第60談
カッと目を見開く。
すると目の前には幼児になった泰然がいる。
雪玲の腕の中に、すっぽりと収まる姿に見覚えがある。
雪玲達は上空から落ちている。
泰然が作っていた雲がなくなったのだから当然だ。斉天大聖が、峰花が、空を飛び、追いかけてくる。
気にしないで欲しいと雪玲は手を振る。
助けてくれなくても大丈夫だ。なぜなら雲は容易く作れるものだ。それは解脱していない道士でも作ることができるのだから。
できると念じれば、それはいとも容易く可能になる。浮くと思えば浮く。そして、雲を作れると思えば作れる。
だが十耳魔王の術……逆成長の術を打ち破ることはできない。万姫の時でも無理だったのだから当然だ。ましてや、今のあたしは道士。まだまだ仙力が足りない。
だけど、できることもある。できると思わないといけない。
赤子の様になった泰然を空へと持ち上げる。懐かしい姿。万姫の時に、見た姿。
「逆成長しているなら、成長させてしまえば良いんだ!」
できると言う決意を込めて声をあげる。できなくてもやるしかない。いやできる。なぜなら過去の記憶がある。ずっとずっと見続けてきたんだ!この子の成長を!
目を閉じれば浮かんでくる。
初めて見た時は海を泳いでいた。鯨を獲って、自慢げだった。
母親と離れたくないと、ぐずった顔の可愛かったこと。
それからずっと見ていた。毎日飽きることなく、見続けた。
獲物を勇ましく狩る姿。両親に甘える姿。年相応の表情で友達と遊ぶ姿。
迎えに来た仙人に手を引かれて去る時の、両親に見せた寂しそうな顔。
崑崙山で初めて会った時に、照れて東王父の後ろに隠れたかわいい姿。
弟子として成長していく日々。
年々に大人になっていく。
言葉遣いが変わり、身長は追い越され、いつしか熱っぽい視線で見られる様になった。私にその気にはなかったけれど、いつか誰かにその視線を向ける日がくるかと思うと、寂しくも思えた。
今、その想いを全て力に変えて、この子を救う時が来た。今度こそ、ちゃんと救ってみせる!今の私には、丈夫な身体があるのだから!
雪玲と泰然の周囲に光の粒が煌めき、更にザザザっと音を立てて花びらが集まる。桜のように儚げな花びらは、だけどもしっかりとした意志を持って泰然を取り囲む。そして暗闇に包まれた世界に、雪玲から一筋の光が迸り、更に一気に風が吹き、雲を飛ばし、太陽の光を地上へと届ける。
腐った大地は太陽の光を受けたところから、大地にしっかり根を生やす緑の草原が広がり、そしてかわいい花弁をもつ花々が咲き乱れていく。
雪玲を中心に、世界は浄化されていく。と同時に、花弁に包まれた泰然の身体も大きくなっていく。赤子から子供の大きさに、そして大人になり、更に雪玲の腕にかかる重さがなくなった頃、さぁっと緩やかな風が吹き、花びらを散らしていく。
そこには寸分違わない姿の泰然がいた。
「雪玲?」
目を瞬く泰然は何が起きたのか分かっていないようだ。ただ、ただ不思議なそうな顔で雪玲を見ている。
雪玲は安堵の笑みを漏らす。
ほっそりと細くする瞳に、緩やかにあげる口元に、その表情全てに、泰然は見覚えがある。
「良かったわ……」
雪玲が言葉を漏らしたと同時に、雲が消えた。泰然が慌てて雲を作り、雪玲を抱きあげると、笑みを浮かべたまま気絶している。
「まさか……万姫さま?」
いつの間にか近くまで来ていた峰花が驚愕の声を上げた。
やはりそうだったのか……泰然は息を飲み、ため息とともに応える。
「ああ、万姫様のようだ」
大地は穏やかな陽射しを受け止めた。十耳魔王の痕跡は何もない。栄華を誇った建物も。そして、彼自身の罪も全て消し去った様に。
今度こそ、残り2話です。