第２談
「クソ……あの爆炭ババア」
親指でピンと跳ね上げるのは銀貨だ。しかもたった1枚の。
妓楼にいる女のほとんどは子供の頃に親に売られた存在だ。その額はおおよそ金貨1枚。
庶民の平均年収が100銀貨。100銀貨が金貨1枚だから、子供を売ることで随分と生活が楽になると言うわけだ。
そしてその金は売られた女の子に借金として付けられる。更に年利がつき、日々の生活費と授業料が加算されるので、成人する頃には莫大な借金を背負うことになる。
この国の成人は15歳から。15歳になったら客を取り、借金を少しずつ返していく。雪玲はもうすぐ15歳。客をとって借金を返していくのが通例だが、腕っぷしの強い雪玲には他に稼ぐ方法がある。それが先ほどやったような荒事だ。悪者退治をしたら５銀貨もらう約束になっている。
「瓦を割った金と、庭園に穴をあけた金を請求しやがった」
修理代で仮母に４銀貨持っていかれ、1銀貨しか残らなかった。これではいつまで経っても借金を返せそうにない。いつもこうやってなんだかんだ屁理屈つけて減らされる……雪玲はため息をつくしかない。
楼閣の中の廊下も見事に朱色で溢れている。両側に並ぶ柱も朱色。引き戸の枠も朱色。縁起を担ぐことが大好きな曜国は、家の中でも朱色を使いたがる。特に妓楼は縁起を担ぐ。上客がきて、金を落としてもらうことが必要だからだ。
懐にお金を入れて歩いていると、先ほど助けた翠蘭が気だるげな様子で、廊下の先に待っている。その長い首筋にかかる乱れた髪すら色っぽいからずるいと雪玲は口を窄める。
翠蘭の少し厚い唇が開き、そのほっそりとした指でこっちに来いと誘っている。更に切長の妖艶な瞳で瞬きもせず、雪玲を射抜く様に見ている。
これで落ちない男はいないだろう。雪玲は少し早歩きで、誘われるままに部屋に入った。
◇◇◇
「で？あんたはいくらもらったわけ？」
翠蘭の持つ漆塗りの鏡台の前に強制的に座らされた雪玲は、銀貨を1枚見せた。
「相変わらずケチババアね。まぁ、あなたも悪いわよ。飛び降りる時に瓦を何枚か割ったでしょう？しかもこれから牡丹の花が見頃になる庭園の庭もへこましちゃうんですもの。ケチババアじゃなくても怒るわよ」
翠蘭はここの稼ぎ頭だ。3階に用意された部屋は逃走防止で窓はないが、広くてゆったりとしている。上客から貢がれた数々の調度品も美しい。雪玲の前にある鏡台だって、皇族が使用しているような逸品だ。
鏡台に写る雪玲はそのぱっちりをした瞳で鏡を見る。
黒々とした長いまつ毛が瞳を彩るアクセントとなり、可愛らしい顔を更に際立たせる。鼻と唇のバランスも良い。黙っていれば美少女だ。確かに胸は少し……いやかなり淋しいが。
翠蘭は慣れた様子で雪玲の髪を結んでいる。さっきは無造作に後ろで結んでいた。今は、翠蘭の手によって、左右に編まれてお団子になっている。
「あんたは確かに乱暴者だけど、髪も艶めいて綺麗だし、顔も可愛いからね。なんだかんだで頭も良い。仮母としては手放したくなんだろうね」
雪玲は振り返って翠蘭の胸元をまじまじと見る。前合わせの着物からはたわわに育った胸が転び落ちそうだ。
その視線の意味に気がついたのだろう。翠蘭が更に胸を絞って見せる。
「……大きい」
「デカければ良いってもんじゃないさ。小さいのを好むのもいるんだよ」
そうかな？それは特殊なんじゃ……と思いながらそれ以上は追求しないように息を呑む。この妓楼で姉のように優しく、そして厳しく接してくれる翠蘭が雪玲は大好きだ。
「姐姐、今日の男はなんなのさ？」
「ああ、あれ？前に一度私の元に来たらしいわ。私に会うために全財産をつぎ込んだらしいわよ」
「ふ〜ん、寝たの？」
「まさかでしょ？私と寝るためには何度も通わなきゃいけないのよ？あの男にそんな甲斐性あると思う？」
「ないよね〜、しかも姐姐も覚えてないみたいだし」
「せっかく昨晩は楽しんだって言うのにさ、良い思い出を汚されちゃったよ」
「一晩中良くやるよ。うらやま……んにゅにゅにゅ」
鼻を摘まれ雪玲は慌てて翠蘭から離れる。
「姐姐！なにすんだよ！」
「それ……言うなって言ったでしょ？ケチババアは確実にあんたに嫌がらせをする。あんたが色事に興味があるって言ったら、淡白な男を寄越すわよ？」
「そうだった……へっへへ」
雪玲はもうすぐ初めての客を取る。初めての相手を決めるのは仮母だ。できればコッテリ濃い相手と過ごしたいと思っている雪玲は仮母に嫌われる道を選んだ。相手は性格が悪く、ねちっこい仮母だ。媚を売るのが苦手な雪玲には荷が重い。
仮母に喧嘩を売り、更に客を取りたくないと、この商売は嫌だと言うふりをしておけば、確実に嫌がらせとして、絶倫の男を連れてくるだろと教えてくれたのは翠蘭だ
「あんたも変わってるわよね。ほとんどの女が嫌だって、言うのにさ」
「せっかく生きてんだしね、前向きに生きた方が良いだろう？それに悪いもんじゃないって教えてくれたのは姐姐だろう？」
「そうね、何事も前向きに生きなきゃね？どうせ私たちは籠の鳥。ここにいる以上は逃げられない」
そういう翠蘭はその切れ長な瞳に影を落とす。年季が明けて、晴れて自由の身になっても妓楼にいた事は消えない。仮母は明日の自分の姿かも知れない。それならまだ良い。落ちぶれて消えていく妓女を翠蘭は何人も見てきた。妹のように可愛い雪玲にはそんな思いをして欲しくない。でも自分には力がない。
「応援してるわ、雪玲」
「あいよ！姐姐大好き！」
大好きな翠蘭のふっくらした胸元に埋もれながら、雪玲は心の中で呟く。
本気で楽しみなんだけど……な、と。
