第13談
「イッタ――、あのクソババア!爆炭ババアめ!」
手を頬に当てると、熱を持っているのが分かる。ジンジンと脈打つように痛いことから、相当な力で叩かれたのだろう。
「ちょっと、つまみ食いしただけじゃんか――なのに……」
じわっと目に水が溜まると、周りも歪んで見えてくる、はずだ。だけど、今は何も見えない。なぜなら目を開けても、瞑っても同じだからだ。周りには暗闇が見えるばかり。
「叩いたあげく、壺に閉じ込めやがった」
壺の中だからだろうか。声がやたらと響く。しかも絶妙なサイズの壺だ。三角座りに小さくなることで、なんとか収まっている。そこがまた辛い。
暗闇でも怖くはない。殴られたのは痛いけど、自分が悪いことをしたって自覚もある。周りからは馬鹿なことをしたって言われるけど、その自覚だってある。だけどやりたくなった理由だって分かって欲しい。
「――――ふっ……ぐ……うぐぅ」
泣いたって誰も来てくれないのに、それでも泣いてしまう。こんな時に誰かに慰めて欲しいのに。暖かく抱きしめて欲しいのに。
「あら?泣き虫さんがここにいるわ……」
「……姐姐」
暗闇を消し去る明かりで大好きな翠蘭姐姐の顔が見えない。でも、この美しい声は姐姐だ。姐姐が壺の蓋を開けてくれた!
「――うぅっ……ご……ごめん……なさい」
「ばかね。謝るくらいなら、しなきゃ良いのに」
姐姐の腕の中はいつもとても良い香りがして大好きだ。優しく頭を撫でてもらうのも大好きだ。
「分かってるわよ。構って欲しかったんでしょう?今日は偉い人が来る日だから、誰もあんたの相手をしてあげられなかったものね」
「違うもん!そんな理由じゃないもん!」
「ふふ、それも嘘。寂しがりの雪玲ちゃん。イタズラして気を引くなんて仕方ない子ね」
「違うもん!あたしは寂しくないもん!」
「はいはい、分かったわ……。いじっぱりで……仕方ない子ね」
夢のように優しい声が雪玲の心を満たす。こんなに温かくて大好きな存在に出会える奇跡を、噛み締めるように翠蘭にしがみつく。
―だいすきだよ、姐姐―
◇◇◇
「…………ゆ……め?」
雪玲が目を覚ますと、そこは小さな部屋だった。天井には陰陽の図柄が描かれている。どうやら雪玲は寝台の上でいるらしい。
「……ああ、妓楼に住み始めたばかりの頃の夢かな?姐姐もまだ、見習いだった時の夢だ」
懐かしい想いが雪玲の心を寂しい色に変える。
大好きな姐姐はもう嫁に行ったのだろうか。姐姐はそもそも引く手数多だった。大臣や裕福な商人の妾ではなく、地方に飛ばされる様な男の人の妻になれるのなら、それが一番だろう。
両足を揃えて、天井に向けてグイッとあげる、そのまま勢いよく下げて、その反動でクルンと起き上がる。
寝台から降りたら、ストレッチをしながら記憶を辿る。
「えっと、確か峰花様の案内で師匠に会って……そんで?確か師匠のが思いの外、小さくて……ないわーってなって、そんで」
「私もお前なんぞないわ!このツルペタの小娘め!」
「ふえ?」
雪玲が声のした方を振り向くと、壁に男が立っている。
背中で揃えられた艶やかな黒い髪。はっきりとした眉の下には、キリッとした瞳。スッと通った鼻の下にある唇は舌打ちをするが、それすら上品に見える。バランスの良い顔立ちと、均整の取れた体躯。今まで様々な男を見たが、ここまで整った容姿の男を見たことがないと雪玲は息を漏らす。
「その声は?師匠?えっと、泰然……だっけ?名前で言うのもなんだから、『思ったより小さいっすね師匠』ってあだ名つけて良い?」
「お前――それが師匠に言う言葉か?」
「お――一丁前に青筋立ててやんの〜、青筋立てるくらいなら、別のもん勃て――って、イッタイ!なんだよ!痛い!峰花様より痛い!!」
「ああくそ!峰花の言う通りだな!お前の師をやることが私の罰のようだ。くそ、東王父め!」
「ってか師匠、一体いつからいたのさ?気が付かなかったよ」
打たれた頭を撫でながら、雪玲は泰然から遠ざかる。今日は随分と殴られる日だと思いながら。
「ずっといた。私は弟子を取る気はなかったから、寝台のある部屋はここだけだ。ったく、弟子に寝台を譲ってやる師など私くらいだぞ?」
「まじか?じゃあ、今日から早速同衾?師匠は男前だし、小さいし、興味ないけど、お互いに筆おろしする?――って、やめて!その拳――まじで痛いから。美女に殴られるのはご褒美だけど、男に殴られるのは体罰だから!」
更に後ずさる雪玲を見ながら、泰然はこれ見よがしにため息をつく。
これが初めての自分の弟子とは、東王父の嫌がらせにも程があると思いながら。
「お前は丸一日寝ていた。私の寝台はその間に用意したから、これからはここを使え」
「あいよ!了解〜、じゃあ、今から早速修行?あたし、千里眼を覚えたいんだけど?」
「その前に、私の師匠に挨拶に行く。着いてこい」
「師匠?師匠の師匠って、師匠を助けて死んだんじゃないの?」
「――っ!峰花め。余計なことを――、確かに私の師である万姫様は亡くなった。だが、私にはもうひとり、戦い方を教えて下さった師匠がいる。その方に弟子のお前を見せに行く」
「へぇ?誰?あたしも知ってる人?」
部屋の扉に手を掛けた泰然はニヤリと笑う。
「ああ、誰でも知っているさ。私の師は地上では有名な斉天大聖様だからな」
……猿か?動物とは流石に無理だなと、雪玲が呟いたところで、泰然の怒りの鉄槌が雪玲の頭に落ちた。
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