たった一つの祝福
よろしくお願いします。
そこは季節の一柱である眠りの王と雪の女王が愛した土地。一年の大半は雪に覆われる北の辺境。
これはそこに住う人々のお話。
***
「寒い」
エミリーは最近、暖かい地方からやってきた移住者だった。辺境に好き好んで来るのは移住者は久しぶりだ。しかも夫との二人連れだという。
その夫はこの北の辺境の出身ではあるが、故郷を出奔しエミリーの故郷に流れついたものの体調を崩して、故郷に戻ってきたという。ただ、まだ体調は戻らず、家で寝ていることが多いという話であった。
エミリーは寝ている夫の世話をしつつ、働いていた。近所の奥様方はそんなエミリーのことを知っていたので、それとなく気にかけていた。
地元の人たちにとっては雪解け間近であり、暖かくなってきてはいるが、暖かいところから来たエミリーにとっては、まだまだ寒さが厳しい季節でもある。エミリーは毛糸の帽子に手袋、毛皮を羽織り、中に毛皮を張った皮の長靴を履いていた。地元の人が真冬にする格好である。
「そんな格好しても寒いのかい?大丈夫?」
「うん。昨日手袋もらったの」
「あー、いいものもらったねぇ。これは精霊様からのいただきものだね」
「そう。精霊様から貰った毛糸を旦那が編んでくれたんだ」
「良かったねぇ」
「えへへぇ」
近所の奥様方と雪の下を掘り起こし、フゥの芽を収穫しようとしていた。
「そういえばご主人体調どうだい?」
「少しずつ良くなってるみたい」
「薬は?苦いからってこっそり捨てられてないかい?」
そう言う近所の奥様は、旦那が風邪をひいた時には私の目を盗んで薬を捨てていたのよ、と大層お怒りだった。
「ちゃんと飲ませてるよ。元々ここの出身なのに暑いところに居たせいかなーって言ってて」
「それで旦那のことを考えてここに引っ越してきたのは偉いよ!」
「そうよ、そうよ!なかなかそんなことできないわよねぇ」
「あはは、言えてるー!薬飲ませて寝かせて終わりよ!エミリーの旦那は感謝しないといけないわねぇ」
近所の奥様方は手を動かしながら、それ以上に口も動く。次々とフゥの芽を摘んでカゴに入れてを繰り返して、あっという間に一杯になった。
「今年は幸先いいね」
「フゥの芽占いね!確率五割!」
「微妙よねぇ。あら、何探しているの?」
「捧げ物さがしているの」
「あら、何かしら?」
「溶けかけた万年雪の氷」
エミリーのカゴもフゥの芽で一杯になったが、まだ地面を名残惜しそうに目で追ったり、雪をかき分けたりしていた。それで探していたのが『溶けかけた万年雪の氷』だった。
万年雪の氷自体は、それこそ万年雪の山に登ればあふれんばかりにあるが、その麓で見つける『溶けかけた万年雪の氷』は殆ど見つからない代物だった。
「あら、誰の捧げ物だったかしら?」
「ほら、最近姿の見えない彼の方かしら?」
「氷のドラゴンね。いたらいたで困るし居なかったら居なかったで困る方なのよねー」
「精霊達がため息ついていたわね?いつ戻るのかしら?」
「死んでいないわよね?」
「死んだら氷の眷属達が激減するわよ?」
氷の系譜の頂点に立つドラゴンは、万年雪の降り積もる洞穴を住処としていた。彼が起きると辺り一面氷となり、鳴けば樹氷や氷柱が辺り一面を覆う有様だった。それでも彼がいるおかげで眠りの一柱の眷属達は、環境が整えられて思う存分力を振るうことができた。
眠りの一柱の眷属達が、力を発揮すればするほど、それ以外の季節である『芽吹き』、『成り』、『実り』の一柱の眷属達が深く眠りにつくことができ、芽吹くための力を貯めることができる。そして氷の眷属が眠りにつくことで、次の芽吹きの季節に代わる合図となる。
だから居たらいたで(寒さが厳しくて)困るが、居なかったら居なかったで(次の季節が来なくて)困る、というのが皆の認識である。
「溶けかけた万年雪の氷なんて、見つかるのかしら?」
「氷のドラゴンの祝福でも欲しいの?」
「旦那様が元気になるかなって……」
エミリーのその言葉で周りの奥様達の目が一斉にぎらりと煌めいた。
「んまぁぁぁぁあっ聞きました!?いじらしい!!んんんっ応援しちゃうわっ探すわよー」
「胸キュンキュンしちゃう。あぁ、何年ぶりかしら?旦那以外に胸キュンするなんて考えられなかったわ……。凍った葉っぱも確かお好きなはずよ!」
「若さっていいわね。あーあ、新婚に戻りたいわー」
「あらやだ、素直になればいいだけじゃない。ほらジュジュの花よ。幸せが来るといいわね」
「もう幸せよ!ほっといて!」
奥様達の協力を得ながら探すも、結局は見つからず。収穫物を皆で分けて家へ戻る。日は高くなってるが、まだまだ寒い。雪は溶け始めておりぬかるんだ地面は歩きづらかった。ようやく家に帰りつくと、家には最近体調の良さそうな旦那がご飯支度をしていた。
「おかえりー」
「ただいま。起きてて大丈夫?」
「最近は本当に調子が良いからね。あ、フゥの芽摘んだんだ。もう雪解けだなぁ」
「そうなんだ?まだまだ雪が多いのに」
「でも溶けてるでしょう?これどうする?揚げる?」
「うん。揚げる。一緒に食べよう?」
エミリーの旦那は、暖かい海の祝福を受けた土地に居た時には屍のような有様であったが、ここに戻ってくると少しずつではあるが元気になってきたようだった。
少し遅い朝ごはんに早めのお昼ご飯として並んだ物は、採れたてのフゥの芽の揚げ物、ご近所さんからもらったモッツァレラチーズをたっぷり入れた、これまたご近所さんから貰った卵を使ったオムレツ、数日前に焼いたパンを薄くスライスして塩漬けハムを挟んだサンドイッチ、そしてミルクをたっぷり入れたコーヒーが二つ。
「牛乳ぎりぎりで消費できて良かった!」
「本当だね。有難いけど毎日使ってもなかなか減らないよね」
「簡単なチーズとかバターとか作ってみようかな」
「いいね。加工品は家々の味が出るから上手くいったらお裾分けしに行こう」
「塩漬けハム好評だったしね」
「野菜の酢漬けもね」
「あったかくなったらジャムも作りたいなぁ」
「魚も漬けようかな」
「おいしいの?」
「ここでは干したり漬けたりして冬に備えるからね。味はねー好き嫌いはっきりするかな」
今度漬けて食べてみよう?と言われると、エミリーには否やとは言えなかった。
「惚れた弱み……!!」
「それ俺のセリフ」
何せエミリーの旦那は、エミリーのことを一目見て求婚した強者だった。
「絆されて惚れさせられた……!」
「その通り!あの手この手で頑張ったよ」
にっこり微笑まれると何も言えずに、赤くなった顔を伏せるしかない。
「でもここまで着いて来てくれるとは思わなかった」
「……惚れた旦那様の頼みだし、あそこにはいい思い出もなかったし、雪を見てみたかったし……体調悪いのを見るのは嫌だったし……」
「え?何?」
最後の言葉はぼそぼそと言うため、聞き取れなかった。エミリーは恥ずかしいからそのまま聞き流すことにした。
「それよりもお父さんは?まだ見つからないの?」
「うん。居ない。どこにいったのか、全く」
深くため息をつく旦那の陰りのある顔を見ると辛くなる。エミリーとしては、旦那には憂いなく暮らして欲しいのにと思ってしまう。
「あのね、氷のドラゴンの祝福に、行方のわからない人を探す祝福があるみたいなの。『溶けかけた万年雪の氷』を見つけて捧げたら祝福もらえるかも知れないんだよね?」
「………それ……、うん、そうかそうなんだね」
旦那はそれは遭難した人を雪の下から見つけ出すことのできる祝福だなーと思ったものの、決して口に出すことはなかった。エミリーは自分のことをしっかりしていると思っているが、思ったより抜けている。そう、かなり抜けている。時々、頭のネジどこかに置いて来たのかな?と思うほど。本人はそんな旦那の思い露知らず、旦那の居なくなった父親のことを真剣に考えてくれている。そんな直向きな思いに水を差す真似はしたくなかった。決して真実を知ったときのあの真っ赤になって恥ずかしそうにあわあわしている、可愛らしい顔を見るために機会を伺ってるだなんて全く、全然、本当に、これっぽっちも思っていない。
「あー、かわいいな」
「え?この服?これね、隣の奥様からの貰い物で……、すごく暖かいの!見てこの裏!毛があるから全然寒くないの!」
「うんうん、そうかそうか」
エミリーを褒めたつもりが全く伝わらない。もどかしいが一生懸命服のことを教えてくれる様子が可愛いから良しとした旦那だった。
「じゃあ、そろそろ僕も父を探しに行ってくるね」
「え?大丈夫?」
「体調は大分戻ってるから、ここら辺での外出なら大丈夫だから心配しないで?」
「え?でも……」
そういって驚くほどの薄着で外へ出ていく。
「風邪ひくよ?また体調悪くするよ?」
「僕は寒い方が調子いいんだ。エミリーのところに行って、それはよく感じたよ」
暖かいところにいた時の旦那は物凄く暑がり、いつも脱水症状に苦しんでいたのを思い出した。それに比べると顔色もいいし活気もある。何より元気だ。
「じゃあまた後でね」
エミリーの頬に優しく口づけを送りそのまま外へ出ていった。
***
数日後。
また何人かの近所の奥様方と森へと収穫しに来たエミリーだった。最近は大分暖かくなり、雪も殆ど溶けていた。フデがそこら辺になっていたり、フゥはもう大きく立派になり、食欲をそそられない風貌となっていた。
「あ、モチの葉よ!!ほらほら。たくさんとっていきなさい」
「新芽は前とったからね。団子に混ぜて食べたけど美味しかったわー」
「ちょっとえぐみあるかもしれないけど、クッキーに混ぜたり、揚げても美味しいわよ」
「あー、揚げものにエールー、飲みたくなるー」
「昼から飲むと旦那がいい顔しないのよ」
「わかるー!やることやれば別に何してもいいんじゃないー?ねぇ?人の行動にまで口出さないでほしいわー」
一切に高笑いが聞こえてきて、思わず楽しくなってしまう。エミリーもくすくすとみんなの話に耳を傾けて笑ってしまう。
「あ、あれって……」
一人が何かに気づき顔色を変えた。同じように何かに気づいた奥様達が慌てている。
「ど、どうしたんですか?」
「あ、え、エミリー。ちょっと貴女、向こうのほうにキノコがあるから採ってきて頂戴な」
「あ、あと何かめぼしいものないか見ておいて」
「ほら、こっちよ。行くわよ」
そう言われて向きを変えた瞬間、エミリーの旦那が綺麗な女性と一緒にいたのが視界に入った。
「え、あれ……?」
「えー??何々!?何か見えるかしらー」
「何にも見えないわねぇ」
「エミリーには何か見えたの?気のせいよ、おほほほほ」
「私たちには何にも見えないわよ」
「ねぇー、ほら、エミリー、早く行くわよ!!」
たちまちのうちに、奥様方による肉の壁が出来上がっていた。すでに向こう側は見えないが、確かに自分の旦那と、その旦那に抱きついているような女性の姿が見えたような気がした。
「でも……旦那が………」
「ねえ、エミリー。世の中にはね知らなくてもいいことがごまんとあるのよ?わかる?わかるわよね?」
「えと、あの?」
「エミリー、いい?後は私たちに任せて貴女はちょっと家で休んでなさい」
「旦那には秘密よ」
「そうよ、女には秘密の一つ二つあった方が魅力的なんだからね?」
「ほらほら、行くわよ」
後ろ髪ひかれながら家にひきづられるように戻ったエミリーは、そのまま近所の奥様に家から出ないように言われてしまった。
一人になったからか余計に考えてしまう。あれは確かに自分の旦那だった。白く長い髪の綺麗なお姉さんが胸の辺りで抱きついていた。それは見えてしまった。どうしてそうなったのかわからない。何故なのか。一人でいるせいか余計なことを考えてしまう。旦那と同じ髪色だったから妹か姉か、母なのか、限りなく血の濃い血縁者がいいな、とは思うものの、確証がもてず、思考がふらふらとしてしまう。
「あ、そうだ!甘い物でも食べよう!」
昨日作ったクラッカーが残っていたはず。それにチーズとカズチがあるから準備をする。クラッカーにチーズをのせて食べて、お口直しにカズチを食べてもいい、それともクラッカーにカズチをのせてヨーグルトもいい……。甘味が足りないのは……、ジャムが残り少ないのがあったかどうか。あ、ハムもほしくなる。甘い物続くとしょっぱい物欲しくなる、塩漬け肉かハムか、などと現実逃避をして、意識を飛ばして、気づけば、数日分あったクラッカーは全て無くなり、蒸留酒が開けられていた。そうかこの頭痛はそのせいかと納得した。
何か忘れていることがあるな……と思いお湯を準備して体を拭こうとしたところ、思い出した。旦那のことを。そして一晩経っているのに旦那が家に帰っていないことを。
***
エミリーは泣いた。後日理由を問えば、お酒のせい、というくらい、大泣きした。心配した近所の奥様方が言葉を尽くして慰めてくれた。だが、エミリーは泣き止まなかった。泣きやめなかった。
そして何故か芽吹きを感じていた物が全て消えた。虫がめざめ、芽吹いていたものが、また眠りにつき始めた。
厳しい冬をようやく越し、暖かい季節を迎える北の辺境の人々にとってはそれは死活問題であった。
何故一度芽吹いた物がまた眠ろうとしているのか。
眠りの一柱から祝福をもらっている人々はこう言う。
「眠りの一柱が起こされて怒髪天だ」と。そして芽吹きの一柱から祝福を貰っている人々は、『二度寝をし始めた』と。
普通ならそんなことはない。起こりえない。一度次の季節は移ろう時には前の季節は眠りにつく。もちろん、その眷属達も。眠りの一柱が寝ようとし、眷属達も眠りにつき始めた途端、叩き起こされた状況だ。
だから普段は温厚な眠りの一柱もこれにはかなりお怒りである。数時間前まではぽかぽかと暖かく、昼寝日和だった天気があっという間に吹雪いてしまっている。雪の女王は万年雪の山々へ帰ってしまっているため、猛吹雪ではないが、それなりに吹雪いており、寒い風もビュービューと吹き荒れている。
外がそんな状況であるが、エミリーは泣き続けた。祝福をくれている花の蕾を頭につけた小さなハナムグリの精霊と溶けかけた氷の精霊が慰めてくれる。
「……っご、ごめんね、あり、ありがとっ」
エミリーが泣く度、二体の精霊がピーピーと鳴いて慰めてくれる。優しい子達だった。
花の蕾を頭につけた小さなハナムグリは、戸啓きの精霊、溶けかけた氷の精霊は東の風の精霊、どちらも芽吹きの季節の一柱と眷属達を起こし目覚めさせる精霊、そして、眠りの季節の一柱と眷属達を眠りに誘う大切な役割を持っていた。
その彼らはエミリーに祝福を与えていた。彼らにとって愛しい子が泣いているのだ。役割はそっちのけになってしまう。愛しい子を何とか慰めたいその一心だ。
そのおかげで、北の辺境はおおわらわだ。領主は慌てて祈りの場を作り、眠りの季節の一柱に供物を捧げ、眠りにつくよう祈りを捧げ、領主の妻は芽吹きの季節の一柱に供物を捧げ、生命の誕生を促すように祈りを捧げた。
一柱はこう言う『子守唄が聞きたいなぁ』
残りの一柱は『ハナムグリと東の風の舞が見たい』
領主夫妻はその意図を正しく汲み取り、戸啓きの精霊と東の風の精霊を探すこととした。祝福を得ている精霊達の協力も得ていたが、何故かエミリーの側にいる彼等の姿を見つけ出すことができなかった。
***
7日間が過ぎても状況は変わらなかった。
天気は相変わらず荒れており、収穫しに森へ行くことも難しかった。
「エミリー、食べないとだめよ。クリームチーズサンド好きでしょう?お食べなさい」
「搾りたてのフレッシュジュースよ」
「乾物もってきたわよ。好きでしょう?お肉よ」
「一先ず暖かいお茶を飲みましょう」
エミリーは近所の奥様方の好意に涙が溢れて来そうだった。近所の奥様方は新婚で故郷を離れて来たエミリーのことが可愛らしく、愛しく、この辺境の地から離れて欲しくなかった。もちろん、帰ってこない夫のことに心を痛めている様は見ていて痛ましい。何とか少しでも元気になって前を向いて欲しいと思っていた。
「ありがとうございます……。でも本当に食欲がなくて」
ちょうどその時、遠くから咆哮が聞こえて来た。そして羽音が近づいて来て、ずずぅんっと地鳴りと振動が伝わって来た。
「エミリー!!!!ごめんね!遅くなった!!!」
飛び込んで来たのは、エミリーの旦那であった。そして眼前に広がる光景に愕然としていた。
「あぁ、エミリー……、君はどうしてそんなにたらし込んでしまうんだ……。しかも妖精は家に招いてはいけないと言ってなかった?」
「言ってた……?」
「そうだよ!悪戯され放題でしょ!?ほら、どうせ手紙だって隠されたんでしょう?」
「手紙?」
そう言って指差した寝室のローテーブルの上に、一枚の手紙が置いてあった。
「………あれ?」
てっきり手紙が隠されているのかと思っていた旦那は、未開封の手紙がそのままの状態で置かれていることに驚いた。
「さすがに隠しませんわよ?」
「本当にねぇ。嫌だわ、疑うなんて」
「全く、だからエミリーが不安になるんじゃないか」
「こんな旦那は不安だわ、ねえ、エミリー、いっそのことうちに来ない?良くしてあげるわよ」
「あ、それならうちに来なよ。子供たちが会いたがってるんだよ」
「あら、それなら私のところにも来てくださいな。主人が是非にと言ってましたわ」
近所の奥様方、もとい妖精族の奥様方は口々にエミリーに話しかけて口説き始める。
「もう、一旦君達出て行けー!!ゆっくり話もできない!」
妖精の奥様達は口々に文句を言うが、旦那が人睨みすると怖い怖いと呟きながら帰って行った。
「エミリー、帰って来るのが遅くなってごめんね。一応手紙は書いていたんだけど……」
「う、う、うぁ……、手紙?……うぅ、う、浮気したの?」
「?してないよ」
「でもでもっ……う、うぅ、あ、ぐすっ……、抱きづいでたひどみだのっ!!!」
「んー??んー?…………あー、アデリナかな?俺と同じ髪色だった?」
「ゔんっっにでだ!!」
「あー、それは妹のアデリナだ。ほら、父親が居なくなったからね?後継いでくれって泣きつかれてたところ見られたかな?」
エミリーは泣きながらようやく言葉を吐き出した。旦那の浮気?は結局浮気ではなかったと分かり、ようやく心が軽くなった。涙も落ち着き始め、自分の今の状況を客観的に見られるようになってきた。
「て、手紙も……、うっぐすっ見てないの。ごめんね」
「そうか、寂しくてソファで寝てたから、寝室には行ってない?」
「……ベッドの匂いで寂しくなるから……」
「……エミリーは俺を煽るのが上手いなぁ。抱き潰されたいのかな?」
「へ?……いや、ううん。そんなことない。だって本当のことだし、抱き潰すの良くない」
ご近所の奥様達からは、新婚の時はもうもうそれは大変だったという武勇伝を沢山聞かされていたエミリーには、それは是非にとも避けたいことだった。抱き潰された後の翌日は、身体が痛くて動かせなくて、疲れもあり何もする元気がなくなると。
「まぁ、それはおいおいね。手紙にも書いてたんだけど、父親を見つけて説得に時間がかかってね」
「!!よかったね、見つかって!」
「うん、まあ、見つからなくても良かったんだけど。そうなったらしばらくは母が役割を代行するだろうし、妹が補佐するから問題はないしね」
「……なんだか大変なお家なんだね?」
「あれ?言ったような気がするんだけどな??俺氷のドラゴンなんだ。だから後を継いだら色んな制約が出て来るんだ。眠りの季節の間はずっと見回りしないといけないし、芽吹きの一柱が起きたら今度は氷の眷属を宥めて寝かしつけないといけないし、その後は起きることが無いようにまた見回りしないといけないから、エミリーとイチャイチャできなくなる……」
そう言えば、出会った当初にそんな自己紹介をされたような気もしたが、その当時はエミリーは生きるだけで精一杯だったのであまり覚えていなかった。唯一しっかりと覚えているのは、旦那の手の温もりと優しい言葉だけだった。それがなければエミリーは、今ここにはいないだろう。そしてエミリーが居なければ、戸啓きの精霊と東の風の精霊も恐らく堕ちていただろう。季節の精霊が堕ちると予想外の天変地異が起き、それによる損害は計り知れないものとなる。
今回のこともエミリーの勘違いによるものだったし、精霊達もエミリーを慰めることに必死で役目を放棄しただけだったから、少し季節のずれが生じるかもしれないが、それはゆっくりと修正されていくだろう。
ようやく芽吹きの一柱がきちんと起きて、暖かい季節がやってくる。北の辺境に住む人々にとっては、待ちに待った季節が訪れようとしていた。
***
エミリーが落ち着くと、戸啓きの精霊と東の風の精霊も放棄していた役目を思い出し、歌を歌って、眠りの一柱を寝かせつつ、舞いを踊り、芽吹きの一柱の心を落ち着かせはじめた。すると、天変地異も落ち着き、本来の流れを取り戻し始めた。
領主一家は、後日氷のドラゴン(父)からの報告と謝罪を聞き、一言苦言を呈して一先ずこの騒動は幕をひくこととなった。人としては人外のやることに口出ししてもどうしようもないことの方が多いからだ。ただ今回の件で氷のドラゴンの伴侶、エミリーには、芽吹きの一柱の眷属に好かれていることがわかったので、今後は辺境の地の芽吹きにも関わるため、注視、監視、警護(主に人からの暴力に対抗する手段)を氷のドラゴンと話合わなくてはいけない。やることは多いが、芽吹きの一柱の眷属の祝福を得ていることは、この地域では珍しく非常に有難い存在だった。領主一家としては、エミリーをその一生涯、特別手当でも出して留めおきたい存在ではあった。
そんな領主一家の意向は露知らず、エミリーは旦那の妹、アデリナと仲良くなり交流を深めていた。
「夫婦喧嘩よ」
何故旦那とアデリナの父親が出奔したのかと聞くとそんな理由が返ってきた。
「夫婦喧嘩って言っても父さんが悪いのよ。『仕事と俺どっちが大切なの?』とか言って……。女々しいのよ!!」
ドンっとテーブルを叩く音が響き、天井からぱらぱらと何かが落ちてきた。
「で、でも見つかって良かったね」
「見つかったって言ってもね!?隣の山にでっかい図体晒したまま泣いてたんだから。見つけてくれっていっていたようなもんでしょ!」
ドンっと再度テーブルを叩く。ビシリッと音がした。
アデリナが見つけたはいいが、全く帰る気配がなく、兄であるエミリーの旦那に怒りのあまり、父親から族長の座を簒奪しろ、と涙ながらに迫るがすげなく断られ、代わりに説得に向かうもあのしみったれた父親に捕まり、何日もの間愚痴に付き合わされた。
「私あまり事情わかっていなかったけど、何事もなくて良かった」
「エミリー、ごめんなさい。兄さんをあいつのお迎えに借りてしまって……。この借りは必ず返すから!倍でね!!」
旦那が何故、後継にアデリナを押すのがわかった気がする。大変気丈できっぷの良い女傑だからだろう。
「俺は伴侶探すために南まで行くようなやつだからね。族長はアデリナが良いんだ」
「伴侶探しに来てたんだ?」
「………はぁ。出会って早々に言った気がするんだよなー……」
「……ふふっ」
「笑って誤魔化すな。今度はエミリーの頭のネジを探しに行かないとな?」
「え?頭のネジは全部あるよ!」
「ははっ」
暖かい地方に行くだけで体調を崩したり、病気になったりするほどのリスクを負いかねない氷のドラゴンは、眠りの一柱の眷属だ。この地を離れてから、北の辺境の人々が日頃から、祠を立て捧げ物をしてくれるおかげでこの力が振るえることを知った。それでも南の地には、何故だか胸が焦がれる思いが溢れんばかりで、南にばかり気が向いていた。それを後押ししたのが母と妹のアデリナだった。死んでもいいから行ってこい!と尻を叩かれ、背中を押してくれた。着いて早々体調を崩したが、エミリーにあって、その理由が分かった。南に何があって、何に焦がれていたのか。全てわかった。
エミリーを説得……、口説き落としてようやく帰って来た。道中、父親が母と喧嘩して出奔したことを聞いて頭を抱えたくなったが、全て解決したから良しとしよう。
いっそ、父親が|『溶けかけた万年雪』の捧げ物で得られる祝福《凍った遺体》で見つけることができれば良いなんて思ったが、笑い話にしかならないだろう。エミリーが『溶けかけた万年雪』を探していたことも面白……可愛かった。
「ねえ、氷のドラゴンって暖かくなったら山に戻るの?」
「あー、俺と父親以外は万年雪の穴倉に籠るかな」
「俺は?」
「俺はエミリーがいるし、女神様の祝福があるからここら辺にいれば成りの一柱の時期でも大丈夫さ!」
そう言ってエミリーの唇に優しく口付けを送る。
「久しぶり」
「う、うん……」
「ねえ、私いるんだけど!!?」
アデリナがいる事を忘れていたエミリーは慌てて、旦那は知っててやったようだった。
「早く帰れ」
「もー!私もそろそろ窖に篭らないとだし、そういうところは父さんと兄さんが羨ましいよ」
「じゃあ後を継げばいい」
「それはまた別の話」
氷のドラゴンの族長はその後の見回りのため、篭らなくても良い体質となる。旦那は元々の体質、祝福があるため北の辺境に限っては窖に篭らなくても良い体質ではあった。
「また実りの終わりくらいには出てこれるから、その時にたくさんお話ししようね!」
恐らく優しい義妹は、近い将来、旦那に押し切られる形で氷のドラゴンの族長になりそうだった。だが、きっぷのよい彼女のことだから上手くやりそうだった。情け深いところできっと皆にも慕われることだろう。
そうこうするうちに本格的な芽吹きの季節を迎えたのだった。
***
少し季節外れの冷たい風が吹く。これは眠りの一柱の眷属達が眠りにつく合図だ。戸啓きの精霊と東の風の精霊は、芽吹きの一柱の眷属達を覚醒させ、そして新たな生命の誕生を後押しする。これから出産ラッシュが続くだろう。
エミリーと旦那に関して言うならば、まだまだ新婚のため子どものことははっきりとは考えてはいなかった。だが、自然の成り行きのまま、できればできればで、出来なければでかないでも良いとお互い考えていた。ただ異種族同士は子どもはできにくいというのが定説であり、特にドラゴン種ともなると同種でも出生率は高くはなかった。
ただ祝福を得られれば、それもまた覆ってしまう話であった。
エミリーは知っている。戸啓きの精霊と東の風の精霊の祝福は目に見えるものではなく、不要な者にとっては祝福でも何でもないもの。でもそれに価値を認める者にとっては、とても価値のあるもの。
『一つの芽吹きの祝福』
異種族婚では、子どもが恵まれないことが多い。そんな彼らが欲しがる祝福。
確実に一つの生命をその身に宿すことのできる祝福。
それがいつになるのかは祝福次第。
いつの日か、可愛い我が子がその誕生を皆に祝福されるだろう。この里は長命の者が多く、変化が乏しいから、新たな生命の誕生は里をあげて祝福されることが多い。そして何故かエミリーが出産するときには、陰ながら領主一家も応援しこそこそと祝福を捧げて祝って貰えるだろう。
そのためにも今日一日を精一杯生きることがエミリーのできることだ。
読んでいただきありがとうございます。
設定上加えたかったけど加えられなかったのでここで補足。何故領主がエミリーの精霊を見つけられなかったのか。
「暖かい海の祝福の土地からやってきたエミリーが、急に体調を崩さないよう守りの陣を描き、エミリーに祝福を与えている精霊達にも害が及ばないように、不可視と気配遮断のタリスマンもエミリーに渡していた。」
文才がないとこういうところで苦労します。
フゥ→ふきのとう
モチの葉→よもぎ
カズチ→サルナシ
こんな感じです。