第31談
どれだけ妖怪を倒しても怯まなかった自分が十耳魔王を目の前にした時、恐怖から声を出すことができなかった。それは見た目の醜悪さもあるが、それよりもとどまることを知らない、噴火した溶岩のように溢れ出る妖気の大きさと強さに心を折られた。
まさかここまで強い存在がいるとは思わなかった。仙界・神界屈指の強さを誇る斉天大聖ですら勝てないかもしれない。そう思った時点で負けは決まっていたのだろう。泰然は十耳魔王に捕縛され、拷問される日々が始まった。
だが、そもそも泰然は解脱した身だ。痛みを感じることはない。例え耳を削がれようとも、腕を斬られようとも、痛みは感じない。身体もすぐに再生される。
それでも心が折れないわけではない。なぜなら十耳魔王は泰然の身体を切った先から、目の前で食うからだ。その醜悪さは大妖怪というに相応しく、痛みを感じずとも泰然の心は疲弊していった。いっそ殺して欲しいと思うが、仙人は基本的には死なない。死ぬことも狂うこともできない。だからこそ超越した存在だ。
今日は右腕、昨日は左腕。徐々に喰われていく身体。すると十耳魔王に変化が訪れた。毛に覆われた腕は人のように変わり、巨体はまさしく泰然と同じ大きさに変わる。
どうやら十耳魔王は食った生き物を、自分の姿として取り込めるようだと、泰然は朦朧とした意識の中、観察する。
そして永遠にも続くと思われる様な恥辱の日々の中、全てが喰われた時に、十耳魔王は泰然の姿となった。違いがあるとすれば、髪色と目色だ。灰色の髪と、金の瞳がどこからきたものか泰然には分からなかった。
泰然の姿へと変わった十耳魔王は笑う。これで愛される存在になれると。見た目で忌避される日々はうんざりだと。
そんなことのために自分を罠にかけたのかと思うと、泰然は笑うしかなかった。
きっと攫われた娘などいなかったのだ。自分を頼ってきた人間は命惜しさに泰然を騙し、十耳魔王に差し出したのだ。生贄のように。そして自分は捕縛され、捕食された。全てを喰われた今、十耳魔王の目的は果たせた。その後どうなるかは十耳魔王の気分次第だが、どうせ死ねない身だ。この永遠のように続く恥辱に耐えながら、ただ生き続けるのだろうと覚悟を決めた。
そしてその日はやってきた。
月のない夜に泰然は十耳魔王の屋敷の庭園の中心に引っ立てられた。
屋敷周辺には大妖怪に相応しいほどの強力な結界が張られ、逃げる事も侵入する事もできなそうだ。更にそこにはいたのは上級から下級までの様々な妖怪たち。
そのどれもが下卑た笑いで、吊るされた泰然を見る。吊るされた布には、仙術が使えなくなる文字が書かれている。力付くで引き裂こうとしてもまるで手応えがない。なす術がない。泰然は、妖怪たちを睨みつけるが、まるで怖くないと妖怪たちはゲタゲタと笑う。
しかも、尽きることのない食糧が手に入ったと口々に話す始末だ。今日の食事は自分かと思うと、流石に泰然の心にも波風がたつ。
陽極めれば陰となり、陰極めれば陽となる。
陰陽の絶妙なバランスで仙人は成り立っている。故に陰に染まっても、陽に染まっても、妖怪と化すことは、人も仙人も変わらない。喰われても痛みはない。だがさすがに永遠に喰われ続け、再生を続けることに抵抗はある。
十耳魔王のやりたいことは分かっている。つまり泰然を貶めることにより、妖怪としたいのだろう。自分が奪い取った美しい姿が穢れ、堕ちるのをみたいのは、妖怪の本質であろうから。
耐えねばと思いつつ、無理だとも泰然は思う。舌なめずりをし、あるいは涎を垂らしながら近づいてくる妖怪達の姿は醜悪で、仙人となり超越した存在となった泰然でも身の毛がよだつ。
恐怖が身体を支配し、怯える姿を見せてはいけないと思いつつ、小さく震える身体を止めることができない。視線は宙を泳ぎ、唇からは嗚咽にも似た声が漏れる。
それでも自分は神界きっての武神。斉天大聖の弟子であり、誰もから羨望の眼差しを向けられる万姫の唯一の弟子だ。
せめて一矢報いてやりたいと睨みつけたその時、空に眩い光が生じた。
その光は闇世を照らす恐怖を消し去る明かりのようであり、登りゆく太陽のような希望の光の様である。
次に芳しい芳香が、妖怪達から発せられる、おどろおどろしい妖気を飛ばし、温かい日差しを受けて花咲く春の花の様な優しさを鼻に届けてくれる。
更にどこからか花びらが舞い散り、散りゆく満開の桜のように、庭園の周囲を美しく飾る。その花びらが泰然の周辺にザザザッと音を立てて集まり、人の姿のようになると、キンッと音を立てて花びらが光の礫に変わる。
するとそこには誰もが目を合わすことができない、穢すこともできない様な、清廉な美女が立っていた。
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