第四十四話《贖罪》
泣き疲れて再び眠りに就いた陽七星を、頼人は慎重にベットに寝かせた。
やがて子供のように寝息を立てるその姿を見て、安堵と同時に、罪悪感に襲われる。
「……俺のせい、か……」
今日と同じような夜を知っている。
『……助けて……頼……』
陽七星が13歳のあの夜、傷付き人生に絶望し、頼人に泣き付いて縋った、あの夜。
『……忘れちまいな……』
今日と同じように、抱き締めることしかできずに零した、あの言葉。
これ以上傷付く陽七星を見ていられなくて、救いはそこにしかないと勘違いして、全てを消してしまおうとかけた、あの言葉。
ニューヨークに渡ってからも、トラウマから抜け出せずに陽七星が悪夢に苦しむ度、何度も呼びかけてきた。
忘れてしまえ、と──。
そんなの、無責任にもほどがある。
『……本当に……覚えてないのか?』
『は? だからなんの話だよ』
あれから十年の月日が経ち、陽七星は本当にあの男を忘れた。
完全に記憶を消せたわけではなくとも、意識からは取り除けたのだろう。
あれだけ毎晩苦しめられていた残像の消失に、頼人は心底安心した。
それなのに、何かが引っかかっていたのだ。
手放しで喜べないような、どこが寂しく、複雑な感情。
『……もう……頼しかいない……』
あの夜、傷付いてボロボロの陽七星の姿に心底同情しながらも、どこか頼られて嬉しいという感情があった。
陽七星を護れるのは自分だけだと、自分にだけ心を預けていればいいと、そんな傲慢な考えが招いた結果が、これだ。
『大丈夫だ。全部、全部忘れちまえばいい』
──あんなまじないが効いたというのか。
いや、あれは呪いだ。
トラウマを乗り越えるのではなく、忘れて無かったことにしてしまうことで、問題をすり替えてしまっていたに過ぎない。
転んだ後の起き上がり方を知らない子供のように、過保護にしすぎるあまり、挫折から這い上がる方法を教えてもらえないまま、大人になってしまった。
何かあっても、自分が傍にいて、なんとかしてやればいいと思っていたから──。
そして今、陽七星は忘れてしまったことを悔やんでいる。
干渉できない何かに怯えながら、届かない場所に取り残されて、一人で苦しんでいる。
「謝るのは俺の方だ……。ごめんな、ひな……」
陽七星の苦しみを分かってやれない自分を、すぐ手の届く距離にいるのに助けることができない自分を、どうか、赦してくれと願った。
悪い夢から護ってやることのできない歯痒さに、自分の無力さを呪うしかなかった。
暗い深夜の部屋の中で、沈黙が耳を突く。
外を走る車の音も、空を行き交う飛行機の音も、一切聞こえてこない。
仕事で成功し、陽七星の夢を叶え、高層マンションの上階に住み、欲しいものは全て手にした筈だった。
それなのに、幸せとは一体なんだったのか、途端に分からなくなってしまう。
何も考えずに、何にも縛られずに、ただ楽しく過ごせていたあの日々は、もう戻らない。
大人になるということは、そういうことなんだろう──。
もしこの世界に二人きりだったら、二人だけで完結できる世界だったのなら、こんなことはならなかっただろう。
互いの人間関係、社会性、各々の夢、それに関わる多くの人達。
二人だけの問題では留まれないほどに、背負うものが次第に増えていった。
それは喜びでもあり、しがらみでもある。
そんなことは踏まえた上で、ここまで来た筈だった。
「……」
もう一度、自分に問いかける。
──本当に、これで良かったんだろうか。
自分の選択は、間違っていたんだろうか。
過去のことだけじゃない。
今だって──
突然の、新メンバー加入。
当然戸惑っているメンバー達、そしてファン達。
あの無人島に行ったこと。
そしてこれから訪れる、いや、訪れないかもしれない、悲惨な未来。
それを防ぐ為に、必死に奔走してきた筈だ。
しかし最終的には、当人達に委ねることしかできない。
(俺は、ヒーローじゃない。救うのは、俺の役目じゃない。俺にできるのは、あくまで猶予を与えてやることだけだ……)
──そう。
だからこそ、託すことにしたのだ。
突如舞い降りた、天使のような少年に──
「……なぁ。こいつを、赦してやってくれないか……」
陽七星の背後に浮かぶ、白い影に向かって、ポツリと呟く。
俺のせいなんだよと、罰なら俺が受けるから、と、そんな想いで──。
気配しか感じ取れないその何かは、想いが通じることもなく、ただ不敵に笑っていた。




