大陸暦1529年――桜
中央広場には多くの人が行き交っていた。
そこには地元民もいれば、冒険者風の人間、留学生だろう見慣れない制服を身につけた若者、そして観光客の姿もあり、それらの人々の話し声は活気となって広場を満たしていた。
その広場の様子を、店の中から一人の女性が微笑みを浮かべて眺めていた。
彼女は戦前から広場近くに店を構える花屋の若き店主の一人だ。
両親を早くに亡くした彼女は、十代の頃から兄と共に両親が残した花屋を必死に守ってきた。
先の戦争では幸いにも店の全壊は免れ、戦争が終わったその日から兄妹は営業を再開した。生き残った花を掻き集め、人々に無償で配った。それは敗戦国となった祖国の人々の不安が、花で少しでも和らげばいいと考えてのことだった。
あの日から一年余り、季節は戦後二度目の春を迎えた。
その間、帝国は帝政を捨て王政となり、白狼国へと名を変えた。
その名はこの国だけに生息する群れ思いの気高き狼、白狼に因んで名付けられた。
そしてその群れである民を率いる若き白王は、民の暮らしを良くするべく尽力した。
その結果が今、彼女の目の前に広がっている。
観光客を受け入れはせど入出国が厳しかった帝国では、このような光景を見ることはできなかった。多種多様の人達で活気溢れる広場など、戦前までは想像だにしなかった。
だから彼女は朝の忙しさが落ち着いたあと、いつもこの光景を眺めた。
新しく生まれ変わった祖国を、その目に焼き付けるかのように。
「すみません」
そうしていると、声をかけられた。
見ると、店前に二人の少女が立っている。
人々を見るのに夢中で、兄が配達でいないことをすっかり忘れていた彼女は急いで店頭に出た。
「ごめんなさい。お花ですか」
「はい。見繕ってほしいのですが」
そう答えたのは右に立つ、耳の下ぐらいに切り揃えた藍鉄髪の少女だった。腰には見るからに立派な剣を携えている。その束と鞘は黒色で、今はもう名前が無くなってしまった零黒騎士が持つ剣に似ていた。
「希望はありますか?」
そう訊ねると、少女は少し迷う素振りを見せながら、隣の髪の長い金髪の少女を見た。
「色とりどりでいいんじゃない?」
金髪の少女がそう答えると、藍鉄髪の少女はこちらを向いて言った。
「それで、お願いします」
「わかりました。少しお待ちください」
女店主は慣れた手つきで花を選ぶと、枝を切りそろえながら言った。
「観光ですか?」
今まで花を買うのは殆どが地元民だった。だけど最近は外国から人の出入りが増えたこともあり、地元民以外も花を買ってくれることが増えた。
その用途は戦争の慰霊碑に献花するためだ。
先の戦争は帝国が宣戦布告もなしに星王国を侵略し起こったものだが、帝国人の誰もが戦争に賛同していたわけではないということは、新聞や本を通して今や大陸中の人が知っている。
もちろんそれで全ての人が帝国を許してくれているというわけではないが、それでも巻き込まれただけの元帝国人を不憫に思ってくれる人や、望まない戦争に参加し戦死した騎士や兵士を追悼してくれる人も少なくはないのだ。
この二人も身なりからして観光客だろうと女店主は思った。
藍鉄髪の少女は観光客には珍しく剣を携えてはいるけれど、だからといって冒険者という形でもない。おそらく観光に来た金髪の少女の護衛だろう。
だが彼女の想像に反して、藍鉄髪の少女は「いえ」と小さく首を振った。
そして広場に目を向けると、懐かしむように目を細めて言った。
「里帰りです」
エピローグ
中央広場を後にし、かつての帝都の上層区、東側区画へとやってきた。
以前と変わらず貴族の住宅街であるここは、広場の喧騒が嘘のように静まり帰っている。広場に沢山いた観光客も流石に住宅を見に来る理由はないのか、その姿は一人も見えない。だからここにいるのは今も昔も、各邸宅を守る門衛達だけだ。
だけどその門衛も邸宅によってはいたりいなかったりで、門衛がいない邸宅は決まって人の気配が感じられない。それはおそらく貴族制の見直しでここに住む貴族が減ったのが原因だろう。帝国は他国に比べて貴族の数が多すぎたから。
以前より人の気配が減っているからか少しもの悲しさを感じるけれど、それでもその事を除けばここは戦前とは何ら変わりなかった。
だからだろう。流れる風景を眺めていると、次第に懐かしさが込み上げてきたのは。
まだここを離れて一年半ほどしか経っていないのに、随分と年月が経ったように感じる。
私は隣を歩いているエルデーンを横目で見た。中央広場では沢山話をしていた彼女も、今は何も言わず辺りを眺めている。おそらく私が感傷的になっていると思い、気を使って黙ってくれているのだろう。もしくは彼女も懐かしんでくれているのかもしれない。夏期の間とはいえ、彼女も五年間ここで過ごしたのだから。
そうして歩いていると、やがて見慣れた塀や木々が視界に入ってきた。
その途端、抱いていた懐かしさが切なさに変わる。その原因は分かっていた。塀や木々と一緒にあるはずの家の姿が見当たらなかったからだ。
我が家が焼かれて無くなったことは事前に知ってはいた。だから覚悟もしていた。けれどやはり実際にその事実を目の当たりにすると、心に来るものがある。
バルゼアの先祖が築き上げ、私が生まれ育ち、家族と共に過ごした家が跡形も無い姿を見るのは。
思わず感傷に浸っていると、エルデーンが心配そうに顔を覗き込んできた。
気づけばいつの間にか足を止めていたらしい。
彼女の目が『大丈夫?』と問いかけている。
私は大丈夫だという意思表示に微笑んで頷くと、歩みを再開する。
やがて家の門が間近になると、不意に春風が拭いた。
そしてその風に乗ってきたのか空から、ひらり、と何かが降ってくる。
それをエルデーンは咄嗟に手で受け止めると、手の平を見た。そして驚いた表情を浮かべてから、突然門に向かって駆け出した。
「エル?」
彼女の後を追うと、エルデーンは門の前で立ち止まり声を上げた。
「セドナ、見て……!」
エルデーンが指さした門の中に目を向ける。
門からは家が無くなったことにより、中庭が見通せるようになっていた。
その中庭には、緑の葉を湛える木々とは別に異色の木がある。
桃色の花を咲かせた大きな木――――父の、桜の木だった。
私達は桜の木の下まで来ると、木を見上げた。
上からは桃色の花弁がひらひらと舞い落ちてくる。
「綺麗ね」エルデーンが感嘆するように言う。
「――うん」
この桜の木は父が若い頃、留学先の星王国から帰国する際に持ち帰ったものだ。
星都の市場でお土産を選んでいる時に、異国の商人から苗木を手に入れたらしい。
父は苗木をここに植えると、毎年のように花が咲くのを楽しみにしていた。けれど何十年経っても桜の木が花を咲かすことはなく、その原因が帝国の気候にあるのか、はたまた桜の木に良く似た苗木を掴まされたのかは分からなかった。
それでも父はこの木を、桜の木と信じて大事にしていた。
いつかは花を咲かせるのだと、信じ続けた。
そこまで父が桜に執着していたのは、留学中に旅行先で見た桜の美しさに魅せられたのもあったけれど、一番は家族にもそれを見せたかったからだと、母は言っていた。
「でも、どうして今ごろ咲いたんだろう」
きっと誰にも分かることはないだろう素朴な疑問を口にすると、意外にもエルデーンが「そんなの決まってる」と即答した。
見ると、彼女は確信めいた微笑みを浮かべている。
「セドナのためにご家族が咲かしてくれたのよ」
――あぁ、そうか。そうかもしれないな。
私は桜から視線を落とし、地面を見た。
家族の最後は、ここに来る前に再会したバルゼア家の使用人であったオグが教えてくれた。
――その日、事前に憲兵が来ることを察した父は、使用人達にここから離れるようにと言った。
それには最初、オグを含め殆どの使用人が受け入れなかった。
私は知らなかったけれど、使用人の殆どは父に恩があったらしい。
それはオグも同じで、彼は元々は他の貴族の剣奴で試合に負けて捨てられた所を父に命を救われたと話してくれた。
だからオグは救われた命を父のために、父が愛する家族のために使おうと決めていたそうだ。それは残ることを希望した他の使用人も同じだったと。
だけど父はそれを許さなかった。
父は皆に命令までして邸宅から追い出した。当分生きるのに困らないだけのお金を渡して。
使用人達が屋敷を後にする中、それでもオグは食い下がった。側にいさせてくれと懇願をした。
そんなオグに、父は微笑んで言ったそうだ。
『オグ、家は恐らく焼かれるだろう。だがもし、桜の木が無事ならば、どうか守ってやってほしい。いつか娘が戻った時、何も無ければあの子が悲しむだろうから。これを頼めるのはお前しかいない。だから行ってくれ』
オグはその言葉を胸に、ここを後にした。
父から託された約束を守るために――。
オグは桜の木が咲いていることは教えてくれなかった。
おそらく私達を驚かそうと思ったのだろう。
私は手に持っていた花束を桜の木の側に添えると、その場に屈み込んだ。エルデーンも隣に続く。
彼女は手で星十字を切ると目を瞑った。
私も帝国式の印を切ってから、地面を見つめる。
ここには家族が眠っている。
家が焼かれ憲兵が離れたあと、桜の木の下にあった三人の遺体をオグと使用人達が埋めてくれたのだ。
オグは別所にあるバルゼアの墓に埋葬できなかったことを悔やんでいたけれど、私はこれでよかったのだと思う。年に数回しか訪れたことがないお墓よりも、家族で過ごしたここの方が、三人もきっと喜んでいると思うから――。
もう二度と見ることはできない三人の姿を思い返しながら、私はしばらく地面を見つめていた。するとお祈り終わったのかエルデーンが口を開いた。
「私ね。目が覚めない間、ずっと昔の夢を見ていたの」
彼女が昏睡状態だった時の話をしているのだということはすぐに分かった。
「貴女と過ごした思い出の夢。私はそれを夢だって自覚してて、だからとても懐かしくて、追体験をするようにそれをずっと眺めていた」
不思議な感覚を覚えた。
私も彼女が眠っていたあの時、監獄棟で昔の夢――記憶を見ていたから。
「でも思い出にも終わりが来る。最後の夢を見たとき、私はそのまま深い眠りに落ちるように意識が遠のいていった。その時、気づいたの。あぁそうか、私は死んだんだ。今まで見ていたのはきっと、走馬灯のようなものだったんだ、って」
一瞬、彼女が斬られた時のことが脳裏に浮かび胸が締め付けられた。
最近は大分安定してきてはいるけれど、それでもやっぱり、彼女が死んだと思ったあの時のことを思い出すのは今でも辛い。
「でもね。その時、声がしたの。起きてって。セドナが待っている。セドナを助けてあげてって」
エルデーンは見上げていた顔をこちらを向けると微笑んだ。
「貴女のお父様とお母様、そしてセバルの声だった」
「どうして今まで話してくれなかったの?」
彼女は浮かべていた微笑みを少しだけ意地悪気に変えると言った。
「セドナが泣いちゃうと思ったから」
それは間違いない、と私は苦笑する。
だって今でも少し泣きそうになっているのだから。
「きっとここから貴女を見守っていて下さったのね」
「――うん」
私は地面に手を当てると、立ち上がった。
そしてエルデーンを見る。彼女はそれだけで気づいたのか立ち上がって言った。
「もういいの?」
「うん」
本当はまだここにいたかった。
名残惜しい気持ちでいっぱいだった。
けれどそれに甘えていたら、いつまでたっても離れられなくなる。
ここで過ごした家族との思い出が溢れてきて、動けなくなってしまう。
思い出に浸るのは良いけれど、それに足を囚われるのだけは駄目だ。
私はもう歩き出しているのだから。
もう戻ることはできない日々を胸に、前に進むことを決めたのだから。
エルデーンが門へと歩きだしたので、私も桜の木に背を向ける。
また来るから――そう思いながら足を踏み出す。
その時だった。
――セドナ。
背後から名を呼ばれた気がして、私は振り返った。
桃色の花弁が舞い落ちる桜の木の下には、人の姿があった。
それが誰だか分かった瞬間、身体の中から感情が込み上げる。
もう見ることができないと思っていた愛する家族の姿に――私を愛してくれた父と母と兄の姿に、今にも泣き出しそうになる。
それは私が作り出した幻なのかもしれない。
白昼夢を見ているだけなのかもしれない。
それでも三人は最後に会った時の姿で、穏やかな表情でこちらを見ていた。
私は泣きそうなのをぐっと堪え、笑顔を作る。
――心配かけてごめん。私はもう、大丈夫だから。
そう、心の中で呟く。
すると三人は安心するように笑った。
強い風が吹き、桜の花弁が舞い乱れる。
それと一緒になるように、三人は花弁となって空へと舞い上がった。まるで魂が空へと還るように。
「セドナ?」
空を見上げていると、背後からエルデーンの呼ぶ声がした。
振り返ると、彼女は少し先で、心配そうに私を見ている。
「どうしたの?」
「――ううん。何でもない。行こう」
私はエルデーンに歩み寄ると、手を差し伸べた。
彼女は微笑んでその手を取る。
――大丈夫。
私はもう迷わない。
私は、私の心のままに生きていく。
大切な人と一緒に、生きていくから――。
騎士物語 END




