第27談
扉に重々しい鍵がかけられる音を聞きながら、ひとり残された部屋で翠蘭はため息をつく。
今日も無事に人でいられた……その思いからくる吐息は美しい。
翠蘭が与えられた部屋は、まるで皇族もかくやと思われるほどに、調度品の整った部屋だった。豪奢な寝台に豪奢な家具、さらに美しい着物の数々。ないものと言えば、自身を傷つけることのできない刃の類ぐらいだ。食事も3食、上等なものが出されている。
十耳魔王に攫われた翠蘭は、何よりも人でないモノに変わるのを恐れた。殺されることより、生きながら喰われることより、陰の固まりである妖怪と交わることで、人ではなく妖怪となる方が嫌だった。人として産まれた以上、人として死にたい、翠蘭の意思はそれだけしかなかった。
それを見抜かれたのだろう。翠蘭が隠し持っていた小刀は即座に奪い取られた。着ていた着物も剥ぎ取られ、新たに上等な着物が用意された。まるで自分のモノになったと誇示するように。
そんな中、雪玲からもらった髪紐だけは許された。
許されたとは言うのは違うかも知れない。妖怪たちのだれもが、それに触れることはできなかった。妖怪達は髪紐に触ると激しい痛みに襲われるようだ。それは低級妖怪だけでなく、ここの誰よりも強い存在である十耳魔王ですら、触れることができなかった。
縦横と太い格子に遮られているが、窓もある。窓から見える景色は山深い森ばかりだが、それでも日が沈み、日が昇るのは分かる。それだけでも心が落ち着くと、翠蘭は外を垣間見る。
外は何も見通せないほどの闇夜だ。今日は月齢でいけば十六夜。鬱蒼とした森はもう少し明るくなりそうなものだ。これは雲が深いわけではなく、妖怪達から溢れる妖気によって、月の光が届かないからだろう。
だけど翠蘭は外を見ずにはいられない、誰かが助けに来るのを待つ事しかない身が憎い。その誰かが、かわいい妹のような子でなければ良いと願いつつ、他に当てがないことも分かっている。
「……雪玲」
ポツリと呟くと、心に灯りが点るようだ。
視線を床に向けると、そこにいるはずのないものと目が合った。
「……ねず……み?」
久しぶりに妖怪以外の生き物を見たと翠蘭は目を瞬く。普段なら声をあげるところだ。すると雪玲が走ってやってきて、『姐姐は意気地なしだな』と言って素早く捕まえてくれていた。だが、殺すことはない。雪玲は乱暴だが、無闇矢鱈に殺生はしなかった。
「お前、ここにいたら食べられてしまうわ。早くお逃げ」
膝を落として白い鼠に手を伸ばすと、まるで言葉が分かっているかのように鼻をヒクヒクとさせる。しかも翠蘭の手の上に警戒心なく登ってくる始末だ。こうなると怖さを通り越して愛しさが湧いていくる。
「ここにいるのは妖怪ばかりよ。お前のような小さいものは丸呑みされてしまうわ」
そう、ほんの少し前に翠蘭は見た。自分を酒宴席へと連行する妖怪が、床を這う鼠を捕まえて、生きたまま丸呑みしていたのを。
それを見た時に、おぞましさより、いっそ自分も丸呑みにされてしまえば良いのにと翠蘭は思ってしまた。この明日が見えない状態で、じわりじわりと飼い殺しにされているよりよほど良い。
手の上に乗った鼠は飼い慣らされているように、着物の袖の上を軽快に上がってくる。一気に肩まで駆け上ると、チューチューと可愛らしい声で鳴く始末だ。
「ふふ、だめよ。私はいつ出荷されるか分からない家畜のような存在よ。お前に何かすることもできないわ。ついこの間までは籠の中の鳥だったのに、今では養鶏場にいる鶏のよう。卵を産むか、首を締められ喰われるか、主人次第というわけよ……いっそ喰われてしまえば楽なのに……ね」
「その喰われるはどちらの意味かな?」
扉の外から聞こえた声に、翠蘭はびくりと身体を震わす。鼠を慌てて袖の中に隠し、立ち上がって震える声を誤魔化すために、静かに呼吸を整える。
「ひと思いに首を絞められ、喰われることを、鶏はのぞんでおりますわ」
外から聞こえた声は十耳魔王の声だ。あの巨体で足音もなく扉の前に来たらしい。
いつも部屋に鍵をかけられた後は、食事以外は放っておかれるので安心していた。
ごくりと翠蘭は息を呑む。男が呑んだ後にやることなど決まっている。自分はまさにその仕事をしていたのだから、分からないはずがない。
酒宴は翠蘭が歌を歌うことで、盛り上がった。十耳魔王が姿を変えたこともあるのだろうか、その美しい姿に吸い寄せられように、妻達は次々と酌をし、それぞれが寝屋へと誘った。その中のひとりと十耳魔王が互いに抱き合いながら、酒宴会場から移動したことでお開きになった。十耳魔王の部下達もいつものことのように、翠蘭を部屋へと連行した。いつもならそこで終わりだ。十耳魔王はそのまま朝まで妻と寝る。それで終わりのはずだった。
だから翠蘭は安心していた。今日も自分は抱かれなかった。だから人でいられた。それなのに!
ガチャリと大きな音が室内に響き渡る。するとそこには、仮母ですら魅了された美しい姿の十耳魔王が柔らかな微笑みと共に立っていた。
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