第83話『本戦、開幕』
ハイパースペース・ゲートを抜けた瞬間、俺の視界は、暴力的なまでの「色」に塗り潰された。
『……到着しました。第2ステージ、ガス惑星「ギガント・プライム」です』
それは、星と呼ぶにはあまりにも巨大で、壁と呼ぶにはあまりにも流動的だった。
視界の全てを覆い尽くす、赤と茶、そして毒々しい紫色が混じり合った分厚い雲の層。
木星の大赤斑を数千個集めて煮詰めたような、巨大な渦が惑星表面のいたるところで口を開け、宇宙空間からも視認できるほどの極太の雷光が、静脈のように雲海を這い回っている。
「わー……。おっきい……。綿菓子みたいだね」
ポプリが窓に張り付き、呑気な感想を漏らす。
『綿菓子ではありません。あれは猛烈な磁気嵐と、超高重力の塊です。触れれば一瞬で船体ごと圧壊しますよ』
俺は努めて冷静にデータを読み上げたが、内心では戦慄していた。
(マジかよ……。予選のアステロイド帯が可愛く見えるレベルだ。あんな地獄の釜の中に飛び込めっていうのか?)
俺たちの船「アルゴノーツ号」は、誘導ビーコンに従い、惑星の重力井戸の縁にある、本戦スタートラインへと降下していく。
そこには、予選という名の「振るい」を生き残った猛者たちが、静かに牙を研いでいた。
参加艇はわずか20隻ほど。だが、その「質」が予選とは桁違いだ。
予選で見かけたような、ただトゲを付けただけの粗野な海賊船はもういない。
ここにいるのは、無駄な装飾を極限まで削ぎ落とした流線型の純粋レーシング・スペック機や、軍用機顔負けの重装甲と重武装を、洗練されたフォルムにまとめ上げたプロフェッショナルな戦闘艇ばかりだ。
それぞれの船が放つアイドリングの振動が、真空を伝わるはずもないのに、肌にピリピリと感じられるようなプレッシャーとなって押し寄せてくる。
これが、銀河最高峰の無法レース、その本戦の空気か。
『マスター、全システム、最終チェック完了。リミッター解除率15%、安定しています』
俺は震える思考を抑え込み、相棒に報告する。
「うん! お船もやる気満々だよ! エンジンの音が、武者震いしてるみたい!」
ポプリは操縦桿を愛おしそうに撫でた。
ドクター・ギアの手によって生まれ変わったアルゴノーツ号。その心臓部は今、かつてないほどの高出力で唸りを上げ、解き放たれる時を待っている。
その時、俺たちの左舷に、一際鋭い影が音もなく並んだ。
【よう、ポプリ。いい面構えになったじゃねえか】
通信回線から聞き慣れた、しかし今までになく真剣な響きを持った声が流れてくる。
青い閃光、ゼインの「ブルーフラッシュ号」だ。
予選の激闘を経て、彼の船にも無数の傷が増えているが、それがかえって歴戦の風格を漂わせている。
「ゼイン! また会えたね!」
ポプリが嬉しそうに手を振る。
【ああ。だが、ここからは馴れ合いなしだ】
ゼインの声色が、ふっと低くなった。
【本戦のコースは、このガス惑星の大気圏内……『重力の底』へ向かうデス・ダイブだ。落ちたら、二度と帰ってこれねえぞ】
『重力の底……』
俺はその言葉の意味をシミュレートし、思わず息を呑んだ。
(ただでさえ高重力のガス惑星で、さらに深部へ潜るのか……。下に行けば行くほど、大気圧と重力は指数関数的に増大する。シールドが少しでも途切れれば、即座にペシャンコだ)
【ビビってんのか、AI? 無理もねえ。ここの重力は、パイロットの魂すら押し潰す】
ゼインは、挑発するように、しかしどこか楽しげに笑った。
【だが、それを乗り越えた先にしか、ゴールはねえ。……ついてきな。俺の背中が見えるうちはな】
言うが早いか、ブルーフラッシュ号のスラスターが青白く輝き、臨戦態勢に入る。
「負けないよ、ゼイン!」
ポプリの瞳に、翠色の炎が宿る。それは、市場で大食い対決をした時と同じ、いや、それ以上に澄んだ、勝負師の目だった。
その時、全周波数帯域をジャックして、運営委員会からのスタートシグナルが響き渡った。
それは、予選の時のような合成音声ではなく、もっと腹の底に響くような、重厚な警報音だった。
『全艦、傾注。アステロイド・ラリー本戦、第1ステージ。これより開始する』
空間に巨大なホログラム・ゲートが出現し、その向こうに広がる地獄のような雲海を指し示した。
『コース、ギガント・プライム突入ルート。チェックポイントは成層圏界面。ゴールは惑星核直上の「台風の目」……生きて戻ることを推奨する。――以上』
あまりにも簡潔で、慈悲のない宣言。
周囲のライバルたちのエンジン音が、一斉に咆哮を上げた。エネルギーの充填音が重なり合い、空間が振動する。
『マスター! 来ます!』
俺は、全てのセンサー感度を最大にし、エネルギーラインをスラスターに直結させた。
カウントダウンの数字が、虚空に浮かび上がる。
【3】ポプリが操縦桿を握る手に力を込める。
【2】アルゴノーツ号の全スラスターが、臨界点ギリギリまで唸りを上げる。
【1】(行こう、マスター。俺たちの船で!)
【GO!!】
ズガァァァァァァァンッ!!
爆発のような加速音と共に、全20隻の船が一斉に急降下を開始した!
それはレースというよりは、集団での墜落、あるいは地獄への特攻だった。
宇宙空間の静寂が一瞬で消え失せ、視界が猛スピードで流れる雲の色に染まっていく。
強烈なGが俺の意識を揺さぶる中、俺たちは荒れ狂う大気の海へと、真っ逆さまに飛び込んだ。
(第83話 了)
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
元引きこもりの宇宙船AI「オマモリさん」と、銀河級の爆弾娘「ポプリ」が繰り広げる、ドタバタSFコメディはいかがでしたでしょうか。
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【次回予告】
いよいよ始まったアステロイド・ラリー本戦。
ですが、舞台は地獄のガス惑星!重力と嵐がポプリとAIを容赦なく襲います。
視界ゼロの雲海の中、忍び寄るのは見えない敵の影……。
レーダーにも映らない亡霊相手に、どう戦えと言うんでしょうか?
AIさん、あなたのセンサーとポプリの勘、頼りになるのはどっちですか?
次回、『転爆』、第84話『雷雲の中の亡霊』




