第四十三話《懺悔》
ぼやっと霧がかかったような景色に、ここが夢の中だと分かる。
目の前には、世にも珍しい青い鳥居。
思い出せはしないのに、初めて見た気がしない。
何故か、知っているような感覚だった。
陽炎のように揺れながら、それでも確かに、ここに居るんだと示すように、存在感を放ちながら聳え立っている。
『嘘吐き』
その声で白い世界が一変し、暗く深い闇に包まれる。
声の正体は、鳥居の向こうに立ち竦んでいる、一人の少年だ。
『あんな大人に絶対ならないって、そう言ったよね?』
子供の姿の陽七星が、いや、ひなが囁いてくる。
呪詛を吐くように、憎き相手を蔑むように。
『僕のこと忘れて、弱い者いじめをして、平気で笑ってたんだ』
──違う、そうじゃないと弁解したいのに、言葉が出て来ない。
何も違わないからだ。
あの日の恐怖も、絶望も、誓いも、全て忘れて、大人になった。
今の陽七星の姿は、幼いひなが心底軽蔑した、最低な大人そのものなのだ。
『許さない』
黒く塗りつぶされた顔に浮かぶ、赤い眼光。
それは陽七星の心を刺し殺すように、険しく、鋭く向けられていた。
「……っ……はっ……!」
ベッドから飛び起きて、夢から覚めたのだと知る。
乱れた呼吸と、大量の汗。
暑い筈なのに、体は氷のように冷え切って、震えが止まらない。
「起きたか。大丈夫か?」
陽七星が起きたことに気が付いて、家の主である頼人は、陽七星の汗を拭い背中を摩った。
あの島から帰って来てから様子がおかしい陽七星を、頼人は自宅に連れ帰り、ここ数日介抱していたのだ。
「ひどい汗だな。待ってろ、今水を持って……」
そう言って立ち上がろうとする頼人の手を反射的に掴んで、陽七星は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
それは、まるで親に置いて行かれそうになった子供の姿だ。
心細そうに、寂しそうに、嫌だ嫌だと駄々を捏ねるように──。
「……大丈夫だ。俺はちゃんとここにいる。安心しろ」
頭を撫でられて、何かを言おうと、陽七星の口が動く。
それを察して、頼人は陽七星の顔を覗き込んだ。
「ひな?」
──今はその名前を、聞きたくなかった。
昔馴染みの頼人にだけ呼ぶことを許しているその名が、夢の中で見た幼い自分と重なってしまう。
『嘘吐き』
耳の奥から再びその声が響いて、冷たい汗が頬を伝う。
喉奥と胃が冷えて、息が止まる。
『裏切り者』
呼吸をしようとして、必死に息を吸おうとするも、吐き方が分からなくなってしまう。
恐怖で頭の中がぐちゃぐちゃになって、その幻想から逃れたくて、気付いた時には、パニックになりながら叫んでいた。
「……っ違うもん! 僕は悪くないもん! 僕にひどいことした、お母さんの方が悪者だもん!」
口から溢れ出したそれは、本当に子供のひなの叫びそのものだった。
体格も声も紛れも無く大人のままなのに、幼児退行してしまったようなその姿に、頼人は動揺を隠せなかった。
大丈夫だと声をかけようとするのに、上手く言葉が出てこない。
どうすればいいか分からないまま、せめて安心させようと、強く抱き締める。
子供をあやす母親のように、一人じゃないよと、温もりでそっと教え込もうとするように。
「……ごめんなさい……」
力を無くした陽七星が、頼人の胸で泣きながら呟く。
「……忘れちゃって……ごめんなさい……」
その謝罪は、頼人に向けたものでないことが分かる。
陽七星は、過去の子供の自分に、ひなに向けて謝っているのだ。
二度と戻れないその日々に、後悔と懺悔を向けながら、救われることのない地獄と対峙しているのだ──。
「……落ち着け、ひな。大丈夫。大丈夫だから……わ……」
その先の言葉を口にしようとして、思い留まって口を噤んだ。
今の陽七星にとって、それは最も聞きたくないことだっただろうから──。




