第十三話《決別》
──誰かに見られている気がする。
不意にそう感じて、海は帽子を深く被り直した。
スクープ欲しさの記者だろうか。
熱狂的なファンによるストーカーの可能性もある。
芸能人だから仕方無いと、ある程度割り切ってはいる。
自分は大人気グループ、BLUE BIRTHのUMIなのだから。
皆の憧れの的になってしまうのは仕方無い。
それでも家を特定されるのは面倒だと思い、少し遠回りして帰宅しようと歩く方向を変えた。
本来ならタクシーを捕まえたいところだが、生憎車通りの少ない道だった。
時間を潰す為に歩いていると、スマホが鳴った。
学生時代の友人からの着信だ。
この子との会話なら、別に誰かに聞かれて困るような内容にはならないだろう。
「みく? 久しぶりじゃん」
「久しぶり! この前の配信見たよ! めちゃくちゃ良かった!」
「ふふん、まぁね」
「まさかうちの学校から芸能人が出るなんてね! うちらの自慢だよー!」
友人からチヤホヤされて、海は得意気になる。
これが欲しくて、芸能人をやっているところはある。
自分は一般人とは住む世界が違うのだと、常に憧れの的なのだと、自己顕示欲が満たされる。
「そういえば、手紙届いた?」
「手紙?」
「先週中学の同窓会があってね?」
「ちょっと、呼ばれてないんだけど」
初めて聞かされる既に終わった内容の話に、思わず割って入らずにはいられなかった。
「ごめんごめん。でも、呼んでもどうせ来れなかったでしょ? 今や売れっ子で忙しいんだし」
「それはそうだけど……」
誘われて断るのと、誘われずに行けないのではまた訳が違う。
有名税でチヤホヤしてくれるのは良いが、それで除け者にされるのは気に入らなかった。
「でさ、中一の時に手紙書いたの覚えてる? 十年後の自分に向けてってやつ」
「そんなのあったっけ」
「私も忘れててさー。今年がその十年後だったみたいで、同窓会の時に担任から渡されたのよ。タイムカプセル的なかんじでさ」
「中一の担任って、誰だったっけ?」
「渡辺。喋り方癖強くてザコシってあだ名で呼ばれてた奴。ほら、あんた学校に携帯持ってって没収されてたじゃない」
「えー、そうだったっけ? 全然記憶に無いんだけど」
「まじ? まぁいいや。で、あんたの分の手紙も預かったから、今の住所に送っといたよ。もう届いてるはずだけど」
「あー、最近全然ポスト見てなかったわ。わざわざどうも」
「いいえ。また時間できたらご飯でも行こー! それじゃあねー!」
通話を切った時には、見られているような気配は無くなっていた。
そのまま自宅のマンションまで歩いて、ポストを開ける。
腐っても芸能人。
セキュリティは完璧なマンションである為勧誘のチラシ等は入っていないが、期限間近の不在票がニ、三枚溜まっている。
その奥に、例の手紙も入っていた。
エレベーターで最上階に上がり、部屋に入ってソファに腰を下ろす。
そしてその手紙を、無造作に開けた。
【拝啓 10年後の私へ──】
その一文から綴られる文章を、無心で目で追っていく。
最後まで読み終えると、海は鼻で笑った。
「……くだらない……」
見るに耐えない、十年前の自分が綴った言葉。
ダサい、ガキすぎる、中二病丸出し。
どう考えても、黒歴史でしかない。
そう心の底から軽蔑し、嘲笑った。
一人では何もできなくて、完全に敗者だった頃の自分。
何をやっても思い通りに行かなくて、ただただ泣き喚いて、膝を抱えて救いを待っていただけの弱く惨めな自分だ。
二度と思い出したくもない。
しかしそれは逆に言えば、今の自分は理想の大人になれたということだ。
欲しいものは全て自分の力で手に入れ、誰に許しを請うこともなく自由に生きていける。
ここに来るまで、あらゆるものと戦ってきた。
その度に勝利し、全てを得たのが今の自分だ。
大嫌いだったあの頃の自分を嘲笑えるくらいには、今の自分は相当好きだと言えた。
「なんだ、帰って来てたのか」
「あぁ、ごめん、起こしちゃった?」
奥の寝室のベッドに横になったまま、男は朧げに呟いた。
全身に刺青が入った、ガタイの良い男だ。
「今から夕飯作るね」
「……いい。まだだるさが抜けてねぇんだ……」
「ちょっと、うちで使わないでっていつも言ってるでしょ? 何かあった時どうしてくれんのよ」
男が横たわるベッドの周りには、空の注射器が転がっていた。
「かてぇこと言うなよ。おまえもやれって」
「薬にだけは手を出さないって決めてるの。巻き込まないで」
「はいはい。人生の成功者は羨ましいよなぁ」
皮肉めいた言い草で、男が再び布団を被る。
海は呆れたように、注射器のゴミを黒い袋で包んで捨てた。
「まぁでも、また死にたくなるほど苦しくなったら、それもいいかな……」
十年前の自分が同じ状況に立たされたら、その選択をしていたかもしれない。
苦しくて、死にたくて、でも死ねなくて、どうすることもできなくただ時が過ぎるのを待った青春時代。
もう一度手紙に目をやって、再び嘲笑する。
あんた、何やってんのよ。
何をそんなに抗って苦しんでんのよ。
悩んだってどうしようもできないことに、抗ったって何も変わらないことに、毎日全力でぶつかって心を擦り減らすなんて、まさにガキのやること。
早く大人になんなさい。
十年後のあんたは、欲しいもの全部手に入れられてるから。
人生はこんなにもラクで余裕で楽しいもんなんだって、早く賢くなって気付きなさい。
当時の自分に向かって、そう鼻で笑った。
こうして海は、過去の自分にさえも勝利した。
弱かった過去の自分を嘲笑うことで、今の自分がいかに人生の勝者であるかを証明したのだ。
机に置かれたライターを手に取り、ポッと火を点ける。
さよなら、過去の弱くてダサい自分。
手紙はゆっくりと火に包まれ、塵となって消えた。
窓から差し込む夕陽と重なる影が、静かにすうっと濃くなった。




