第23談
突然の西王母の介入に、仙女達は服の袖を手に当て、または団扇で顔を隠し、その人物を見る。
「西王母様はそんな考えなんだ?」
だが、雪玲は恐れず向き合う。峰花が止めなさいと言うように、服の裾を引っ張るが気にしない。
「ええ、万姫は皆の前に姿を現すのも稀だったので、誰もが尊崇していただけのこと。偶像化されていれば、見ることのできないものは多いでしょう」
「ふ――ん」
ふわっと浮いた西王母は雪玲の前に降り立った。素晴らしい芳香と輝きに、頭がクラクラしてくる。決して美しいわけではない。だが、その艶かしい姿で誘われれば、男でも女でも一発で虜になりそうだと雪玲は思う。それだけの魅力が彼女にはある。
「西王母様……そのような言い方は……」
仙女のひとりが口に出すと、西王母はフフッと笑う。
「この中で、あれと一対一で話したことのある者などいないでしょうに。それで良くその様な分かった口が聞けること……」
「――っつ!」
一様に仙女達が口を閉じる姿を見ると、西王母の言ったことが真実だと分かる。
そういえば斉天大聖ですら、口説けなかったと言っていた。あの方ほど強い人物がそう云うのであれば、ここにいる仙女の多くは恐れ多くて話せなかったのかも知れない。その証拠に誰しもが美しさや優しさを褒めるが、具体的に会話した内容や、一緒になしたことなどは出てこない。
「西王母様は万姫様とお話したことが?」
無邪気なふりして雪玲が、西王母に問いかけると、その手の内は分かっていると言わんばかりに微笑まれた。
「万姫と妾は古き時代より共にありましたからね。人間で言う幼馴染のようなものよ」
「へええ、じゃあ万姫が死んだ時、悲しかった?」
ざわっと周囲が騒めくが、気にしないように西王母は笑う。謎めいた笑みに答えを見出すことはできない。
「雪玲、お前は妓楼にいたのでしょう?琵琶は弾けるの?」
「あたし、琵琶は得意だよ。姐姐と合わせて客の前で良く披露してたしね」
「そう、では奏でなさい」
西王母がふわりふわりと漂っていた花びらを摘み、フッと息を吐くと牡丹の花模様が描かれた琵琶へと変わる。
雪玲が胡座をかいて琵琶を持ち、指で弾くと調律も終わっている。
「ふぅん、良い音色だね」
琵琶の長さは三尺五寸、天・地・人の三層と、金・木・水・火・土の五行を表していて4本の弦は四季を表していると教えてくれたのは翠蘭姐姐だ。四季の美しさを描くように、世界のあり方に敬意を払い、五行の全てに感謝するように弾けと言われた。
知識と技術は人を助けると言って、姐姐はいつも色々教えてくれた。
改めて考えると、雪玲がこうなることを見越していたのではないかとすら思ってしまう。
弦を奏でると、西王母が合わせて歌う。
美しい声だ。妓楼に通う客が姐姐の声を天女の歌声だと褒め称えていたが、本物の天女の歌声は世の理を凌駕する。まるでこの世に叶わないものなどないような、錯覚さえしてくるから不思議だ。
なるたけ考えないようにしているのに、何をしていても、何を教わっても、雪玲は翠蘭のことを考えてしまう。
季節は気怠い夏に変わった。今頃、良い人と幸せな家庭を築いているのだろう。覗きたいけど、覗けない。姿を見たいと思うけど、見たくない。もしその姿を見て、雪玲の事など、すっかり忘れて笑っていたら嫌だ。だけど、雪玲を思って泣いているともっと嫌だ。
随分と矛盾していると思うけれど、想う気持ちは止められない。自分が【嫦娥の盃】にいたのは、きっと翠蘭がいたからだと、雪玲は今更ながら気が付いた。また、お団子頭にして欲しい。姐姐にしてもらったのを最後に、お団子頭にはしていない。したくない。
雪玲が翠蘭を思いながら琵琶を弾いていたからだろうか、目の前に見覚えのある景色が広がった。
5階建ての建物。屋根の色は朱色だ。雪玲が踏み抜いた跡が残っている。白い玉砂利が敷かれた庭も良く見える。そこで泣いている派手な女性は……ああ、爆炭ババアだ。フッと笑みが込み上げる。離れてそんなに経ってないのに、もう懐かしく感じるから不思議だ。
「なんで泣いてんだ……鬼の目にも涙か?」
ぽそっと独りごちると、仮母の口元に目が入った。
―翠蘭―
翠蘭姐姐の名前を呼びながら、仮母が泣いている。
「なんで?」
雪玲の心臓が途端に早鐘が鳴り響くように、ドクンドクンと鳴り響き出した。全てを見逃すまいと大きく目を見開くと、建物の中が透けて見える。
3階には翠蘭の部屋がある。窓のない豪華な部屋。そこで雪玲の髪を編んでくれた優しい人。その人がそこにはいない。
「なんで?」
姐姐は優しい人だった。見習い技女のところにいるかも知れない。でもいない。建物全てを見て回ってもいない。
「あ……そうか、良い人に見受けされたんだ……」
本当に?と、頭の中で声が聞こえた。本当に?本当じゃなければ、なんだと言うのか!
もう一度、翠蘭の部屋を覗く。豪華な調度品は全て揃っている。着物も全てある。身請けされたとしても、それらは持っていくのではないだろうか。
何か手掛かりはないかと、もっともっと深く見る。見ようと思えば見れると言ったのは師匠だ。
するとそこには書き掛けの手紙があった。手紙には文字が書かれている。
『雪玲、幸せにおなり』
翠蘭姐姐らしくない、慌てて書いた文字……。その文字は何かが上から溢れたかのように滲んでいる。なにが?なにが落ちてくるのだろうか、文字の上に落ちてくるものなど限られている。
―姐姐―
更に視野を広くし、翠蘭を探そうと試みる。だがその瞬間に何かが弾けた。頭の中にある糸がプツンと激しく音を立てて切れたような痛み。
そこで雪玲は気を失った。
何も見つけることができないまま。
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