第二十八話《雨と傘》
気が付いたら、階段を登っていた。
天に向かって続く長い石畳の階段を、勇為はひたすら登り続けていた。
習慣付いているように、体が覚えているかのように。
そんなわけの分からない状況なのに、おまけに暗い曇り空からは、大きな雨粒が容赦無く打ちつけてくる。
──寒い。
そう思いながら後ろを振り返ると、小さな町が一望できた。
──有り得ない。
ここは無人島で、先程まで神社裏の宿舎にいた筈だ。
こんなことが、現実に起こり得る訳が無い。
「……なんだぁ、夢か……」
冷静に、俯瞰的にそう口にした。
しかしこの足の重みも、雨に濡れた体の冷たさも、夢にしては随分リアルだった。
折角夢を見させてくれるなら、もっと楽しい夢が良かったのに。
そんな文句を頭の中で唱える余裕が有るくらいには、現実主義者の勇為は落ち着いていた。
彼はあまり、動揺を見せることが無い。
大抵どんな事でも落ち着いて対処ができたし、もし動揺したとしても決して人前では見せない。
もし豹変することがあるとしても、それはあくまで敢えてやっていることだ。
ここが地雷だと、そこを踏み越えてくることは許さないと、他人に分かりやすく提示しているのだ。
決して、感情に支配されているわけではない。
感情を支配しているのはあくまで自分だと、そう勇為は自負していた。
感情に振り回されたって、馬鹿を見るだけなのだから。
足元が滑って転びそうになり、慌てて足を止める。
溜息を吐きながら、真正面から雨を浴びるようにして、天を見上げた。
──雨は苦手だ。
言い表せない不安と、孤独に駆られる。
腹の奥から何かが込み上げてくるような、古い傷跡が膿んでいくような、じめじめとした湿度の高い空気が嫌いだ。
鍛えたモテスキルも、雨の中では意味を持たない。
どんなに甘い言葉を吐いても雨音には掻き消され、どんなに笑顔を向けても傘で視界を狭められては届かない。
どんなに誰かの隣にいたいと願っても、傘の中には一人しか入れない。
相合傘なんてしても、どちらかの肩は濡れてしまう。
元々、一人用のスペースとして作られた空間なのだから。
常に人と混ざり合いたいのに、人との境界線を無くしたいのに、各々の傘を差している時は近付くことができない。
これが私と貴方の距離ですよと、そこに踏み入ることは許されないのだと、パーソナルスペースを見せつけられている気分になる。
転ばないように足元を見ながら、息を切らしながら階段をようやく登り切る。
その丘の上には、大きな鳥居が聳え立っていた。
まるで、これを道標にここまで歩いてきたかのような、そんな感覚だった。
ふと、どこかから煮物の匂いがした。
誰かの笑い声と、食器を用意するような音も。
どこかの家族が、夕飯の食卓を囲む準備をしているのだと、そう感じた。
「……っ!」
その瞬間、体の奥から一気に吐き気が込み上げて来た。
思わず、その場にしゃがみ込んで嘔吐してしまう。
「……はぁ……はぁ……」
──良く有ることだ。
驚くようなことじゃない。
それでも、胃の痙攣はなかなか止まってはくれなかった。
ここまでひたすら、階段を登り続けて来たのだ。
気分が悪くなるのも無理はない。
そんなふうに自分に言い聞かせて、口元を拭う。
後ろを振り返ると、不思議なことに、今まで登って来た階段も、先程一望できた町も無くなっていた。
益々意味が分からないと嘆きそうになりながらも、再び目の前の鳥居に向き直る。
珍しい、青色をした鳥居だ。
雨に濡れてもなお、その美しい色は濃さを増して輝いている。
何かを思い出しそうになって、その途端にもう一度吐き気が襲う。
先程空っぽにした胃からは胃液だけが吐き出され、再び口元を乱暴に拭う。
そして観念したように、勇為は一歩を踏み出した。
何かに挑むように、何かを振り払うように。
そんなふうにして、意を決して鳥居を潜った。




