第39談
「………………え?」
雪玲は空を見上げる。
「どうした?雪玲」
「えっと……いま、誰かに呼ばれた気がして……」
しかも心臓が壊れそうなくらい音を立てている。なぜこうなったか意味が分からない。だけど、なにかが起きている気がする。
「……お前、なぜ泣いている?」
泰然の指が雪玲の目元をそっと撫でる。泰然の指の上には確かに涙の粒がのっている。
「あたし――泣いてる?」
「自覚がないのか?変なやつだな?」
えへへと笑ってみせるが心は晴れない。なんだろう……なんだか嫌な予感がする。なにか大事なものを失ってしまったような予感が……。
「それにしても立派な廟だな」
泰然が見る先には、色とりどりの布で飾られた見事な廟がある。中央に立派な坊主の石像がある。苔ひとつ付いていないことから、大事にされていることが良く分かる。
開かれた山とはいえど、中腹にあるのだ。これだけ立派なものを作るには骨が折れるだろうにと、泰然は周囲を見回す。ここから見える景色の中には栄えた邑がいくつか見える。その中には街といっても差し支えない規模のものもある。
石像の横にはこの廟の事が書かれた石碑がある。
「『金の髪と灰色の目をもつ僧侶、ここに眠る』と書かれているな」
自分の姿を奪った十耳魔王の髪色と目色が反対だ。ここに起源があったのだと泰然は推測する。兎は色の判別ができない。だが、無意識で十耳魔王は気がついていたのだろう。兎と共にしか過ごせなかった、僧侶の姿を。
「金の髪と灰色の目……異国の人間?たしか曜国の遥か先にはそんな目と髪色を持った人間がいるって聞いているよ」
「そうだな、さらに『即身仏となって飢饉から救った』と書いてある」
「即身仏……確かあれだっけ?坊主とかが自分の意思で死んで神になろうとしたり、願いを叶えようとするやつだっけ?」
「そうだな。これを見ると、自身に火をつけることで、雨を呼んだと書かれてある。つまり十耳魔王と共に過ごした坊主が死んだあと、たまたま雨が降ったのだろう」
もしくは、無力な兎が妖怪化したことで、雨雲を呼んだのかも知れないと泰然は考える。どちらにしろ都合の良い解釈だ。無力な坊主を死に追いやった人々は自分達の罪の意識を、坊主を祭り上げる事で消しているんだろう。
だがそのお陰で良い事もある。人間には見えないだろうが、廟の横には穏やかな顔の霊がいる。悟りを開いたような表情をした霊は、金の髪と灰色の目で、こちらを見てニコニコと笑っている。
「恨みはないようだな?」
《恨みなどありません。人は間違うもの……私も間違っていたのです》
「そうだな、お前に必要だったのは、祈る事ではなく、共に鍬を振るう気持ちだったのかも知れないな」
《その通りです。私は人である以上、人として日々の営みこそ大事にすべきだった。髪色と目色が違うと蔑まれても、それでも歩み寄ることこそ必要だったのでしょう》
「そうだねー、だって綺麗な髪と目の色だもん。もったいないよ」
雪玲が笑うと幽霊である坊主も照れくさそうに笑った。
「それで、お前が成仏できないのはやはり十耳魔王に食われたからか?」
《いいえ、恨みなどもっていない私は成仏しようと思えばいつでも、輪廻の旅に出れます。ですが、私はあの兎のことが心配で成仏することはできません。私が間違ったばかりに、あの子には辛い思いをさせてしまいました》
「では共に行ってくれるな?」
坊主の霊は立ち上がる。
《はい、私は自分でここから動くことはできません。ですがあなた方のお力を借りれば、動くことが可能です。ぜひ私をあの子の元へ!》
目的が果たせたことで、雪玲は手を叩いて喜んだ。
◇◇◇
建物を揺るがすような勢いで十耳魔王は嘆く。その後ろには第一夫人の死体が無惨な状態で転がっている。
翠蘭の身体には小刀が深く刺さっている。美しい声を発していた口からは血が溢れている。十耳魔王は翠蘭を抱きしめる。5つの瞳からは涙がぼたぼたと落ちている。
「……だから、奥様を大事にして……あげてと……」
言葉の後に咳をひとつ落とすと、口からあぶくのような血が溢れた。どうやらもうダメなようだ。人のままで死ねるという安堵の気持ちが翠蘭の心を染める。
「翠蘭!我の妖気を受けよ!今なら妖怪となり生き続けることができる!我とともに永遠に‼︎」
十耳魔王の言葉を、翠蘭は微笑みながら拒絶する。人として生まれた以上、人として死にたい。永遠の命など必要ない。
翠蘭は十耳魔王の第一夫人に刺された。第一夫人が翠蘭の元へ度々来ていたのは知っていた。十耳魔王の寵愛を奪われたくないと言うように。そしてその怒りが頂点と達した時、彼女は翠蘭を殺しに来た。翠蘭の部屋の扉を開け、刺したところで十耳魔王に気が付かれ、その命は散らされた。恨み言を言う暇もなく殺された彼女を翠蘭は気の毒に思う。だけど妖怪に変わりつつあった自分を殺してくれたことに心から感謝している。
「捨身月兎をもう一度……調べて……」
「翠蘭!この後に及んで何を――‼︎」
翠蘭は儚く笑う。最後に目に入ったのがかわいい兎の耳であることは幸せだ。
「兎は……仲間……」
それを最後の言葉とし、翠蘭は息絶えた。
十耳魔王の嘆きが屋敷を覆い、その声が鳴り響く中、斉天大聖の分身である鼠は必死に逃げた。主人の元へいち早く向かうために。
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