第五十五話《乾杯》
「ねぇ、提案があるんだけど」
翌日昼、事務所の談話室にて、海は五人に切り出した。
聞こえていながらも相手にしない彼らに構わず、それを差し出す。
それは、一本のワインボトルだった。
「これ、ちょっと訳ありのワインでね。中には致死量の薬物が入ってる。これで、みんなで死なない?」
その言葉に、五人の目に正気が宿る。
死ぬ提案で正気が宿るなんて、可笑しな話だ。
しかし今の彼らにとって、これは残された希望だ。
そう思えるくらいには、今の現状に絶望し、疲弊し、憔悴し切っていた。
──これは、救いだ。
苦しみからの解放だ。
過去の自分の願いに応える為の、唯一できる償いだ、と──。
「あの鳥居を潜ってから、子供の自分と対峙してから、ずっと考えてた。分かるでしょ? 私は人殺し。あの時の自分を護れるのは私だけだったのに、諦めて誇りを捨てて、全部忘れて、昔の自分を嘲笑って。あの時絶対ならないって誓った、大嫌いな大人の姿そのものになってた。これだけでも、絶望以外の何物でもない。ここまでは、あんた達も同じでしょ。それに加えて、私は人を殺してる。自分で生み出した命を、無責任に放り出した。あの時の、たった一つの誓いさえ忘れて……」
過去を共有したことで、隠すことが何一つ無くなった海は、洗いざらい自分のことを話し始めた。
己の罪を、ひとつひとつ数えるように。
彼女の視線の先にある、その影に向かって語りかけるように、どこか遠い目をしながら。
「ほら、今も。うみなが私を見てる。そうだよね。赦せるわけないよね。ごめんね……。ちゃんと、ちゃんとするから。ちゃんと罰を受けるから。お願いだから、私もそっちに行かせて……」
海の言葉を聞いて、五人も目前の影を見上げた。
それぞれの目に映るその子供の姿は、地獄への手招きをしているように見える。
『本当に、許して欲しいって思ってるの?』
『何も差し出せるものがないのに、信じてくれって?』
『そんなの、都合良すぎだよ』
『本当に罰を受ける覚悟があるんならさ』
『今ここで、私の為に死ねる?』
それは愛情を確かめようと、子供が大人に我儘を言う、いたいけな試し行動だ。
しかし、それを可愛いものだと笑うには、残酷で惨虐な要求だった。
──彼らにはもう、後が無い。
信頼を取り戻すには、罪を償うには、これが最後のチャンスだ。
「……乗った」
陽七星はそう言って立ち上がると、海からワインボトルを受け取り、コルクを開けた。
その顔は、とても穏やかだった。
「……美生も……」
陽七星に釣られるように、美生も立ち上がった。
棚を開けて、ワイングラスを人数分取り出し、テーブルに並べていく。
まるで、パーティーの準備でもするかのように。
着実に、終わりへの支度をしていく──。
それに続いて、伶と織も、無言でグラスを手に取った。
その顔には、清々しい程の安堵が浮かんでいる。
「……僕も……」
復讐に燃えていた勇為も、あの日以来、破裂した風船のように意気消沈していた。
「勇為……」
「ホントは知ってたんだ………。復讐なんて、意味がない。あの頃の僕が死んでるってことは、僕が愛した彼女が死んだも同然なんだ……」
そう言ってグラスを持ち、彼らの元に加わった。
全員のグラスに、陽七星がワインを注いでいく。
その色はこれ以上とない深い真紅で、思わず、なんて綺麗なんだと、つい零しそうになる。
彼らは皆、晴れやかな顔をしていた。
──あぁ、よかった。
これで、終わりにできる──
そんな安堵が、声にしなくても分かった。
これが最も、正しく、美しい幕引きだと。
ここで全員が死ねば、自分の過去や秘密を知っている人間も、この世から居なくなる。
秘密が世間に漏洩する恐怖に脅かされることもなく、これ以上自分の醜態を晒すこともなく、完全なままでいられる。
彼らが死んだことを知れば、彼らを愛したファンは、嘆き悲しむだろう。
しかしそのことさえ、最悪な結末を予見した彼らにとっては、震えるほどに欲しいものだった。
自分の本性を知られ、騙されたと後ろ指を差される前に、完全な姿のまま、美しいだけの思い出でいられるうちに──。
伝説とは、未完の方が愛されるものだ。
いつか時が経ち、誰の記憶にも残らない姿で寂しく消えゆくくらいなら、惜しまれるうに、自らの手で終わらせたい。
彼らの理想の姿のままで、栄光の最絶頂の中で、
最高の状態のままピリオドを打とう。
そうしていれば、誰かの心の中に、永遠に留まっていられる。
彼らが必死に作り上げた、偽りの完璧の姿のまま──。
「なんだよ。今更いい顔しやがって」
「いいじゃない。なんだか最高の気分だわ」
あの頃の海が求めていたものが、欲しくて堪らなかったものが、今になって、手に中にあると分かる。
死が目前に迫っているにも関わらず、ようやく辿り着いた答えに、ホッと胸を撫で下ろした。
皆もきっと、同じなのだろう。
一度記憶を繋げたせいだろうか。
ここに鳥居は無いのに、顔を見れば、何を考えているのか分かった。
きっと今、海のように最高の気分に違いない。
「……あぁ……おせぇよ……」
「なに?」
伶の呟きに、美生が尋ねる。
「今になって、聴こえてきやがった。俺達の葬送曲。まさに冥土の土産ってやつだな」
止まっていた、伶の脳内を流れる音楽が戻って来て、ようやく赦された気がした。
やはり、この結末を、子供の彼らも望んでいる。
そう確信が持てたら、怖いものなど何も無くなった。
「何よ、聴かせてよ」
読み聞かせの続きをせがむ子供のように、海は伶を促す。
今になって、もっと知りたいと願った。
今まで知ろうとしなかった、彼らのことを──。
「あぁ。あの世でな」
伏せ目がちな伶の声は、慈愛に満ちていた。
嫌味でも皮肉でもなく、その声は、子供を寝かしつけるように優しかった。
「あの世でまで、あんた達と一緒なんてごめんよ」
伶の趣味の悪いブラックジョークに、海は可笑しくなって大袈裟に笑った。
それに釣られるようにして、全員の笑い声が響く。
「ひどいなぁ海ちゃん。大丈夫。あの世でも僕は、海ちゃんの犬だよ。ワンワン!」
「じゃあ美生は、生まれ変わったら猫になろっかな!」
「ちょっと、概念の話だって。でもそっか、転生するなら僕は、『お母さん』って呼んでいい家に生まれたいな」
「あたしだって、今度こそ普通の家に生まれるわ。夫婦円満の家庭で、休日は三人で海水浴するの」
「俺は海外生まれがいい。まだ行ったことないヨーロッパとか。誰に期待されなくてもいいから、慎ましく穏やかに過ごしたい」
まるで子供のように、明日が楽しみで眠れない夜のように、彼らははしゃいだ声を上げた。
希望に満ち溢れた明日を、理想の未来を思い描くようにして──。
「おまえら呑気なもんだなぁ。当然のように来世も人間になれると思ってやがる」
「そういう伶は?」
「俺は感情の無いものがいいね。草や木くらいがちょうどいい。おまえは?」
声を失った織に、伶が問いかける。
織は喉を触って、確かめるように「あ」と声を出してみた。
今になって戻って来た声で、安堵から再び還って来た自分の声で、織は言った。
「……男に生まれたい」
「そうかよ。こっちはこっちで大変だから、今から覚悟しとくんだな」
こんな時になって、彼らは初めて、互いの顔を見合って、笑って話をした。
本来の彼ららしさと、過去を晒したことで護るものが何も無くなった開放感で、初めて心の底から笑い合えた。
──あぁ、よかった、間違ってなかった。
俺達のハッピーエンドは、ここだ、と──。
彼らが彼らのままでいられるうちに、仄かに残った意地やプライドまで手離してしまわぬうちに。
この選択は正しいと、信じて疑わなかった。
「乾杯しよう」
陽七星の声に、皆はグラスを掲げた。
願わくば、向こうでちゃんと子供達に会えますように──。
そんな祈りを胸に、もう一度全員の顔を見渡す。
誰もが再び瞳に希望を灯し、それが物語っていた。
──あぁ、一人じゃなくてよかった。
あの日、子供として本当は死んでいた、あの日。
一人で死ぬのが怖くて、寂しくて、勇気が無くて死にきれなかった。
その結果、無様に生き延びた結果、ここまで最低な人生を続けて来てしまった。
だけどようやく、同じ傷と、同じ目的を持つ仲間に巡り会えた。
今まで共に活動はしてきたものの、彼らは自分とは違うと、どうせ分かり合える筈がないと、信頼を結ぼうという気にすらならなかった。
しかし今、ここに来て初めて、彼らとの絆が、初めて形にして見えたような気がした。
共に死を選べるなんて、共に心中する相手に選べるなんて、素敵なことじゃないか。
遅すぎたかもしれないが、それでも今は、心から思う。
こいつらがいてくれてよかった、と──。
大人になってしまった彼らは、死後、ロストユースには行けないだろう。
それでも、地獄に堕ちると知っていても、誰かを道連れにできるなら、心強い。
奇妙な形だが、ようやく本物の仲間になれた気がした。
形は歪だとしても、これもまたひとつの、彼らが探し求めていた"愛(I)"の形なのかもしれない。
「乾杯」
全員がグラスを合わせて、高い音が鳴る。
それが、彼らが最後に共に奏でた音楽だった。




