青年の過去
涼恵が小さく震えながら学校内の図書室で参考になりそうな本を探していると、
「あれ?涼恵。君もいたんだ」
怜に声を掛けられ、涼恵は安心したように笑う。
「はい、小説の勉強をしたくて……」
「俺も似たようなものだよ」
二人で話していると、周囲からコソコソと話声が聞こえてきた。
「あの二人、付き合ってるのかな?」
「案外お似合いよね」
「……ちょっと別のところに行こうか」
さすがに気まずいだろうと怜が提案すると、「え、えぇ、そうですね」と頬を染めながら頷いた。
放課後だったこともあり、カフェに行こうと外に出る。
「涼恵も、一人で行動出来ることが多くなったね」
「そうですか?」
「うん。まぁ、結構震えていたけど」
あそこまで震えてると、心配で声かけたくなっちゃうよと怜は笑う。
「本当に変な男についていったらダメだからね」
「そもそも知らない人に声かけられたら動けませんよ……」
「あー、君の場合はそうか」
そんなふうに話していると、涼恵は背後から嫌な気配を感じ取る。
――これは……「モロツゥ」の人間だ。
この妙な雰囲気は自分達の命を狙っている組織の人間だ。しかも、周囲の人間が気付いていないということは儀式が得意なトリストではなく人体実験をしているモロツゥの方。
「……怜さん、少し走ります」
「え……!?」
涼恵が怜の手首を掴むと、そのまま走り出した。手を前にかざすと、魔法で周囲の地図が出てくる。
(カフェは百メートルぐらい……あそこまで行けば……いや、そうすると巻き込むかもしれない……)
そんなふうに考えながら、調べてみると路地裏があることに気付く。魔法を一旦解き、涼恵は怜の腕を引っ張って裏路地に隠れた。
モロツゥのメンバーが通り過ぎる。それを見届けると、下から「涼恵……」と怜の声が聞こえてきた。
「あ、すみません、怜さん。急に走り出して」
「ううん、君にも事情があるだろうからそれは別にいいんだけど……この状況はさすがによくないかな?その……俺も、一応男だし……」
えっ?と涼恵は今の状況を確認する。
怜は真っ赤だ。それはなぜか。理由は顔がちょうど胸のところに当たっているからだ。そのことに気付いた瞬間、涼恵も真っ赤になった。
「す、すすすみません!」
バッと離れ、涼恵は謝る。怜は「いや、うん。俺の方もごめん」と謝った。
壁に寄り掛かり、二人は話し出す。
「それで、前に言っていた奴ら?」
「察しがよくて助かります」
「分かった。今日はもう帰ろうか」
涼恵の頷きに怜が言うと、
「うー……ケーキ……コーヒー……」
小さな声が隣から聞こえてきた。かわいらしい要求に怜は「コンビニで買ってあげるから」と笑いかける。
路地裏から見ると、モロツゥのメンバーはキョロキョロと涼恵達を探しているようだった。
「今のうちですね」
「あのフードの男?なんであれを怪しいと思わないの?」
怜の言葉に涼恵は驚いたが、「あとで説明します」とまずは身の安全を優先した。
コンビニに行く途中、怜が「そういえば、さっきのあの地図はなんだったの?」と聞いてきた。
「あぁ、あれは魔法の一種ですね。蓮ちゃんとかシンシアちゃんも使えますよ。私達森岡家は索敵やサポートが主なんです。まぁ、森岡家の魔法は基本攻撃向けではないんですよね」
「へぇ、あれは魔法なんだ……」
聞いたことぐらいならある。でも、まさか目の前で見ることが出来るとは。
「だから、多分ですけどりゅう君も使えるんじゃないですか?彼も私達のいとこですし」
「あー、あの子ね。……佑夜達は使えるの?」
「えぇ、使えますよ。守護者の家系ですから」
あの三人はどちらかと言えば、攻撃系の魔法が得意らしい。まぁ守護者だから当たり前ではあるが。
コンビニでケーキとコーヒーを買うと、そのまま寮に戻った。
「そう言えば、この寮は大丈夫なの?あいつらに見つからない?」
さすがに気になって確認すると、
「あぁ、この寮は学園長さんが結界を張っているみたいです。だからよほどのことがない限り、攻め込まれないみたいですね」
学園長……というとアヤメ学園長か。そういえばあの人、司祭でもあった。
「ねぇ、あの人どこ出身なの……?」
不意にそんなことを思ったが、涼恵は「分からないんですよね……」と首を傾げた。
「とにかく、司教であるということだけは確かなんですけど……」
外国からこの国に越してくる場合、涼恵達森岡家や蓮達成雲家に報告が行く。だから知らないハズがないのだが……アヤメはどこから来たのかすら全く分からないのだ。
「まぁ、触らぬ神に祟りなし、っていうものでしょうね」
「うん、まぁ、そうだね……」
釈然としないが、怜は頷く。
「ちなみに、聞いたことはないの?」
気になって尋ねると、
「あの人の正体を探ろうとした人はみんな行方不明になっているんですよ……だから私も蓮ちゃんも手が出せなくて」
そんな答えが返ってきた。たった一人の情報を得るためにそんなリスクは冒せないのだろう。特に害がなければ目をつぶるという感じみたいだ。
書庫で小説を書いていると、
「さっきのあれ、見せてほしいな」
怜に言われ、涼恵は「これですか?」と魔法で地図を出す。
「それって、ほかに使えない?」
「探し人を見つけたり、周辺の情報なら分かりますよ。でも、やっぱり詳しく知りたいならパソコンを使った方がいいですね。あくまでサポートです」
そう言って、魔法と解く。
「でも、小説には書けそうだね」
「確かに。私からしたら身近なものだったので、あまり考えたことなかったですけど」
涼恵にとっては当たり前でも、怜にとっては当たり前じゃないのだ。
「ファンタジー小説に使うことは出来そうだよ。ほかにはどんなのが使えるの?」
「ほかには、それこそ攻撃に使うことが出来たり、守ったり出来ますね」
興味津々に聞いてくる怜に、珍しいと思いながら涼恵は答えていった。
「そんな感じなんだ……」
「シンシアちゃんの方が分かるんですけどね、魔法関係に関しては」
涼恵はあくまで情報収集が得意な家系、魔法はあまり使わないのでそっち関係ならシンシア達の方が詳しい。
「そうなんだね」
「特にシンシアちゃんは結構強いですよ」
そんな会話をしながら、二人は小説を書いていった。
「すず姉、最近怜さんとよくいるな」
夕食の時、弟に言われ涼恵は首を傾げた。
「そう?」
「よく見かけるぜ?付き合ってんじゃないかって噂になってるぐらいだしな」
そういえば、図書室でそんな噂を聞いた気がする。
「怜さんは大人だし、私よりもっといい人がいるよぉ」
涼恵が笑うと、「あー……」と記也は苦笑いを浮かべた。
「……こりゃ、怜さんも大変そうだ……」
「いきなりどうしたの?」
「こっちの話だぜ」
弟の反応に、涼恵はよくわからないと言った反応をした。
それを聞いていた怜は心臓がバクバク跳ねていた。
「鈍感だなぁ、涼恵は」
孝がニヤニヤと笑っている。「別にいいんじゃないですか」と怜は顔を真っ赤にして答えた。
「男は度胸が必要だぜ?」
「うるさいです」
怜としては、そばにいられるだけでよかった。しかし、
「それだったら、会長さんが口説いちゃおうかなー」
啓の言葉に、怜はイラっとした。
「それはダメです」
「えー?ダメー?」
気付けば、そう言っていた。
「当たり前でしょう?」
「嫉妬深いなぁ、怜は」
「口を縫い合わせますよ?」
「脅さないでー」
キッとにらむと、啓は冷や汗を流した。怜の手元には針と糸。いつの間に持っていたんだ。
まったく、この子は……。
啓は困ったような顔で怜を見る。少しぐらいは煽らないと、この男は告白すらしないだろう。……まぁ、そのせいで今、命の危機にさらされているのだが。
「何の話をしているんですか?」
涼恵が声をかけてくる。このタイミングではやめてほしかった。
「涼恵、食べ終わったなら怜さんと一緒に小説でも書いてきてください。片づけは兄さんがやっておくので」
「……?分かった」
兄の言葉に、よくわかっていない涼恵は頷いて怜と一緒にその場を去る。
「お、おい、恵漣……?」
「涼恵に妙なことを教えたら……こ・ろ・し・ま・す☆」
すっごい満面の笑みでものすごい物騒なことを言ってのける恵漣に、孝と啓は肩を震わせた。
怜と一緒に書庫でパソコンを使っていると、
「最近は、嫌なこととかなかった?」
怜が尋ねてきた。涼恵は「今は大丈夫です」と笑った。
「そっか。何かあったらすぐに教えてね」
「はい、ありがとうございます」
その反応に少しぐらいは心を開いてくれていることが分かり、怜はうれしく思った。
「ねぇ、この寮の人達はどうかな?」
聞いてみると、「話しやすい人達ですね。安心出来ます」と答えた。
「まぁ、まだ学校の人達は慣れないんですけどね……」
「俺達みたいに四六時中いるわけじゃないからね」
そう言って、ハッとなる。
そう、自分達は四六時中ずっと一緒に生活している。そんな中でも一緒に過ごすことが多いのだから、周囲から恋人と間違われていてもおかしくはないのだ。なんでそんな噂が流れたのだろうと思っていたのだが、ようやく合点がいった。
「どうしました?」
涼恵は気付いていないらしい、首を傾げていた。「何でもないよ」と怜は笑って誤魔化す。
「……そろそろ寝ようか」
「そうですね、もう遅い時間ですし」
涼恵は羞恥を覚えている怜に気付かず、頷いた。
部屋に戻ると、怜は顔が熱くなっていくことに気付いた。
「……恋人、か……」
呟いてみて、自分なんてと頭を振った。
怜は、霜月家の長男として生まれた。父親は最低なDV男で、病気がちな母親は怜を守るために必死だった。
怜は成長が早かったらしい。不思議に思った母親が病院に連れて行くと、サヴァン症候群と診断された。学習能力が高いからいろいろなことを挑戦させてあげたらいいと言われたようだ。それもあって、母親は怜がやりたいと言ったことは何でもさせてくれた。
怜が四歳の時だっただろうか、弟が生まれた。しかも、考えてもいない形で。
「……え?浮気……?」
そう、父親の浮気相手が妊娠したというのだ。そのことによって、母の容体は悪化してしまった。あとで分かったことだが、正確には父親が無理やり迫ったために出来た子供だという。
弟の母親は産んですぐに亡くなってしまい、父親がその子を引き取ることになった。
――その弟というのが、蘭だった。
どんな経緯であれ、弟が生まれたことは怜にとってとてもうれしいことだった。それが分かっているのか、母親は怜の前では笑っていた。
怜は必死になって、母親と蘭を守ろうとしていた。しかし、精神面ではそこらの子供よりは大人でも、身体は子供だったためどうにもならなかった。
「かあ、さん……起きてよ……」
まだ弟が一歳になるかならないかという時、母親も亡くなった。
そこから、矛先は怜と蘭になってしまった。怜はせめて蘭の被害が少なくなるようにとずっと庇っていた。たとえ熱湯をかけられようが、たばこを押し付けられようが、大事な弟だけは絶対に守りたかった。
十歳になった時だっただろうか、突然黒服の男達に連れていかれ、殺されかけた。そこを、フードを被った幼い子に助けられた。
そのあと、誰かが通報してくれたらしく父親は警察に連行された。
「よかったね、君達。アトーンメントが情報をくれなければ、そのまま虐待死もあり得たかもしれなかったよ」
警察の人達に言われ、怜は涙が止まらなかった。
「お兄ちゃん……もう大丈夫なの……?」
蘭が涙を浮かべながら聞いてきた。怜は「うん、もう大丈夫だって」と涙をぬぐいながら頷いた。
それから、怜は父方の祖父母に、蘭は母方の祖父母に引き取られたのだった。名字が違うのはそのためだ。
そこまで思い出して、ようやく気付く。
――あぁ、俺も過去に縛られていたんだな……。
恵漣と涼恵は、弟と妹を守るために必死になっていた。その結果、涼恵は外に出ることが出来なくなってしまった。
――俺も、もしかしたら同じことになっていたかもしれない……。
そう考えると、急に恐怖を覚えた。
その、情報を渡してくれた人に感謝しないといけない。
同時に、そんなことも思った。