第五十四話《最後の希望》
葵瑞がメイクを終え、スタジオに向かった頃、惇のスマホが鳴った。
──頼人からの着信だ。
「はい、お疲れ様です」
「お疲れ。あいつらの様子どうだ?」
「やっぱりダメです。もう撮影にならないレベルで……今日は葵瑞くんだけ撮ってもらって、バラしになりそうです」
切羽詰まった惇の声に、頼人は現場の混乱による惇の心労を察した。
「……そうか……。今はあいつらの心のケアが最優先だ。悪いけど、しばらく全部の仕事を断ってくれ」
「え、全部!? い、いつまで!?」
「とりあえず、一ヶ月くらいか。それで復帰できるかは分からないが、現場に行ってバラしになるよりはマシだろ」
頼人の突然の提案に、惇は目が回りそうな思いで立ち止まる。
売れっ子でビッシリ埋まったスケジュールを全部白紙にすることは、決して容易なことではない。
各方面に迷惑をかけることになり、頭を下げて回らなければならないことは確定だろう。
「……分かりました。頼人さんがそう言うなら」
「悪いな。おまえにばかり負担をかけて」
惇の中で、頼人の言うことは絶対だ。
それは決してやらされていることではなく、彼自身が頼人に対する、絶対的な信頼と尊重があってのことだ。
扱いが難しいブルバのメンバーを、愚痴を零しながらも今までサポートしてきたのは、全て頼人の為だった。
「……いえ、違いますね。頼人さんの指示だからと言うより、俺もあの子達が心配なのかもしれません。俺みたいに、間違えて欲しくない。俺もあの子達の為に、できることを精一杯やります」
先程の発言を取り消すように、自分の思想を否定するように、惇は電話越しに首を横に振った。
今までのような、頼人の為にという想いだけではない。
傷付いている彼らの姿を、必死に助けを求めてくれようとしていた美生の姿を思い出して、惇は覚悟を決めた。
「ありがとうな、惇」
「いえ、これが今の僕の仕事ですから」
惇は電話を切って、亡き友人のことを想った。
かつて共にバンドとして活動していた、解散後、とあるアイドルのマネージャーとして働いていた元メンバー。
彼がストーカー被害に遭っていたそのアイドルを庇って死んだ時、正直、馬鹿みたいだと思っていた。
たかが仕事で、他人の為に命を落とすなんて、そんな考えが理解できないと。
──だけど、今なら少しだけ分かる。
彼もきっと、こんな気持ちだったのだろう。
仕事だからと使命感に駆られるだけではなく、毎日彼らのことを考えているうちに、いつしか自分のこと以上に大切に思えてきていたのだ。
──これからは、もっとみんなと話をしよう。
手遅れになる前に、望まない別れが突如訪れる前に──
常備している胃薬に頼らず、惇は足に力を入れて駆け出した。
自室の扉を開け、そのまま壁にもたれ掛かる。
帰宅した海は、電気も付けずに真っ暗な部屋で一人項垂れていた。
──体が重い。
屍のような塊の体を引き摺って、歩くのもやっとだった。
床の所々に物が落ちていて、足の踏み場が無い。
転がっている観葉植物に躓いて、部屋が荒らされていると気付く。
彼が、薬の副作用で暴れたのだ。
こんなことは、今に始まったことじゃない。
その当人は今、薬が効いたのか、平然とベッドで眠っている。
痛みを忘れたかのように、穏やかな顔をして──。
薬をやる人間なんて、馬鹿だと思っていた。
リスクがあると分かっているのに、それを承知で自分の人生を投げ出すような真似、自分は決して選ばないと。
『まぁでも、死にたくなるほど苦しくなったら、それもまたいいかな……』
以前自分が零した言葉が、脳内でリフレインして響く。
残された希望に縋るように、海はそれに手を伸ばした。




