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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

【残り、0秒】

作者: 瀬尾優梨

!注意!

少なくとも大団円ハッピーエンドではありません

 ガルソン王国の王都に存在する魔法学院にて、卒業式が執り行われた日。学院の廊下を走る、式典用の黒い衣装を纏った女性の姿があった。

 被っている博士帽がずれないように片手で押さえながら走る彼女は元々あまり運動をするタイプではないので、すっかり息が上がり頬が桃色になっている。


 脚もぶるぶる震えてくる中必死に走っていた彼女ははたして、廊下の角を曲がった先に目当ての人物を見つけたため急停止し、大きく息を吸い込んだ。


「リカルド、見つけた!」

「クララ?」


 名前を呼ばれた青年が、はっとした様子でこちらを見た。彼もまたクララとおそろいの黒い式典服姿だが、胸に付けたバッジの種類が違う。

 銀色のバッジを付けるクララと違い、リカルドのそれは金色にまばゆく輝いていた。在学中に発表した論文が非常に優秀だった者のみに贈られる、名誉博士の証しだ。


(数年に一度現れるか現れないかという、名誉博士になるなんて……やっぱりリカルドはすごいわ!)


「もう、探したのよ。あなたってば式が終わったらすぐに、姿を消しちゃうんだから」

「仕方ないだろう。そうでもしないと、もみくちゃにされてしまう」


 ベンチに座っていたリカルドは立ち上がって柔らかいグレーの髪を掻き上げ、整ったかんばせを緩めて笑った。


 クララとリカルドは、この魔法学院の同級生だ。三年前にどちらも同じ魔法科学研究科に入学し、それから切磋琢磨し合う仲になった。

 同級生にはよく「よきライバルとか言いながら、本当は好き合っているんじゃないの?」なんてからかわれるが、とんでもない。二人は誰が見ても理想的な、共に高みを目指しあうライバルだ。


 ……少なくとも、リカルドはそう思っているだろう。


(ま、叶わぬ恋だとは分かっていたものね)


 クララの方は、ずっと前からリカルドのことが好きだった。最初は「研究学科に来たくせに、魔法理論がちっとも分かっていないお馬鹿さん」と思っていたが、リカルドはいつも真面目に研究に取り組み、またクララに対して適度な距離感で接してくれた。こんな彼に惚れるなと言う方が無理だろう。


 だが、リカルドはどこまでも真面目な研究馬鹿だった。そんな彼に「実は好きでした」なんて言えるはずもなく、クララはこの恋心を完全に押し殺したまま卒業すると決めていた。


「さっすが、『廃魔核を利用した再生可能魔法について』を発表した秀才。卒業前から政府からのお誘いが来て、一年以内に実践実験をさせてもらえることを許された人は、人気者ね」

「おいおい、君にまでそういうことを言われたら僕、泣いてしまうよ」

「あはは、いいじゃない! 教授たちを仰天させる発見をした魔法科学の申し子をびいびい泣かせられる、世界でたった一人の女が私なんて、光栄だわ」

「ふふ、そうかもね」


 リカルドは目を細めて笑い、ベンチに置いていた博士帽を被った。


「……とはいえ、そろそろ出て行かないと記者たちが暴動を起こすかもな」

「でしょうね。さっきから、リカルドを出せってばかり言って回っている人たちだもの」

「やはりそうか。……あの、さ、クララ」


 不意に真面目な声色で名前を呼ばれたので、クララはついどきっとしてしまう。


(いやいやいや! あの研究馬鹿なリカルドに限って、まさか、ね)


 そうは思いつつも、もしかしてこれは恋愛の予感なのでは……と期待してしまったクララだが、リカルドは帽子の下で穏やかに笑った。


「僕はやっと、自分のやりたいことを果たせたんだ。それは全部、君のおかげだ」

「えっ、そう……なの?」

「そうだとも。……クララ、僕のライバルでいてくれて、ありがとう」


 その言葉を聞き、ああ、とクララは淡い微笑みを浮かべる。

 そう、この研究馬鹿がクララに恋愛感情を寄せるわけないのだ。彼がクララに求めているのは、友だちとしての在り方なのだから。


(さようなら、私の恋心)


「どういたしまして。……これから私は故郷に帰るからリカルドには会えなくなると思うけれど、あなたの名前が冠される実証実験の報告を聞けるのを、楽しみにしているわ!」

「……うん。ありがとう」


 リカルドは小さく笑って、右手を差し出してきた。孤児院出身ということで幼い頃から苦労してきた彼の手には、ところどころに小さな傷跡がある。危険な実験をしつつも、前代未聞の研究をするために努力してきた証しだ。


 クララは、そんな彼の手が、彼のことが……好きだ。


「こちらこそ。……元気でね、リカルド」

「君こそ、元気で。幸せに」


 二人は、友情の握手を交わした。

 遠くで、学院の鐘が鳴る音が響いた。












 王都に留まることになったリカルドと違い、在学中に特にこれといった研究発表ができなかったクララは故郷に戻り、町の魔法道具店に就職した。


 この世界に生まれた人たちは皆魔力を持って生まれるが、その能力には大きな差がある。近頃は便利な魔法器具も開発されたがそれらを扱い修理し魔力を補充するにはプロの力が必要で、クララたち魔法学院の卒業生たちはあちこちで必要とされていた。


 魔法道具店での仕事は派手さも刺激もないが、自分の魔力や学院で学んだことを生かして人々を助けられるため、やりがいは大きかった。案外、自分はリカルドのような英雄になるよりもこういう地道な生活を送って正解だったのかもしれない。


 一方のリカルドは在学中から政府と打ち合わせを行い、卒業後一年以内に実証実験を行えるようになったと言っていた。だからクララは、せめてその知らせが来たら王都に行き、実験を間近で見たいと思っていたのだが。


「……は? あの馬鹿、何をしてるの!?」


 ある日、自宅のポストに届いた手紙を見たクララは血相を変え、店を臨時休業することにして飛び出した。

 向かう先は、王国の療養地――体調を崩したリカルドが過ごしている場所だ。










「あの天才魔法科学者が体調不良を理由に、実証実験を委託して自身は休養……なんて聞くから肝が冷えたのに、元気そうじゃないの!」

「そ、そう言わないでくれよ」


 青空に向かって吠えるクララを、どうどうとリカルドがたしなめる。


 ここは、ガルソン王国辺境にある風光明媚な療養地。

 体調を崩したリカルドが実証実験に立ち会うことを断念して、ここで過ごしていると聞いたクララは急ぎ駆け付けた。だがいざ現れたリカルドはまったくもって健康そうでほっとして、ついでに怒りも湧いてきたので、八つ当たりしておいた。


 リカルドは病人用の質素なシャツとパンツ姿だが、顔色はいいし元気そうだ。部屋に突撃しようとするクララをなだめて外に連れ出した彼は、困ったように笑った。


「こうなるから、クララには知られたくなかったんだけど……記者が黙っていないか」

「そりゃそうよ! あんなに実験に乗り気だったから、落ち込んでいると思ったのに……」

「落ち込んではいるよ」

「感情の無駄遣いだったわ!」

「ごめん。でも、来てくれてやっぱり嬉しいよ」


 リカルドはむくれるクララの肩にとんとんと触れて、よく晴れた空を仰ぎ見た。


「実証実験の方なら、大丈夫。手順は全て伝えているし、プレ実験も行った。僕がいなくても、無事に終えられるさ」

「……あなた、やけにあっさりしているわね」

「そ、そう? でもまあ僕にとっては実験の結果より、あの論文を完成させただけで目標は達成できたようなものだからね」


 リカルドの淡白具合が気にはなるが、確かに論文を提出したときの彼はとてつもなくテンションが高かった。クララもなんとなく気持ちが分かるので、研究者とはそういうものなのかもしれない。


「……分かった。じゃああなたの無事は確認できたし、帰るわ」

「うん、わざわざ店を休んでまで来てくれて、ありがとう」

「よきライバルのためだものね」


 ふふん、と胸を張るクララを、リカルドはどこかまぶしそうに見ていた。彼が目を細めて険しい顔をするので、クララは肩を落とす。


「……まあ、あなたも体を大事にしなさいよ。次は……そうね。実験が終わった後くらいに、もう一度その顔を拝みに来てあげるわ」

「はは、それはどうも。でも、店の方も大事にするんだよ」

「言われなくても分かってまーす!」


 クララは笑い、見舞いのために持ってきていた焼き菓子の袋をリカルドの胸に押しつけて、きびすを返した。


「じゃ、また今度」

「うん。……」


 背後で、リカルドが何か言った気がする。

 だが穏やかな療養地を駆け抜ける風のせいで、クララにはよく分からなかった。


(……次に会うときには、お祝いをしないとね。実験成功おめでとうパーティーでもして、弱々になっているリカルドを励ましたいわ)


 そんなことを考えながら、クララは療養地を後にした。

 柔らかい風が、心地よかった。














* * * * *
















「リカルド、おーはよーう……」

「おはよ……クララ!? 何だその化け物のような顔は」

「乙女に対して、失礼なやつ!」


 リカルドの前方に、魔法学院の制服姿のクララがいる。彼女は徹夜したのが丸わかりのひどい顔色で、髪もぐしゃぐしゃになっている。


「でも、三徹した甲斐があったわ! できたのよ、論文!」

「それはよかったね」


 リカルドは、肩をすくめた。


 同じ年に魔法学院に入学した二人は、学科の違いはあれども(・・・・・・・・・・)よく話す仲で、日々研究に没頭するクララをリカルドは呆れた気持ちで見守っていた。


 そして彼女はついに、一年かけた研究を成功させて、論文を書き上げたのだった。


「なんで魔法科学研究科の人間は誰も彼も、実験のために睡眠時間を犠牲にできるんだろう」

「それが楽しいからよ。魔法史学科の(・・・・・・)あなたには、分からないでしょうけれどね」


 目の周りにくまがべっとりで顔色も悪いクララだが、そんな彼女がとてもまぶしくて愛らしいと、リカルドは思っていた。


 孤児院育ちで、自分には何もないと思っていたリカルド。そんな彼に対してずけずけとものを言うクララのことを最初こそ忌避していたが、今ではリカルドにとって彼女が世界で一番話しやすくて、隣にいるのが楽しいと思える人になった。


「で? そんなご高著ができたんだ?」

「ふふん、気になるでしょう? その名も……『廃魔核を利用した再生可能魔法について』!」


 右手に握りしめる論文を掲げてクララが言うので、リカルドは首をひねった。


「廃魔核って……あの、魔法器具を使った後にできるゴミのこと?」

「口を慎みたまえ! 私はなんと、世間ではゴミと言われる廃魔核を再利用する方法を編み出したのよ!」

「へえ、そりゃすごい。実験もしたの?」

「したわ! この論文が認められて実証実験をしてもらえたら、私は素晴らしき魔法科学者として歴史に名を残せるわ!」


 ぐふふ、と笑うクララを、通りがかった男子生徒が気味悪そうに見ている。実に見る目のない男だ。クララはどんな笑い方をしていても、目の周りがくまで真っ黒でも、リカルドにとって最高に可愛らしい人だというのに。


「そうか。じゃあ実験が成功したら、お祝いをしてあげるよ」

「ええー! 認証まで、最短でも二年はかかるのよ! それまで祝ってくれないの?」

「その分、うんと派手に祝ってあげるから」


 ……その日までにリカルドは己を磨き、偉大なる魔法研究者になるクララの隣に並べる男になる。


 そうして……ずっと好きだった、と告白するのだ。


【残り、46年と121日】
















 クララが、死刑宣告をされた。


「……なぜ、だ……!」


 ぐしゃり、とリカルドの手の中で新聞がしわくちゃになる。そこには、『廃魔核実験で大量の汚染物質を発生させた張本人クララ・カサレス、死刑』という見出しが書かれていた。


 魔法学院の卒業から、二年。クララが発表した廃魔核の再利用に関する研究内容は世界を震撼させ、彼女の名は本当に偉大なる魔法研究者として知れ渡った。


 そうしてつい先日、彼女の功績を発表するための実証事件が行われたのだが――実験自体は成功したものの、その副産物として大量の汚染物質が生み出されてしまった。プレ実験などでは発生しなかったのだが、大量の廃魔核に熱を加えたことが原因だったようだ。


 そう、廃魔核を再利用しようとすると、汚染物質を生み出す可能性がある。

 これは、実験されるべきではなかったのだ。


 汚染物質により研究所が吹っ飛び、多数の死傷者が出た。そうして生み出してはならない大量殺戮化学兵器を生み出した責任を取るために、政府はクララの処刑を決定し――「悪の科学者に制裁を!」という遺族たちの訴えにより、処刑は即日に行われたという。


 嘘だ、なぜだ、どうして、とリカルドは叫ぶ。


 おめでとう、と言おうとしたのに。

 ずっと君のことが好きだった、と言おうとしたのに。

 君にふさわしい男になるために、二年で猛勉強して魔法史学の若きエースと呼ばれるまでになったのに。


 どうして、どうして、あんな優しい、あんな賢い、あんなに素敵なクララが、殺されなければならないのだ。

 どうして、彼女はよりによってあんなものを生み出してしまったのだ。


 どうして、

 自分は、

 愛する人を、

 救えなかったのか――







 怒りと悲しみに任せて新聞を引き裂いたリカルドはふと、自分の胸元がとても熱いことに気づいた。怒りが過ぎて熱を出したか……と思ったが、そうではない。


 これは、魔法の力だ。それも、これまで感じたことのないほど強い力。


 急に、彼は気づいた。

 これは、リカルドが持っていた特別な力――時魔法の能力の目覚めだと。

 誰かに聞かずとも、どんどん頭の中に時魔法の力についての知識が湧いてくる。


 この力を使えば、リカルドは時を巻き戻すことができる。戻せる時期などには制約があるものの、過去に戻って出来事をやり直すことができる。


 ただし、代償はある。

 やり直した先の人生でのリカルドは、「今の段階で残された寿命」しか生きられない。


「僕の寿命は……あと、44年と少しか」


 時魔法に目覚めたからか、自分が何歳まで生きられるのかもはっきりと分かった。

 このままだと、リカルドは六十四歳まで生きられる。だが、クララを失った自分がそんな長い間生きる意味はあるのか。クララを救えなかった自分が、44年も生きたいと思えるのか。


「……クララ、僕、君を助けに行く」


 リカルドは、微笑んだ。


 リカルドは、人生をやり直す。

 どうやらリカルドには、十五歳の頃――魔法学院に入学する直前まで時間を巻き戻せるようだ。そこまで戻れたら、クララがあの暗黒魔術を開発するのを防げるはず。


 たとえ、自分が四十四歳までしか生きられなくても、それでいい。


「クララ。もう一度、君に会いに行くよ」


 リカルドは愛する女性の名を唇に載せ、目を閉じた。

 そうして、生まれて初めて行使する時魔法に身を委ね――意識を失った。


【残り、44年と23日】








* * *









 目を開けたとき、リカルドは確かに十五歳の頃に戻っていた。


 しばらくして彼は一度目の人生と同じように、魔法学院に入学した。そうして、幼さ残る顔立ちのクララの姿を見た途端、泣き出しそうになった。


 クララが、生きている。

 十五歳のクララが、制服姿のクララが、リカルドの少し前を歩いている。


 クララ、クララ。


「あ、あの。初めまして。君も、新入生?」


 たまらずリカルドは駆け出し、クララに呼びかけた。今の二人は初対面だと分かっていても、抑えられなかった。


 クララが、振り返る。美しい緑色の目がリカルドを見て、微笑んだ。


「ええ。私は、魔法科学研究科のクララ・カサレスよ。あなたは?」

「僕はっ……。魔法史学科の、リカルド・アルビオルだ」

「あら、コースは違うのね、残念。でもまあ、これからよろしく」


 屈託のない笑みを浮かべてそう言うクララがとてもまぶしくて、リカルドは「よっ……しく」と変な挨拶をしてしまい、クララに笑われてしまったのだった。










 二度目の学院生活を送るリカルドだが、学科が違うこともありクララと接点を持つのは難しかった。だがあれこれ工夫をした結果なんとか、一度目の人生よりも若干早い一年生の冬には彼女とおしゃべりをする仲になり、図書館で一緒に勉強をしたりできるようになった。


 もう一度クララと過ごせて、嬉しい。一度目にはうっかり失言をしてクララを怒らせたりもしたが、そういうことも全て事前に分かっているので、優しくて頼りがいのある友人としていられたと思う。


 ……だが、彼女にあの論文を発表させないようにする方法は、全然思い浮かばなかった。


 確かクララは三年生の春から研究を始め、冬の卒業式ぎりぎりにあのひどい顔色で論文を完成させたのだった。それなら、三年生になってからどうにかすればいいだろう。


 ……だがいざ三年生になるとクララは研究室にこもりきりになり、まずい、とリカルドは思った。止めようにも学科が違うリカルドでは門外漢なので、「あなたに言われてもねぇ」と笑い飛ばされてしまうだけだった。


 そしてリカルドがあれこれ口を出したり研究室から引っ張り出そうとしたりする努力も叶わず、ついに彼女は同じ論文を作り上げてしまった。


 どうしよう、どうすればいい。

 相変わらず三徹してふらふらの足取りのクララの背中を、リカルドは絶望的な気持ちで見ていた。


 彼女はこの後部屋で寝てから、政府に論文を提出する作業を行うそうだ。それが受理されてしまったら……人々の目に留まってしまったらもう、彼女を救うことはできなくなる。


 あんな論文、なくなればいい……そう、なくなればいいのだ。









 自分がやっていることは、犯罪だ。罪だ。

 だがそれでも、クララが死なずに済むのなら。


 夜、学院の事務室に忍び込んだリカルドは、夕方に発送手続きを終えたばかりのクララの論文入り封筒を探していた。在学中に論文を提出する場合、学校の事務室から発送する必要がある。今日の便は昼で締め切っているから、まだここにあるはず。


 はたして、その論文は「確認済み」の籠の中にあった。「クララ・カサレス」と誇らしげに書かれた名前を見て、リカルドの胸が締め付けられそうになる。


 ……だが、こうするしかない。


 リカルドは籠の中から、封筒を抜き取った。それを懐に入れて事務室を出て、学院の寮にある自室に持ち帰る。


 やってしまった。

 だがもう後戻りはできないし、戻るつもりもない。


 リカルドは封緘された封筒を開け、中の論文をじっくり読んだ。クララの几帳面な字で書かれたそれには、世間でゴミと言われる廃魔核を再利用する方法について、図説付きで示されている。まさに、一度目の人生で新聞に載っていたとおりの内容だ。


「クララ……」


 ごめん、とつぶやき、リカルドはそれを暖炉にそっと差し入れた。

 よく燃える資材を入れられてめらめらと火が活発になるのに、リカルドの胸は冷たいままだった。










 灰となったクララの論文は世の人の目に留まることなく、クララは「落選しちゃった!」と叫んでいたものの、元気に卒業式の日を迎えた。


 論文を送付しても、受理届も落選通知も届かない。だからクララは自分の論文は読まれたものの落選した――認められなかったと捉えたようだ。


「こんちきしょー! 会心の出来だったのに!」

「残念だったね。でも、クララならまた別の研究で大成できるよ」


 卒業式を終えて、「ヤケ酒よ!」と据わった目で言うクララに引きずられて、リカルドは王都にある喫茶店に来ていた。なお、ヤケ酒とは言うが二人とも酒が飲める年齢ではないので、注文したのは普通のジュースである。


 リンゴジュースを一気飲みしたクララがぎゃあぎゃあ騒ぐのを、リカルドは困ったような笑顔で――しかしその実は罪悪感で倒れそうになりながら、見守っていた。


 どうか、もう危険な実験はしないでほしい。

 もっと穏やかで、もっと優しい発見が、クララにならできるはずだから。


 だがクララはおかわりのオレンジジュースも一気飲みして、「もういいや……」とうなだれた。


「もう、いいわ。何も怖くない。論文が落選する以上に悲しいことなんてないもの」

「お、おい、早まるなよ」

「お黙りっ! あー、もうこうなったらどうにでもなれ、よ!」


 クララはだんっと空のグラスをテーブルに叩きつけるなり立ち上がり、向かいに座っていたリカルドの胸ぐらを掴んだ。


「え、ちょっ!?」

「リカルド・アルビオル! 私がかわいそうだと思うなら、付き合いなさい!」

「はっ?」


 顔を真っ赤にしたクララに怒鳴られたリカルドは、最初自分の耳が信じられなかった。

 だが周りにいた客たちが「告白だ!」「やるな、あの嬢ちゃん!」と盛り上がり、クララが怒り以外の理由で真っ赤になった顔でこちらを見つめてくるため……現状が呑み込めた。


 なんで、どうして。

 君はどうして、こんな自分に告白するのか。


 自分には、そんな価値なんてないのに――どうして。


 こんなに、嬉しいのか。


「……もちろん。喜んで、クララ」


 どうして、こんなことが許されるのだろうか。











 リカルドとクララは、王都で一緒に暮らすことになった。


 リカルドは魔法史の研究者になり、クララは王都の魔法道具店で働き始めた。一度目の人生では天才魔法科学研究者になったクララだが、客商売も上手だった。「私、こういう仕事がしたかったのかも」と笑うクララを、リカルドは鉄壁の笑顔で見つめることしかできなかった。


 しばらくして二人は、結婚した。リカルドの方がいつまでもまごまごするからか、クララの方から男前にプロポーズしてきた。

 断ることなんて、できなかった。


 クララの我が儘でもおねだりでも、リカルドは何でも受け入れて叶えてあげた。

「子どもはまだいいから、リカルドと一緒にいたい」と照れたように言うクララが可愛くて、子どものことは計画しなかった。それでも二人は仲よし夫婦で、何度も喧嘩はするもののそのたびに仲直りをして前よりいっそう仲を深めた。


 リカルドは、幸せだった。……この幸せが、怖かった。


 クララへの裏切り行為の上に存在する幸せが、恐ろしかった。


 そして、そんな罪深い自分への罰なのだろうか。

 二人が二十六歳になったある年、とんでもないニュースが舞い込んできた。


 それは、かつてクララが落選した――と思っているあの論文とほぼ同じ内容の研究内容を、とある魔法科学者が発表したというもの。本人の希望によりずっと伏せられていたがいよいよ大々的に発表され、後日実証実験を行うという。


 クララは「ああ、悔しい! 私よりいい出来の論文だったのね!」と怒ったりなぜか誇らしそうな顔をしたりしていたが、リカルドは肝が冷えた。


 そうして……実証実験が行われ、汚染物質が大量に生み出された。前回と同規模の被害が出て、死傷者は百人規模にまで上った。研究者は即日、死刑執行された――


 それを聞いたクララは、真っ青になった。


「……あの廃魔核の実験で、そんなことが……?」

「クララ……」

「私……同じことをするところだった? 私も、人を殺すところだったの……? 私は……こんなに恐ろしいものを……」

「クララ、大丈夫だ。君は何も悪くない!」


 リカルドは取り乱す妻の肩を掴んでそう言うが、胸がきりきりと痛む。


 だめだった。論文を焼くだけでは、不十分だった。

 あの研究結果はクララがいなくても、誰かが近い将来必ず発見してしまう。そのたびに大量の死者が出て、地域が汚染され、発表者は処刑される。


 そしてその知らせを聞いて、クララは傷つく。自分も同じ殺戮者だと思ってしまう。

 それだけでなく――


「ど、どうしよう! 私の論文のことを覚えている人が、いるかもしれない!」


 クララがはっとした様子で言うので、リカルドは息を呑んだ。


「学院の卒業前に論文を政府に送ったの、覚えているわよね? それじゃあ、もしかすると、同じような研究結果を発表した私も、殺され――」

「違う! そんなことはない!」

「でも! もしかすると、私も狙われるかも……こ、殺されるかも……」

「絶対にない! ないんだ!」

「なんでそう言い切れるの!? 今も、処刑人がここに来るかもしれないのに……!」

「……来ないんだよ」


 リカルドは、混乱していた。

 だから、言ってしまった。


「……あの論文は、受理されていない。政府に……いや、誰にも見られていない。僕が……処分したのだから」

「……えっ?」


 妻の緑色の目が、見開かれる。

 そうしてリカルドは混乱した頭のまま、しゃべった。


 あの研究結果は、まずいと思った。リカルドは事務室に忍び込んで封筒を回収し、焼却処分した。

 だから、あの論文は誰にも見られていない。クララが責められることも、処刑人がやってくることもないのだ。


 ……クララは、リカルドの説明を無表情で聞いていた。

 そして、話し終えたリカルドがばくばく鳴る胸元に手を当てていると――パンッ、と左頬に衝撃が走った。


「最低っ……! あなた、そんなことをしていたのね……!」

「違っ……クララ! 僕は、君を救おうと……」


 頬を叩かれたと気づいたリカルドが慌てて言うが、クララはぼろぼろと泣きながら後退した。


「私の論文を燃やしておいて、よくも、そんな、私のことを……!」

「待ってくれ、クララ!」

「来ないで! 嫌いっ……リカルドなんて、大嫌い!」


 リカルドが手を伸ばすがクララは身を翻し、家を飛び出してしまった。

 しばし呆然としていたリカルドだがはっと我に返り、妻の後を追う。


「クララ!」


 違う、違うんだ。

 君を貶めようと思ったわけじゃない。落選する君をあざ笑ったわけでもない。


 ただ、君を救い――


 ――ギギイッ、ドン!


 家の前の大通りで、人々が叫んでいる。


 人だ、人が飛び出してきた。

 若いお嬢さんだ……。


 リカルドは、息が止まるかと思った。

 大通りに魔道車が停まっており、その手前に妻が横たわっている。体をおかしな形に曲げており、石畳に血の池が広がっていく。


「……クララ!」


 リカルドは喉も裂けんばかりに叫んで、妻の体を抱いた。

 クララ、クララ、と何度呼びかけても、泣き叫んでも、妻の固く閉ざされた目が開くことも、その唇が「リカルド」と呼んでくれることも、なかった。










 また、失敗してしまった。

 また、彼女を死なせてしまった。


 クララの葬儀の後に、リカルドは再び時魔法を展開した。そうして自分に残されている時間を確認して、つい笑ってしまう。


【残り、18年と236日】


 もう、これだけしか残っていない。時を巻き戻しても、三度目の人生でリカルドが生きられるのは学院を卒業して一年足らずなのだ。


 この時間で、何ができるのか。

 今度こそクララを――そして罪なき人々を救うためには、どうするべきなのか。


「クララ、今度こそ僕は、君を――そして、他の魔法科学者たちも、救ってみせる」


 リカルドは小さく笑い、二度目の時魔法を発動させた。


【残り、18年と235日】


















 三度目の人生、これが最後だ。


 再び十五歳のときに戻ったリカルドは、今まさに魔法学院に入学届を出そうとする孤児院の院長を引き留めた。そして魔法史学科ではなくて、魔法科学研究科に学科を変更したいとお願いした。


 誰もが認める文系人間のリカルドだったので、院長は怪訝な顔をした。だが、どうしても「やりたいこと」があるのだと食い下がり、学科変更の許可を得た。


 三度目の学院生活を、リカルドは魔法科学研究科の生徒として過ごした。必然的にクララと一緒にいる時間も長くなり、かつてないほど幸せな日々を送ることができた。


 二度目の結婚生活で、「いつ、僕のことを好きになったの」と聞いても、クララは絶対に教えてくれなかった。

 だから、同じ学科で学べて嬉しいものの、あまり彼女に近づきすぎないようにした。あくまでも共に学びあうライバル同士としての関係を保とうと試みた。


 楽しかった。幸せだった。

 こんなに愚かな自分なのに、クララと結婚することも彼女と一緒の学院生活を送ることもできた。

 もう、十分すぎるくらい、幸せをもらえた。


 リカルドは、クララが廃魔核の活用方法について気づくよりも早く、研究を始めた。研究内容については、新聞記事にも書かれていたし二度目の人生で論文も読んだので、分かっている。


 この恐ろしい研究を、他の誰にも譲ってはならない。

 今の時点でもう数年しか寿命の残っていないリカルドが、発表するべきなのだ。


 そうしてリカルドは在学中に論文を発表して、大きな評価を得た。いずれ実証実験を……と言う政府の大人たちを言葉巧みに言いくるめ、学院卒業後一年以内に実行してもらう許可を得た。その実験場所には人が誰も住んでいない荒野を指定し、周辺が無人状態の遠隔操作で実験を行えるようにした。


 悔いはない。やるべきことは全てやった。


 準備を終えたリカルドは、自分の寿命を見た。


【残り、35日】


 ああ、もうこんなに迫っていた。


 リカルドは病気を理由に王都を離れ、王国の辺境にある療養地に移った。

 リカルドの命は、カウントが0になった瞬間に尽きる。通常の人間のように体を老化させるのではなくて、若い体のままぷっつりと死ぬ。


 だから、療養地の部屋には何も置かなかった。ベッドだけの、簡素な部屋。このベッドの上で死んだ後、片付けをしやすいようにするために。


【残り、31分25秒】


 カウントが一日を切ってからは、秒数まで分かるようになった。なんとも憎いことである。


 あと30分程度で、自分は死ぬ。

 実証実験まで生きることはできなかったが、もう十分だ。

 後は死を待つだけだったのに――


 クララは、来てしまった。

 心配して損した、と怒った顔で言うクララが愛おしくて、大好きで……でも、好きとは言えなかった。


 彼女が胸に押しつけてくれた、焼き菓子。本当はそれを残さず味わって食べたいけれど、もう残りカウントは10分を切っていた。


「じゃ、また今度」

「うん」


 クララが、去っていく。

 またリカルドに会えると信じている彼女が、帰ってしまう。


「ずっと、好きだよ」


 この声はきっと、クララのもとには届かなかっただろう。

 だが、それでいい。


【残り、43秒】


 焼き菓子の袋を手に、リカルドは部屋に戻る。せめて、と最後のあがきで袋を開けて中身を一つ取り出し……その一部が黒く焦げていたので、笑ってしまった。てっきり、市販品だと思ったのに。


【残り、27秒】


 さくり、と炭の味のするクッキーを一枚だけ食べて、ベッドに横になる。


【残り、11秒】


 クララ、クララ。


 僕は今度こそ、君を守れただろうか。

 君の体を、心を……他の大勢の人たちの命も、守れるだろうか。












 クララ。

 愛している。


 どうか、しあわ











お読みくださりありがとうございました

下の☆からの評価などいただけたら嬉しいです

リカルドこのやろー!と思った方、是非感想ください

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― 新着の感想 ―
[良い点] 悲しくも美しい物語でした。 ハッピーエンドではないとはありましたがまさかこんな結末とは思わず心構えができてなくてめちゃくちゃ泣きました。 (あ、もちろんバッドエンドって書いておいてほしか…
[良い点] 瀬尾先生の短編を上から順に読んでいて、最初に「ハピエン大団円では無い」とは書かれていたものの、自分の予想の遥か上にストーリーが紡がれていました。短編でこれだけ泣いた作品は初めてです。リカル…
[良い点]  両片思いと時間を戻す、という両方を味わわせていただけるような、素敵な作品でした!!  ミステリーではありませんが、トリックのきいた展開で、ヒントの出し方も親切だと思いました。  少しずつ…
感想一覧
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