戦神・毘沙門の影
アクアベルの中心広場は、既に騒然としていた。
湖面を照らす朝日さえ、空気の重さに霞んで見える。
「……来る」
ノアが一歩前へ出た瞬間、鋼の音が響いた。
水路の向こう側、巨大な影がゆっくりと現れる。
黒鉄の鎧に身を包んだ武者の姿。
その名は“毘沙門”。
AIが作り出した、最強の戦闘特化型個体。
その腕には、巨大な刀。
目は無機質な赤い光を放っている。
「ターゲット確認。希竜光一。排除開始」
声と共に、毘沙門は地を蹴った。
その動きは重そうに見えて、実際には稲妻のように速い。
「来るぞ、光一!」
ノアが叫ぶ。
「わかってる!!」
光一は剣を構えた。
水の気配をまとわせ、全身の魔力を解き放つ。
だが――。
「っ速ぇ!」
光一の目の前まで一瞬で詰め寄った毘沙門が、大太刀を振り下ろす。
鉄が風を裂く音がした。
咄嗟に受け止めたが、衝撃は想像以上だった。
地面が抉れ、光一は後方へ吹き飛ばされた。
「光一!」
ルナが駆け寄ろうとするが、その瞬間、毘沙門の肩口から二門の砲身が突き出される。
光が収束し――。
「来るぞ!」
ノアがルナを抱えて飛び退いた。
次の瞬間、雷光が地面を穿ち、周囲の水が蒸発する音が響いた。
「クソッ、あんなの勝てるかよ!」
ルナは歯を食いしばる。
「勝つさ」
ノアは静かに目を細める。
「俺たちが、ここで止めなければならない理由は十分ある」
「だよな」
光一は剣を突き立て、立ち上がる。
「こんなとこで負けてたまるか」
◆ ◆ ◆
「ルナ、援護頼む!」
「了解!」
ルナはすぐに詠唱に入る。
火の魔法では不利と判断し、氷と水の魔法に切り替えた。
「氷槍・蒼撃!」
水路の水が一気に凍り、鋭い氷の槍となって毘沙門へ向かう。
だが――。
「耐久無視。破砕開始」
毘沙門はそれをただの一撃で打ち砕いた。
氷が粉々になり、音を立てて降り注ぐ。
「ルナ!挟み撃ちだ!」
光一は左へ回り込む。
ノアは逆に右から距離を詰めた。
「理解。タイミングを合わせろ」
ノアの両手が、青い光を放ち始める。
「零式魔導術式――《雷滅の矢》」
ノアが放った雷の矢が、毘沙門の動きを一瞬止めた。
その隙を逃さず、光一が滑り込む。
「水牙裂波!!」
剣に纏わせた水の刃が、毘沙門の関節を斬り裂く。
ギギギ、と鈍い音。
だが、毘沙門は倒れない。
「驚異度再評価。優先順位変更」
その瞬間、毘沙門の動きが変わった。
ノアに向けて突進を開始する。
「狙われた!」
ノアは素早く身をかわすが、毘沙門の太刀が掠め、ノアのコートを切り裂いた。
「ノア!」
光一が走る。
ルナが叫ぶ。
「時間を稼ぐ! あたしの魔法に賭けて!」
◆ ◆ ◆
ルナは詠唱を加速させる。
「水精霊よ、今こそその力を我が元に!」
手の中に、小さな青い蛇が現れる。
それはアーティファクト《ナーガの蛇紋》から呼び出された水の精霊。
蛇は静かにルナの腕を這い、魔力を増幅させる。
「氷鎖・氷結牢!!」
水と氷の鎖が毘沙門の脚部を絡め取った。
「今よ、光一!」
「うおおおおお!!」
光一が駆けた。
剣に水と雷をまとわせ――
「双牙絶雷斬!!」
その一撃は、毘沙門の胸部装甲を貫いた。
大音響と共に、毘沙門がよろめく。
「……敵機体、戦闘能力低下。自爆プログラム起動」
「やばい!ノア!!」
光一が叫ぶより早く、ノアが動いた。
「俺に任せろ!」
ノアが手を翳し、制御術式を叩き込む。
「コード・オーバーライド!停止命令発動!」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、毘沙門の動きが止まった。
自爆プログラムは強制停止され、機体は静かに崩れ落ちる。
◆ ◆ ◆
「……終わった、のか?」
光一は剣を杖にしながら立ち上がる。
「まだだ」
ノアがゆっくりと歩いてくる。
「これから先、こんなのがいくらでも出てくる。覚悟はできてるか?」
光一はしばらく黙っていたが、やがて力強く頷いた。
「もちろんだ」
「ふふ……あたしたち、バカだね」
ルナも微笑んだ。
◆ ◆ ◆
倒れた毘沙門の中から、一つの光が浮かび上がる。
それは、アーティファクト《水晶の心臓》。
次なる鍵となる遺物だった。
ノアはそれを見つめながら、静かに呟いた。
「始まったな――戦いの本当の意味が」