第20談
「師はあまり歌う方ではなかったはずですが?」
泰然は探るように斉天大聖を見る。この人は食わせ物だ。単純な作戦だと思っていると、裏の裏を読んで攻撃を仕掛けてくる。
「確かにあまり歌う人ではなかったが、たまに歌ってたぞ?なぁ峰花」
峰花は軽くため息を吐きながら、そっと空を見あげる。
「確かにあまり歌う方ではなかったですね。でも歌声だけではなく、彼の方は全てにおいて素晴らしかったのですわ」
歌を歌えば、嵐が治まり、
楽器を取れば、海が凪ぐ
仙人、神仙全てが手を止め聴き惚れ、
世の争いは全て収まる。
万姫に与えられた美辞麗句は多い。こんなものはその一端だと峰花は語る。
「万姫様は古参の仙女で、お身体が弱かったので西王母の役を辞退したのですが、本当は霊力、お人柄、全てが揃っていた万姫様が西王母になることを皆は望んでいたと聞いていますわ」
「へ?西王母って名前じゃないの?」
「神界の三清と違って、仙界の東王父、西王母ってのは役職なのさ。その時に相応しい仙人と仙女から選ばれるんだ」
「へー」
返事をしながら、雪玲は斉天大聖の知識の広さに感心する。前回もそうだけど、今回も適宜知識を与えてくれている。
「仙人でも体が弱いってあるんだ。あたし、みんな強いんだと思ってた」
「基本的には強いさ。選ばれた生き物だからな。だが、万姫は運が悪かった。生まれた時に持っていた重い体が弱かったんだ」
雪玲は泰然を見る。やはり楽しそうな顔はしていない。でも万姫の話を嫌がるそぶりもない。だったら良いやと、話を更に聞くことにする。なんだかんだで雪玲も泰然の師のことは気になるのだ。
「重い体が弱いって?今のあたしの状態で体が弱いってこと?」
「そうだ。万姫はアルビノの身体で生まれてしまってな。白い体と白い髪。そして赤い目だった。更に日光に当たるとすぐ火傷のように皮膚が赤くなってしまってな。仙女になってからもそれは治らなかったそうだ」
陽の光が厳しい仙界で、その状態とは気の毒だと雪玲は空を見上げる。この青天の空を見ることができない……それはとても寂しいことだ。
「女性でも見惚れるような美しい方でしたわ。汚れのない雪のような白い肌。真っ青な海で煌めく波のような青みがかった白い髪。赤い目は夕焼けの空の様でした。ほっそりした体は水仙の花のように儚げで、優しい笑みを浮かべる唇から発せられる美しい声に、誰もが聞き惚れたものですわ」
「そうだな。俺も長く生きているが、あれほど美しい女性を見たことがない。俺は女であれば誰でも口説くことにしているのだが、万姫だけにはできなかった。あまりにも美しいものを前にすると、そんな感情すら抱けないのだと、罪のように感じるのだと思ったほどだ」
「まぁ、斉天大聖様でもそうお思いなるんて……。ふふ、我々仙女の間では、泰然と万姫様がそろって歩く姿を見て、恋人同士になられたのかしら?と一時に噂になってましたのよ。それほど、ふたりが並んで歩く姿は美しかったのですわ」
「なんだ……そうだとすれば俺は弟子に負けたことになる。実際はどうなんだ?泰然?」
三人の視線を受けて、泰然はフッと微笑む。
「いえ?私と万姫様はそのような関係ではありませんよ。いえ、私は……想っていた時もありましたが……それは一時の気の迷いです。親を慕う子供のような感情ですよ」
「なんだ。そんなこともあったのか」
くくくっと笑う斉天大聖は泰然の姿を見て、心から安堵していた。如意金箍棒を借りに来た泰然は、十耳魔王への復讐に燃えているのかと思った。十耳魔王は自分ですら苦戦する相手だ。特にあいつが持つ、仙人を殺す術こそが厄介で、それだけを理由に手を出せない自分もいる。意気地なしだと思わなくはないが、神のひと柱である自分は簡単に死ぬわけにはいかないのも事実だ。
泰然が奔放な雪玲の相手をすることにより、敵討ちなんてバカなことを思いとどまってくれればと望んでいた。そもそもあの万姫が敵討なんて望むわけがない。斉天大聖が知る万姫はそんなことを考えるなどあり得ないほど、清らかな女性だった。
そもそも雪玲に術をかけたのも、泰然のためだ。泰然では術をかけた時点で気づかれる恐れがある。それに比べて雪玲は気付くはずもない。今だって気付かずに呑気に自分の膝の上に座っている。
「斉天大聖様」
名前を呼んだと同時に雪玲が耳打ちしてくる。可愛い小鳥のような声が、耳に心地良いと斉天大聖が思っていると意外な言葉が聞こえた。
「良かったですね。これからも師匠を宜しくお願いしますね」
いつかどこかで聞いたような言葉、声。目を瞬いてると、自分から離れる雪玲と目があった。
―これからも泰然を宜しくお願いしますね―
そう言っていたのは誰だったのだろう。あの輝いていた美しい人は……。
そしてその人と良く似た表情をするこの子は……。
斉天大聖の心が乱れたのは、本人以外、誰も知ることはなかった。