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ロストユースに青を知る  作者: 志結
第四章
41/42

第四十話《篠崎伶の過去》

※やや長いです

お時間が許す時にどうぞ


.


愛を教えてくれた人の未来を、奪ってしまった──



ピアニストの母の元に生まれた俺は、生まれた時から、或いはその前から、特殊な体質を持っていた。

胎内でもクラシックを聴いてきたせいか、生まれた瞬間から俺の世界には、常に音楽が流れていた。

それは、常に家では母が弾くピアノの音色で溢れていたとか、常にCDの音源を流すステレオの電源が付いていたとか、そういう類の物理的な話ではない。


鼻歌を歌っている幼児の俺に、母が問う。


「ねぇ、それってなんの曲?」

「なにって、ほら、いまながれてるきょくだよ?」

「え? 何も聴こえないけど」


物心が付くようになって、周りとの会話で気が付いた。

生まれた時から一度も鳴り止まずに流れている音楽は、俺の脳内でしか流れていないものだった。

つまり、自分にしか聴こえない音を、皆も当然そうであるかのように思って生きて来たのだ。


「ねぇ、きみはどんなおんがくがながれてるの?」


幼稚園で周りの子にそう聞いた時には、気味悪がられ変人扱いされた。

そのせいで、友達もできなかった。

いつもぼうっとして、物思いに耽っている変わり者として、順調にぼっちコースだった。


でも、寂しくはなかった。

俺には、音楽があったから。

──皮肉なもんだ。

音楽のせいで一人になったのに、音楽のせいで一人の寂しさも紛らわせた。


そんな俺の生まれついての特性を、母は素晴らしいと絶賛した。

それは音楽の神様からの贈り物だと、俺は音楽の神様に愛されているんだと、目を輝かせながら力説していた。

そして母はギフテッドと呼んだ俺に、自分の持ち得る音楽の全てを叩き込んだ。

ピアノの演奏技術や音楽理論はもちろん、他の楽器の演奏のレッスンにも通わせた。

生まれた時から脳内で無限に音楽が再生されている俺は、幼稚園児にして既にあらゆる楽曲を本能で理解し、その手で再現することができた。

音楽家としては、これ以上とない才能だろう。

これは音楽をやっている皆が、欲しくて欲しくて堪らない才能なのだと、俺は選ばれた人間なんだと、母は何度も称賛の言葉を口にした。


──いや、称賛とは違うかもしれない。

あれは憧憬か、もしくは嫉妬だ。

その証拠に、俺が楽器演奏のレッスンを辞めたいと言った時のことだ。

無理もない。

常に脳内に勝手に音楽が流れているということは、演奏している時二つの音楽が同時に流れているということだ。

不協和音が、気持ち悪くて仕方がなかったのだ。

それでも暫くは母の言う通りにしてきたのは、母の期待に応えたいという、子供らしい想いがあったからかもしれない。


辞めたいと言った時母は、『なんでそんな勿体ないことを』と言った。

ここまでは普通かもしれない。

今まで教えてやったのにとか、折角の才能を無駄にして親不孝だとか、そんなふうに言われれば、子供ながらに罪悪感は湧いたかもしれない。


しかし母は、拗ねたように言った。


「なんで私じゃないの? 私だったらその才能を、絶対に無駄にはしないのに! 神様は意地悪だ!」


母親としてではなく、ただ一人の音楽家として、本当に俺のことが羨ましくて仕方がなかったんだと思う。

正直これに関しては、まぁそう言われましてもという感想でしかないのだが。

ただ、やはりこの忌々しい自分の特性のせいで、人を不幸にしてしまったというそんな悲しみに溢れ、より人とは違う自分の存在を呪った。


そんな母は、その後俺に音楽を押し付けることはせず、俺への興味を失ったのか、それとも俺の気持ちを尊重してくれたのか、『れんが好きなようにしたらいいよ』と、終いには言っていた。

そしてその後は今まで通り、自分の音楽へと再び打ち込んでいった。


今更だが、俺の名前は【れん】という。

【伶】と書いて【れん】と読む。

普通は『れい』と読む漢字だし、何度『れい』と間違えられたか分からない。

この【伶】という漢字には、神に仕えて音楽を献上する音楽家という意味があり、まさにピアニストとして活躍する母らしい名付けだと感じた。


「え? だって『れん』の方が、音が綺麗じゃない」


それもまさしく、音楽家のような答えだった。

俺の母は根っからの自由奔放楽観主義者で、そして何よりも、音楽を愛していた。

しかしその愛は家庭には向かず、まだ赤ん坊の六歳下の弟が泣いていても、ピアノを弾くことに熱中している母の耳には、その声が全く届いていなかったようだ。

そんな母の代わりに俺が弟の元へと走り、あやして泣き止ませる日々だった。


弟の(しん)は、俺のように脳内で常に音楽が流れているという、奇妙な体質は持ち合わせていなかった。

それを羨ましいと思ってしまうくらいには、俺は才能と呼ばれたこのうるさい雑音を、とても煩わしく思っていたのだ。


家庭を顧みず、ただ自分の好き勝手に生きる母に、俺は何度文句を言ったか知れない。

母親なんだからと、何度口うるさく言ったか分からない。

それでも、あの人は振り向かなかった。

まるで取り憑かれたように、あるいはとても幸福そうに、母はピアノを弾き続けていた。

あの人を満たせるのは、音楽だけ。

俺達の存在は、あの人を満たせなかった──。


母は言った。


「私と貴方は親と子ではあるけれど、ただそうってだけで、各々違う人間なの。だからお互い好きなことをして好きな人生を歩めばいいし、私は私のしたいことを我慢なんかしない。だかられんも、早くそういうものに出会えるといいね」


この人にとっては、それが正しい生き方なのだ。

例え親子だろうと、互いの存在が互いを縛る要因で在ってはならない、と。

だから俺が楽器を辞めると言った時も、止めることもせずただ『羨ましい』と、自分の主観の話をしたんだと思う。

まぁ、産んだ責任があるのだから、それが泣いている赤ん坊を放っておいていい理由には、もちろんならないのだが。


俺はそんな母のことを、何も縛らず何にも縛られない自由な生き方を、呆れながらも本心では憧れていた。

自分もそんな生き方ができたら、どんなにいいだろうと。

しかしそれと同時に、結局その勝手な性格に振り回されて尻拭いをするのは父や俺だった為、これだから女は、と世の中の女性全般を蔑むような思考になっていた。

女が自由に好き勝手して、結局最後にその責任を取るのはいつも男だ、という固定概念が刻まれてしまったのも、そんな母の影響だった。



そして小学校に上がってからも、俺は人付き合いを面倒臭がり、安定のぼっちスクールライフを送った。

小四になってからは、母がピアニストとして仕事が軌道に乗って忙しくなり、学校帰りに俺が弟を幼稚園に迎えに行くのが日課になった。


「にいちゃん、これ、どんぎりあげる!」

「どんぎりじゃなくてどんぐりな。ほら、危ないからこっち側歩け」

「にいちゃんがあぶなくなるじゃん」

「俺はいいんだよ。ガキが一丁前に人の心配なんかすんな」

「にいちゃんもガキなのに〜」

「うっせ」


まぁ他にやりたいこともなかったし、面倒だと言いながらも、少なからず弟の存在は可愛かった。

そして弟には、俺みたいに寂しい想いはさせたくないと思っていた。

実は寂しかったのは俺の方だったんじゃないかと、今ではそう思うのだが──。



「なぁ、腹減ったんだけど」


ピアノが置いてある防音室のぶ厚い扉には、鍵がかけられていた。


「なぁ! 夕飯は!?」


大声を出しても、声は届かない。

ピアノを弾いていると母は時間も忘れてしまう為、家事も自分でやるしか仕方なかった。

弟を連れてスーパーに買い物に行き、家族分の夕飯を作ることも、いつの間にか日常になっていた。

父も仕事で帰りが遅かった為、変に器用だった俺は掃除洗濯炊事の全てを、いつの間にか一人で熟せるようになっていた。


「ただいまー」

「おかえり。偲風呂入れるから、レンジの中のカレーチンして。あぁ、洗濯は後でやるからそっちの籠な」


家事に加えて弟の世話をし、父のワイシャツのアイロン掛けまでも熟すようになっていた。


「わりぃな、れん。でも無理してやんなくていいんだぞ?」

「そう思うんなら、あの人にビシッと言ってくれよ。そんでも母親かよって。今日もずっと防音室に篭りっきりで、家のことなんもしやしねぇ」


俺はいつも、父に母の愚痴を零していた。

それなのに父は、母に対して何かを言うわけではなかった。


「んー、でもまぁ、俺は好きだからなぁ。あいつのピアノ。惚れた弱みってやつだ」

「親父は甘すぎるんだって。子供を持ったからには、母親の責任ってもんがあるだろ。これだから女は嫌いなんだ。自分の思うまま好き勝手やって、結局最後には男が尻拭いすることになる」

「おまえなぁ……そんな言い方クラスの女の子にしてやんなよ。モテねぇぞ」

「誤魔化すなよ。どーでもいい」


別に、弟の世話や家事を誰かから強制されたわけではない。

最初は家の為に、弟の為にとやっていたことも、いつの間にか母への当てつけのようになっていた気もする。


「俺がやんなきゃ、この家回っていかねぇだろ。それに……偲が可哀想だ」


弟に、寂しい思いをさせたくない。

それは本心だった。


「できることは俺もやるからさ。偲の迎えや家のことだって。おまえだって遊びたい盛りだろ」

「いや、親父料理できねぇじゃん。洗濯や掃除だって雑だし……」

「……スミマセン」

「別に、やりたいことがあるわけじゃねぇからやるけどさ。俺はただ、あの人が自分の好きなことばっかやってんのが気に入らねぇってだけ。……あぁもう、油汚れの洗剤はこっち。コップがギトギトになんだろ」

「おまえ……ホントに母親みたいになったな……」


文句を言いながらも、別に嫌いなわけではなかった。

誰かの世話を焼くことで、自分の価値を見出そうとしていたのかもしれない。



そんな生活が変わったのは、小五の新学期。

春の嵐のような、あいつに出会った。


「なぁ! おまえもれいって名前なの?」


その声に顔を上げると、そいつは眩しい笑顔で言った。


「俺もれいって名前なんだ! 同じだな!」


──太陽みたいな奴だと、そう思った。


「……れん……」

「え?」

「……れんって読む……」


普段は面倒だから、間違えられてもわざわざ訂正しないのだが、この時は何故か、正しく伝える気になった。

俺は、おまえとは違うよ、と──。


そいつは去年までの違うクラスの時ですら、存在を知っているような有名な人気者で、要は陽キャの極みだ。

俺はこいつとは、真対角の存在だ。

俺みたいな『教室の端で外をぼんやり見ながら一人で何かを口ずさんでる暗い奴』と変人扱いされ、人を寄せ付けないオーラを出してるド陰キャとは違う。

俺とおまえは、住む世界が違う人種だよと、そう言ってやりたかった。


「あ、れんって読むんだ! ごめん間違えて! 俺は東條零(とうじょう れい)! よろしくな! れん!」


こんなふうに、素直に間違いを認めてすぐ謝れるところも、オタクに理解のある光属性の陽キャっぽくて、ますます気に入らない。

そのまま俺の机から動こうとしないそいつに、俺は痺れを切らして、黙って席を立った。


「おい、どこ行くんだよ?」


廊下に出て早歩きで撒こうとしても、そいつは一方的に話しかけながら、ネチネチと着いて来た。


「おう零! 昼休みバスケする?」

「するする! 先に行ってコート取ってて!」

「おっけー!」

「あ! 零くん! この前貸してくれた漫画ありがとう! 今日家に返しに行ってもいい?」

「あー、まだ持ってていいよ! 今度カナの家まで取りに行くわ!」


こんなふうに、そいつは廊下を歩くだけで、男女問わず四方八方から話しかけられる。

まるでスターのようで、ますます俺とは違う世界の住人だ。


──太陽は苦手だ。

眩しくて、直視できたもんじゃない。


「おーい! れん! 待って!」


そんな中、他のクラスの奴には認知されてもいないような俺の名前を呼ぶから、周りは困惑しているようだ。


「あれ誰だっけ?」

「さぁ」

「ほら、なんか一人でいっつもブツブツ言ってるって噂の子じゃない?」


みたいな声も後ろから聞こえる。

うっせぇんだよ、ほっとけボケが。


「なぁって! なんで無視すんの?」


周りに誰も居なくなった階段の踊り場で、腕を掴まれ仕方なく立ち止まる。


「いっつも一人でぼうっとしててさ。誰かと話してるとこ見たことないし、なんでそんなんなの?」


──出たよ。

俺は人気者だから、日陰の人間にも手を差し伸べられますみたいな、イメージアップキャンペーンのダシにされたくない。


──あぁ、物凄く、面倒だ。

でも大丈夫。

こんな時には、とっておきの技がある。


「音楽を聴いてる」

「え?」

「頭の中にずっと音楽が流れてて、それを聴くのに集中してるんだ」


俺の言葉に、そいつが固まる。

そりゃあそうだ。

今までこれを言って、ドン引きしなかった奴はいない。

こいつは本当にやばい奴だって、関わっちゃいけない人間だって思い直して、苦笑いしながら居なくなればいい


それなのに──


「えー! すげぇ! 何それすごいじゃん! どーゆーこと!?」


大した語彙力も持ち合わせずに、ただただ目を輝かせて、そいつは俺の不気味な特性を『すごい』と言った。

その様子に俺は拍子抜けして、思わずこっちが固まってしまう。


「でもそっかー! それで一人で熱中してたんだな。確かに、音楽聴いてる時に話しかけられたら邪魔だよな。そっかそっか」


後から分かったことなのだが、こいつは教室の隅にいる、一人ぼっちの陰キャを気遣って話しかけたわけではなく、多分本当にただただそれが疑問で、聞いてみたかっただけなんだと思う。

ただの興味本位で。

俺という存在に、興味を持って。

でも、だからこそ、救われる想いもあった。


「いつから聴こえるの?」

「……生まれた時からずっと……」

「すごっ! ずっと音楽漬けじゃん! じゃあ音楽詳しい? 楽器とか弾ける?」

「……ピアノとか、ギターとか、ベースとか……だいたい一通りは弾ける……」

「まじ!? すっげぇ! 全部じゃん!」

「べ、別に? 気付いたら小さい頃からやってたってだけだし」


そんな謙遜というか強がりも言いながら、照れて耳は真っ赤だった。


「じゃあさ! もしかして、曲作れたりもする!?」


そんなことを小学生で聞いてくる奴は、そうそういないだろう。

俺の中で何かが、カチッと音を鳴らした。

まるでその言葉を合図に、トリガーが引かれたかのように──。


「……作れるよ……」


その言葉に、そいつは肩で息を吸うように、黙って感嘆を零した。

ようやく見つけたと、やっと出会えた、と。

まるで、奇跡の出会いを祝福するかのように──。


「すごい! 小学生で曲作れるなんて天才じゃん! いつから!? 何曲くらいあんの!?」

「べ、別にすごくねぇし! 初めて作ったのは鼻歌作曲だけど五歳の時だったし、譜面にしてるのはそんなに多くないけど書き起こしてないだけで頭の中には無限にあるっていうか……とにかく別にすごくねぇから!」


ついついオタク独特の早口になって、まるで自慢しているかのような口調になっていたと思う。

素直になれないだけというか、決して自分を褒める相手を否定したかったわけじゃない。

きっとそんなんじゃなくて、いや、おまえの方がよっぽど凄いよと、本当はそう伝えたくて、口から出た言葉だったのかもしれない。

明るくて優しくて誰とでも仲良くなれて、学校の人気者のそいつが、本当は羨ましかったのかもしれない。

そしてそんな憧れの存在に凄いと認めてもらえたことが、とにかく嬉しかったんだと思う。


「よし! 今日放課後れんの家行っていい? れんが作った曲聴かせてよ!」

「はぁ!? なんで俺んち?」

「家には譜面あるんだろ? それ見たい! 音源的なものも無いの? てか楽器が家にあるんなら、弾いてるのも聴きたい! なぁ、お願い!」

「いやいや、今日初めて話したような奴、いきなり家に入れたりしねぇよ!」

「お願い! 一生のお願い!」


そんな子供らしいお願いの仕方をされて、普段から甘え慣れてる奴なんだろうと、一周回って羨ましくなる。

そして、おまえの一生のお願いをこんなくだらないことで使うんじゃねぇよと、何故かそんな心配をしてしまった自分に笑えた。


「急に言われても困るし! 俺帰りは弟迎えに行かなきゃだし!」

「弟?」

「幼稚園に弟を迎えに行かなきゃなんだ。俺しか迎えに行ける人がいないんだから、急に予定入れられても困る」


まず友達が家に遊びに来るなんて経験が、今まで一度も無いんだ。

それでテンパってるだけなのに、弟を口実にして、あたかも迷惑だと言うように誘いを断ってしまった。


「じゃあ、俺も一緒に弟迎えに行くよ! それならいいだろ? よし決まり! じゃあまた放課後なー!」

「はぁ!? 勝手に決めてんじゃねーよ!」


そんな強引で一方的な約束を取り付け、そいつは走って居なくなった。

慣れないことに、凄く疲れた。

ただでさえ同級生と話すのに慣れていないのに、この短時間で物凄く体力を使った。

台風にでも巻き込まれたような、そんな感覚だった。



その放課後、あいつは本当に着いて来た。


「れん! 早く行こうぜ!」


まるで友達かのように気軽に名前を呼び、ぐんぐんと距離を詰めてくる。

見るからに、人たらしの風格だ。


「ねぇ、今も曲流れてるの?」

「……流れてるけど」

「どんな曲!?」

「……嵐に巻き込まれて、今にも沈みそうな沈没船みたいな曲」

「なにそれ!? 歌ってみて!」

「嫌だね。ほら、歩道であんま騒ぐな」

「ケチだなー。ま、この後聴けるからいいけどさ!」


良く喋るそいつの会話に付き合いながら、幼稚園までの道のりを歩いた。


「にいちゃんのともだち!?」


俺が初めて人を連れて迎えに行ったもんだから、偲は目を輝かせて、そいつに興味津々だった。


「そそ! 今日友達になったんだ! 零って呼んでな! よろしく! 偲!」


五歳児の心を掴むのも早く、二人はいつの間にか、本物の兄弟のように意気投合していた。

まぁ、あいつの精神年齢が低かっただけかもしれないが。


そして、本当に家まで着いて来たそいつを渋々家に入れると、防音室にあるピアノに興奮していた。


「すっげー! でっかいピアノ! 早く弾いて弾いて!」

「おい! ちゃんと手洗ってからだ! 偲が真似するだろ!」

「お、おう、ごめん。……なんかれんって、母ちゃんみたいだな」

「大きなお世話だ。ほら、洗面所はあっち」


突然、弟が二人できたような感覚だった。

世話が焼ける上に、俺が母親のようだと軽口を叩く。


「それじゃ、お願いします!」


遂に逃げられなくなって、大きな溜息を吐いた後に、俺は観念してピアノを奏でた。

頭の中で流れている音楽を、そのまま指に落とし込むようにして。

目がチカチカするような眩しさが光る、底抜けに明るい行進曲。


「すごい! これ、どーゆー曲なの?」

「……おまえ見てたら流れて来た曲……」

「え、てことは俺の曲じゃん!」


それは今までに経験したことないような、不思議な感覚の音楽だった。


「……へへ、俺の曲かぁ……」


照れくさそうに、そいつは再び口にした。

俺の演奏を噛み締めるように、うっとりと宝物に触れるように。

そいつだけではない。

そいつに引っ張られて、何かが始まりそうな期待感と不安感。

緊張した時のように足元がふわふわするのに、それでも進むことを止められないような焦燥感。

全てが、初めての感覚だった。


演奏が終わって、そいつは興奮が冷めやらないというように、大きな拍手をした。


「これ、俺歌いたい! ねぇ、もっかい弾いて! 歌ってみる!」

「はぁ!? いや、そんなこと言われても、歌詞なんかねぇよ。それに同じ曲はもう弾けねぇし」


あくまで、即興で弾いたものだ。

全く同じ演奏をすることは、もう不可能だろう。


「大丈夫! やってみて!」


そう言われて、渋々もう一度鍵盤に指を滑らせる。

やはり先程とは違う、新しい旋律だ。

それでもそいつは、合わせて歌い始めた。

スコーンと突き抜ける、力強い歌声。

正直その音程は、正確とは程遠く、音楽的には破綻したものだった。

それでも、そいつの口からは、ちゃんと言葉が出ていた。

ラララなどと有耶無耶にすることもできた筈なのに、ちゃんとメッセージとしての言葉だった。

伝えたいことが有る人間なのだと、そう思った。

その歌声に、言葉の紡ぎ方に、魅せられた。

呆気に取られながらも最後まで演奏を終えると、そいつは目を輝かせて俺の手を取った。


「なぁ! 俺に曲を作ってくんない!? 俺、歌手になりたいんだ!」


その真っ直ぐな瞳の奥が、綺麗に澄みすぎて引き込まれそうになる。

この世の美しさの全てを溶かしたような、輝きを灯した色だ。

思えばこの時から、俺はもう虜になっていた。

そいつの眩しさに。

零の輝きに、魅せられていた──。


「……別に……どうしてもってんなら……いいけど……」


反射的に口から出た言葉に、自分でも驚いた。

いつもの俺だったら、問答無用で断っていた筈だ。

そんな面倒くさいこと、なんで知り合ったばかりの奴にやってやんなきゃいけないんだ、と。


──あぁ、きっとこれが、日射病というやつだ。

強すぎる光に当てられて、脳が炎症を起こしてしまったんだ。

そんな感覚になって、喉の渇きを感じた。

本当は、渇望していたのかもしれない。

自分の音楽を、自分の言葉を、代わりに叫んでくれる人を──。



それから零は、学校帰りに毎日のように家に来た。

一緒に偲を迎えに行って、そのまま夕方までの時間を共に過ごすのが、日常になった。

俺のピアノに合わせて、零が歌声を重ねる。

一人ぼっちだった日々が、そんなふうにして輝き出した。

家事や弟の世話は相変わらず忙しかったが、それさえも創作の糧だと感じられるようになった。

零に出会ってから、創作意欲が溢れて止まない。

零に歌って欲しいメロディーが止めどなく脳内を駆け巡って、次々と新しい曲が生まれていった。


「すっげーよれん! この曲も最っ高! まじで天才だよ!」


俺の渾身の自信作を聴く度、零は目を輝かせて褒めちぎった。

その称賛の言葉を貰う度、俺はちっぽけだった自尊心が満たされいく心地良さを感じた。


俺が作った曲に、零は歌詞を付けた。

今まではただただ音階として流れていただけのメロディーが、言葉を乗せることで、それは物語になった。

絵本のような、小説のような、手紙のような、誰かに何かを伝える為の手段になった。

それを零が歌うことで、まるで自分の心の内を代弁してくれているような、そんな気持ちになった。

こんな感覚は初めてだ。

自分の中にだけに留めていた音楽を、零が歌にして形にしてくれる。

雑音だと思っていた脳内の音が、いい迷惑だと思っていたこの特性が、初めて人の為になれたような気がして嬉しかった。


零と共に形にすることで、初めて雑音がちゃんと『音楽』へと昇華し、生まれ変わったのだ。

初めて誰かと作品を作り上げる感動に、俺は病みつきになった。

毎日毎日、将来の夢を語り合うようにして、未来の自分達を想像していった。


「いつかデビューしたらさ、やっぱライブがやりたいよな!」

「ライブねぇ。でも今時、人前に出なくてもアーティスト活動してる奴はザラにいるけどな」

「生のライブがいいんだよ! お客さんの前でステージに立ってさ、スポットライト浴びて、ダンスを踊って、観客に手を振ったりするんだ!」

「そんなにいいもんかねぇ。ま、おまえは華があるからな。ステージ映えしそうだ」


いつか俺が眩しさを覚えたように、ステージに立つ零は、さぞかし輝いて見えることだろう。

世界中に知らしめたい。

太陽は、ここに在るのだ、と──。

こいつの夢を、俺が叶えてやりたい。


「なぁ、やっぱりれんも一緒に歌おうよ! デュオの方が絶対かっこいいって!」

「は? 馬鹿言え。俺は目立つの嫌いだし、別に歌うこと自体は好きじゃねぇよ」

「でも歌上手いじゃん! いつも俺に教えてくれるし! 二人で歌って踊ってさ、一緒にステージに立とうよ!」

「いやいやダンスとかぜってー無理だわ。あんな人前で晒し者になるのなんてごめんだ」

「でもリズム感あるし、スポーツも苦手じゃないじゃん! ほら、ダンスは俺が教えてあげるから!」

「だから……やんねぇって……」


心底面倒そうな顔をして、零の手を振り払おうとした。

それでも零は目をキラキラ輝かせながら、俺の手をぎゅっと握って離さない。


「ねー! お願い! 一回だけ! 一回だけ一緒にやってみて! 一生のお願い!」

「ったく、おまえの一生は何回あんだよ……」


俺はこのモードの零に弱い。

まるで零は、自分が世界中の全ての人に愛されていると知っているかのように、甘えた子供らしい口振りで我儘を言う。

誰もが皆、自分のおねだりを聞いてくれると確信しているかのように。


「だーっ! わぁったよ! 一回だけだかんな」

「やった! じゃあまず基本ステップからな!」


こんなふうに、いつも零のおねだりに振り回され、絆されていた。

小学生にして諦めを孕んだ冷めた目をしている俺にとって、零は本当に純真無垢な子供のような存在だった。

振り解ける筈が無い。

弟にせがまれるのと同じように、最後には折れて付き合ってしまう。


「ほら、できるじゃん! やっぱれん、センスいいよ!」

「……はぁ……めっちゃ疲れる……」

「背中合わせで踊ってさ! アイドルみたいにウィンクとかすんの!」

「ぜってー無理!」


嬉しそうに未来の夢を語る零を見ても、俺は一緒にステージに立つことは想像できなかった。

太陽は、唯一でなければならない。

俺のような影が隣にいては、その輝きを遮り、光を鈍らせてしまう。

俺の居場所は、ステージ袖の暗闇でいい。

ステージで輝く零を、客席よりも一番近い袖から見守る。

そしてステージを降りた零の背中を、一番最初に叩いてやるのだ。

こんな特等席は無いだろう。

それは自虐ではなく、寧ろそれが俺の夢だった。

デュオとして共にステージに立つのではなく、自分が媒体としてではなく、作品として零の一部となりそれを支えたいのだ。

今思えば、未来に胸を弾ませ夢を語らっていたこの頃が、人生で一番楽しかったかもしれない。

零と俺、二人だけで世界が完結できる幸せが──。



「おい、これ次の曲な」

「え、もう新曲できたの? めちゃくちゃペース早くない?」

「こんくらい普通だろ。デビューしたらこんなもんじゃないぜ?」


いつからか、零よりも俺の方が、活動に意欲的になっていた。

毎日毎日放課後が音楽漬けになったことに対して、零は言い出しっぺのくせに、げんなり顔をした。


「なぁ、たまにはさ、音楽じゃないことしてもよくない?」

「は? なんでだよ。そんなん時間の無駄だろ」

「いやいや、創作には大切なことだよ? いろんなものを見て、いろんな経験をして、それを創作の糧にするのが、真の創作者なんだって」


零のその物言いがやけに説得力があって、なんだかそんな気にさせられてくる。


「そ、そうか……? そーゆーもん?」

「そうだよ! だからほら、今日は一旦音楽のことは置いといて、外遊び行こ! 景色が綺麗な秘密基地とか、誰も知らない猫の溜まり場とか! 俺が案内してやるよ!」

「あぁ……ちょっと……」


零は強引に俺の手を握って、太陽の下を全速力で駆けて行く。

本当はサボりたいだけだったかもしれないが、そんなもっともらしい創作論を持ち出されたことにより、俺はまんまと零の口車に乗せられて、零の世界へと連れ出されてしまった。

まだ見たことのない、俺が知らない世界は、楽園そのものだった──。


零に連れ回されるがままに、山に秘密基地を作ったり、学校帰りに隣町まで寄り道したり、夏休みにはちょっとした冒険に出かけたりもした。


「れん! 早く来いよ!」

「わぁってるよ!」


陽の下に出て駆けずり回って、世界にはまだまだ知らない素敵な景色が広がっているのだと知った。

自分には縁の無いものだと思い込んでいた、『愛』と呼べるものに近い存在を、零からたくさん教えてもらった。

零は初めての友達にして、親友と呼べる存在だった。

そんな零の夢を、心から叶えてやりたい。

気持ちが悪い自分の能力は、この為に与えられたのだと、そう自負してしまうほどに──。



零をアーティストとしてデビューさせる為、俺はDTMソフトを使い、打ち込みの音楽を勉強した。

幼少期から様々な楽器に触れて、音楽を本能で理解していた為、モノにするのは早かった。

完成した曲に零が歌詞を付けて、零のオリジナル曲第一号は、すぐに出来上がった。

親に初めて我儘を言って、高い機材を買ってもらい、防音部屋で簡易的なレコーディングも済ませた。

そしてMIXの知識も一から勉強し、遂に動画サイトに曲をアップすることになった。

アーティスト名は、【Ray(レイ)】だ。

零が前々から考えていたものらしい。

意味は、一筋の光。

まさに、零に相応しい名だと思った。


「どうしよ、いきなりバズっちゃったりしたら」

「そんな甘くねぇよ。でも自信作だからな」


緊張しながら、投稿のボタンを押す。

二人だけのものだった音楽が、全世界に放たれていく。

まるで、子を見守る親の心境だった。


そうして緊張しながらも投稿した曲は、残念ながら、いつまで経っても再生回数を伸ばさなかった。

まぁ初めてだからこんなもんかという想いと、もっと勉強しなければという前向きな気持ちがあった。

しかし、その数週間後。


「……なんだよこれ……」


俺が作った曲とほぼ同じメロディーの曲が、別人のアカウントから投稿されていた。

しかも再生回数も多く、多くの高評価が付いている。


「こんなの盗作じゃねぇか! ふざけた真似しやがって!」


世の中に作品を発信するということは、残念ながらこういうことも起こりかねない。

一人で作った音楽なら、まだ耐えられたかもしれない。

しかし零と初めて形にして生み出した作品を、こんな最低な形で汚されて、我慢できる筈が無かった。


「音楽の価値なんかこれっぽっちも分からねぇど素人が、俺達の音楽を汚すんじゃねぇよ!」


ここでこのアカウントに詰め寄って、抗議したり訴えることはできたかもしれない。

ただ俺はそれ以上に、そいつに思い知らせたくなった。

人が丹精込めて作った曲を、生み出した作品を、こんな奴に苔にされてたまるかと。


「……見とけよ……。絶対に見返してやるからな……!」


それからは今まで以上に躍起になって、投稿内容自体にも拘った。

タイトルだけではなくサムネイルのイラストも用意し、盗作されぬよう概要欄にも細かく書き込みをした。


最初は、零と作品が作れるだけで満足だった。

でも今は違う。

零を、本物の歌手にしてやりたい。

俺達の音楽を、世の中に認めさせてやりたい。


そしてそんな活動が実を結び、三曲目に投稿した曲は、見る見るうちに再生回数を伸ばして行った。


「見ろよ零! 一週間で十万再生だ! 数字がどんどん伸びてる!」

「すごい! こんなにたくさんの人が、俺達の曲を聴いてくれてるんだ! すげぇよ! 俺達二人なら、最強じゃん!」

「こんなもんじゃねぇよ。まだまだ伸びる。この調子で次の曲も早くアップしねぇとな。バズってからの投稿ペースが肝なんだ」


投稿サイトの所謂バズりの鉄則も、俺はしっかり勉強していた。

注目されている今だからこそ、飽きられる前に次の展開を出力しなければならない。

しかし、零は数字にはあまり興味が無さそうだった。


「俺は、今はれんと一緒に音楽できてるだけで、充分楽しいけどな」

「何無欲なこと言ってんだよ。歌手としてデビューすることが目標なんだろ。俺が必ず、おまえを一流のアーティストにしてやるからよぉ」


零はただ、歌える今の状況に満足しているように見えた。

俺はただ、認めさせたかったのだ。

俺達の作る音楽が、素晴らしいこと。

零の歌が、素晴らしいことを。


きっとこの頃、俺達の互いの手段と目的は、同じタイミングで真逆に入れ替わってしまったんだと思う。

歌手になることが目的で俺を誘ったのに、いつの間にかそれよりも、俺と音楽を作る楽しさに魅了されていった零。

誰かと共に創作できることが嬉しかったのに、いつの間にかそれよりも、零を歌手にするという目的だけしか見えなくなった俺。

そのことに、あの頃の俺達が、もう少しだけ早く気付いていられたのなら──。



俺は盗作の屈辱を晴らすように、次々と新曲を投稿していった。

読み通り、そのどれもがどんどん再生回数を伸ばしていき、業界ではちょっとした有名人になっていた。

これは不本意ではあったが、小学生で作曲からMIXまで全て自分達で熟しているということも話題になっていた。

ボーカルとトラックメーカーの小学生二人組ということを公開してからは、注目度も増したように思える。

大人と同じ土俵で戦える気ではいたが、再生回数を伸ばす為に、使えるものは使っていかなければと思ったのだ。


「コメントもたくさん来てるよ! 【レイの歌を聴いてると元気が出ます! 次の新曲も楽しみ】だって!」


ファンがついたことで、再生回数だけでなく、感想の書き込みも増えていった。

しかし当然、いい意見ばかりではない。

知る人が多くなった分、所謂アンチコメというものも次第に増えていった。


「あ……。【ガキのお遊戯ってかんじでダサい】とか、そこまで言わなくてもよくない?」

「有名税ってやつさ。それだけ俺達の音楽が多くの人に聴かれてるって証拠だろ。批評してんのは、音楽のことなんかロクに分からねぇ素人さ。センスがねぇんだ。気にすんなよ。それより次の曲録ろうぜ」


俺はアンチコメに対しては、そこまで気にならなかった。

こういう奴はどこに行っても一定数いるし、何より俺達の音楽の良さが分からない憐れな感性の持ち主だと、心底同情し見下していた。

それでも、心優しい零には、かなりダメージが大きかったようだ。


【曲は良いのに、歌下手すぎじゃない? ボーカルが明らかに足引っ張って曲を台無しにしてる。もっと売れて欲しいならボーカルを変えるべき】


零が口にできなかったそのコメントを、俺は見ることもしなかった。

そして、見逃した。

零が心底、傷付いていることを──。



中学に上がって、俺は今まで以上に投稿のペースを上げた。

寝る間も惜しんで曲を作り、深夜の音楽番組で紹介される程に、知名度も確実に上げていった。


レコーディングのペースも上がっていき、零は少し疲れている様子だった。


「喉の調子わりぃのか?」

「……あぁ、なんか喉が締まるかんじがして。声変わりのせいもあるかもだけど」

「まじかよ。俺はまだだってのに、ずりぃな」


この頃零は急激に背が伸びて、声も出し辛い様子だった。

いつか来ることは分かっていたが、今までのようなハイトーンボイスは出せなくなるだろう。


「……なぁ、声変わりしたら、今までの曲歌えなくなっちゃう?」

「別にキー下げればいいだけの話だろ。そんな悲観することでもねぇよ。てか、フツーに羨ましい」

「何が?」

「おまえのが大人になってくこと。俺はまだなのに、置いて行かれてるかんじがする」


ガラにもなく拗ねたような口振りの俺を見て、零は揶揄うように笑った。


「ははっ、可愛いこと言うじゃん。大丈夫、まだ下の毛は生えてないよ」

「ばっ……! そんなこと聞いてねぇだろ! てか言わんでいい!」


茶化されて取り乱す俺を満足そうに見つめた後、零は少し遠くを見るような目をした。


「俺は大人になりたくないなぁ……。ずっと子供のまま、何も変わらないでいられたらいいのに……」

「何言ってんだよ。子供の方が不便だろ。大人になったら全部自分達で決められるし、全部自分で責任が取れるんだ。俺は早く大人になりてぇよ」

「れんは大人ってか、ずっとオカンみたいなかんじだけどな」

「るせぇ。いつかおまえの背も追い越してやるからな。そのつむじを見下ろす日が楽しみだ」


その時は、まだ知らなかった。

零の葛藤を。

何故、大人になりたくないなんて、あの日零したのかを──。



そして中一の夏、とある音楽レーベルから、一通のメールが届いた。

うちのレーベルから、デビューしないかという内容だった。

しかもその音楽レーベルは、零が憧れていたところだったのだ。


「すごいじゃん! 俺達遂にデビューだよ! やったな!」

「慌てるなって。まずはちゃんと、詳しい話を聞いてからだ」

「なんでそんなに落ち着いてるんだよ! 俺達の夢が叶うんだよ!? もっとはしゃごうぜ!」


俺は冷静を装いつつも、本当は心の底から安堵していた。

これでようやく、零の夢を叶えてやれる。

俺の理想の世界が、すぐ目の前まで来ている、と──。



「……それはつまり……どういうこと……ですか?」


連絡を寄越した音楽プロデューサーに一人で会いに行った俺は、その言葉を聞き、耳を疑った。


「ですから、貴方の作曲の才能は素晴らしいんです。ですのでうちの事務所の新人と組んで、デビューしていただけませんか?」


話を聞くと、スカウトしたかったのは、元々俺一人だと言うのだ。


「どうして、今のままじゃダメなんですか」

「正直なところ……歌唱力は並のレベルだと思うんですよ。貴方の才能を活かすなら、他の人と組んだ方がいい」

「……っ! 大きなお世話だ! こんなとこ、死んでもお断りだ!」


もう話にならないと、俺は名刺を突き返して踵を返した。


「……ったく、何言ってやがる……。俺はあいつの為に曲を書いてるっつーのに……。これだから見る目のねぇ奴は…」


しかし俺の帰りを今か今かと待っていた零は、スカウトを断ったことを告げると、信じられないというように固まった。


「……は? 断った……?」


無理もない。

憧れのレーベルからのスカウトだったのだ。

だが、本当のことを伝える必要もない。


「なんで? なんかまずかった?」

「別に。なんとなく気に入らなかっただけだ」

「いやいや何言ってんだよ! なんとなく気に入らなかったってなんだよ! ふざけてんのか!? 俺が憧れてたとこだって知ってるだろ!?」


もう少し、マシな誤魔化し方があっただろうとは思う。

だがそんなことに言葉を尽くしたくないくらいには、俺も腹が立っていて、早くこの話題を終わらせたかった。


「るせぇな。それより次の曲録ろうぜ。もうストックが無くなって……」


目を逸らして適当に流そうとする俺の胸倉を、零は凄い力で掴んだ。


「ふざけんなよ! 気に入らねぇってなんだよ!」

「気に入らねぇもんを気に入らねぇっつって何がわりぃんだよ!」


その時、右の頬に衝撃が走った。

思わず頬を押さえて、零に殴られたのだと知る。


「馬鹿野郎!」


短くそう言って、零は去って行った。

それでも、俺はこの時の選択が間違っていたとは思わない。

口の端が切れていて、吐いた唾には血が滲んだ。


「……クソがっ!」


言葉は難しい。

この時の俺は、どう伝えれば良かったのだろう。

俺達には音楽さえあれば、想いは通じ合えると信じていたのに──。



それからしばらく、零は家に来なかった。

学校で擦れ違っても、気まずそうに目を逸らす。

殴りかかられたり、罵声を浴びせられる方がまだマシだ。

無視されたままでいるのは、心苦しくて耐えられなかった。


この前は、確かに言いすぎたかもしれない。

本当のことは伝えないにせよ、もう少し言い方があったかもしれない。

友達と喧嘩するのは初めてだ。

だから当然、仲直りの仕方も知らない。


「……ごめん……あの時は言い過ぎた……だから……」


──赦して欲しい。

また一緒に、音楽をやろう。

小声で何度も何度も壁に向かって練習を繰り返して、その放課後、勇気を出して零を呼び止めた。


「……その……悪かった……」


その声は練習よりも短く、小さな声になっていた。

零は怒っていなかった。

大きく息を吐き出して、諦めるように肩を落として言った。


「もういいんだ……」


零も同じように、小さくか細い声をしていた。

その表情は、失望に満ちていた。


「もういい……。俺の為だったんだろ。あの後、電話して確認したんだ。俺はいらないって、才能があるのはれんだけだって、ハッキリそう言われたよ……」

「……っ! あいつの目が節穴なだけだ。別にレーベルと契約なんかしなくたって、俺達二人でやっていける。また新しい曲を作ろうぜ」


分からない奴には、分からないままでいさせておけばいい。

いつか売れて、実力で見返して、俺達を逃したことを後悔させてやればいいんだ。


「……いや……。もう、音楽も辞める……」

「……は?」


零の言葉に、耳を疑った。

どこかのクラスが歌っている合唱の声が、遠くで滲むようにぼやけていく。


「……何言ってんだよ。こんなことで諦めんのかよ。たった一人に認められなかったからってなんだ。気にすることじゃない」

「一人だけじゃない。みんな言ってる。おまえの才能は凄い。俺が足を引っ張ってるって。おまえ一人だけの方が、よっぽどいいんだよ」

「そんな声に惑わされんなよ! そりゃ素人は好き勝手言うさ! 俺がおまえに才能があるって言ってんだ! それが信じられねぇっつーのかよ!」


必死の説得も、意を決した零には届いていないようだった。

零が音楽を辞めるなんて、有り得ない。

そんなことをしたら、俺の存在意義まで無くなってしまう。


「……俺さ、両親の為に、歌手になりたかったんだ……」

「……え?」


それは、初めて聞くことだった。

ここ数年、毎日のように一緒の時間を過ごしてきたというのに。


「……いっつも喧嘩ばっかの二人が、俺が歌ってると一緒に笑ってくれるから……。俺が歌手になって、二人が一緒にライブに来てくれることが……俺の夢だったんだよ……。でももう……それも叶わない……」

「……そんなのやってみねぇと……!」

「離婚するんだ」

「……っ!」


零は、俯き泣いていた。

──知らなかった。

太陽のように底抜けに明るい、彼のこんな姿を。


「……大人なんて勝手だよな……。俺のことなんかなんもお構いなしに、大事なことは全部大人達だけで決めて……。それなのに俺……必死になって……馬鹿みたいだ…」


零の告白を、俺は返す言葉もなく、ただ黙って聞くしかなかった。

零の夢の理由が、そんな悲しいものだと知らなかったから。


「ちょっとチヤホヤされたくらいで、自分には力があるなんて思い上がって……夢見ちゃってさ……。その力だって、ほとんどおまえだけの力だったっていうのに……」


この時の零の悲しみを、苦しみを、今の俺なら分かってやれたと思う。

もっとマシな言葉をかけられたんじゃないかと、何度も夢に見て思う。

──ただ、俺もまだ子供だった。


「……ばっかじゃねぇの? おまえ、そんなことの為に音楽やってたのかよ……」

「……そんなこと……?」


止まれと体の奥から合図が出るのに、頭に血が登っているせいで、それは止まってくれはなかった。

堰を切ったよう、言葉が溢れ出してくる。


「両親の為? 知らねぇよそんなもん! じゃあ俺はどうなるんだよ! 俺の……!」


俺の夢はどうなるんだ。

俺の想いは。

おまえを歌手にする夢は、生き甲斐は。

こんなに夢見させられて、一方的に終わりにさせられるなんて。


「今更、音楽を辞めるなんて絶対に赦さねぇ。おまえは俺と音楽を作るんだ! そう約束したじゃねぇか!」


──俺は、選択を誤った。

零の苦しみよりも、自分の保身の方が先立ってしまったのだ。

この時、ここまで音楽を強要しなければ、俺達は親友のままでいられたかもしれない。

それでも俺は、二人を繋いだ音楽が無くなってしまえば、俺達の縁も切れてしまう気がしたんだ。


「……おまえは才能あるんだ。一人でも、誰とでもやっていけるだろ。じゃあな……」


冷め切った目でゆらゆらと離れて行く零を、俺は追いかけることができなかった。

足が地面に張り付いたように、どうしても動いてくれない。


「……ちくしょう……!」


この時、言えれば良かった。

俺の為に歌ってくれ、と──。

しかしそんなくさいセリフ、口下手な俺に言えた筈がない。

俺の感情に揺さぶられて、頭の中を激しい雷雨のような音が駆け巡る。

押さえ切れない激動を、悔しさを、今は曲にしようとは思えなかった──。



それからの零は荒れていた。

両親が離婚して、母親と二人で暮らすようになったのも束の間、すぐさま再婚して、新しい父親とその連れ子との生活が始まったようだ。

当然そこに零の居場所は無く、夜遅くまで家に帰らずフラフラしていた。

そのうち高校生と連むようになり、絵に描いた不良のように、学校を休むことも増えていった。


「にいちゃん。れいくんともうあそばないの?」

「るせぇよ。いろいろあんだよ」


ここで俺も、キッパリ音楽を辞めていられたら良かった。

それでも、やはり諦め切れなかったのだ。

あいつを失えば、人生の全てを失う気がしていた。

初めての友達、初めての親友。

夢を分かち合った、初めての相棒。

そんなふうに思っていたのに。

夢からまだ、醒めたくなかった。


「零!!」


お節介だと分かりつつも、俺は何度も零に会いに行った。

いや、お節介というより、自分が失うのが怖かっただけなのだ。

あのかけがえのない日々が、俺にとっては、紛れもなく青春だったから。


「おい! 煙草なんか吸ってんじゃねぇよ! 喉にわりぃだろうが! 一体何やってんだよ馬鹿野郎!」


高校生の中にいる零は、俺の知らない人間に思えた。

やつれ切った顔に、冷めた目。

まるで、昔の俺のような──。


「なんだこいつ。おまえの友達か?」」


高校生の問いかけに、零は俺の目も見ず、冷たく言い捨てた。


「友達じゃない」


その一言で、滾っていた血は、一瞬にして凍りついた。

世界中の音が突然途絶えて、蝉の声だけがやたら煩く聞こえる。

真夏の灼熱のせいで、頭がおかしくなってしまったのかと思った。

それほどまでに、信じられない、聞きたくない言葉だった。


「行こうぜ」


振り返ることもなく、零の背中が遠ざかって行く。

力が抜けて倒れ込みそうになりながらも、必死に拳を握り締めて、力の限り叫んだ。


「……っふっざけんなよ! おまえが始めたことだろうが! 勝手に巻き込んで、無責任に放り出してんじゃねぇよ! クソが! 死ね!」


そこまで吐き出して、唇を噛み締め、終いには涙が出ていた。

恨み言を吐いたところで、俺の親友はもう戻らない。

それでも、叫ばずにはいられなかった。

勝手に陽の下に引き摺り出しておいて、消えない光を教え込ませておいて、こんなに呆気なく一人影に取り残していくなんて、あんまりじゃないか、と──。


「にいちゃん、ぼく、れいくんにあいたい」

「うっせー! あんな奴もう友達じゃねぇよ!」


その日は布団に包まって、声を押し殺して泣いた。

音楽を辞めると言われた時よりも、相当堪えた。


『友達じゃない』


あの声が、耳奥で響いて離れない。

怒りより、傷付いていた。

初めてできた、唯一の親友だったのだから──。



それからしばらくして、零は完全に学校に来なくなった。

昼間は高校生と街で悪さをしているだとか、夜は何か良くない仕事をさせられているだとか、様々な噂を耳にした。

それでも俺はもう、どうすることもできなかった。

俺はもう、あいつの友達じゃない。

俺の為に歌ってくれる零は、もういない。

あの日々は、きっと夏の陽炎が見せた幻だったんだ。

友情なんて、ハナっから俺の人生には縁が無かったものだ。

一時の夢幻だと思って、忘れてしまおう。

俺と零は、完全に決別した──。



そしてあれは、中二の秋のだった。

パトカーと救急車のサイレンの音が煩く、騒がしい夜のことだった。

何か嫌な予感と、良くない胸騒ぎがした。

気付けば、家を飛び出して走っていた。

確信があったわけじゃない。

それでも、そこに居る気がしたんだ。


「……零!」


踏切の前で、肩で息をしている背中に名前を呼んだ。

零は振り向かない。

その震える右手には、刃物が握られていた。


「……おまえ……っ!」


──何も聞けなかった。

その背中が、あまり小さかったから。


「……どうして……こうなっちゃったんだろう……」


声だけで、泣いているのだと分かった。

いつか太陽と呼んだその男は、今の姿には全くその面影がない。

世界を照らすのではなく、夜の闇に身を隠すように、ただポツンと佇んでいた。


「俺はただ……。家族を繋ぎ止めたかっただけなのに……」


いつか俺が投げかけた『そんなことの為』に、零は人生を懸けていた。

そんな心の闇にも気付けずに、勝手にあいつを太陽だと決めつけて、俺の理想を押し付けた。

そして、燃え尽きる時を見逃した。


「でもさ……。やっぱり……れんと一緒に音楽作って……それを歌ってさ……。それが楽しかったのは……間違いなかったのに……」


嗚咽しながら想いを口にする零に、俺は微かな希望を宿した。

まだ、取り戻せるかもしれない、と──。


「両親の為とか、世間の声とか、そんなこと関係なしに、あの時間が楽しかったんだって、どうして……気付けなかったんだろう……。もっと早く……気付いてたら……」


俺こそ、もっと早く気付いてやるべきだった。

気付いて、手を差し伸べてやるべきだった。


「今からでも遅くない。もう一度、俺と音楽をやろう。おまえがいなきゃダメなんだ」


──ようやく、言えた。

素直に口にできなかった言葉を、ようやく伝えられたと、そんな達成感すらあった。

今度こそ、届く筈だ。

見栄もプライドも捨てて、もう二度と手離すもんかと手を伸ばす。


「……俺は……もう無理だよ……。人を刺したんだ……。こんな俺に、人の心を動かす歌なんて歌えない……」


目の前の踏切から、カンカンカンカンと音が鳴る。

警告を知らせる遮断機の赤い光が、零の服にべっとり着いた血を隠していく。


「れん、お願い。一生のお願い」


振り返った零の顔は、赤い光に包まれた顔は、もう一度太陽のように眩しく思えた。


「音楽を、辞めないで。俺の大好きなれんの曲を、ずっと作り続けて」


その返事も待たずに、遮断桿の下を潜る零の姿はスローモーションに見えた。

まるで鳥居を潜る前に、丁寧にお辞儀をするかのように、それはそれは美しい所作だった。

俺がまだ越えることのできないその境界線を、零がいとも簡単に飛び越える。

こんなたった一本の棒切れで、俺と零は世界を別たれてしまった。


「れい──」


親友を呼ぶその声は、電車の音に掻き消された。

甲高い急ブレーキの音と、車輪が回る音。

強い風が吹き抜けて、目の前の景色が弾かれる。

世界に置いて行かれてしまったように、何が起きたのか分からないまま、カンカンカンカンという音だけが、脳内に響いていた──。


そこからの記憶は、途切れ途切れだ。

一歩も踏み出せないまま、その場に跪く。

自分が何かを叫んでいると思うのに、全ての音が掻き消されてしまって聞こえない。


知らぬ間に救急車が駆けつけて、青いビニールシートが赤く染まっているのが見えた。


──即死だった。



零は高校生達の喧嘩に巻き込まれて、揉み合ううちに人をナイフで刺してしまったらしい。

その相手は救急搬送され一命を取り留めたが、それでも零の前科は免れなかっただろう。

そのことに絶望してしまうくらいには、未来が閉ざされてしまったと嘆くくらいには、まだ微かに残っていたのかもしれない。

歌手になりたいという夢が。

様々な絶望に追い討ちをかけて、もうそれも叶わないと、人生に見切りを付ける最後のピースになってしまったのかもしれない。



何が起きたのか分からないまま始まった事情聴取は、もはや尋問だった。

警察の聴取室に入れられて、偉そうな大人達から囲まれて、ひたすら質問を投げかけられる。

どうしてあの場所に居たのかとか。

一連の事件に関わっているんだろうとか。

最後にどんな会話をしたのかとか。

何故、自殺を止められなかったのか、とか──。


「友達だったんだろう? 彼の様子がおかしいことに、もっと早く気付けたんじゃないか?」


それが意味するのは、こうだ。


『おまえのせいで、死んだんだ』


そんなこと、俺が一番思ってるのに。

もっと必死に、止めれば良かったと。

何度突き放されたって、会いに行けば良かったのに、と──。


仕舞いには、零の母親まで出て来た。

当然と言えば当然なのだが、会うなり物を投げつけられて、呆然とする俺に向かって叫んだ。


「なんでよ! なんであの子が死ななきゃいけなかったの!? あんた零の友達だったんでしょ!? なのになんで……! なんであの子が……!」


正直、おまえがそれを言うのかよと、言い返してやりたくなった。

零が誰の為に、なんの為に歌手になるという夢を叶えようとしていたのか。

そしてその夢を諦める決定打となったのは、一体誰のせいだったのか。

俺達の夢は、あんたら身勝手な大人のせいで、打ち砕かれたんじゃないか、と──。


「この人殺し! あんたの方が死ねばよかったのに! 返してよ! 私の零を返して!!」


その言葉が、心臓を突き刺したと分かる。

零が握り締めていたような鋭く尖ったナイフが、一突きで心臓の奥の奥まで届いた。

グサッと鈍い音が聞こえて、口から血を吐き出しそうになる。

比喩表現なんかじゃなく、このまま本当に死んでしまえたら良かったのに。

そうすれば、その後の地獄を味わうこともなかったのに──。


──そう、こんな時でさえ、俺はまだ、ちっぽけな保身と自尊心を手離せずにいた。

大人達に制裁を下すつもりで、責任をなすりつけるつもりで、こう言い放った。


「……友達じゃない……」


零に言われたその言葉を、当てつけのように今度は俺が吐く。

──だって、俺だって傷付いた。

初めての友達に、心から親友だと思えた相手に、そんなふうに突き放されて、悲しかった。


しかしその言葉を口にした瞬間、もう一度グサッという音が、確かに耳奥で響いた。

心臓の奥まで突き刺したナイフを、今度は目一杯引き抜いた音だ。

刺されて裂かれた大きな傷口から、とめどない量の血が飛び散っていく。

身体の全ての血を吐き出して、この体を死へと誘っていく。

それと同時に、俺の中で、何かが音を立てて崩れていくのが分かった。

唯一無二の親友が死んで尚、俺は自分の意地とプライドを護ろうとしている。

そんな浅ましい自分の姿に、死ぬほど絶望した──。



暗い部屋の中で、ただ呆然と息をする。

死にたくなるような拷問から解放されて、俺は虚しさを覚えていた。

最初から、大人に期待なんてしていない。

それでも、零の死の責任を必死に誰かに押し付け合おうとするその様を見て、心底憎らしいと思った。

そんな俺も、大人に頼ればなんとかしてもらえるかもしれないという、子供みたいな甘えや欲が、少なからずあったのかもしれない。

悪いのは君じゃないよと、そんなふうに優しく声をかけてもらえることを、もしかしたらどこかで期待してしまっていたのかもしれない。

俺だって、傷付いた被害者なんだ、と──。

俺と音楽をやりたいと思った理由だって、最初から両親の為だけだった。

そして心を預けていた唯一無二の親友に、友達じゃないと言われ、裏切られたんだと。

この心に空いた穴は、一体誰が埋めてくれるのか、と──。


しかしそれらは、結局全部ブーメランだ。

誰かを責めようとすればするほど、それと同時に、自責の念が膨れ上がっていく。

結局俺も、俺が最低だと罵った大人達と同じだ。

誰かに責任をなすりつけたくて、自分は悪くないと言い聞かせたくて、自分を正当化する為に被害者ぶって、だらだと言い訳を並べている。

そんな自分に、死ぬほど嫌気が差した。


何もできないまま暗闇を見つめていると、死んだみたいに体が冷たく感じて、心が空っぽになるのが分かった。

心が死んでしまっていて、涙すら出ない。

こんな時は、痛いほどの沈黙に耳が痛くなるものだろう。

しかし俺の人生に、沈黙など存在しない。

耳の奥では、いつものように音楽が鳴る。

激しい嵐のような、雷鳴を轟かせるような、それでいて真夏の日差しを感じさせるような、忙しないメロディー。


「……うるせぇ……!」


心はとっくに死んでいるというのに、俺の頭の中は、新しい音楽に溢れていた。

一時の静寂も赦さず、煩い雑音を響かせる。


「……うるせぇうるせぇうるせぇ! 静かにしろ! クソったれが!」


こんな時でさえ、俺に曲を作れと言うのか。

俺達を苦しめた音楽を、こんな時でさえ生み出せと言うのか──。


「……こんなもの……なければ……!」


──零は、死ななかった。

俺みたいな日陰者と関わることもなく、太陽のまま明るい人生を送ることができた筈だ。

俺があの輝きを、鈍らせてしまった。

昼を飲み込む暗闇のように、世界ごと夜に変えてしまったんだ。

日陰者は日陰者らしく、部を弁えて暗い部屋に一人で閉じ篭っていれば良かったんだ。

光に当てられて、日射病を起こして、頭がおかしくなって浮かれ上がって、こんなことになった。

還るべき場所に、還るしかない──。



暗い闇の中、俺は踏切の前に立っていた。

焦点が合わないままぼうっとして、決めていた。

次の電車を待って、線路に飛び込む、と──。


しかし──


「……っ!」


遮断機の信号が光って、あの音が鳴る。

カンカンカンカンと、あの時と同じように。

その音を聴いた途端、恐怖で体が固まった。

全身の血が凍り付いて、寒くなって体が震え出し、竦んだ足は自分のものでなくなってしまったように動かないまま、地面に張り付いていた。


目の前を、凄いスピードで電車が走り去る。

遮断桿が上がって、カンカンカンカンという音が鳴り止むと、金縛りから解放されたように体が動いた。

絶望して、その場で膝を付く。

──俺は、死ぬことすらできない。

親友を殺して、そんな自分に絶望して、心はとっくに死んでいるというのに、この体は死ぬことすら赦してくれない。

こんな時でさえ、死を拒み(せい)を求めようとするこの浅ましい体を、心の底から憎んだ。

自分の不甲斐無さと、自分の愚かさから、目を背けたくて仕方がなかった。

死んだ親友の償いの為に、自分の命を差し出すことすらできない──。


その瞬間、頭の中でプツンと音がして、何かがガラガラと音を立てて、崩れ散っていった。


「……やってられっかよ……」


不意にそんな言葉が口から出て、全身の力が抜けていくのが分かった。

諦念に身を委ねながら、それでも僅かな思考を手繰り寄せて、そして誓った。

──俺はもう、誰にも期待しない。

他人は疎か、自分自身にも。

そして俺が絶望した、零が絶望した、あんな醜い大人達のようには、絶対にならないと。

いつかまた、この場所で向こう側に渡るその時まで、この憎しみを手離さずにいる、と──。


自ら死さえ選べない体たらくな塊を引き摺って、俺は自室に閉じ籠った。

もう二度と、誰かと交わったりしない。

影は影らしく分を弁えて、陽の入らない暗闇の部屋で、一人で一生を終えよう、と──。



俺は学校に行かなくなった。

一切外に出ることも無く、分厚いカーテンを閉め切って、真っ暗な部屋に引き篭もった。

家族は心配している様子だったが、何も言わなかった。

今まで俺がやっていた家事や弟の世話も、一切興味が無くなってしまった。

俺なんかが居なくても、別に誰も困りやしない。

どうせなんとかなっていくもんなんだろう。

零が死んでも、そんなことお構い無しに日常が続いていく、薄情なこの世界のように。

俺の世界だけが時を止めて、置いて行かれてしまっているだけなのだ。

俺に未来なんか無い。

在るのは、過去のしがらみと大罪だけ。

そして相変わらず、静寂を赦さない耳奥で響く、不躾な音楽達。


『れん、お願い。一生のお願い』


その音の奥に、こびりついて離れない声。

決して消えてはくれない、愛おしく、憎らしい声。


『音楽を、辞めないで。俺の大好きなれんの曲を、ずっと作り続けて』


この音達とその声が、俺の人生に寄り添う全てになった。

それは、紛うことなき呪いだ。

煩わしく、苦く、遅効性の毒のように体を蝕む。


「……やらなきゃ……作らなきゃ……」


強迫観念に駆られ、俺はパコソンに向かった。

頭の中に溢れるメロディーを、即座に打ち込んで譜面にしていく。


『ここの音、俺めちゃくちゃ好き! ……え、だから入れたの? すげー! 俺のことめちゃくちゃ分かってるじゃん!』


『曲の打ち込みってさぁ、やっぱり大変? ……いや、俺もいつか自分でやってみたいなって。……え? ちょっと、拗ねんなって! ごめんって! 嘘嘘、ずっとれんだけに作ってもらうから!』


零との会話を思い出しながら、共に曲を作った思い出に浸りながら、俺は取り憑かれたように曲を作り続けた。

零と二人で、この部屋で、共に築いてきた時間に縋りながら──。


しかし、何かがおかしい。

同じ作業の筈なのに、一音一音を打ち込む度、胸に棘が刺さっていくように苦しく、何故か上手く息ができない。

曲が完成する度、あんなにも誇らしい気持ちになれていたのに、今は突如突き放されるような虚無感が込み上げる。


「……」


──同じなんかじゃない。

この部屋も、零との思い出も、そのままここにはちゃんと残っているのに。

変わってしまったのは、俺だけだった。

まるで時間が止まってしまったかのように、はたまた急激に歳を取ってしまったかのように、世界にただ一人、置いて行かれてしまった──。


「……クソっ! なんでなんだよ……!」


拳を握り締めても、恨み言を吐いても、返事は返って来ない。

正解が分からないままの創作は、ただの壁打ちと同じだ。


『すっげーよれん! この曲も最っ高! まじで天才だよ!』


もう一度、あの声が聞きたい。

目を輝かせる零に、俺が得意気になって笑う。

それはどんなに、幸せなことだったんだろう──。


被害者面をしてしまいそうになって、我に返る。

正真正銘、その全てを奪ったのは、紛れもなく俺じゃないか。

俺の罪を、忘れてはならない。

忘れない為に、せめて、零の最後の願いを、叶え続けなければならない──。


寝食も忘れ、ただひたすらに曲を作ることだけに打ち込んだ。

それだけを償いとし、それだけを生きる意味として。

それは耐え難い苦しみであり、見方を変えれば、救いでもあった。

亡き親友に捧げる歌を、来る日も来る日も生み出していった。


しかし、歌詞が全く出てこない。

それは、零の役割だった。

自主性や何かを伝えたいという欲が皆無な俺は、言葉が全くと言っていいほど出て来なかった。

結局歌詞が書けないまま、インストだけの音楽を生み出し、日々投稿していった。

どれだけ再生回数が伸びても、もう関心が無かった。

もう、俺の音楽に、称賛の言葉をくれる人はいない──。



そんな日々が続き、気付けば五年ほどの月日が経っていたらしい。

父の勧めで通信制の高校を卒業し、その後も変わらず引き篭もりながら、取り憑かれたように来る日も来る日も曲を生み出し続ける。

今世の中で何が起きているのか、どれほどの月日が経っているのかすら、その時の俺には全く分からなかった。


──まるで、浦島太郎だ。

外の世界から完全に孤立して、竜宮城という名のこの部屋の中で、あの日々に囚われたまま動けずにいる。

時間の止まったこの場所で、零との思い出の中に閉じ籠りながら、償いと救いに近い何かに打ち込み続けている。

しかし約束を破った瞬間、親友の最後の願いを守れなかった瞬間、玉手箱を開けてしまうように、罰を受けることも知っている。

そんな楽園と地獄が共存するその場所で、俺は世間一般的に『青春』と呼ばれる時間の全てを捧げていた。

俺の青春は、もう、とっくに終わっている。

零と過ごしたあの日々だけが、それによく似た形をしていた──。



そんな、変わり映えのしない連続のある日。

扉がノックされる音がして、光が差し込んだ。

弟だと思い振り返ると、そこには知らない男が立っていた。


「初めまして」


──その男が、紫波頼人だ。


「……誰?」


赤の他人の訪問に、俺は狼狽えた。

ここ数年、家族以外の人間と会うことなど、全く無かったのだから。


「改めまして、紫波プロダクションの紫波頼人です」


渋々受け取った名刺には、芸能プロダクションの社長と記されていた。

ふと、数年前のあのプロデューサーがフラッシュバックする。

俺達を引き裂こうとした、憎き存在。


「なんの用すか」

「あれ? 約束したの今日じゃなかったっけ。メールには今日の十四時って書いてあったんだけど。会うのも家がいいって、そちらさんが住所を送ってくれたもんだから」


そんなやり取りは、全く記憶に無い。

新手の詐欺なのかもしれない。

不信感が拭えず、早々に帰ってもらおう立ち上がったその時──


「何か手違いがあったみたいだから、また一から説明させてもらうね。えぇと、君があのRayくんでいいんだよね?」


その名を呼ばれ、ピクっと手が止まる。

次の言葉を促すように、その目をまじまじと見つめた。


「七年前に投稿された、Rayの曲を聴いてね。曲が素晴らしいのは勿論だけど、君の歌声に惹かれたんだ。是非、うちで今度開催されるオーディションに参加して欲しくて」


その言葉に、じわっと胸が熱くなる。

自分の曲を褒められるより、ずっと嬉しかった。

俺が大好きだった、零の歌声を好きだと言ってくれることが──。


「流石に声はもう低くなってるみたいだけど、君の音楽センスは本物だよ。うちでデビューして、世界を変えてみる気はない?」


蘇る、あの日々。

零の夢を叶える為に、零をステージに立たせる為に奮闘した、自信と希望しか胸になかった、あの輝かしい毎日。


もしかしたら、まだ──


「……少し、考える時間を……貰ってもいいですか」

「もちろん。いい返答を期待してます」


そう言って、男は去っていった。

それは再び、嵐のような日々の幕開けだった。


一人になった部屋で、パソコンのフォルダを開き、七年前に初めて投稿した曲を流す。

そこにはあの日のままの、零の歌声があった。

歌手になる日を夢見て、希望に満ち溢れていた、零の歌声だ。


──今の俺がもし、零の代わりになれるのなら。

零の代わりにステージに立って、あいつの夢を叶えてやることができたのなら。

そうしたら、あいつに赦してもらえるんじゃないだろうか──。


「……そうだ。死んだのは零じゃない。れんの方さ。零が世界に認められれば、きっとあいつの想いも報われる……」


こうして俺は、零に成り代わって生きることを選んだ。

ようやくその部屋を出て、久々に陽の光を浴びる。


「……眩しい……」


──太陽は苦手だ。

眩しすぎて、直視できたもんじゃない。

目を開けていられなくなる。

その熱に焼かれて、目が眩んで、日射病を起こしたように、頭がクラクラする。

その感覚は、あの日に似ていた。

初めて零に出会った、世界が変わったあの瞬間に──。


正直、勝算なんか無かった。

もしダメだった時に、自分を否定されるよりも、あいつを否定されることの方が、ダメージは大きいかもしれない。

だが、そんなことを考えている余裕も無かった。

今、動かなければ。

そんな強迫観念に駆られていた。



すぐさま送ったオーディションの応募用紙に書いた名前は、篠崎伶。

俺の本名そのままだが、振り仮名には【シノザキ レイ】と記した。

そもそも本名の、伶と書いてれんと読ませる方が特殊で珍しいのだから、疑われる筈も無い。

アーティストRayの本名を知る者もおらず、成り代わるのは容易いことだった。



そのまま第一選考である書類審査を通過し、二次選考の為オーディション会場に足を運んだ。

そこには数百人という人が集まっており、五年間も引き篭もっていた俺には、相当しんどい環境だった。

人酔いと緊張で何度もトイレで吐きながら、自分の出番を待った。


「42番、篠崎伶さん」


名前を呼ばれて、スイッチを入れる。

人前で歌うことも、踊ることもほぼ初めてだ。

それでも、自分に言い聞かせる。

──俺は零だ。

太陽のように明るくて、眩しい存在。

頭の中で思い描いた親友を真似るように、必死に勇気を振り絞った。

ダンスはほぼ未経験だが、零に付き合わされて一緒に踊った日々が、奇しくも糧になっていた。


「どんなアーティストになりたいですか?」

「……人を、幸せにできるようなアーティストになりたいです」


零ならきっと、こう答える筈だ。

表情はぎこちなく上手く笑えていなかったが、それでも必死に笑顔を作ろうとした。



狭き門の二次選考と三次選考も通過し、最終選考では一週間の合宿審査となった。


(やばい……さすがに無理かもしれん……)


一週間も他人と共同生活なんて、考えただけで気が狂いそうだ。

そして何より、被った仮面が剥がれてしまわないか心配だった。


案の定、その心配は初日にして早くも的中した。

ボイストレーニングはなんとか形にはなったが、朝のランニングや長時間に渡るダンスレッスンには、全く着いていけなかった。

──当然だ。

五年間も引き篭もりをしていた為、体力は皆無に等しい。


「……ゼェ……ゼェ……ゼェ……」


そんな俺に、憐れみの目を向ける人物がいた。


「……なんだよ……」

「……別に」


その女が、織だ──。


「だったらジロジロ見てんじゃねぇよ。うぜぇ」


余裕が無くて、思わず本性の口の悪さが出てしまった。

それでもその女は、まじまじと見つめながら、しばらくの沈黙を保った後に言い放った。


「……なんでここにいるの?」

「あぁ!?」


最早これはもう、条件反射だった。

聖人君子の太陽のような少年を演じるのは、初日にして既に限界が来てしまった。

それほどに、余裕の無い状態だった。

着いていけないレッスンに加え、一日中密着だかのカメラを回されっぱなしな状況で、ストレスはマックスだった。

しかし他の奴らを見ていると、カメラを向けられている時とそうでない時で、キャラクターを使い分けているようだった。


「ねぇねぇ陽七星くん」

「気安く話しかけんな」


先ほどカメラの前では和気あいあいと話していた二人が、更衣室に入った途端、人格が変わったように冷たく突き放す。


「勘違いしてるようだから教えやる。俺様は、おまえらとは違うんだ。芸歴も技術も満たねぇ素人と、仲良しこよしすんのはカメラの前でだけだ。分を弁えろ」


この発言にはカチンと来たが、正直感心もしていた。

──あぁ、なんだ、それでいいんだ、と。

四六時中、零を演じる必要はない。

カメラの前や、ステージの上でだけでいいのだと。

そう思うと、少し心が軽くなった。


「そうかなぁ? もしかしたら同じグループのメンバーになるかもしれないんだし、裏でもコミュニケーションを取るのは大事だと思うけど」

「このオーディションは俺の為のものなんだ。合格すんのは俺一人だけだ。その前に、裏では敬語を使え」

「えー!? さっきは敬語じゃなくていいって言ってたじゃん!」

「カメラの前ではの話だ。そもそも裏で話しかけんじゃねぇ」

「うーん、でも僕、元天才子役のひなくんと違って、お芝居とか下手だからなぁ。うっかりカメラの前で敬語使っちゃって、えぇ!? さっきカメラ回ってない時は、俺様には敬語使えって言ってましたよね!? とかポロっと言っちゃうかもー」


圧で押さえつけようとする偉そうな男に怯むことなく、背丈の小さいその男も軽口を叩いて応戦していた。

芸能界って、こんなに性格が終わってる奴らばかりなんだろうか。


「てめぇ俺様に逆らうのか? 一週間無事でいられると思うなよ」

「その発言も大丈夫? 脅迫されたってカメラの前で言っちゃうかもー。ほら、僕って素直だから」


胸倉を掴まれ今にも殴られそうな状態だと言うのに、その男は噛みつく姿勢を曲げなかった。


「まっ、大丈夫。わざわざそんなことしないよ。僕の目的は陽七星くんを蹴落とすことより、自分が合格することだからさ。イメージダウンになることはお互いやめて、仲良くしようよ」

「……チッ……。ほざいてろ」


捨て台詞を吐いて、先に喧嘩を売ったその男は更衣室を出て行った。


「も〜、おっかないなぁ〜。別に仲良くしたって減るもんじゃないのに。……あっ、ごめんね見苦しいとこ見せて。僕は勇為。よろしくね、伶くん」


先ほど煽りに煽ったその笑顔のまま、勇為と名乗るそいつは俺に向き合った。

正直、こいつの方がおっかない。

そんな面倒臭さを覚えた。


「……おぅ……。よろしく」

「ダンス初めてなの? 僕で良かったら教えてあげるよ」

「……別にいい。これ、オーディションだろ? ライバルに教えたってメリットねぇだろ。なのになんの為に……」

「もちろん、僕の為に決まってるじゃん。できないメンバーに教えてあげる協調性を持った人間なんだって、僕がアピールする為にさ。あぁでも、心配しないで。僕は陽七星くんみたいに、表と裏で態度を変えたりしないから」


相変わらず笑顔で毒を吐く勇為に、俺は心底引いていた。

こいつの方が、よっぽどタチが悪いかもしれない。



そんな不信感と不安が募ったまま合宿は進み、苦手なダンスレッスンにも死ぬ気でしがみついた。

今死ぬ気でやらないと、一生後悔する。

既に後悔しかない今の人生に、これ以上悔いるものを残したくない。

そんな想いで、酸欠で意識が混濁しながらも、必死で踊ることはやめなかった。


「……ゼェ……ゼェ……ゼェ……」


合宿最終日。

課題曲を最後まで踊り切った俺の姿を、織は相変わらず黙ってじいっと見ていた。


「……なんだよ……」


またいつものように沈黙があって、そいつは言葉を探した後、呟いた。


「……体力は無いけど……根性はあるんだね」


その憎まれ口が、織にとっては目一杯の称賛だと分かり、それにもまた腹が立った。


「うっせぇ……。腹の立つ女だな」

「……口の悪い男」


そうしてなんとか俺はノルマを熟し、あろうことか最終審査に合格してしまった。

正直、落ちると思っていた。

それでも選ばれたことに、喜びを隠せなかった。

零の存在が、世界に認められた気がして──。


しかしそれと同時に、今更だが、罪悪感も湧き上がってきた。

嘘を吐いて、合格してしまったこと。

零に成り代わって、本来居ない人間として偽装したまま、これから世に出て行くことに──。


このタイミングで卑怯だとは思ったが、俺は頼さんに全てを話した。

自分は、本当は零ではないこと。

零は死んでいて、俺は一緒に組んでいた、れんの方だということも。

全部正直に話して、オーディションの合格を取り下げてもらう気でいた。


それなのに頼さんは──


「ごめん、知ってた」


全てお見通しだったのだ。


「……はぁ!?」


俺は頼さんから、事の経緯を聞いた。

投稿サイトで見つけたRayの曲に感銘を受けて、初めはトラックメーカーとして、事務所にスカウトしようと思っていたこと。

そして概要欄に貼ってあるアドレスからメールを送ると、数週間経ってから、弟を名乗る人から返信があったこと。

弟と会って話して、俺のこれまでのことを一通り聞いたのだという。

それを踏まえた上で、零と間違えてスカウトしたことにして欲しいというのは、弟の提案だったのだと言う。


「あいつが? なんでそんなこと……」

「昔のこともあるし、君自身をスカウトしたんじゃ、きっと受ける気にならないだろうからって。自分が認められることより、親友の夢を叶える為の方が、前に進めるんじゃないかって。正直賭けだったけど、信頼して良かった。君のことを、よく分かってる弟さんだね」

「……」


──知らなかった。

偲がそんなふうに、俺を気にかけてくれていること。


「あぁでも、零くんの歌声に惹かれたっていうのは嘘じゃないよ? 最初に君達に興味を持ったのは、本当に零くんの歌声がキッカケだったからね。それに……」

「それに?」

「……いや。零くんもきっと、喜んでると思うよ」


零のことを知っているような口振りに違和感は残ったが、その言葉に偽りは無さそうで、ホッと胸を撫で下ろした。

零の歌を褒められるのは、いつだって嬉しい。

今はもう聴くことができなくても、存在を肯定してくれている気分になる。

俺が惚れ込んだものは、まだ、俺以外の中にも息づいている、と──。


「だとしても、俺が零の名を偽ってたことは事実だし……。そんな不正をした奴が合格なんて……」

「不正ってほどじゃないよ。篠崎伶(れい)は芸名さ。この世界はそんなふうにして、仕事とプライベートを切り分けられるんだ。ここでの活動は、親友の名を継いで、代わりに彼の夢を叶える為のものだと割り切ってみたら」

「それでも……俺より上手い奴はいくらでもいただろうし……。こんな形で合格して、落ちた奴らに悪いっていうか……」


このオーディションに並々ならぬ想いを抱いていたのは、決して俺だけじゃないだろう。

ハンデを貰った状態で挑んでいるようで、やはり腑に落ちなかった。


「真面目だねぇ。オーディションって縁だからさ。それに、合格したのはあくまで君の力だよ。作曲以外の実力は何も知らなかったけど、正直想像以上だった。君の努力と頑張りは、君の個性は、俺の理想とするグループのメンバーに、必要な逸材だよ」


頼さんから直々に称賛の言葉を受けて、俺はどこか居心地が悪くなった。

単純に褒められることに慣れてない為、照れ臭くてどうしていいのか分からない。

もしその称賛の言葉が零に向けられたものだったならば、俺はふんぞり返って、得意気に笑ったことだろう。

──どうだ、俺の零は凄いだろう、と。

そんなふうにして、俺が演じる零への称賛として、素直に受け取るのがいいのかもしれない。

俺は零の名前を借りたまま、デビューすることになった──。


「じゃ、早速だけど、君には大きな仕事が待ってるよ。渾身のデビュー曲、楽しみにしてるね」


ここは得意分野だ。

いつも通り頭の中を駆け巡る音楽と共に、俺は意気込んで制作に取り掛かった。

このオーディションや合宿での経験を経て、今まで知らなかった新しい世界を知った。

初めて聴くような新鮮な音が降ってきて、溢れんばかりの創作意欲を、存分に曲に組み込んでいった。



そうして、渾身の自信作が出来上がった。

締切りよりだいぶ早く、真っ先に頼さんに聴いてもらいに行った。


「いいね! 疾走感溢れる、まさに新しい時代の幕開けのような音楽だ! 俺が求めてた通りだよ!」


称賛の言葉を受けて、俺は得意気になった。

第一関門を越えて、ホッと胸を撫で下ろす。


「これ、歌詞は?」

「……え……」

「歌詞は無いの?」

「……いやいや、歌詞なんか書いたことないし……」

「書いてみてよ。伶が綴る言葉が聞きたいなぁ」


まさかの提案に、空いた口が塞がらなかった。


「いやいや、ここから先は作詞家の仕事なんじゃ……」

「もちろん依頼するつもりだったけど、まだ締め切りまで時間あるんだしさ。今後の為にも、一回挑戦してみてよ」

「……」


そんなかんじで軽く頼まれてて、俺は生まれて初めて作詞に挑むことになった。


しかし待てど暮らせど、一向に言葉が浮かんでこない。

初めてということもあったが、そもそも俺には伝えたいことがない。

メロディーに乗せて、誰かに言葉として届けたいものが、自分の中に全くと言っていいほど存在しないのだ。

耳障りのいいありふれた歌の歌詞を書き出してみても、全部綺麗事の嘘っぱちに聞こえてしまう。

作詞作業は、難航を極めた。


「だー! くそっ!」


書いても書いてもしっくり来なくて、紙をクシャクシャにして放り投げる。


「零はスラスラ書けてたのに……」


零だったら、この曲にどんな言葉を綴るのだろう。

きっと斬新で、新鮮で、それでいて共に寄り添ってくれるような詞を書いてくれる筈だ。

この世の全てを愛して、眩しく照らすような言葉を──。


「……零だったら……?」


不意に口から零れたそれを基準にして、もう一度じっくり思考してみたら、思いもよらない言葉達が自然と出てきた。

筆を取って、スラスラと書き連ねていく。


『この曲めちゃくちゃいい! れんってやっぱ天才!』


『これ、もしかしてこの前、虹見た時に思いついた曲? ……ほらやっぱり! 俺分かっちゃった!』


『どう? どう? 俺の言葉、れんのメロディーに上手く乗れてる?』


詞を書いていた時の零の様子を思い出して、俺は次々と溢れ出る言葉を書き記した。

零だったら、きっとこうする。

きっと、こんな言葉を綴るだろう、と──。

それはまるで、零と会話をしているかのような気分だった。

二人で創作に打ち込んで、共に作品を生み出していたあの頃のような感覚に陥って、懐かしく幸せだと思った。



そうして瞬く間に、歌詞が出来上がっていった。

頼さんに見てもらう時、曲を聴いてもらうより何百倍も緊張した。

零のように、上手くできているのかと。

頼さんが零の歌を素晴らしいと感じたように、この歌詞も気に入ってくれるのかと。


「すごくいいじゃないか。これ、初めて書いたんだろ? やっぱり、俺の目に狂いはなかったな」


称賛の言葉を、手離しには喜べなかった。

少し悔しいが、またこの人の読み通りなのだろう。

全てこの人の掌の上で転がされているようで、全部見透かされている気がしてやり辛さは覚えたが、それでも俺に新しい人生を授けてくれた人だ。

その恩は、これから返していきたい。


「この曲を、君と親友の夢を、ブルバの未来に託してくれる?」


こんな昇華の仕方は、正しくないのかもしれない。

しかし今は、この運命に身を任せてみなくなった。


「よろしくお願いします。引き受けたからには、精一杯やり遂げます」


今までなら、作品を生み出すまでで俺の仕事は終わりだった。

しかしこれからは、この曲を伝える表現者としての仕事が待ってる。



曲の振り付けは、ダンサーとして活動していた織に託されることになった。

ダンスのことは全く知識が無かった為、そこの領域には踏み込めず、ただ完成を待つことになった。


「できた」


まさかの曲を渡したその翌日に、織はケロっとした表情で言った。


「……は? いやいやいやいや、いくらなんでも早すぎねぇ!?」

「そう? 二時間くらいで作った」


俺がここ数週間、身を切るような想いで生み出したのにも関わらず、織はなんでもないことのように軽く言った。


「おまえ、分かってるか? デビュー曲だぞ? そんなあっさりすぐ作れるもんなのか?」

「いつもこれくらい。フォーメーションも組んだから、今日にでもみんなに振り写しできるよ」


信じられなくて、思わず開いた口が塞がらなかった。

同じ創作でも、ここまで違うものなのだろうか。

どの創作においても、生みの苦労は並大抵のものではない筈だ。

それとも、こいつが異様に軽いだけなのだろうか。


「待て待て待て。一度俺がチェックする。見せてみろ」

「偉そうに。伶にダンスのことが分かるの?」

「分かんねぇけど……この曲は俺の曲だ。俺のイメージに合ってるかどうかは重要だろ」

「それなら先に発注しといてよ。まぁいいけど」


確かに、自分の仕事はもう終わりだと、投げっぱなしにしていた俺にも非があるかもしれない。

そもそも自分の曲を誰かに振り付けしてもらうことも初めてなのだから、無理もないのだが。


「いくよ。音かけるね」


俺の曲に合わせて踊る織を、俺はただ無言で見つめていた。

あっという間に短い4分30秒は過ぎ、織が無言で俺の言葉を待つ。

──正直、良し悪しはよく分からなかった。

ダンスのことなんて、まるで分からない。

しかし一度ケチを付けてしまったこともあり、このままOKを出すことは憚られた。


「……ぜんっぜんダメだ! イメージが全く違う!」

「どの辺が?」

「どの辺って……全部だよ! 全体的に!」

「だったらどんなイメージなのか、何がどんなふうに違うのか、ちゃんと言語化して伝えてよ」

「……あれだ。なんつーか、もっとこう……」


イメージが違うのは、考えてみたら当然のことだ。

俺がイメージしていたのは、零が歌う絵だけだったから。

それ以外の人間がどう表現したって、俺のイメージ通りになる筈がない。


「なんの発注もなしで、具体的な指摘もなく、ただダメって? こっちだって、プロとして真剣にやってるんだけど」

「っせぇな。とにかくダメなもんはダメだ。とりあえず、あと何パターンか作ってこい」

「横暴。言っとくけど、こっちにだってダンスで表現したいことはあるんだから、そこを汲み取るのもそっちの仕事じゃない?」

「何が言いてぇんだよ」

「伝えたいことがあるのは、そっちだけじゃないってこと」


子供同士のような不毛な言い争いをしてから、俺は少し後悔した。

俺の曲を零以外が歌って踊ることなんて、今更だが、まるで考えていなかったから。

俺達の思い出を誰かに渡してしまうような、誰かに奪われてしまうような、そんな感覚になった。


──やっぱり、間違っていたのだろうか。

誰かに託すような真似をせず、ずっと俺と零だけの音楽のままにしておいた方が、良かったんじゃないのか。

大切なものは、大切に宝箱に仕舞って、自分の手元に置いておく方が、幸せなんじゃないだろうか、と──。



「もう3パターン作った」


しかし翌日、織は文句を言いながらも違う振り付けを考えてきた。

それを見てもやっぱり、どれもしっくり来なかった。


「どう?」

「んー、なんかここはもっとこう……激情が迸ってるようなかんじで……」

「激情」


昨日よりはできるだけ具体的にイメージを伝えようと、必死に言葉を尽くしてみるも、織は物言いたげにその単語を繰り返す。


「なんだよ」

「……いや、伶に激情が迸ってる姿が想像できなくて」

「ぶっ飛ばすぞ」

「口悪。じゃあ、こういうのは?」


淡々と代替案を次々出す織の様子に、俺は感謝すべきところなのだが、いつの間にか不満な表情を浮かべていた。


「なに」

「……いや。あのさぁ、おまえっていつも、創作する時そんなかんじなん? 涼しげな顔して、なんでもないことのように……なんつーか、軽くね?」


怒らせても仕方がない不躾な質問だとは思ったが、織はいつものように沈黙して考え込んだ後、逆に問うてきた。


「苦しんで生み出せば、それで満足? 私は、創作は楽しく在るべきだと思ってる。これは私がやりたいことで、自分自身が表現したいことを、全力でこの体を使って表現できることが、楽しくて仕方ない」


俺の質問に答えて創作論を語る織に、俺は羨望の眼差しを向けられずにはいられなかった。

俺だって、初めはそうだった。

零と一緒に曲を作っている時は、楽しくて仕方がなかったのに。

何も言えずに呆気にとられている俺に、織は続けた。


「曲を作ってる伶は、なんか苦しそう。誰かにやらされてるみたいで、まるで悪いことでもして、誰かに謝ってるみたいで、自分を傷付けながら創作してるように見える」

「……」


──何もかもが図星だった。

零が死んでから、遺言を守ろうと償いをするように、無我夢中で曲を生み出してきた。

罪人のように、強迫観念だけで身を抉るような想いをしてきたのだ。

寧ろ、楽しんでしまってはいけないとすら思っていた。

楽しんでしまえば、罰や償いにならない。


「あと、もう一つ言っておくと」


いつも澄ました顔の織が、少しだけ微笑んだ。


「ちゃんと楽しいよ、この曲。踊ってて楽しい。どんなふうに表現しようって、ワクワクする」


織はちゃんと、この曲と向き合ってくれていた。

より良いものにしようと、真剣に表現を加えようとしてくれていたのだ。

それを軽いだなんて言葉をぶつけた自分が、少し恥ずかしくなった。


「楽しいって感情が伝わりずれぇ顔だなぁ」

「うるさい。ここはまだステージじゃないから。伶も立ってみたら分かる。あの場所で踊れば、もっと楽しい」


少しだけ、織の感性を信用してみようと思った。

この曲を楽しいと言った、織が表現する世界を。

とは言いつつも、全部丸投げにするわけにもいかず、ここは違うとか、もっとこうしてくれとか、憎まれ口を言い合いながらも試行錯誤をし、遂に振り付けが完成した。

そんなやりとりが、途端に懐かしかった。

誰かとあれやこれやと言い合いながら創作をするのは、本当に久しぶりだったから。


「絶対売れさすぞ」

「当然」


作品は完成した。

次はそれを、自ら表現し届ける番だ。

こんなふうに織と試行錯誤して作った分、ダンスの振りが入るのは早かった。

織に課せられたランニングや筋トレを文句を言いながらも熟し、遂に初ステージに上がる瞬間が訪れた。



初ライブにして、会場には数千人が訪れているらしい。

ステージの袖で、心臓が飛び出そうになるほど緊張していた。

数ヶ月前まで引き篭もりだったのに、今からこんなに大勢の人の前に姿を現すと思うと、それだけで吐きそうだった。


「俺は零……俺は零……」


──こんな時、零だったらどうするだろう。

きっと、袖からこっそり客席を覗いて、期待に胸を膨らませて笑うことだろう。

それに呆れた俺が、『大丈夫だ』と言って背中を叩いて、ステージに送り出す。

そんな未来を、心から描いていたことを思い出した。


「出番です! よろしくお願いします!」


スタッフの声で、俺はその一歩を踏み出した。

暗闇から抜け出し、その光の下へ。

スポットライトが熱くて、眩しい。

──あぁ、まるで、あの時みたいだ。

初めて零と会った時のような、太陽を見つけたような、あの眩しさ。


俺は必死に、頭に思い浮かべた零をなぞるように、パフォーマンスをした。

笑顔は相変わらずぎこちないが、それでも必死に表現した。

零は初めてのステージを、憧れだった場所を、心の底から楽しむ筈だ、と──。

俺達の歌に、ダンスに、パフォーマンスに、観客が歓声を上げて反応をくれる。

今までは数字でしかなかった評価が、直に目と耳と肌を通して感じられる。

こんなにも、ダイレクトに。

俺の曲は、俺達の歌は、愛されている──。

それを確信するには、充分すぎるステージだった。

珍しい黒色のサイリウムの光を振る人達が、俺を見て叫ぶ。


「REIー!」


「REIくーん!」


その名を呼んでくれることが、嬉しかった。

俺の親友を認めてくれる人が、求めてくれる人がいる。

零の夢を代わりに叶えたなんて思うのはおこがましいが、それでも、零が見たかったこの景色を護っていきたい。

続けていく理由には、それだけで充分だった──。



初ステージを無事終え、俺達は華々しいデビューを飾り、CDの売れ行きも瞬く間に伸びていった。

そしてそんな余韻に浸る暇も無く、俺はセカンドシングルの制作に取り掛かった。

制作業に加えて、慣れないメディアの仕事等でも大忙しで、本当に目の回るような期間をよく乗り切ったなと、今になってみて思う。

それほどに、必死だった。

暗い部屋の中で止まってしまっていた時間を、なんとか取り戻すように──。


しかし、あれは確か、デビュー直後の、三度目くらいのライブの時だ。

連日の仕事で体調を崩し、その日は朝から熱があった。

なんとか根性だけで踊っていたものの、体力の限界の末意識が朦朧とし、遂にラストの曲で足が攣ってそのまま転倒して、ステージ裏の奈落に落ちてしまった。

すぐにスタッフが駆け付け大事には至らなかったが、安静にするようにとアンコールには出られなかった。


脹脛(ふくらはぎ)をセットの角で少し切って、縫うまではしないで良かったものの、医務室で止血と処置を受けた。

座って右足を伸ばしたまま、俺は安堵しながら思った。


怪我をしたのが、零じゃなくてよかった、と──。


そう思ってから、急に我に返る。


(……は? 何言ってんだ? 零はとっくに死んでるってのに……)


一人で虚しくなって、思わずくくくと笑った。

笑えてきたのも何故か可笑しくて、熱のせいかもしれないとしばらく笑っていた。


「……なに、頭も打ったの?」


その場面をちょうど医務室に入ってきた織に見られて、その後しばらく説教をされた。

体調管理がなっていないだとか、プロである以上最後までステージに立つのは最低限のマナーだとか、怪我をしてヘラヘラ笑ってるなんてファンに対して不誠実だとか。


話したところで、奴には理解できないだろう。

奴が基準としている正しさなんて、俺からしたら、最も縁遠いものなのだから──。



オーディションやデビューで注目されている勢いに乗って、僅か三ヶ月で新たにリリースしたセカンドシングルは、デビューシングルの売り上げを遥かに上回る結果となった。

その年は勢いに乗って、サードシングルまでリリースすることができ、こちらも前作の売り上げを更新した。

芸能ニュースでは常に取り上げられ、様々な音楽チャートを席巻し、今年の顔と言っても過言ではない、最高の滑り出しを見せたのだった。


そしてその年末、名誉あるレコード大賞の最優秀新人賞を受賞することとなった。

こういった賞を貰うことは、初めての経験だった。

数字だけではなく、自分の作品に箔がついたと、目に見える称号ができたと、喜びが大きかった。

俺の作品が、零の歌が、世界に認められたのだ、と──。

授賞式で授与されたトロフィーは、この世の何にも代え難いほどに、輝いて見えた。



「それでは、ブルバの最優秀新人賞を祝して、乾杯ー!」


授賞式後のスタッフ関係者との打ち上げに、俺と織の二人で参加した。

他の四人はまだ未成年ということで帰され、成人している俺達が代表することになったのだ。


(よりによって、こいつとかよ……)


面倒くさそうに隣を見ると、織はガラにも無く緊張した顔をして、落ち着きが無い様子でソワソワしていた。

俺と同じく、大人数の会が苦手なんだろう。


「伶くん! おかげさまで売り上げ好調だったね! 来年もよろしく頼むよ!」

「はい……ども……」

「来年はアルバム制作や一周年ツアーもあるし、今年以上にもっと忙しくなるよ!」

「うす……おなしゃす……」


無難な返事を返しながらも、愛想笑いでなんとか乗り切った。

この一年で、音楽プロデューサーやスタッフとの連携も、だいぶできるようになった。

メディアに出すということは、制作者だけでなく、その後様々なプロ達が協力してくれるということなのだ。

一人ではなく、たくさんの人達が関わって世に放たれた作品。

今まで一人で閉鎖的に曲を作っていた俺にとって、専門的な音楽の話ができる相手がいることは嬉しかった。



「ったく、何やってんすか」

「ごめんねー、隣の人のウーロンハイ間違えて飲んじゃうなんてさぁ……。君達の送りもあるって言うのに……。お願い! 頼人さんには内緒にしてて!」


送迎してくれる筈のマネージャーが、間違えて酒を飲んでしまったのだ。


「タクシー捕まえるから、ちょっと待ってて!」

「私家近いから、歩いて帰る。じゃあ」

「え!? 夜遅いから危ないよ! あぁもう、伶くん、悪いけど織さんに着いてってあげて!」

「はぁ!?」

「女の子だからさ、頼むよ。送り届けたらタクシー乗って、立て替えといて!」

「ったく、なんで俺が……」


面倒事を押し付けられて心底呆れながらも、既に歩き出している織に走って追い着いた。


「なに」

「なにじゃねぇよ。タクシー乗れよ」

「夜風に当たりたい気分だから」

「なんだよ、酔っ払ってんのか?」

「あれくらいじゃ酔わない。ちゃんと加減してる」


相変わらず人の迷惑も考えずマイペースな織だが、その時は鼻歌なんかを歌って、分かりやすく浮かれていた。


「機嫌いいな」

「そりゃあね。最優秀新人賞、絶対獲りたかったから。それに、受賞者は年末の大型特番にも出られるでしょ? 年末はどんなに忙しくても、その番組だけは必ずみんなで見るのが、うちの家族の恒例行事だったの。音楽に疎いうちの家族でも、さすがにそれに出てたら、凄いことなんじゃないかって認めてくれたら……なんて、期待しすぎかなぁ」


織からそんな話を聞くのは初めてだった。

元々無口で、何を考えてるか分からなくて、自分のことをべらべら話すタイプじゃなかった。

何かを成し遂げて、何かに期待して、だけど傷付かないように、そんな自分を一歩引いて俯瞰で見てる。

そういう部分は、似ている気がする。

癪だから、直接は言わないが──。


「珍しくよく喋るじゃねぇか。やっぱ酔ってんだろ」

「……話さなきゃよかった」

「いや、別にいいと思うけど? おまえにも人の心があったんだな」

「なにそれ」

「初めて振り付けした時、思い入れのカケラも無いって、涼しい顔してたからさ」


思い入れが強すぎるが故に、ひとつを形にする度に、時間も気力も相当削ってしまう俺にとって、素早くポンポンと代替案を出してしまえる織の創作は、作品に対して薄情なんじゃないかと思っている節があった。

俺の物言いに少し眉を顰めた後、織はいつのように沈黙し、話したいことが纏まったのか、ゆっくりと話し出した。


「思い入れって、生み出す時にだけ宿るものじゃないよ。生み出されてから思い入れができるものだって、たくさんある。私にとって、伶の曲はそうだから。何回も体に染み付くまで踊り尽くして、時には体の赴くままアレンジも加えてみて、そうして骨の髄まで染み込んで、自分の一部になって初めて、思い入れや愛おしさが宿るものもあるから」


上手く言葉を探せたことに満足したのか、織は静かに微笑んだ。

言葉足らずの織にしては、分かりやすく的確な表現だったと思う。


──確かにそうかもしれない。

生み出すまでで仕事が終わっていた、今までとは違う。

歌い手の、そして聴く人にとっても、この曲にそれぞれの想いや物語が乗っかってくることだろう。

そうして唯一無二の、自分だけの思い入れになる。

自分一人でしか完結できなかったものが、もう二度と誰かと分かち合うことなんてできる筈がないと思っていたものが、例え俺の望む形じゃなかったとしても、誰かの心に宿ってくれる。

それはきっと、幸せと呼ぶに違いない。

あいつがきっと、やりたかったことに違いない。


十二月の寒い夜空に、ハァッと白い息が舞う。

童心に戻って思わず星を数えたくなるような、そんな奇妙な夜だった──。



──普通なら、これでハッピーエンドだ。

主体性の無い少年が太陽のような唯一無二の親友を得て、そして失い、彼の名を継いで成り代わりその夢を叶えることで、多くの人にその音楽を認めさせることに成功した。

もしもこれが御伽話なら、めでたしめでたし、で物語は締め括られるだろう。


しかし、難しいのは希望の継続だ。

何もかもが変わり移ろっていく世界で、救いと呼べるものを得続けるのは、至って困難だ。

ましてや、その答えをくれる唯一の人間は、もうこの世には居ないのだから──。



デビューして、二年目ほどまでは好調だった。

CDの売り上げも次々と記録を更新し、デビュー一周年ツアーを完走する頃までは、何をやっても上手くいった。


しかし三年目に差し掛かった頃、六枚目のCDの売り上げが、前作を上回らなかったのだ。


「……なんで……」


──当然と言えば当然だ。

デビューしたての時期が、一番勢いがある。

ファンも、スタッフも、メンバー自身も、今が頑張り時だと一番熱を帯びるのだ。

一年目で最優秀新人賞を取ったことで、二年目も去年の顔として、メディアでの話題は事欠かなかった。

そんなデビューブーストが終わっただけと言ってしまえばそれだけなのだが、分かりやすい数字を指針としてきた俺にとって、これは由々しき問題だった。


「なんで数字が伸びないんだ……。何が悪かった? やっぱりバラード寄りにしたのがいけなかったのか?」


その理由を自分の曲にある筈だと探し続け、俺は試行錯誤した。

もっと万人受けを意識したものがいいんじゃないかとか、もっと世界に目を向けたものがいいんじゃないかとか、いっそアイドル側に振り切ってみた方がいいんじゃないかとか、色々試してみた。

ここ数年で煙草の量はみるみるうちに増え、創作には欠かせないというほど依存していた。


しかしその試行錯誤も虚しく、次のシングルも、またその次も、前作の売り上げを越えることはできなかった。


「クソっ……! このままじゃダメだ! 俺の曲は、売れなきゃなんの意味もないのに……」


これまでは曲が売れることで、零の音楽が世界に認められている気分になれた。

そんな思考に陥っていた為、曲が売れないことで、零が世界から否定されている気分になってしまっていたのだ。


「認めさせなきゃ……。どんな手を使ってでも……」


実際ファンは大勢居て、大切に聴いてくれている人だってたくさんいる。

それでも、分かりやすい数字で承認欲求を満たしてきたせいで、それを再び得ることに躍起になってしまった。

そんな焦りもあり、俺は上手く曲が書けなくなってしまっていた。

いつものように頭の中を流れる音楽に耳を傾けようとしても、どれも違う気がして上手く形にできない。


音楽の流行り廃りは、常に移ろっていくものだ。

今まで自分の体から湧き出てくる音楽だけに頼り切っていた俺にとって、時代の流行りを取り入れるのは至難の業だった。

流行りの音階やリズムを聴いてみても、何か心にグッと来るものが無い。

自分が本当に良いと思うものしか形にしたくないと、そんな完璧主義のプライドが許さなかったのだ。

しかし今は、そんな悠長なことを言ってられない。


「……なんで……。なんでなんだよ……」


少し前の俺なら、俺の曲の良さが分からねぇ奴はセンスが無いだとか、感受性が乏しい残念な奴だと罵ることができただろう。

自分のスタイルを一切変えること無く、我が道を突き進むことができただろう。

だが今の俺にとって、数字は全てだった。

俺が欲しい称賛の言葉をくれる親友は、もう居ないのだから──。


その声が聞きたくて、古い投稿サイトを開いて、Rayの曲を流す。

今はもう埋もれてしまった、化石のような歌。

スクロールひとつで、次々と新しい音楽が手軽に聴ける時代だ。

なんとなく気無しに、誰が作ったかも分からない、その曲達を再生していった。

所詮、素人が投稿できるサイトだ。

今の俺の曲には、到底及ばない。

それでも聴こえてくるのは、俺一人では思い付かないような、斬新で新しいメロディーだった。


「……」


ある考えが過って、いやいやと首を振る。

まさか、そんなクズみたいなことするわけない。

思いを振り払うように次々と曲を再生していくと、鼓動がどんどん大きく早くなっていくのが分かった。

落ち着かなくなって煙草を手に取り、深く長く、煙を吐き出す。

頭の中に浮かぶ、五線譜と音符。

それらの点と点を繋いでみたら、なんだか悪くないもののように思えてきた。


再びパソコンに向き直って、先ほど聞いた曲を譜面に起こしてみる。

それを所々弄っていって、イメージを具現化していく。

『やめろ、止まれ』と頭の中で誰かの叫び声は聞こえるのに、不思議と手は止まらなかった。

そして無我夢中で終えた時には、原型が分からないくらいにはなっていた。


「……いや……まさかな……」


自分のことなのに、まるで他人の悪行を疑うかのように、鼻で笑ってそう呟いた。

いけないことだということより、自分がそんなことする筈がない、というニュアンスだった。


それでも一応という思いで、企画会議でその曲を、何曲かのうちのひとつとして提出した。

どうせ選ばれるわけがない、どうせ通る筈がないという、変な期待を持ちながら。


それなのに──


「この曲すごくいいよ! 今までの曲とはかなりテイストが変わって、今っぽい! 伶の曲ってどこかクラシックっぽさが強かったんだけど、こんな引き出しも持ってたんだなぁ」


音楽プロデューサーにその曲が評価されてしまい、あろうことか次のシングルとして発売されることとなったのだ。

そう言われるのは、当然だ。

俺がゼロから生み出した音楽ではないのだから。

そんな曲に歌詞を付ける気になかなかなれず、これも素人の投稿サイトから引用したものを、所々切ったり貼ったりして、なんの思い入れも無い借り物の曲が完成してしまった。



そのシングルの発売日、俺はおかしなことを祈っていた。

どうか、売れてくれるな、と──。

そんなやましい祈りは届かず、その曲は前回の売り上げ枚数を、遥かに超えてしまったのだ。


【今回のシングル、今までと雰囲気違ってめちゃくちゃいい! 伶の才能やばい!】


【この曲からファン層が一気に広がった気がする! 伶が世界から見つかっちゃうよ!】


偶然かもしれない。

偶々かもしれない。

それでも、虚しさを覚えるには充分すぎた。

──なんだ、俺がゼロから生み出したものじゃなくても良かったんじゃないか。

こんなに適当に作った曲でも、誰かに俺のものじゃないと気付いてもらうことすらできない。


急に、馬鹿馬鹿しくなった。

苦しみながら作品を生み出すことも、全身全霊で自分の全てを懸けて表現することも。

そうしてしまえば、それが受け入れられなかった時のダメージは大きい。

まるで、自分の存在そのものを否定された気分になってしまう。

深手を負って、致命傷を負って、二度と立ち上がれなくなってしまう。

そんな人生はごめんだ。

これ以上、絶望し続けたくない。

それなら、借り物の作品で、手っ取り早く愛される方がいい。

数字に縋って、分かりやすい名誉を手にして、なんだ、世界はこんなもんかと高みの見物を決め込んでいる方が、傷付かずにいられる。


俺は、売れる曲を書き続けなければならない。

零の名を借りている以上、ステージの上では、誰よりも輝いていなけらばならない。

零を、世界に認めさせる為に。

零の栄光を、護り続ける為に──。


そうして俺は、誇りを手離した。

長年連れ添ってきた耳奥から流れるメロディーを無視して、盗作紛いの音楽を世に放ち、仮初の栄光を手にし続けてきた。

それが幸せだと、勘違いして──。



そんなことを続けているうちに、いつの間にか、俺は自分の名前の由来さえ忘れてしまっていた。

【REI】というこの名前と五年間の月日を共にしたことで、周りからその名を呼ばれ続けることで、いつの間にか、それをあたかも自分の持ち物のように思い込んでしまっていた。

借り物だった筈なのに、零に成り代わった偽物の俺が、あいつの夢を叶えているだけだったのに。

それをいつの間にか自分の手柄や栄光だと思い込んで、この業界に縋る本当の理由さえ忘れて、認めさせなければという強迫観念だけが残った。


俺がしてきたことは、子供の俺が死ぬほど憎んだ行為だ。

初めて零と曲を作って、全身全霊を懸けて挑んだものを、なんの苦労もしてない奴に簡単に奪われた。

そして今の俺は、売れる曲を書くことだけに躍起になって、仮初の誇りを護る為に、自分の魂を売り渡し続けている。

目的と手段が入れ替わってしまったのだ。

その行為が最も誇りを汚すものだと、知っていた筈だったのに。


──いや、本当は分かっていたのに、見ないフリをしたんだ。

零の為だという免罪符を勝手にあいつに押し付けて、あいつが望みもしない紛い物の栄光を飾ってきた。

目先の薄っぺらい安らぎにしがみついて、大切なものを無下にし続けてきた。

音楽を馬鹿にしていたのは、紛れもなく俺自身だったんだ──。


そしてあの少年、葵瑞の才能に気付いていながら、その眩しさに目を細めて見ないフリをしてきた。

子供だからというくだらない理由で無視を決め込んで、良し悪しではなく、自分の創作の都合だけで、その才能を否定してきた。

その行為は、あの頃の俺達が軽蔑する大人にされてきたことと、なんら変わりないというのに──。


今の俺の姿を見たら、なんと言うだろう。

零と、子供の俺が見たのなら。

その答えは、知っている。

今目の前で呪詛を吐く小さなその子供こそが、過去の俺自身なのだ。

俺が手離した、裏切った、分厚い防音室の扉を閉められ、聞こえないフリをされ続けてきた、憐れな子供。

何より俺が、護りたいものだったのに。


これを絶望と呼ばずして、なんと呼べばいいのだろう──。


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