第二十五話《ロストユース》
青い鳥居が、目の前に聳え立っている。
一人の少年が、その下を潜った。
大丈夫、まだ赦されている。
まだ、子供でいられる。
まだ、死なないで──。
そんな安堵の感情さえ、目を覚ませば忘れてしまうだろう。
それでも──。
また明日、この鳥居を潜れるようにと、願うことしかできない。
船が大きく揺れ、葵瑞は目を覚ました。
眩しい日差しと、潮の匂い。
「お、お目覚めか? もうすぐ着くからな」
隣に座っていた頼人に声をかけられ、葵瑞は現状を思い出した。
番組のロケでとある島に向かう為、メンバー全員とスタッフ一同で小さな船に乗っているところだったのだ。
目を擦りながら、ゆっくりと起き上がる。
「ぐっすり眠ってたな。夢でも見てたのか?」
頼人に問われて、宙を見上げて記憶を遡る。
眠りに就いたその瞬間から、完全に記憶が抜け落ちていた。
「……さぁ、忘れたよ」
まだ寝ぼけている葵瑞に、頼人は心配そうに肩を叩いた。
「大丈夫か? あんなことがあった後なんだ。無理せず休んでてもいいんだぞ?」
先日の事件は、関係者しか目撃者がいなかったこともあり公にはならなかった。
しかしメンバー達の心には、拭えない遺恨が確実に残るものとなったのだ。
気遣う頼人に、葵瑞は落ち着いたまま答えた。
「……大丈夫だ。恨まれんのは、慣れてる」
「え?」
その二人の様子を、陽七星は心底面白く無さそうに見つめていた。
頼人の隣は、おまえじゃない、と──。
島に上陸し準備を整えると、すぐさま撮影が始まった。
「BLUE BIRTH+の、青春ブルバ天国! 二時間スペシャルー!」
全員で冠番組のタイトルコールを行い、その後はMCの勇為が進行していく。
「みなさんこんばんは! 今日は特番ということで、もしかしたら初めてこの番組を観るという方もいらっしゃるかもしれないので、お先に説明させていただきます! この番組は、BLUE BIRTH+の僕ら七人が、青春を取り戻す為に様々な企画に挑戦していくという番組でございます! そしてみなさーん! ここがどこか分かりますかー!? 今僕達はなんと、無人島に来ておりまーす!」
慣れたように番組の趣旨を説明した後、勇為は体を目一杯使って背景の景色をアピールした。
普段はスタジオや都内でのロケがメインだが、今回は特番のスペシャル企画として、無人島で撮影するという大規模なロケを行っているのだった。
「葵瑞が入ってからロケは初めてだけど、どう?」
「とにかく暑い!」
「それはそう! でも夏休み企画なんだし、今日はみんな童心に返って遊び尽くすよー!?」
八月の、真夏の孤島だ。
快晴で太陽は照りつけ、実際の気温以上に暑さを体感していた。
湿った熱気に全身を覆われ、汗が滴り落ちていく。
更にその暑さを煽るような蝉の声と、鳶や鷹の鳴き声が遠くで響く。
思わず唸り声を上げてしまいそうな、真夏の猛暑日だった。
撮影は順調に進み、バラエティ企画から夕方のバーベキューシーンまで、淀みなく撮影は終了した。
「撮影は以上です! メンバーのみなさんはこちらへ!」
スタッフは七人を誘導し、宿舎へと案内してくれる現地の管理人を紹介した。
「本日お世話になる、神主の式守さんです」
「式守です。ご案内致しますので、こちらへどうぞ」
「よろしくお願いします」
代表して勇為が笑顔で挨拶をし、七人は彼女の後を着いて行った。
式守は、神主と言うにはまだ若そうな綺麗な女性だった。
「みなさんの宿舎は、神社の裏にありますので」
式守に案内されるがままに、彼らは石畳の階段を登って行った。
傍には草木が生い茂り、遠くから川のせせらぎが聞こえてくる。
穏やかで神聖な雰囲気に、まるで時間が止まったような感覚に陥る。
夏休みに子供が遊んでいるような、そんな風景を想像させた。
暫く階段を登った先の、大きな鳥居を潜る。
その奥には、小さなお地蔵様が数多く並んでいた。
織は立ち止まり、屈んでそのお地蔵様をそうっと覗き込んだ。
「ご興味がありますか?」
「あ……はい。うちも実家がお寺なので……」
「そうでしたか」
その言葉の通り、織の実家は地方の山奥にある寺院だった。
幼い頃から触れてきたものである為、こういうものに対しては人より関心が強い方だ。
「女性の方が神主さんって、珍しいですね」
「水子供養の神社ですからね。割と女性の方が多いかもしれません」
「水子供養?」
「生まれる前に死んでしまった子供の魂、もしくは、大人になれずに死んでしまった子供の魂が行き着く先とされているんです、この島は」
式守の言葉に、陽七星は子役時代に演じたミュージカルを思い出した。
「ネバーランドみたいなもんか」
「ネバーランド? あぁ、ピーターパンだっけ」
海は決して教養が有る方では無かったが、童話は一通り読んでいる為ある程度の知識はあった。
絵本を読んでは、こんな世界に行きたいと心を躍らせていた、幼少期をなんとなく思い出す。
「確かに、若い方はここをそう呼ぶ方もいます。しかし私からすると、ここはネバーランドとは少し違います。あれは子供達が、子供のままでいることを自ら選ぶ物語です。しかしここに来るのは、主に大人の事情で、その選択さえ許されなかった子供達の魂です。故に、私はこの島をこう呼んでいます」
足を止めて振り返り、式守は七人を見据えた。
「ロストユース。失われた青春時代を象徴する場所として、そう名付けました」
その言葉に、陽七星は面白可笑しそうに葵瑞を振り返った。
「なるほど。ガキにはお似合いの場所ってわけだ」
「なんでよ」
その言葉に反応したのは、目線の葵瑞ではなく海だった。
「まさに今青春真っ盛りだろ。数年後思い返した時に、赤っ恥だったとその時代を振り返ることになるからさ」
陽七星が嘲笑ったその赤っ恥の過去とやらは、葵瑞が今生きている世界そのものなのだ。
そんなことを言われて、誰が笑っていられよう。
葵瑞は無視を決め込んで、陽七星を相手にしなかった。
「着きました。こちらをご自由にお使いください」
そう言うと式守は居なくなり、七人は宿舎へと上がり込んだ。
広い和室がいくつかあり、大広間にはご馳走や酒が並べられている。
「気が利くじゃんか。よっしゃ、一杯やろうぜ」
「は? 晩酌くらい一人でやらせろ」
「連れねぇこと言うなって。作戦会議の続きだよ。今更ビビって降りるなんて言わねぇよな?」
近寄って圧をかける陽七星に、伶は面倒そうに黙り込んだ。
「おいガキ。おまえはダメだぞ? 未成年だからな。握り飯だけやるから、さっさと部屋戻っておねんねしな」
「……ふん、別にいいけど。おまえらの顔なんかもう見飽きてるし。早く次行ってくれ」
陽七星に突き飛ばされ、葵瑞は面白くなさそうに一人別室に閉じ籠った。
別に一緒に居たいわけではないが、こんなふうに一方的に仲間外れにされるのは癪だと思いながら。
「ワインもあるじゃない。ふーん。なかなかいいセンスしてるわね」
スタッフもマネージャーも居ない。
いけ好かない奴らと一緒とは言え、葵瑞を辞めさせる作戦会議をするには打って付けの場だった。
嫌がっていた伶も観念して座り、六人の晩酌が始まった。
「乾杯しましょ」
「いらねぇだろそんなもん。好き勝手飲ませてもらうぜ」
「……それもそうね」
まるで仲の良いチームメイトであるかのような提案をしたことに、海は恥ずかしくなってグラスを下げた。
よく考えれば、このメンバーだけで食卓を囲むのは、オーディションの合宿審査の時以来だ。
断り無く煙草に火を点ける伶の姿に、正面に居た海が眉を顰める。
「ちょっと、ここで吸う気?」
「なんだよ。外で吸えってのか?」
「食事の時くらい我慢しなさいよ。あたし煙草嫌いなのよ」
「へいへい、一本だけ我慢しろ」
「聞こえなかった? 我慢するのは伶の方」
「あぁ!?」
そう言って伶の口元から煙草を奪い取ったのは、海ではなく織だった。
そのまま灰皿に煙草を押し付け、手で煙を振り払う。
「何すんだよこのクソアマ!」
「体力無いくせにそんな馬鹿スカ吸って……。もう少しは努力する姿勢を見せたら?」
「ヤニ無しで飲めっつーのかよ。大人の嗜みを知らねぇ憐れなお子ちゃまだな」
「百害あって一利無しって言葉知ってる? プロとして作詞してる人間なら、もう少し日本語を勉強した方がいいんじゃない?」
「正論パンチしか能のねぇ遊びゼロの奴に言われたかねぇんだよ、この堅物が」
伶と織の口論は、慣れない長時間の外ロケの疲れのせいか、いつもよりも粗暴で荒々しいものだった。
「あれ、止めなくていいの?」
「僕今日はもう喋り疲れちゃったから。本日の営業は終了しましたー」
「もう、肝心な時に役に立たないんだから」
「……ねぇ、撮影中にドジ踏んだ誰かさんをフォローしてあげたの、脳みその小さいお花畑ちゃんは忘れちゃったのかなぁ?」
「あれは勇為が意地悪な質問振って来たからじゃん!」
「どう考えてもちゃんと受け応えできない方が悪いでしょ。僕に責任転嫁されても困るんだけど」
「……もういいっ! おかわりちょうだい!」
勇為と美生のシンメも口を開くや否や即喧嘩になり、美生はグラスの果実酒を一気に呷った。
こうして険悪な雰囲気のまま、彼らは黙々と食事を進めていった。
「思ったんだけどさぁ。ここにあいつも呼んでお酒飲んでる写真でも撮れば、一発アウトで完全に追放できたんじゃない?」
順調に酒が回ってきた頃、勇為の提案に一同は一瞬動きを止めた。
「確かにな。よっしゃ今からでも──」
「待ちなさいよ。いくらなんでも今から行ったら怪しまれるに決まってるじゃない」
「気安く触んなっ!」
立ちあがろうとした陽七星の腕を掴んだ海の手を、陽七星は大袈裟に振り払った。
それは普段の彼の性格からするとごく当たり前の反応のように思えたのだが、あまりにも切羽詰まった陽七星の様子に海は困惑した。
「な、何よ。そんなに嫌がることないじゃない」
「うるせぇ。ま、今日のところはもういいだろ。明日で仕上げだ。あいつを、この島に置いて行く」
陽七星の提案に、全員が侮蔑の目を向けた。
あんな事件があった後で、それでも構わず葵瑞を陥れようとする手を止めない陽七星に、心底嫌悪感が走る。
今までは、葵瑞が自ら辞めるようにと仕向けるものだった。
しかしこの島に置いて行くという作戦は、葵瑞を強制的に引き離すものなのだ。
無人島というこの場所に子供を一人置き去りにしようなど、普通の倫理観を持った大人ができることじゃない。
陽七星には、余裕が無かった。
なりふり構っていられなかった。
自分が間違っているとは分かっていつつも、それでももう引き下がるわけにはいかなかったのだ。
「……阿保らし。俺はもう降りる。こんなくだらねぇことやってられっか。付き合いきれねぇ」
最初に白旗を掲げたのは、脱力した伶だった。
葵瑞の存在を疎ましく思ってはいたものの、陽七星の露骨な嫌がらせに侮蔑の感情を抱いていた伶は、今回の事件を決定打に作戦から抜けることを選んだ。
「は? 今更何いい子ちゃんぶってんだよ。んなもん許すわけねぇだろうが。今まで散々見て見ぬフリ決め込んでたくせによぉ」
「てめぇ、今回のことがどういうことか分かってんのか? 人を刺そうとしたんだぞ? あの女を追い詰めるまで煽ったのは、紛れも無くてめぇじゃねぇか」
「俺は何もしてねぇだろ。俺に心酔してる女が、自分の判断で勝手にやったことだ。俺には関係ない」
我関せずだと突き放す物言いをする陽七星に、伶は堪らず陽七星の胸倉を掴んで立ち上がった。
「人を刺すなんて、その為にナイフを握るなんて、生半可な覚悟じゃできねぇっつってんだよ! 被害者だけじゃない、加害者側も人生も変わっちまうんだ! その自責でもしあの女が自殺でもしたら、てめぇは責任取れんのか!? あぁ!?」
「ちょっと伶、落ち着いてよ」
焦った海が二人を止めようと立ち上がるも、睨み合う彼らを引き剥がすこともできず、その剣幕にただ狼狽えていた。
こうして、陽七星とメンバーの亀裂は決定的なものとなった。
しかし、ここにいる全員が理解している。
一度乗ってしまった船は、簡単には降りられない。
共犯であると契りを交わした瞬間に、彼らは運命共同体なのだと。
「正論翳して、善人ぶって、いいご身分だな。もし裏切ろうもんなら、おまえが発起人だって記者に書かせてやる。せいぜい残り少ない芸能生活を楽しむんだな」
陽七星は自らの力で伶を振り払い、座り直して再びワインを煽った。
その瞬間──
ガコン──
鈍い音がして、陽七星が前のめりに倒れ込んだ。
パリンと、ワイングラスが割れる音と共に。
一体どうしたんだと、海が手を伸ばそうとする。
しかしその手は空を切り、同じように彼女も倒れ込んだ。
何が起きたか分からない。
次々と同じような音がして、辺りは静まり返っていた。
最後に目を閉じたのは、一体誰だったのだろう。
そんなことも分からないうちに、六人全員が、ここで意識を手放した。




