第41談
翠蘭は懇願する3人を見たあと、ふと遠くを見る。見た先にあるのは十耳魔王の館だ。館は遠くから見ても分かるほど妖気に包まれている。きっと、十耳魔王の妖力が暴走しているのだろう。
……可哀想な子……翠蘭は十耳魔王に対して心の中で呟いた。純粋であったが故に妖怪になった子。あの子を救われる日がいつか来るように、心の奥で願うだけだ。
《私は人として産まれて、妓女となって、必死に生きてきました。人に後ろ指を指されようとも、それが私の生きてきた道。だから人として産まれた以上、人としての死を選びます》
キリッと前を向き、強い視線と言葉で翠蘭は自分の意見を述べる。その言葉に姿に泰然は息を呑む。そしてもう何も言えない、言うことはできないと目を瞑る。
「翠蘭……お前たち人間は知らないだろうが、輪廻転生は時の運だ。冥府に行って待っているのは、ランダムなくじ引きだ。そこに忖度はない。くじ運が良ければ人となれるだろう。だが大概は虫や動物になるのがオチだ。それが分かっているから俺はお前を止めるんだ。虫や魚になり短い生を生きたいのか?獣となって、食われることに怯え、野山を駆け回ると言うのか?運良く人に生まれ変わったとしても、苦労する人生になるかも知れない。食事にことかくような生活になるかも知れない。戦争に巻き込まれ、無体に死んでいくかもしれない。だが、今ならお前には、誰もが羨む神の道が開ける。それとも俺の妻が嫌か?だったら他の神仙を紹介するから……だから……」
斉天大聖は諦めきれない。初めて本気になった女性。妻に望んだ女性。これほど素晴らしく魅力的な女性に、これから先も出会えるはずがない。そう思うとみっともなくとも、懇願する。
そんな斉天大聖に、翠蘭は儚げに微笑んだ。
《ありがとうございます。ですが、もし虫に生まれ変わったら、その儚い人生を精一杯行きましょう。魚になったら、寿命は短くとも大海を精一杯泳ぎましょう。動物に生まれ変わったら、大地を踏み締め精一杯走りましょう。そして、人になったら、その人生を精一杯生きましょう……》
「では、……溢れ者に生まれ変わったら……俺の妻になってくれるか?」
《溢れ者になったら、術を極めて、あなたを翻弄してみせるわ》
翠蘭は勝ち気な表情で、斉天大聖をじっと見る。これが彼女の素の姿かと思うと斉天大聖の胸は更に高鳴る。
「翻弄?」
《ええ、だって斉天大聖様は素敵な方だもの……もし溢れ者に生まれ変わったら、そんな奇跡が起きたなら、あなたの横に並び立つために私は努力するわ。そしてあなたが私なしでは生きられないほど強くなってみせるわ》
「はっ!――ああ、頼もしいな……待ってる。いつまでも待ってるよ。翠蘭」
ふたりは翠蘭の行く末を止めることを諦めた。この潔く、美しい人を止めるなど無粋なことだ。
「……姐姐」
《あんたは……分かってるんでしょう?このふたりよりはずっと、私の事が分かってるんだから》
翠蘭に改めて言われなくても雪玲だって分かっている。ここは引くところだ。人の人生は人のもの。他の誰のものでもない。わがままを言うべきではないことくらい、他の誰よりも分かっている。ましてや大好きな翠蘭のことなのだから。
「……だって……寂……しいし……」
《私だって寂しいよ。あんたのことがいつだって心配だったしね》
「ねぇ、聞かせて……姐姐は……もしかして、嘘ついてた?身請けの話……」
雪玲はずっと心に引っかかていた。仙女たちが迎えに来たあの日。翠蘭から出たタイミングが良すぎた身請けの話。もしかして雪玲を仙界へ行かせるための優しい嘘だったのではと……ずっと思っていた。
《ああ、あれね。気が変わって断ったのよ。この私が田舎に飛ばされるような冴えない男の妻になるなんて、もったいないでしょう?》
「……………………」
翠蘭と雪玲は視線を交わす。翠蘭の言っていることが嘘かどうか、雪玲には分からない。分かるのは、お互いがお互いを大好きなこと。それは姉妹のように。共犯者のように。親友のように。
《ねぇ、雪玲、最後に琵琶を弾いてよ。他の誰でもないあんたとの合奏が、私は一番好きだった》
「…………うん」
雪玲は首に巻きつけたリボンをほどく。
雪玲は見たことがある。西王母が目の前で花びらを琵琶に変えたことを。西王母があの時、花びらを使ったのはそこに花弁があったから。今はない。なければ他のものを使えばよい。その他のものが自分と翠蘭をつなぐリボンであることは嬉しいことだ。
2本の指でリボンを挟み、ふわりと宙を舞わせる。そして息を吹きかけると淡い輝きを放つ琵琶へと変わった。
一連の雪玲の動きに泰然と斉天大聖は驚きを隠せない。ひとつの形に作られたものをまるで違うものにすることは容易ではない。まだ道士でしかない雪玲が簡単にできるものではない。
《いつものでお願いね》
「……あいよ」
元気に返事はしたものの、涙で声はぐずぐずだ。鼻水だって垂れてきた。でもこれが最後の合奏だと思うと、雪玲は空元気であっても笑おうと思う。最後に最高の琵琶を弾こうと弦を奏でる。
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