第四十一話《AIR I》
一人歩道を歩きながら、織は憔悴し切っていた。
昨夜は一睡もできず、意識も朦朧としていた。
今、どこに向かって歩いているかも分からない。
ただ、足を止めてしまえば、その場から二度と動けないような恐怖を覚えていた。
街の風景が、いつもの景色が、一切目に入らない。
音も遠く、耳が悪くなったのかと錯覚する。
まるで、自分が空気になってしまったようだった──。
「……ちゃん! ……あいりちゃん!」
その声が自分を呼ぶことなのだと理解するまで、時間がかかった。
幻聴ではないと振り返ると、そこには甥っ子の璃空がいた。
「もぅあいり〜、何日も連絡ないから心配したよ〜。……って、どうしたの? すごい顔色! 大丈夫? 具合悪いの?」
その後ろから駆け寄ってきたのは、従姉妹の美希だ。
家のマンションの前で、織の帰りを待っていたらしい。
死んだような顔の織を見て、美希が心配そうに顔を覗き込む。
しかし彼女は、今は人と話せる精神状態では無かった。
ごめん、と言おうと口を開いたのに、それは声にならずに掠れて消えた。
「……あいり……」
「あいりちゃん……」
その名前が自分の持ち物だと、今は思えなかった。
そのまま二人を横目に通り過ぎ、一人マンションの自室へと向かう。
扉を閉めて、そのまま玄関に座り込む。
姿見に映るこの塊は、一体誰何なのだろうか。
人間なのか、もしくは息をしているだけの屍なのか。
そっと手を伸ばして、鏡に映るその何かに触れてみる。
ようやく焦点が合うと、当たり前のように、自分の姿が映っているのが見えた。
こんな顔も、こんな体も、望んだものじゃない。
嫌いで、嫌いで、大嫌いで、傷付けたくて、消してしまいたくて、何度も何度も、失望を繰り返して来たというのに──。
(なんで……忘れることができたんだろう……)
自分の味方は、自分だけだったのに。
どこに居場所が無くとも、自分だけは、自分を見放してはならなかったのに。
誰にも理解されない苦しみと、手離したくなかった、ちっぽけな誇りを──。




