第37談
少しだけ、壮絶な話かも……でも物語の肝となる内容なので、ご了承ください。
十耳魔王の怒りで部屋が震える。その姿はいつもより凶悪で、翠蘭は自然と腰が引けてしまう。叱咤激励しても無理なものは無理だ。思わず床に腰を落とし、自然に出た涙をそのまま床に溢していると、慌てて十耳魔王が翠蘭の体を支える。
「すまない……つい、思い出した怒りから、お前に怖い思いを……もうこの話は終いとしよう」
「い……いいえ。私が弱かっただけ……どうか続きを聞かせてください。あなたの事を知りたいのです」
翠蘭に上目遣いで熱い視線を送られると、十耳魔王はどうしようもなく臆病になってしまう。数多の妖怪を束ね、神仙にも恐れられる自分がどうしたことかと思うが、それでも戸惑う自分を抑えることができない。翠蘭には自分の全てを知って欲しいと思うし、自分の全てを見せたい、捧げたいと思ってしまう。
初めはただ興味本位で攫っただけなのに……とは思うが、翠蘭を想う気持ちは日増しに強くなり、爆発しそうな恋心を止めることができない。彼女の望むことはなんでも叶えたいし、彼女の全てを支配したいとも想う。
「そうか……お前が望むなら話すこととしよう」
十耳魔王に支えられながら立ち上がった翠蘭は、その巨体に身体を預ける。十耳魔王はビクッと身体を震わせる。何人もの女と関係をもったはずなのに、まるで若造のようだと思うが、高鳴る心臓はドクドクと激しく鳴り響き、その音は今まで聴いたどの音楽よりも自分を酔わせる。
「坊主に限界がやってきたころ、人間どもが坊主の庵にやってきた。人間どもは口を揃えて雨を降らせろ、食べ物を生やせと言ってきた。自分達が今まで散々勝手に供物を持ってきていたのに、それも返せと言ってきた。なんと勝手な生き物だと我は思ったが、その時の我は無力な兎だ。なにもできず、恐怖から坊主の後ろに隠れることしかできなかった。だが我と違って坊主は静かだった。静かに床に頭を擦り付け、『人である以上、雨は降らせぬ、実りをもたらすことはできぬ』と言った。続いて坊主が言い放った言葉に我は驚愕した。坊主は『だが今日の飢えを満たすことはできる。火を用意してくれ』と言ったのだ」
「もしや……あなた様を?」
「我もそう思った。その時は我も痩せ細っていたが、村人には美味そうな食糧に見えたのであろう。そして我もそれでも良いかと思っていた。我を食うことで、坊主が救われることにはかわらないのだから」
十耳魔王の凄まじい献身の心に、翠蘭の気持ちは揺らぐ。だが、これだけの男がどうして魔王となったのか……それだけが腑におちない。
「庵の前に荒れ狂うような焚き火が起こされた。我はこの中で焼かれるのだと思った。だが坊主を救うためだと想うと不思議と恐怖はなかった……そしていざ飛び込もうとした時、坊主が我の体を持ち上げ、山の方へと向けた。我も人間どもも意味が分からなかった。我以外の食料などない。どういうことかと思ったら、坊主が言った。『捨身月兎……私は貴方達にこの身を捧げましょう』そしてそのまま荒れ狂う火の中に飛び込んだ」
翠蘭は息を呑む。まさかそんな話になるとは思わなかった。兎ではなく、自分を食えとは、そんな話になるとは思わなかった。
「……それで……いったいどうなったのですか?」
「……人間どもは、慌てふためいて逃げ出した。正気の沙汰じゃない。気が狂ってる。人など食えるかと口々に叫びながら。その声が坊主の耳にも届いたのだろう。火の中から怨嗟の声が聞こえた。『なぜ食べてくれないのか』と、『自分はそのために死んだのに」と」
正気だとは思えないと翠蘭も思う。どのような飢餓状態であっても、そのようにして死んだ坊主を食べることなど、できるはずがない。人である以上、理性は手放せない。
「我は泣いた。どうして人間は坊主の気持ちが分からないのかと、どうして坊主の献身の気持ちが分からないのかと、どうして兎は食べれて、人間は食べれないのかと!」
無理な話だと翠蘭は思うが、それは十耳魔王の耳にはきっと届かないだろう。思い込んだ生き物は他の意見など聞かないものだ。それは人であっても、妖怪であっても変わらないだろう。
「だから、我が食ったのだ」
やはりそうかと翠蘭は息を呑む。もうこの話は聞きたくない。だけど聞かなければならない、聞かなければ十耳魔王を倒す手段などないのだと思い、意識を手放さない為に、自身の爪を手のひらに強く押し当てる。
「炎が燃え尽きた時、坊主の身体は炭の様になっていた。元々痩せ細っていたのだ。仕方ないことだ。それでも我も小さい兎だ。1日目には手を、二日目にはその先を少しと、ゆっくりゆっくりと食べていった。何度も吐きそうになったが、そこは坊主の献身を受けているのだ。頑張って飲み込みんだ。そうして食い進むうちに徐々に身体が大きくなっていった。かつてないほど力がみなぎり、食う量も増えていった。そして坊主の全てを食べた終えた時に我は妖怪となっていた」
ああ、もう駄目だと翠蘭は眉を顰める。十耳魔王はその後の話をするが、人間である翠蘭には理解し難く、気分も悪くなる。朦朧とする意識に身を委ねると、そのまま全てが消え去るようだ。
そこで、翠蘭は意識を失った。
◇◇◇
「壮絶な……話ですね」
泰然が言った言葉に、斉天大聖も頷くしかない。
人間の世界の苦労は斉天大聖も知っている。人は人として産まれた以上、人として生きるしかない。人である以上、空は飛べない。雨は呼べない。そして死んでいくしかない。
たまに怨嗟から妖怪に堕ちるものもいるが、それも稀だ。あらゆる条件が揃ってこそ成り立つものだ。しかも知性と理性があり、限りある命を持つ人間が妖怪になるのは難しい。現に、炎に焼かれた坊主は死に、無力だった兎は十耳魔王となった。人より獣の方がよほど簡単に妖怪となれる。
「どちらにしろ、これで情報は事足りた。西王母の元へと戻るぞ」
あともう少し頑張ってくれ……斉天大聖は鏡に映る翠蘭に視線を送った。
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