第48談
声のする方に3人は走る。美しい声は建物の奥から響いてくる。
「だってそんな……姐姐は……」
雪玲には、この声がどこか違うことが分かる。だけど同じことも分かる。
「おそらく死体だろうな。翠蘭の魂は回収できたが、身体は回収出来なかった。死体を使った僵尸か、もしくは翠蘭の身体に妖気を入れて妖怪化させたか……」
「十耳魔王は確かに多彩な術を使えますが、僵尸はそう簡単に作れるものではありません。おそらく翠蘭の身体に妖気をいれたのではないかと……」
「え?ってことこは姐姐は妖怪になったの?それってどうなるの?」
雪玲の質問に、泰然と斉天大聖は顔を見合わせる。魂のない骸に妖気を注いでも、残るのは土に還る死体にしかならない。しかも十耳魔王の妖気は醜悪で、人の身体に合うものではない。となると無惨に腐っている可能性がある。
愛しい人のその姿を、斉天大聖も、そして雪玲も見ることができるだろうかと、泰然は心配になる。あの美しい姿のままを心の中に焼き付けおけば、このふたりは幸せだろうに、どうしてそんな姿を見なければいけないのか……。そしてそんな姿を愛するふたりに見せられる翠蘭も気の毒に思う。最後のあらゆるモノを魅了する姿を知っているだけに。
斉天大聖は無言のまま如意金箍棒を強く握りしめる。
そして3人が曲がったか先に、その姿はあった。
「翠蘭……」
泰然は思わず眉を顰める。
翠蘭が死んでから、それほど時を置かずこの戦いは始まった。だからここまで酷い状況だとは思わなかった。
翠蘭の身体は腐り、美しかった髪には艶がなく、さらに抜け落ちている。唇は生気のない紫色で、当然ながら目には何も写していない。きめ細やかだった肌は、紫色に染まり、更にあぶくができている。何よりもひどいのはその体臭だ。腐っていく身体からは、吐き気をもよおすほどの悪臭がする。
だがその口からでる歌声は美しい。歌うのは愛のうた。愛おしい人を求める歌。
こんな存在の翠蘭を見続けるのは辛いだろう、しかも魂はなくとも間違いなく愛した人の身体だ。戦いたくはないはずだと泰然は思い、一歩前に出る。
「師父、雪玲、ここは私に任せて、先へ」
だが、泰然の心遣いを理解した上で、斉天大聖はもう一歩前に出る。
「いや、任せられねーな」
「ですが!」
「あれは俺の惚れた女の器だ。誰にも触らせねーよ。たとえそれが弟子であったとしてもな」
フンっと鼻を鳴らし、斉天大聖は如意金箍棒を構える。
「わりーな、雪玲、ここは譲ってくれ。代わりに……泰然を頼む」
雪玲は破顔する。
「あいよ!ここは譲ってあげますよ、でも次は譲りませんよ。翠蘭姐姐の転生した姿を見つけるのはあたしですから!」
「そっちも譲らねーよ」
斉天大聖は泰然を見る。
「泰然……今のお前なら十耳魔王を倒せるだろう。だがくれぐれも注意しろ。雪玲を頼れ」
泰然は頷き、雪玲の手を握る。そしてあたふたと焦る雪玲を無視して、駆け出した。
「師父!ご武運を!」
「おう、お前もな!」
翠蘭であったものは、走るふたりを目で追うことなく、斉天大聖に両手をひろげてみせる。
「……愛おしい人……」
斉天大聖は鼻で笑う。
「そうか……それが知れただけでも、良かったよ」
斉天大聖の周囲に火が生じた。
◇◇◇
「し――師匠……師匠ってば、手……手を離して!!」
雪玲の悲鳴にも似た叫び声が聞こえ、泰然は足を止めた。
「お前……真っ赤だぞ?」
「うう゛ぅ、だって師匠が突然、手を握るから……」
泰然が繋いだ手を離すと、真っ赤になった雪玲はその手を胸の内に収めてモジモジしている。
「なんで照れるんだ……私に興味がないんじゃないのか?」
「興味なんてこれっぽっちもないやーい!手を繋がれたからびっくりしただけだーい」
良く分からない弟子だと思いながら、ため息をつくと、廊下の先に足が見えた。
「ん?誰か倒れているな……」
「あり?本当だ」
雪玲はぴょんぴょんと跳ねながら、近づいていく。敵意はない。そもそも気が感じられない。生きていないものだと泰然は判断する。
「ありり?姐姐の……偽物?」
「偽物?」
泰然が近づくと、確かにそこには翠蘭の姿をした女が倒れている。見開いた目と口は、何か怖い者でも見たかのようだ。
「確かに偽物だな。雪玲は良く分かったな」
「だって、なんか違うもん。さっきのは姐姐だったものだけど、これは姐姐を模しただけな気がするもん」
「ふむ……」
泰然は印を組み、そして翠蘭の姿を模したものに、術をかけた。すると翠蘭を模したものは狐に変わった。
「でかい狐だ。こんこん……何人前だ?」
「馬鹿なことばかり言うな。これは狐の妖怪……メスだな」
「雌………十耳魔王の嫁か、コンコン?」
「ったく、気に入ったのか?コンコン言うな。そうだ、10人いる……いや、俺が知っている限り8人になったのか……その嫁の1人が狐だったはずだ」
「コンコン……は翠蘭姐姐に化けて何をしたかったのかな?」
「さぁな」
翠蘭になったのか、されたのかで変わってくると泰然は眉を寄せる。この狐はおそらく後者だろう。狐の毛の中に、十耳魔王の毛が混じっている。
十耳魔王の翠蘭への執着は凄まじいようだ。だったらなぜあそこに翠蘭がいたのか……。罠でなければ良いが……。泰然が考え込んでいると、雪玲から呑気な声が聞こえた。
「師匠、眉間に皺がよってるコンコンよ?かっこいい顔が台無しだコン」
「いや……師父は大丈夫だろうかと思って」
「斉天大聖様は大丈夫だコンコン。それより行こうよ。あっちにも倒れているコンよ」
雪玲が指差す先には、やはり翠蘭を模したものが倒れている。
「ああ、行くか……」
コンコンうるさいと思いながら、立ち上がって前を向く。狐の死体は念のために燃やす。
等間隔で倒れている翠蘭を模した死体が、まるで分かりやすい罠のようだと……眉を顰めた。
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