第2話 時止めりの教室
田舎だが伝統ある高校に進学した安楽土 青。
色々あって結局帰宅部に収まり、友だちもできて1年が過ぎようとしていた3学期のある日、いつものように友達の斉藤 高志と購買で買った昼食とともに空き部室に行くと偶然あるものに気づく。
それは表紙全体が薄茶色に変色した大正時代の化学の教科書だった。
何気なく手にとってみると、小さなノートのような切れ端に複雑な化学式のようなものが書き記してある。それをまじまじと見ていた次の瞬間---。
どのくらい時間が経ったのだろう。ぼんやりと意識が戻り始めると
「おや、生きていたのか。」
という声で、僕は上半身を机から離し、両腕をぶらんと下に垂らしながら辺りを見渡した。
茶色のスーツを着た身の丈150cmぐらいの白髪の老人が、5mほど先に立っていた。
「ここはどこですか?」
「教室じゃよ。君の高校の。物理学教室じゃ。」
化学教室じゃないんかい…。と口に出そうとすると
「正確には時止めり(ときとめり)の教室じゃ。この部屋にいる限り君のいた教室の時間は止まっておる。そして選ばれたものしかここにはこれん。ただ選ばれたと言っても偉くはないがな。カッカッカ」
そう言うとその老人は教壇の椅子に腰掛け、続けて話しだした。
「この教室は野望と欲望、そして絶望の廊下へと続いておる。ここまではわかるかえ?」
「いや、いきなりそう言われても全くわかりませんよ。そもそもなぜ僕がこんなところに来たのか、そしてあなたは誰なのか、野望と欲望の違いは何なのか。初めから教えてください。」
老人はニヤリ、と笑いながら
「ふむ。そうじゃの。君がここに来た理由は…今は話せん。だがわしの名前は安城渡真利。みなは先生と呼んでおる。この教室の案内人、とでも言っておこうかの。野望と欲望か…。その違いも分からずによくこの高校に入れたのう。レベルが下がったもんじゃ。それでもわしは優しいから教えてやろう。野望は壮大なスケールの叶えられるかどうかはわからない世のため人のための望み。欲望は金を出せば叶えられるような自分本位の望みじゃ。わかったかえ?」
なんかもの凄くバカにされた気分だったけど、まだわからないことがあったので続けて訊いた。
「だったら絶望を選択する人なんていない…、というか『みな』と言ってましたね?いつ、何人ぐらいこの教室に来たのですか?そして元の教室、使っていない部室に戻ることはできるのですか?」
「せっかちじゃのう。質問は一つずつにせんかい。」
「じゃあ今まで何人ぐらいこの教室に来たのですか?」
「わしがここに来てからはそうじゃの…。君で29人目じゃ。」
「随分はっきり覚えているのですね。では僕以外の28人はどうなったのですか?もうもとに戻ったのですか?」
「11人は行方不明、4人は死亡が確認されておる。残り13人はまだ挑戦中じゃよ。」
え⁉では戻った人が一人もいないってこと?? 戻れないってことなのか⁉
背筋が凍るような恐怖心を抱いた僕を見て先生は
「心配せんでええ。挑戦中の13人の内、8人が戻ったが全員がまた他の廊下を選んでおる。そのうち3人は最後の、3つ目の廊下に挑戦していて、ここに戻れたら栄えある名誉と莫大な財宝が贈られることが約束されておる。どうじゃ、君も挑戦してみるかの?」
「い、いいい、いきなりですか⁉ どんなことをやるかも分からないし、死者もいるんでしょう⁉ 確かに今の僕はなんの取り柄もないただの高校生だけど、死んだら流石に親が悲しむんじゃないかな…。」
それを聞いた先生は、この根性なしめ、と言わんばかりの表情で
「では1日やろう。1日考えて挑戦する気になったら右手に持っている紙を同じ場所、同じ時間に握るんじゃ。もしやめるのであれば、その紙を挟んであった本に戻すのじゃ。そしてこのことは一切他言無用。友だちを誘ってはいかんし、飼っている動物にも話しちゃならん。もしそうしたことがわかったら、わしは君をこの世から抹消しなければならん。わかったかえ?」
「ものすごく怖いことを当たり前のように言うんですね…。わかりました。お約束します。」
「では明日。※△◯□…… 。」
先生が呪文のような言葉を発すると、僕は部室の机にあの紙を持ったまま呆然と座っていた。