第54談
空を覆い尽くすように散らばっていた十耳魔王の妖気が消える。と同時に倒壊した建物から、十耳魔王が現れた。もう生き物としての姿を止めていない。今まで取り込んできた、あらゆる生き物が混じり合った、目を背けたくなる様な姿だ。
十耳魔王の足下はドロドロと腐っていき、身体から発する妖気で大気は黒く汚染されていく。彼の醜悪な妖気に耐えきれず、太陽は姿を隠し、世界の滅亡を描くような黒い雲が世界を支配する。
十耳魔王のあまりにも醜い姿に、凝視するのも難しいと泰然は思う。それは周囲にいる神仙も同じようだ。目を背け、眉を寄せている。
「ひどい臭いだな」
斉天大聖が泰然の背後から声をかける。敵から目を背けまいとしているが、十耳魔王の醜悪な姿に顔を顰めている。
「本当に……見るに絶えません」
峰花も駆けつけた。袖で顔を隠し、なるたけ見ないようにしているが、鼻が曲がるような臭いと、周囲を渦巻く妖気に苛立ちを隠せないようだ。
神仙たちも続々と泰然の周囲に集まる。十耳魔王を蔑む言葉、怯える声、そして怨む声が聞こえる。
誰もが十耳魔王への不快感をあらわにする。その負の感情は十耳魔王の餌となり、更にその醜悪な姿が膨らんでいく。すでに倒壊した建物を凌駕する大きさだ。
そんな中、呑気な声が空に響き渡る。
「んん〜!牛?蝿?トンボ……えっと、あ!コンコンもいる!師匠!コンコンだよ!」
雪玲は観察をしている。十耳魔王の体に生える部位から、その生き物が何かと判じているのを見ると、泰然は、怒気も失せ、さらに緊張感も無くなる。
「お前は呑気だな……」
雪玲を雲の上に降ろして、泰然はため息をつく。
「コンコンってなんだ?」
斉天大聖も緊張感を無くし、泰然に聞いてくる。
「狐です……この言い方が気に入ったらしく、狐のことをずっとコンコンと言ってます」
「雪玲は呑気ね」
峰花も、ふうっと息を漏らし、十耳魔王を真っ直ぐに見始めた。
「ねぇねぇ、師匠、あれ何?あの歯がギザギザーってして、ぱかって口が開いているやつ」
雪玲が指差す部位は、十耳魔王の左肩付近だ。顔だけが歪に生えている。
「あれは……確か鰐だと思ったが……」
「おお!あれが鰐か!本で読んだよ。あれは?あの、背中にある……ぽっこりしたやつ、あれ何?」
「ぽっこり?」
泰然だけではなく、皆が十耳魔王の背中を見る。
何だろうとざわめく声がさわさわと聞こえる。
「確かに変な形だな?」
斉天大聖も額に手を当てて覗き込む。
「あれは……たしか、異国にいる駱駝じゃないかしら?駱駝の背中ある、こぶに似ているわ」
「おお!さすが、峰花様!あれが駱駝かぁ。初めて見た。確かこぶの中身は水なんだよね?」
「はぁ?そんなわけないだろう」
泰然が馬鹿にした表情を見せると、雪玲は更に馬鹿にした表情を見せる。
「師匠ったら知らないの?あれの中身は水なんだよ?喉が渇いたらぱっかーんって開いて、そこから水が飲めるんだよー」
「そんなわけないでしょう?そんな駱駝がいたら、それこそ化け物よ」
「え?峰花様までそんなこと言うの?え?じゃあ、あたしは騙されてた?」
斉天大聖はため息をつく。
「少し考えれば分かるだろう。まったく、良くそんな嘘を信じていたものだ」
「が――――ん、ひどいよぅ」
がくーんと肩を落とす姿を見て、皆が笑う。
そこに先ほどまでの剣呑とした雰囲気はない。誰も十耳魔王から目を逸らしたりはしない。それどころか、あの部位は何の生き物かと話すものもいる。
この雰囲気なら勝利を手にすることは容易いのではないかと、斉天大聖は皆を見る。
恐怖は心を縛る箍だ。感情に振り回されていると、倒せる敵も倒せない。
斉天大聖は雪玲の頭をぽんぽんと軽く叩く。
「ありがとな」
「なにがですか?」
ニコニコ笑う雪玲は無邪気で、自分のした功績を分かっていないようだ。
「良し、皆、戦いの再開だ!」
斉天大聖が片手を挙げると、皆が続いて声を上げた。
神仙達の声を聞き、十耳魔王は多くある目で彼らの姿を凝視する。
怯えていたのは一瞬だ。今の彼らには恐怖の色はない。忌避する姿もない。これほど自分は醜いのに、これほど汚臭を放っているのに、体から溢れる妖気は自分でも嫌になる程、醜悪なのに、それなのに彼らは目を背けることもなく、十耳魔王を真っ直ぐに見ている。まるで射抜くように。
こうなると自分に不利だと、十耳魔王はたくさんある目を細める。神仙とて仙人とて感情のある生き物だ。故に敵が恐怖や忌避する気持ちは、十耳魔王への追い風となり勝利を導く光となる。
十耳魔王にとって、嫌いなものは自分の醜い姿。だがそれこそが、自分が大妖怪となった過程であり、勝利の証であると言うのに!
まさかあの女性に続いて、自分に少しも恐怖を抱かないものがいるとは……、口の一つでぼそっと呟く。
自分を一瞬でも恐怖させたあの美しい女性と同じ存在。翠蘭が最も愛した存在。そして愛おしい翠蘭を殺した存在。
あいつだけは殺してやる。
十耳魔王は覚悟とともに空を見上げる。顔の中心にある紅い宝玉のような瞳が、ギラリと光った。
不定期更新です。
今月中に終わるかな?どうかな?