第三十九話《名前》
昼を過ぎた頃、定期的に行っている配信のミーティングの為、葵瑞以外のメンバーが事務所に集められた。
しかしそこに、海の姿は無い。
吐き気が収まらず仕事ができる状態では無かった為、迎えに行った段階で休ませることにしたのだ。
惇は、すぐさま後悔していた。
ここに居る五人も顔が真っ青で、とてもじゃないが仕事できる状態ではない。
「あの……みなさん本当に大丈夫ですか? 自分が力になれることがあれば、是非言ってください」
──誰も、何も答えない。
無視されることなど普段から良くあることなのだが、今日は違う。
まるで声が届いていないという様子だ。
頭の中に居る何者かに、脳内を支配されているかのように──。
「……分かりました。ミーティングは一旦延期にしましょう。送って行くので、車に乗ってください」
誰も反論することなく、皆が意気消沈し、促されるままに車へ乗り込む。
「あれ、ちょっと織さん? 歩いて帰るんですか? 本当に気をつけてくださいねー!」
一人勝手に歩き出す織に、惇は遠くから声だけかける。
帰りが全員揃わないことは、いつものことと言えばいつものことだ。
織が事務所から歩いて帰ることも珍しくない為、特段追いかけることなくそのまま見送った。
「それじゃあ、ゆっくり休んでくださいね」
自宅マンションの前で車を降りて、伶は何も耳に入らない状態のまま、防音の作業部屋に籠った。
頭の中では、煩いくらいに呪詛が響いている。
ヘッドホンをしても、音楽をかけても、消えてはくれない。
『れん』
誰かに呼ばれた気がして、後ろを振り返る。
当然そこには、誰も居ない。
伶は失望を浮かべた表情でパソコンの前に座り、とある名前のフォルダを開いて、再生ボタンを押した。
懐かしい、子供の歌声。
一瞬で眩しさを取り戻すような、明るさに満ちた声だ。
「……どうして……忘れていられた……」
今の自分の名前は、本来誰のものだったのか。
しかし今更思い出したところで、それはもう戻らない。
その人生ごと、未来ごと、奪ってしまった全ての元凶が、自分自身なのだから──。




