、この苦しみが一生続く恐怖に、頭がおかしくなる。

もう、限界だ──


今ここで死んでしまえば、この苦しみから解放され、すぐにラクになることができるだろう。

足を止めてさえしまえば、母と同じように首を括ってしまえば、穏やかな世界が広がっていることだろう。

何もかも、どうでもいい。

何もかも、投げ出してしまいたい。



"それでも──"


まだ僅かに息があるこの心臓が、そう叫ぶ。


それでも、俺は俺を、まだ、諦めたくない──。


この手に宿った奇跡を、人生の全てを懸けて築いてきたものを、まだ、手離したくはない。


たとえそれが、身を裂くような痛みだと分かっていても。

死よりも苦しく、残酷なことなのだとしても──。



だから俺は、今日も戦っている。

たった一人で、俺だけは、俺自身を見捨てない為に。

ちっぽけな自尊心を携えて、誇りを携えて、ギリギリの状態で、今日も生きている──。


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